朱の鬼神
 1.白神九十九 その2 十夜さん
  
 

「おー、ぬっくぬくやー」
「暑く……ありません?」
「こんなの、ウチのにゃんこへの愛情に比べたらそよ風同然や」

  ―――とまあ、物で釣ってもらうことでなんとか解放されたものの、今度は本人からの要望もあって猫布団は再び敷かれているのだった。
  しかし、いくら本人がそう言っていても、なんだか見ている方が暑くなりそうな代物であることには違いない。

「猫。好きなんですね」
「うん♪うちの中では、にゃんこが一番好きな動物なんよ。うちがお世話になっている寮でも、山に住んでる野良とかがいっぱい遊びに来るんやで」
「へぇ…。でも野良だと猫同士の喧嘩とかで大変じゃないですか?」

  そりゃあもう、仲裁に入ろうとして掴もうものならば暴れた拍子に手を引っかかれることもしばしば。
  逆に放っておこうものならば、唸り声だのもつれ合う拍子に激しい物音を立てたりだの、押しても引いても勝敗が付くまで終わらないという有様 だ。

「実はそうでもないんよ。麓の牛乳屋さんで次郎って猫がおるんやけど、その子がそこらのナワバリ仕切っていて、寮の方にも結構顔を出してくれてるし。皆も 仲ようしとるよ」

  そう言われると、なんとなく厳(いか)つい顔をした猫を想像してしまうが、多分違うのだろう。
  それならそれで補足の一つくらいはしてあるはずだろうし。
  『え〜、可愛いやん』というオチがない限りは、だけど。
  …………なんか、すごくリアルな絵が頭に思い浮かんでしまった。

「そういえば、なんでお兄さんはこんな風になってたん?」
「えっと、それは……」

  まさか猫に押し倒されました。とは言いにくくて少し口篭もる。
  適当な誤魔化しをしようかと考えたが、どう見ても苦しい言い訳にしかなりそうにない。
  ―――大丈夫、同じ猫好きならば分かってくれるだろう。
  思案開始から三秒。
  どうしようもない状況に対して楽観的であり、諦め色の混じった答えに行き着いてしまった。

「実はついさっき越してきたばかりで、ここにはその荷物整理の息抜きに来た……はずなんですけどね」

  先ほどまでの状況を思い、後の台詞に苦笑の色が混じってしまう。
  本当、下手に身じろぎも出来ないから、それはそれで神経使ったし。
  それに上はシャツ一枚という状況だから、きっと猫達に爪を立てられると悲惨な目に遭っていた事だろう。

「それで、お昼にと買っておいたサンドイッチとホットドックを、次々と現れる猫にあげている内に、あれよあれよとで切らしてしまいましてね。そうするとい きなり皆に跳びかかれちゃったんですよ」
「で、あーいう事になっていた。と」
「私も動物は好きですし、動物からも割と好かれるんですけど、今回のはどうも…」
「うちなら圧し掛かれても、そのままにゃんこと戯れるんやけどなぁ〜」
「それは、まあ…」

  ―――さっきの出会い方の手前、リアルに想像できます。
  『あ〜れ〜♪』とか言いながら笑って押し倒される姿が。などと言うわけにもいかず、

「私も、引越しの片付けがなければそうしていたかったんですけどね」
「お兄さんもそう思う?」
「え、ええ…」

  そう言ってはみたものの、同じ猫好きでもやはり格の差というものを痛感していたりする。
  自分はこうはなれないだろうなぁ。と思いつつも、果たして自分も傍目からはどう写っているだろうかと疑問に思う。
  猫好きなのは自他公認なだけに、普段はそう気にしてはいなかったものの、いざ他人の立場でこうも目の当たりにさられるとなんだか急に気がか りになってしまう。

「よっしゃ。なら、お兄さんとウチは今日から魂の友や!」
「はい?」

  なんだか熱血漫画に出てそうな言葉を言われ、思わず首を傾げる。
  猫相手に遊んでいた時もそうだったが、彼女は外見的なものをよくよく裏切ってくれる。

「あの……今、何と?」
「やから、ウチとお兄さん。お友達になろうやって事や」

 ただの冗談かと思いきや、笑顔で二度も言われてしまった。

「ついさっき会ったばかりの人にそんなこと言ってしまっていいんですか?」
「人と仲良くなるのに時間なんて関係あらへんよ」

 それに、とこう告げられた。

「動物が好きで、動物からも好かれる人に悪い人はおらへんからえーやん」
「―――そういうもの、ですか?」
「そういうもんやの」

 どうも彼女の中では完全にそう認識されてしまったようだ。
 呆気に取られもしたが、別にこれといって不満などは沸かなかった。
 とはいえ、その経緯に著しい問題を感じなくも無いが。

