三の章


 腕を一杯に伸ばした千鶴は、少し首を傾げ手にした物に満足げに目を細めて梓を振り返った。
「これなんか、どうかしら?」
「…千鶴姉、あたしで遊んでないか?」
 抗議するのにも疲れはて、梓はジトッと千鶴を睨み低く呟く。
「梓だって元はいいんだから、大人くしてれば似合うわよ」
 にっこり微笑み、千鶴は手に持った青みがかったワンピースを梓に合わせ、満足そうに一つ頷く。
「そうかな。あたし、やっぱりパンツの方が………」
 照れ臭そうに赤くなった頬をぽりぽり指で掻いた梓の意見は、
「だめ!」
 千鶴の鋭い一言で却下された。
「ジーンズとパンツばっかり持っててどうするの? あなたは、女の子なのよ」
 千鶴は小さく溜息を吐くと、梓を不満そうに膨れた頬で軽く睨む。
「じゃあさ。頼むから、フリルはやめてよ」
 横目でフロアを一瞥した梓の懇願には、泣きが入っている。
 梓の視線の先には、千鶴が梓の為に選んで来た、少女趣味丸出しのスカートやワンピースが山と積まれている。

 姉妹は耕一抜きで観光するより、耕一が暇になってから一緒に見て回る事にした。
 それまで地元にない服飾ブランドが入っている大型百貨店やショプ巡りをする事で、四人の意見はすぐ一致した。
 昼前に着いたブランド指向のショプの試着室に梓が押し込められてから、既に一時間以上は経っている。
 たまには千鶴に付き合うのもいいかと、我慢していた梓だが。昼食も忘れ千鶴の選んで来たのは、初音の方が似合いそうな可愛いフリフリ系の物ばかり。
 普段ジーンズとトレーナーで過ごす梓も、可愛い服やおしゃれに興味はある。
 だが、どう見ても千鶴の選んで来た服が自分に似合うとは、梓にはとても思えなかった。
 いつもなら取り成してくれる初音と楓が店内を見に行き、千鶴の暴走を止める者は誰もいない。
 いや。むしろ千鶴の意気込みに、マヌカンまで一緒になって梓を着せ替え人形にしている。

「あたし、もっとシンプルなの…大学の入学式にも着ていける、スーツなんかがいいな?」
 強気が売りの梓も、販売促進に燃えるマヌカンと千鶴のダブル攻撃では、抗議の声も小さくなる。
「スーツ? でも、スーツなら帰ってからでも買えるでしょ」
 千鶴は不満そうに唇に指を当てる。
「頼むから、もう勘弁してよ。着るの、あたしなんだからさ」
 千鶴に頼む梓の声は、実に情けない。
「なによ、可愛いのに。それじゃ、私が苛めてるみたいじゃない」
 むくれた千鶴は、ぷんと口を尖らすと横を向いてしまう。
「いいわよ。梓には買って上げません」
「ああ、ごめん。でもさ、あたしだって自分で選びたいしさ」
 慌てて謝った梓は愛想笑いを引きつらせる。

 梓としては、最初の一件目から千鶴の御機嫌を損ねるわけにはいかない。
 予定外の旅行だけに、梓の資金に余裕はなかった。
 服の値段からいっても、千鶴を当てにしている梓は、流石に今日は姿勢が低い。
 隆山には出店していないブランドが多いだけに、今日を逃したら今度はいつ買えるか分らなかった。
 自然と態度は低姿勢になる。

