朱の鬼神
 1.白神九十九 その3 十夜さん
  
 

「そういえば、まだ自己紹介がまだでしたね」

 二人の後に続こうとして不意に―――確か、『愛さん』とか呼ばれていた―――三つ編みの女性が振り返る。

「あ、ええ。私は『白神九十九』。仕事の転勤でこちらに越してきたばかりです」
「私はさっきもお話した通り、寮の管理人をしてます『槙原愛』です」
「んで、うちがその寮生で『椎名ゆうひ』ゆうねん。現役バリバリの大学生やでー」
「にゃぁ〜」
「同じく寮生の、ことらです〜。ってな♪」
「……というか自己紹介もしない内に寮へ案内というのはどうかと」

 今更ながら、この二人(と一匹)のノリに脱力せずにいられなかった。
 初対面でもこれほど気後れしないというか、完全にスルーするというのは知り合いにはいないだけに。

「でもまぁ、大体の関係はしておったんやし、えーやないの」
「私は名前すら名乗っていなかったんですがねぇ」
「はー、ゆうひちゃん。まだ名前も知らない内にお友達になってたんだ」
「いや…まー、うん。そういえばそうやったなー。つい忘れとったわ」
「そうなんだ。気の会う人同士って、そういう風でも仲良く出来ちゃうものなんですかねー」
「かなり特殊なケースだと、私はそう思いたいんですが…」


 ―――と、取り留めない話をしながら歩いていた時、それは突然の怒号の如く起きた。

 ガシャアァァン!

「!?」

 もう少しすれば目の前を通りがかっていた屋台。
 しかもそれは昼食(の筈だった物)を買ったお店で、今はガラの悪い男が屋台のテーブル越しに店員へと食って掛かっている所だった。
 全くもって頂けない話だが、その横顔と服装にはまだ記憶に新しい。

「お兄さん。あれって!」
「二人はそのままそこに。私が対処します」

 この程度ならば、と捨て置いたのが間違いだったか。
 秒を追う毎に燻ぶるその苛立ちに自然と足も速まる。

「さっきからぎゃーぎゃーやかましいんだよ!」
「それこそさっきからこちらも申している通り、こっちは単に客引きをやっているだけです」
「なら静かにやってやがれ!こっちはイライラしてんだ!」
「鬱憤を晴らすなら、どうぞ違う所で願います。これ以上は営業妨害で通報します」
「呼べるもんなら呼んでみろよっ!」
「うう…せんぱぁい」
「泣いてんじゃねぇよ、ガキャァ!」

 男は相手の毅然とした態度を怒声と威圧で捻じ伏せられない事に旗色の悪さを悟ったか。
 急にもう一人の店員へ矛先を返るなり、テーブルのヘリに膝を乗せると身を乗り出して殴りかかる。

 その瞬間、とっさに伸ばした手が男のベルトの後ろ部分に届いた。
 だが半ば飛びつく形で掴んだだけに男の動きを抑えきれず、直後に起こる暴挙を止めるまでには至らない。
 バランスを崩す中で浮いていた片足を踏みしめるなり、腕に力を込めると加減をする間もなくベルトを強引に引いた。

 一般的な成人男子の腕力なら、ここで良くて動きを止めるまでだろう。
 しかし私自身、その規格から外れていた。
 故に―――それは他の誰しもが予想だにしない状況だった筈。
 おそらく本人ですら状況を認識できなかったことだろう、自分の体が宙を舞っていることを。
 そして周りにしてみれば、私と同じだけあろう体重の男一人を片手の一動作だけで投げたという事実を。
 その数瞬の間、誰の口からも声が上がるのを耳にすることはなかった。

 ダンッ!

「っ!?ったぁ〜!」
「言わなかったか?いつか大きなしっぺ返しが来るって」

 今回ばかりはさすがに怒りもこみ上げ、振り返りながら放った言葉にも自然とその色が混じる。
 海に面した柵の、ちょうど柱の部分に強く背中を叩き付けられ、だがこの中では唯一動いていた男もそこで固まった。

「これ以上の暴挙は認めない……私が許さない。故にここでお前に罰と贖いを以って償わせる」
「ひ、ひぃぃっ!」
「あのままおとなしく引いていればよかったものを…」

 足を引いて腰を落とし低く構えると右手に意識を集中させる。
 距離は目測2メートル。
 が、その程度の間合いならば

「ふぅぅ……っ!」

 シュン!

 ―――仕留めるまでに一瞬で事足りる。

「ひ……はっ…」

 しかし拳から殴った感触が返ってくることは無く、一撃は頬を掠めて中空で留まっている。
 男は息の詰まったような声を上げるとそのまま失神し、柱同士を繋ぐチェーンへいくらか頭を擦らせながら柵の間に倒れこんだ。

「…、ふー」
「あの…」
「お騒がせてすみません。なにやらただならぬ状況でしたので」

 闘気を払うと振り返り、出来るだけにこやかにそう告げた。

「あ、いや…どうもありがとうございます」
「確かお昼にお買上げして頂いたお客さん、ですよね?」
「よく覚えていましたね。多くの客の中の一人だったというのに」
「いやまあ、なんとなくですよ」
「そうですか」

 ショートの娘はいまだ恐怖が抜け切れていない様子だが、ロングの娘の方は至って動揺しているそぶりは見えない。

「二人とも、怪我あらへんかったか?」
「槙原さんに椎名さん?!どうしてここに」
「実はその人はゆうひちゃんの知り合いで、ちょうど寮の方へ食事に誘おうとしてところだったから」
「はー、椎名さんに男の知り合いが…」
「なんや、うちかて男の子の知り合いの一人や二人くらいはいるでー」

 どうやら奇遇にも四人とも知り合い同士のようだが、偶然とは恐ろしいものだ。

「それでどうしましょうか?必要なら通報をしますけど」
「……そうですね。でも被害にあったのはウチですし、こちらで通報します」
「分かりました。それでゆうひさん、先の件も合わせて報告しておこうと思うのですが」

 せやなー。と少し考える間をおくと

「んー、ええよ。お兄さんの好きにしたって」
「それじゃ、早速通報します」
「あ、その前に。いずみちゃん、ななかちゃん。よかったらウチでご飯食べてく?」
「いいんですか?」
「え、私も一緒に?」
「こんな事あったんだし、こういう時はみんなで一緒に過ごした方が良いかなーって」
「いや私は…そうですね。ならご一緒させてもらいます。井上も良いよな?」
「はい、先輩がそう言うんでしたら…すみません。ご厄介になります」
「それじゃあ、早速寮に連絡入れておきますね」

 そうして一段落した後、付近を警邏中だったパトカーが到着したのは五分後の事だった。

その4へ
         
 あとがき
 切腹して謝罪を致します(挨拶)
 前回更新から一年余りも間を空けてしまいました。
 ちょいと言い訳させてもらえれば、その頃から少しばかりしてから仕事において心身面でアレな状況に見舞われ、つい最近まで執筆どころかライトノベライズにすら手が伸びることのない日々を送る有様でしたのです。
 とはいえ仕事して食っていくぶんには問題のない程度なので、そこまで深刻な話ではないのであしからず。
 さらに切腹。
 前回のあとがきにて次でさざなみ寮入りするとか言っておきながら、まだ引っ張ってます(平伏)
 多分、また今回ぐらいの短めの話を一回やった後くらいにさざなみ寮へ移動出来る筈…筈!(汗)

  
一話 その 2

一話 その 4
   
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