「それより、まだ戻らなくてええんの?」
「あ、結構時間が経ったかな。…それじゃあ自分戻りますけど、そのままで大丈夫ですか?」
「うんー。今日はヒマヒマさんやから…夕方くらいまでに……家に帰れ、ば……」
「―――?」
 
 ………寝てる。
 しかもかなり幸せそうな寝顔で。
 猫たちの方も、ところどころ同じように眠っているのもいる。
 
「……、おやすみなさい」
 
 ここに一人残すことに何も思わないわけではないけど…まあ、猫達がいるから風邪を引いたりする心配はないかな。
 まだ荷物整理も残っている事だし、ここは一旦帰ることにしよう。
 そう思って立ち上がると、少し場所を離れたところで体中に付いた毛だの汚れだのを軽く叩き落とす。
 家路へと足を運ぶ前にもう一度だけ元いた場所に振り返ると、そのまま歩き出した。


「ただいまー、っと」

 と言っても誰もいない六畳一間の部屋は殺伐としていて、出迎えたのは既に衣類の整理が済んだタンスに、今回の任務で表向きの仕事に必要な書籍とかが入っ た本棚。
 急な呼び出しをしておいて、いきなり日本に飛ぶよう啓吾さんに言われた時には準備が間に合うのかと心配になったが、表に停めてある車も含めて用意が滞り なく行われていたのには、さすが世界を股に掛けて活動する警防隊だと驚かされた。
 他に用意されたものといえば部屋の真中に置かれた一人用のテーブルに、護衛目的で使う物が入った未開封のダンボールが二つと既に整理が済んで折り畳まれ た分の空き箱三つ。
 家具一式は元から付いていた物だから、この部屋にある物と言えばそれぐらいしかない。
 正直な所、一人暮しにはもう慣れていたと思っていたけど……

「あんなに明るい人に会った後だと、どうも寂しさを感じてしまうなぁ」

 そんな口から漏れた一言に、思わず苦笑してしまう。
 なんというか、とても明るくて温かい人だったって事には違いない。
 おまけに猫が絡んだ時とかの反応の面白さもなかなか。

「まあ、一度片付けが済んだらまた行ってみようかな」

 自分にしては珍しく鼻歌を歌いながら、残りのダンボールの開封に取り掛かった。


「あー、やっと終わった」

 長時間の労働で凝り固まった体を揉み解す。
 引越しなんて重労働はあんまりやりたくないものだよな。

「もう夕方か…」

 ふと目をやった時計の針は既に六時を回っているのに気付き、そう呟く。

「あの人、まだ寝てるのかな…」

 ………。
 ……なんとなく、あのままで寝ていそうな予感がする。
 たとえ起きていたとしても、あれじゃ動けそうにはとても思えないし。

「様子、見に行ってみるかな」

 この時期だから日が暮れるのはまだ先だけど、それでもそろそろ気温もいくらか下がってくる。
 流石にアレは暑いだろうから、寝汗で風邪をひいていないといいけど。


 えっと、あの人は…。
 さっきと同じ場所に、平穏とした景色の中で異彩を放つ毛皮布団。

「猫が固まって寝ているのって、こんな遠くからでもああも目立つんだ」

 そんな状態を昼過ぎには自分もやっていたと思うと、気恥ずかしい。
 だが動けないでいるその姿を見ると、自分と同じ目に遭っている。と妙な安堵感が沸いてしまう。
 なんというか、あの状況で動けなくなってしまうのが自分だけではないという、そんな心境だった。

「……?」

 そうして一歩踏み出す直前、歩み寄って行く先客の姿が目に止まる。
 茶髪に染めていることはさほど珍しくもないにせよ、眠っている彼女の人となりという物を考えると、あまり知り合いという風には思えない。
 ―――ん? 眠っているとばかり思っていた猫達が一斉に立ち上がりだしている。
 事情は分からないが、どうやら皆して威嚇をしているように見えた。
 そのことに相手の男も一瞬怯みはしたものの、それでも近寄るのをやめようとはしない。
 どうも、傍観できる状況ではないみたいだな。