「それに千鶴姉だって、服を選ぶんだろ?」
「時間はあるわ。後でゆっくり選びます」
「耕一。夕食は、一緒にって言ってたよな?」
 むくれていた千鶴がチラッと梓に視線を向ける。
「家じゃ、いつも普段着だよな。良くて地味なビジネススーツだろ? ビシッと決めれば、耕一も惚れ直すかもな」
「…そうかしら…ホントにそう思う?」
「でもな」
 少し疑わしそうに両手を握り覗き込む千鶴に、梓は思わせ振りに腕を組んで首を捻ってみせる。
「…なに、でもって?」
 不安そうに返って来た予想通りの反応に、梓は笑いを抑え後ろ頭を掻いて眉を寄せ、考えるようにジッと床を見つめる。
「耕一の奴。服とかには無頓着だからな。あたし達が決めすぎてると、耕一が恥掻くんじゃないかな?」
 梓が上目遣いに見上げると、千鶴は真剣に梓を見つめていた。
「だからさ。あたしよりも、耕一の服でも選んでやった方が、いいんじゃないの?」
「梓。あなたも、たまにはいい事を言うわね。そうよね、お返しって言っても、耕一さん随分無理して下さったみたいだし」
 耕一にプレゼントする口実を与えられ、明るく弾み出した姉の声で、梓は自分の思惑が見事成功したのを確信し、口元を隠しほくそ笑んだ。
「じゃあ、梓。初音と楓は、お願いね」
「えっ! ちょと千鶴姉」
 梓が慌てて顔を上げた時には、千鶴の姿は影も形もなかった。
 梓は一つ息を吐くと、営業スマイルを向けるマヌカンにぎこちなく笑い返し、自分の気にいる服を選び出した。
 なにか買わないと出られそうもないな。と覚悟を決めて。


 初音はそっと目を上げ首を傾げた。
(どうしてだろう? そんなはずないのに。)
 見上げた先には、催し物会場の看板。

 隆山でもよく見かける、北海道物産市。
 精選食品やお土産の熊の木彫りの写真を、北海道の自然風景と合成した写真。
 そして、その前にディスプレイされたアイヌの民族衣装。

 なじみのない衣装の筈なのに、ひどく懐かしい気がして、初音はアイヌ衣装の前で先程から佇んでいた。
「…初音?」
 背中から掛かった小さな呼び声に振り返り、初音は一瞬目を見張り、両手でごしごし両の目を擦った。
 振り返った一瞬、今見ていたアイヌ衣装をまとった女性が見えた気がして、初音は擦った瞼をそっと開けた。
 初音の瞳は、首を傾げた姉の姿を映し出した。
「お待たせ。…どうかした?」
「ううん。なんでもないよ」
 訝しそうに小首を傾げる楓に、初音は微笑みを向け首を横に振る。
「…そう…?」
 初音の背後に見える民族衣装に微かに眉を潜め、楓は小さく頷くと初音に目を戻した。
「そろそろ戻ろう」
「あっ、そうだね。梓お姉ちゃん、もうお洋服決まったかな?」
 楓に軽く背中に手を添えられ、初音は会場の脇にあるエスカレーターに足を向けた。
「千鶴姉さん、張り切ってたから」
「うん。でも梓お姉ちゃん、可愛いスカートも似合うと思うんだけどな。あんなに嫌がらなくてもいいのにね」
 フリルの着いたスカートを見せられた梓の嫌そうな顔を思い出し、おかしそうに話していた初音は、隣でアイヌの民族衣装と初音を見比べてる、楓の不安な瞳に気付かなかった。



 紳士服フロアに、場違いとも思える美人四姉妹の熱気が渦巻いていた。
 千鶴が訪れてからアドバイスしていた店員も、妹三人が加わり、その気迫に隅で傍観を決め込んでいる。
「でも。こっちの方が似合うわよ」
「いいや。こっちのラフな感じがいいんだって」
 千鶴の手にしたスーツを一瞥した梓は、鼻で笑って自分の持ったジャケットを差し出す。
「このシンプルなの」
 姉達を横目に、楓は控え目に別の一着の袖を手にする。
「えっ。でも、こっちの色の方が、お兄ちゃんに似合うと思うよ」
 初音までが別の一着を持ち出し、四人とも一歩も引かず睨み合い、姉妹の意見はまとまる様子がなかった。