「―――彼女に何をしようというんです?!」

 大きい声で男を呼び止めると、こっちも再び歩き出す。
 突然の割り込みに再び虚を突かれつつも、男はこちらに顔を向けた。

「何だよ、てめぇは?」
「ん? 暴漢を見かけてしまった通行人その一、なのかな?」
「…っ!」

 友好的な口調をしつつ、あえて挑発の色が濃い返答をしてのける。
 見たままを言ったのだが、相手は顔を真っ赤にし、わき目振らずに殴りかかってきた。

「…小物」

 拳を左で受け流し、右肘で―――威力を加減しながら顎に一撃与えた。
 そしてその怯んでいる隙に右腕を掴むと、後ろに回りこんで一気に捻り上げる。

「―――がぁっ!」
「すぐに暴力に訴えるのは感心しないな。自分の意見や言い分を伝えるのは暴力じゃない。言葉だ」
「いてぇ! 離せよ、馬鹿やろぉ!」
「それともう一つ」

 捻り上げを強くして片を押さえつけて膝を着かせると、空いていた左腕の肘関節部で首を軽く絞めておとなしくさせる。
 これで男は立つ事も、倒れこむ事も出来ずにただ首を絞められるしかない。
 男の左手に腕を掴まれてはしても、うまく息を吸えない状態ではそれ以上の抵抗にはなれずにただもがく事しか出来ていない。

「が…うぅ……」
「目上の人への礼儀も、きちんとするようにな。学生気取りのうちはまだいいかもしれないけど、社会に出た時に一番苦労するのは君自身だということを忘れな いように」

 後の半分はあくまでも諭すように言い、拘束していた手を離す。
 いきなりの反撃にも対処できるよう、二歩ほど離れるのも忘れない。

「これに懲りて、まっとうな生活をする事を勧めるよ。でないといつか、これ以上のしっぺ返しが待っているからね。必ず」

 男は顔を歪め、口を開いて何か言いかけるものの、そのまま立ち去ってゆく。
 それを見届けると、ずれてしまった眼鏡を元に戻した。

「さて、と。このお嬢様はどうしたものか―――」

 ―――な。と言いかけて振り向いた瞬間……寝ていたその人とばっちり目が合ってしまった。
 あ、よく考えればアングル的にほとんど逆の立場だ。
 思いもしなかった事態に、頭の中ではそんなほとんどどうでもいい事を考えてしまう。

「お兄さん……」

 今のを見られていたのか?
 だとすれば、大概が暴力という行為への拒絶の言葉を―――

「めっちゃかっこええやん! もしかして、刑事さんなんか?」
「あ〜いえ、ちょっとだけ武術を嗜んでいるだけです」

 ―――出す事も無く、むしろ好意的と取れる反応を示された。
 警戒される事態へと至らなかったのは救いではあるが、かといってこれは流石に戸惑う。

「へぇ〜。でもさっきの台詞。すごくかっこよかったよ」
「聞いていたんですか!」
「やないと、ウチ。とっくに逃げ出しとったわ」
「確かに。状況がまるで掴めなかったでしょうしね」

 あのまま寝ていてくれていれていればなお良かったのだが、見られたものはしたがないと諦めざるをえないだろう。
 しかしあれを他の人に聞かれていたというのは気恥ずかしい限りだ。

「だからまぁ、まるで熱血系刑事の犯人逮捕っ! って感じやったやから、お兄さん、きっと悪い人やないんやろうなぁと思ったんよ」
「別に熱血をやっているつもりは無いですよ。ただ曲がった事が嫌いなだけです」