 店内をひと通り見て回った初音と楓が婦人服フロアに戻ると、梓が一人で難しい顔をしていた。
 梓が千鶴に押し込まれたショップは、どちらかと言えばファンシー系で、梓が気に入る服がなかったのだが。店の半分を引っ掻き回した千鶴のお蔭で、梓は出るに出られなかった。
 結局、梓は戻って来た楓に似合いそうな白のブラウス。
 初音に千鶴の選んだ青い空色のワンピースを買い、店を後にした。
 梓達三人はその足で、戻って来ない千鶴を探しに紳士服フロアに向った。
 呆れた事に千鶴は、まだスーツを物色して紳士服フロアをうろうろしていた。
 そうでなくとも人目を引く美人が、紳士服ブランドのショプの間を一人でうろうろしているのだから、入るショップ毎に店員が入れ替わり立ち代わり、千鶴の世話を焼いていた。
 そこに妹三人が加わり、それぞれが耕一にはこっちが似合うと言い合いを始め(主に千鶴と梓だ)、既に紳士服フロアの視線は姉妹に集中している。

 婦人服と違い、男性用スーツだと型は大体決まっている。
 僅かな衿型の差異と素材。後は色柄、ブランド位の物なのだが。

「だけど、梓。耕一さんには、こういった落ち着いた感じの物も似合うと思うのよ」
 某有名ブランドのシックな一着を持つ千鶴が言う。
「いいや。耕一にはくだけた感じの、カジュアルっぽい方が似合う」
 梓は首を横に振り、軽い感じの一着を差し出す。
「姉さん。やっぱり着心地が大事ですから、素材です」
 手にした光沢のある袖の肌触りを確かめながら、楓は姉達の主張に眉を潜める。
「えっ。でも楓お姉ちゃん、素材も大事だけど。やっぱり色合いも大切だよ」
 胸で拳を握った初音は、姉達の選んだ服では耕一には色が似合わないと眉間に皺を寄せる。
 四人とも自分の意見を通そうと、一歩も引かない。