 それで。と軽く咳払いをして、

「日が暮れてきましたし、そろそろ起きられてはいかがです?」
「あ、もう夕方なんやね」
「そういうわけで、一旦起こしに来てみたんですよ」

 ちなみにもう六時回ってます。と告げると「ちょう、寝過ごしてもうたなー」と、苦笑いで返された。

「あー、でもウチ動けへん」
「ほら、だから気が進まなかったんですよ」

 しょうがないなぁ。と思いつつ、再びくつろぎタイムに入ろうとする猫達へと声をかける。

「とりあえずお前達、家に帰りなさい。もうすぐ日も暮れてくるから」
『にゃあ〜』
 
 全員、そう答えると今度は素直にそれぞれの家路に向かってとことこと歩き出す。
 と思いきや、その場に残っている小猫が一匹。

「ん? 確か……」
「小虎やで。ウチの所に住んでるんよ」

 そうして身を起こし、その小虎を胸に抱いて立ち上がる。

「確かに、虎柄ですね」
「やろ?いっそのこと、本物の虎になってくれへんかなーなんてなんて思ったりもするんよ」
「それはいくらなんでも危険過ぎです」

 ちなみに、虎を個人で飼うだけでもワシントン条約に引っかかります。

「あれ? ゆうひちゃん?」

 その声に二人して振り返ると、三編みをした女性が一人驚いた表情をして立っていた。

「お、愛さん。どーしなはったんですか、こんなトコで」
「寮に帰る前にちょっとここで散歩していたんだけど、そしたら遠目にも目立つくらい猫さんがたくさんいたでしょ? なんだろーなーって思って来てみたらゆ うひちゃんがいたんですよ」
「あー、あれな。猫が寄り集まって出来たにゃんこベッドなんよ。お兄さんのおかげで至極満足さんや」
「こんなところで寝てしまうほどに、ね」
「やーん。お兄さん、そう言うこと言うたらあかんて!」

 恥ずかしさからなのか、思いっきり背中を叩かれてしまう。

「あの〜、そちらはお友達なの?」
「ついさっき知りおうた仲なんよ」
「ええ、危うい所を助けてもらったんです」
「あー確かに、身じろぎ一つ出来ない状況やったもんなぁ。でもそれはお互い様って事で」
「おあいこ。ですね」
「???」
「何はさておき、このまま話し込んでもなんですし、そろそろ帰られてはどうです?」

 また猫に押し倒された話を人に話すのは勘弁して欲しく、早々に話の切り上げに掛かる。

「あ、そうやな。またどっかで会えるとええな」
「今度はもう少しまともな形で出会いたいものですね」
「あの、よろしかったらウチに来ませんか? お友達の方ならぜひご招待したいですし」

 と、このまま別れようとしたところで、思いがけもしない一言を耳にした。

「今からだと、夕飯時にお邪魔することになりますよ?それに、今会ったばかりの人の家に上がりこむわけには…」
「大丈夫です。私、寮のオーナーをしていますから。それに、賑やかなのはみんな大歓迎です」
「ウチもそこに住ませてもらっとるんよ。だから愛さんがそう言うんならウチも歓迎やで」
「ですから、そちらの都合さえ良ければですけど」
「―――分かりました。ご一緒させていただきます」
「そうと決まれば、さっそく寮の方に電話しておきますね」
「お願いします」

 成り行きでこうなってしまったが、こっちでの交友関係を築いてもそう仕事に支障をきたすことは無いだろう。
 それに本音を言えば、またこうして別れてしまうのが忍びなく思えていたから。

「何や、無理に誘ったみたいでごめんな」
「いいですよ。一人でこっちに引っ越してきたんです。むしろありがたいと思ってます」
「そうか? ありがとな」

 電話を終え、オーナーの方がこちらを向くとにっこりと一言。

「みんなオッケーしてくれましたから、大丈夫ですよ」
「っと…今更ですけど、本当にご一緒してよかったんですか?」

 一度了解した手前とはいえ、こうも早く話が通ってしまうと逆に戸惑ってしまう。
 そんな思いとは裏腹に、事は留まることなく進んでゆく。

「少し遠いんで、私の車で送りますね」
「え、ええ。分かりました。ぜひお願いします」

 ノリに置いて行かれそうになりながらも、そのオーナーからの申し出に促されて返事をした。


その3へ
         
 あとがき
 次回でやっとさざなみ寮入りです。
 草案当初では別の繋がり方で始まる予定ではあったのですが途中で、より自然に話を持って行きたかったのでこの前振り編である『ゆうひとにゃんこベッド (仮)』を立ち上げてみました(笑)
 読者様からのウケさえよければ、またどこかでこのネタを使いたいです。
 次では猫枕とかも用意させてみたいですね(笑)

  
一話 その 1

一話 その 3
   
目次