 タイプの違う姉妹四人、それぞれが押しているのは、どう見ても耕一と自分が並んだ時に映える服だ。

「スーツにこだわらなくてもいいと思うよ。それに、お兄ちゃんには明るい感じが似合うと思うし」
「そうだよな。初音、いい事言うじゃん。だからこれだよな」
「梓姉さんのセンス。最低」
 梓を上目遣いに睨んだ楓の一言で、梓はピキッと固まり初音は少し腰を引いた。
「そうよね。楓も、こちらの方がいいと思うわよね?」
「ブランド嗜好って、嫌い」
 味方に引き込もうと愛想笑いを浮べた千鶴に向い、楓は眉を潜め小さく溜息を吐く。
 固まった梓と愛想笑いを引きつらせた千鶴、知らん顔で手にしたスーツの肌触りにうっとりしている楓。
 初音は三人の姉達をキョロキョロ見回し、どうしたら良いか盛んに考えていた。
(そんな、なにも本当の事言わなくても。最近の楓お姉ちゃん、ちょと恐いよう)
 と、初音はもう服どころではなく、険悪になった姉達を見回している。
「楓。ブランド品には、それなりにいい所があるから、評価が高いのよ」
「あたしの何処が、センスが悪いんだよ」
 もう自分の選んだ服の事も忘れおろおろする初音を他所に、楓は詰め寄る姉二人にチラリと視線を上げた。
「梓姉さんが着た方が似合う」
 楓に言われ、梓は楓と手にしたジャケットを交互に見る。
「そうよね。梓、良く似合うわよ。かおりさんが、喜びそうね」
 梓に含み笑いで横目を向ける千鶴を一瞥すると、楓は小さく溜息を吐いた。
「千鶴姉さん。そのスーツ、店員さんの方が似合いそう」
「ハッ、そう言えばさ。あたし達が来たとき、ちやほやされて嬉そうだったよな」
 楓に上目遣いに睨まれ身を引いた千鶴に、梓は仕返しとばかり、考えるように両腕を組み首を傾げ細めた目を向ける。
「…嬉しいなんて…私は、別に」
「耕一にも、教えてやろっと」
 肩を竦めた千鶴の顔を覗き込み、厭らしい笑いを洩らした梓の一言で、千鶴の目がスッと細くなった。
「梓。本気で怒るわよ」
 感情の失せた千鶴の地の底から湧き出るような低い声音に、初音は息を飲む。
 調子に乗って禁句を吐いた梓は、千鶴に睨まれジリジリと後退る。
「ね、ねえ。耕一お兄ちゃんに選んでもらおう」
(ごめんね、耕一お兄ちゃん。誰のを選んでも、お兄ちゃんは、いやな思いをするのに)
 心の中で耕一に謝りながら、初音は千鶴の腕を掴み顔を見上げる。
「えっ? でも」
 腕を引っ張られ視線を向けた千鶴に、初音はなんとか満面の笑みを作った。
「だって、着るのは耕一お兄ちゃんなんだし。ちゃんと着て、合わせてもらった方がいいと思うよ」
「そうね。サイズも合わせられるし」
「あたしが選んだのが、耕一も気に入るさ」
 危機が去ったのを悟りほっと息を吐いた梓と、まったく動じた様子のない楓は、耕一は自分の選んだ服が気に入るに違いないと自信たっぷりに頷く。
「でも。せっかくのお休みなのに、耕一さんをお買い物に付き合わせるなんて」
 いきなりプレゼントして耕一を驚かそうと楽しみにしていた千鶴は、歯切れが悪い。
「わたし達のお洋服も、耕一お兄ちゃんに見立ててもらおうよ」
「でもさ、初音。男の人って、女の買い物に付き合うのイヤだって言うよ」
 時間かかるからな。と梓は言う。
「私達のも、何着か候補を決めて置けば?」
 楓の至極もっともな意見に、三人は楓に視線を向けた。
「あらかじめ選んで置けば、時間もそんなに掛からないよね」
「そうね」
 初音がそうしようと言葉を継ぐと、千鶴も顎に指を置き考え始めた。
 千鶴の頭の中では、耕一にプレゼントする場面と、一緒にショッピングを楽しむ場面が、一瞬のうちに駆け巡った。
 プレゼントするより楽しそうな、さまざまな服を着た自分と、耕一の賞賛を想像した千鶴は、我知らず小首を傾げ、真っ赤な頬を両手で押え忍び笑いを洩らした。
 見ていた梓と初音は、一人で身をよじり出した千鶴の不気味な笑いに数歩引き。
 楓だけが何事かと集まっている周囲の視線に気付き、恥ずかしさに赤く染まった頬を俯かせ、実に分り易い姉の想像に呆れた小さな溜息を吐いた。
「あっ。そっ、そうよね。そうしましょうか?」
 楓の溜息で我に返った千鶴は、ちろっと舌を覗かせると照れた笑いを浮べた。
 周囲の視線を浴び恥ずかしさに身を縮めた妹三人は頷き。取り合えず先に昼食にしようと集まっている視線を振り切り、売り場をそそくさと後にした。


「あら、初音は?」
 最上階のレストランに着いた所で、千鶴は初音の姿が見えないのに気付いた。
「えっ?」
 梓も眺めていたショウケースから目を上げ、キョロキョロと辺りの人混みを見回す。
「まさか、……迷子…?」
 迷子になるような歳でもないが、初音がなにも言わずにいなくなる方がおかしいのが、柏木家では常識だ。
 梓には誘拐や事故の可能性の方が先に閃いた、わざわざ迷子と言ったのは、それが一番マシだからだ。
「…私、探して来る」
 俯いて指で唇を弄っていた楓がクルッと踵を返す。
「あっ、待てよ楓。一緒に行くよ!」
 慌てて梓が呼び止めると、楓は首だけを振り向け真っ直ぐ梓を見つめた。
「心当たりがあるから、姉さん達は待ってて」
 常にない強い口調で言い切り、楓は人混みに紛れた。
「どうしたんだ、楓の奴?」
 普段と違う楓の素早さに呆気にとられ、梓は千鶴を振り返った。
「さあ。でも、楓が戻るまで、私達は待っていた方がよさそうね」
「でもさ、初音がいなくなるなんて」
「みんなで探し回ったら、余計混乱するわ。楓に心当たりがあるみたいだから、あの子に任せましょ」
「…うん」
 もっともな千鶴の言い分に、梓はしぶしぶ頷く。
「少し待って戻らなかったら、館内呼び出しを頼むわ」
 事後対策を梓に話しながら、千鶴も真剣な顔になっていた。

 誘拐されるだけの資産があるのだ。ここが隆山なら、千鶴はすぐ警備に連絡を取っていた。
 だが旅行も予定外なら、ここに来たのも今朝着いて決めた事だ。
 計画的な営利誘拐の可能性は低い。
 そして楓の態度も、千鶴に誘拐や事故ではなく、初音の意思で一人で離れたのを告げている。
 楓に任せながらも、千鶴はなにか嫌な予感を感じていた。


 レストランは催し物会場と同じ最上階にあった。
 楓は人混みの間をすり抜け、真っ直ぐ催し物会場の入口を目指した。
 小柄な楓の視界を遮る人波の間から、先程と同じにディスプレイの前に佇む、栗色の髪をまとめた赤いリボンが見えた。
 楓は不快な胸の動悸を抑え、ゆっくりと歩み寄った。
 初音のピンと立った癖毛とディスプレイされた民族衣装を見比べ、静かに息を吐き出し初音の肩に手を置く。
「!?」
「初音、どうしたの?」
 ビクッと震えた初音が振り返るのを待って、不安な感情を抑えた楓は平静な声を作った。
「…楓…お姉ちゃん?」
「姉さん達、心配してる」
「うん。ごめんね」
 シュンと項垂れた初音を肩に置いた手で引き寄せ、楓が歩き出すと初音も素直に後に続いた。
「あの。ごめんね、楓お姉ちゃん」
「いいけど。初音、どうかしたの? あそこの衣装が気に入ったみたい。さっきも熱心に見てたよね?」
「う、うん」
 真っ直ぐ前を向いて隣を歩く楓の横顔を見上げ、初音はためらいがちに頷いた。
「あのね。見てるととっても懐かしい気持ちになるの、昔から知ってるみたいな。ううん、なくした服をやっと見つけたみたいな。そんな感じなの」

 普段口数の少ない楓は、あまり物事に興味を示さないし、自分から質問する事も滅多にない。
 珍しく興味を示した姉の質問になんとか答えたくて、初音は形にならない自分の中の感情を精一杯言葉にした。
「ジッと見てるとね。落ち着いた懐かしい気持ちになって、ボーッとしちゃって」

 楓は唐突に立ち止った。
「…あの…ごめんなさい」
 そんな事で子供のようにはぐれたのを怒ったのかと思った初音は、上目遣いに楓の横顔を覗き込んだ。
「謝らなくてもいいの。でも初音、姉さん達には話さないで」
「えっ? どうして?」
 スッと視線を初音に向けると、楓は言葉を探すように口篭もった。
「…梓姉さん。初音がそんなに気にいったならって、デパートの人に譲ってもらうって言い出しかねないもの」
「まさか。楓お姉ちゃん、いくら梓お姉ちゃんでも、そんな事までしないよ」
 クスッと笑い、初音は眉を潜めた。
 そうは言ったものの、初音も梓ならやりかねない気がした。
「うん。でも、初音がずっと見てたの知ったら、姉さん達、きっとなんとかしてあげたいって思うだろうし。だからね」
「うん。無理言っちゃいけないよね」
 楓はコクンと頷いた初音の手を取ると、そっと握り歩き出した。
 繋いだ手を握り返し、初音も楓について歩き出した。
 握り返した楓の手は、初音には少し冷たく感じられた。
 冷たい、不快ではない柔らかさが、初音には心地好かった。


 梓が楽しそうに笑うと、初音は頬を赤く染めた。
 楓が初音を連れて戻ったレストランで、一頻り千鶴のお小言をもらった初音が注文したのは、お子様ランチ。
 楓と梓もそれでいいと言ったのだが、年齢制限があるらしくウエィターにやんわり断られ、レディスランチなる物を頼んでいた。
 しかし、お子様ランチとの違いは、ライスの上に旗が立っているか、いないかだけだった。
「初音、良かったな」
「……梓お姉ちゃん」
 運ばれて来たランチを覗き込み冷やかす梓を、初音は赤くなった頬を膨らませ拗ねたように見上げる。
「いやぁ〜、疑われないもんだね」
 初音が高校生に見られなかったのを、梓はからかって遊んでいた。
 心配していた初音が無事でホッと気が緩んだ反動で、梓が少し意地悪になっているのが分っている初音は、甘んじて梓の毒舌を受け続けていた。
「ううっ。だって、美味しそうだったんだもん」
「梓。もう、それ位にしておきなさい」
 とうとう涙目になった初音が可哀想で千鶴が軽く睨むと、梓も苛めすぎたと決まり悪そうに頭を掻く。
「ごめん、初音」
「もう。すぐに調子に乗るんだから。初音も、もう怒ってないから、ね」
 ちなみに千鶴は体面をはばかったのか、注文時にお子様ランチではなく山菜定食にしている。
「…うん。心配させて、ごめんなさい」
 ごしごし目を擦った初音がにっこり微笑み謝ると、千鶴も微笑んでゆっくり頷き返した。
「でも。ランチにまで年齢制限があるなんてね」
 少し羨ましそうに初音のお子様ランチに目を向けた千鶴が、話題を変え小さく零す。
「レディスランチと変わらないよね」
 千鶴を宥めるように掛けた楓の声も、苦笑気味だ。

 普段外食を好まない姉妹が、外で揃って食事を取るのは珍しかった。
 学生の梓達も、学校帰りにハンバーガーや軽食を友達に付き合う事はあるが、それ程外食に慣れているわけではない。
 会長職の千鶴に至っては、鶴来屋での昼食か仕事上の会食である。
 昼食も鶴来屋で出す夕食の味見を兼ねた意味があり、半ば仕事なら、会食ともなれば高級と名の付くレストラン、主に鶴来屋での接客である。
 どちらも食事を楽しむという感覚からは、程遠い。
 たまに姉妹が揃って外食を楽しむとなると、やはり鶴来屋を利用する事が多い。
 デパートのレストランで、お子様ランチというのは珍しいのだ。庶民感覚での暮らしをしているとは言え、やはり柏木の家は上流なのだろう。
 因みに、この旅行中の買い物や食事、一切の支払いは、千鶴の所有するカードを使用している。
 そのカードの全てがゴールド、もしくはプラチナカードである事が、既に庶民とはかけ離れてはいたが。

「まっ、いいじゃんか。……美味け…りゃね」
 初音をからかうのを止めライスを口に運んだ梓が、意味ありげな言葉を洩らした。
「…うん」
「…そうね」
 同じようにスプーンを口に運んだ初音と楓も、言葉を濁す。
「こんなものよ」
 千鶴は妹達の様子に苦笑を浮べた。

 ランチが不味いわけではないが、美味しくもない、程ほどである。
 温泉と食事を売り物に高級を謳う鶴来屋の食事に親しんだ姉妹や叔父をして、お世辞抜きで美味しい、売り物としてやっていける。と、太鼓判を押された梓の料理を口にしている姉妹の肥えた舌には、万人受けを狙ったデパートの味では物足りなかった。

「ちょと薄味かな?」
「うん、そうみたいだけど。それほど変らないのかな?」
「お漬物は、美味しいわね」
 早速味付けを確かめ出した梓に初音が相づちを打つと、千鶴が付け合わせを乗せた小皿を差し出す。
「どれ? 千鶴姉の舌じゃな」
「もう、失礼ね。ほら、この千枚漬けよ」
「あっ、ほんとだ。いけるな」
 ぼりぼり千枚漬けを齧る梓に続き、初音と楓も箸を伸ばす。
「うん、美味しいね」
「ご飯に合いそう」
 初音と楓がそう言うと、ねっと言うように千鶴は小首を傾げる。
「こっちって漬物が美味いのかな?」
「和菓子も美味しいっていうよね?」
「うん。お茶受けだから、甘さを抑えた上品な味で。色や形にも色々な工夫が凝らしてあって綺麗だって」
「楓、良く知ってるな?」
 感心したように梓にジッと見られ、楓は恥ずかしそうに目を臥せると、ポケットサイズの観光案内書をテーブルの上に差し出した。
「あの、さっき本屋さんで」
 梓に呆気に取られたような顔をされ、楓はますます赤くなって肩をすくめる。
「楓は準備がいいわね」
「調べとく時間、なかったからな」
「ねえ、楓お姉ちゃん。和菓子の他には、なにか面白そうなものはあった?」
 楓の手許のガイドブックを覗き込むように初音が尋ねると、楓はコクンと頷きぱらぱらとページをめくった。
「この千代紙とか、綺麗でしょ?」
「うん、綺麗。折り紙とは、少し色とかが違うよね」
 色とりどりの柄をちりばめた和紙を広げた物や、人型に折った物が並んだ写真を食い入るように見つめる初音に、楓は次のページをめくってみせた。
「あと、こう言った小物も可愛いし」
「うん」
「それにね。こっちのも」
 楽しそうに食事も忘れ初音に説明している楓を見ながら、久しぶりに楓の少女らしい表情を見た気がした梓と千鶴は、顔を見合わせ頬を綻ばせた。
「さあ。それじゃあ早く食事を済ませて、楓のお勧めの小物でも見に行きましょうか?」
 放って置くといつまでも食べ終わりそうにない初音と楓にそう言うと、千鶴は悪戯っぽく首を傾げてみせる。
「そうかぁ〜、和菓子が美味しいのか? 甘い物、食べて回るのもいいよなぁ」
「甘味処も載ってた」
「うん。 それもいいよね」
 梓が嫌みったらしい目を千鶴に向けて言うと、楓はちょと嬉そうに、初音は瞳を輝かせて頷く。
「梓ぁ〜」
「姉さん、糖分は少ないらしいの」
 ひとり情けない声を出す千鶴に、楓は苦笑を浮べた口元を手で隠し、上目遣いの視線を送った。
「…楓、あなたまで」
 恨みがましい目で千鶴に見られ、楓はクスッと笑いを洩らした。
「イヤなら。千鶴姉は、食べなきゃいいんだからさ」
「そんなぁ〜。私だけ見てるだけなんて、イヤよぉ〜」
 いとも簡単に梓に見捨てられ、千鶴は頬を膨らます。
「ちょとぐらいなら平気だよ。千鶴お姉ちゃん」
「でも…」
 初音にぎこちなく微笑まれ、千鶴は少し考える顔付きになる。
「千鶴お姉ちゃん、痩せてるから大丈夫だよ」
「そっ、そう? そうよね、せっかく来たんだし。ちょとぐらいなら平気よね?」
「う、うん。…たぶん」
 嬉そうに両手を握り締めて確認された初音は曖昧な返事を返し、梓と楓は千鶴を初音に任せ、さっさと食事を進めた。
 食事の後の予定は、どうやら甘味処巡りに決まったようだ。


二章

四章

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