夏光 六


 焚火が一際大きな炎を上げ、赤い陽炎が浜を揺らめかせる。
 先程まで肉を炙っていた織火が加えられた焚火は、透ける様な妖しい蒼い炎を奥に秘め。時折吹く潮風に煽られ、火の粉を銀の輝きを放つ月に向かい巻き上げながら、辺りに熱気を放ち赤い炎を揺らす。
 炎に浮かぶうっすらと浮いた汗を拭う幾多の顔が、火の持つ魔性に見入られたように赤く輝いて見える。

 バーベキューも終わり、食欲を満たされた満足げな顔が燃え盛る炎を遠巻きに囲み、食後の一時を思い思いに楽しんでいた。

「……綺麗」

 風に煽られ一際大きく天に伸び上がった炎を眺め、楓は照り返しを受け、つやつやと光る唇から呟きを洩らした。

「…綺麗だね」

 初音も赤く照らされた頬に手を添え、ジッと炎を見上げて囁く。
 耕一も千鶴も、そんな初音と楓のうっとりした声を耳に、同じ気持ちで炎を見上げていた。

「かおり。あんた、こんなとこで油売ってていいのか?」

 梓だけは、腕を掴んで擦り寄るかおりを引き剥がすのに忙しく、そんな余裕はないようだ。

「油なんて売ってませんよぉ〜ちゃっんと、やってますぅ」

 スリスリ腕に頬を擦り寄せ、かおりは傷ついたように足下に置いた消化器を眼で示す。
 焚火が大きくなりすぎるようだと、焚火を囲んで数か所に配置した消火器で消し止めるのだ。

「花火、楽しみですよね。あ・ず・さ・せ・ん・ぱい・」

 炎の照り返しを受け妖しく光るかおりの瞳に見つめられ、梓はダラダラと額から汗を滴らせた。

「耕一お兄ちゃん」
「うん?」

 梓達の様子に苦笑を浮かべた初音は、そっと耕一を見上げた。
 炎の照り返しを受け艶艶と輝く頬を緩めた初音は、ちょっと首を傾げて海岸の方に目をやる。
 月明かりに照らされた海岸で、数人の黒い人影が動いているのが見えた。
 市販されている中では大型に入る打ち上げ花火を用意しているのだ。柴田もその人影に混じり、準備を監督している筈だった。

「お兄ちゃん、行かなくていいの? 私達なら、ここから見てるけど」

 柴田が準備に先立って、耕一に火をつけないかと誘いに来たのだが。初音達と一緒だからと断ったのを気にしているのだろう。初音は少し申し訳なさそうに首を傾げる。

「うん、今日はお客さんだし。高校生に混じって、打ち上げ花火に火をつけて回るのもね」

 ぽりぽり頬を指で掻く耕一の照れ臭そうな様子に、初音は可笑しそうな笑みを浮かべた。

「昔は手に持ってはしゃいでたのにな。耕一も歳食ったよ」
「お前は、花火持って俺を追いかけ回したな?」
「耕一さん、爆竹で私と初音を驚かしましたよね」

 懐かしそうに目元を和ませた楓が言うと、初音もうんと懐かしそうな笑みを浮べて頷く。

「そうだったよね。急に足下でパンパンって」
「初音ったら、しゃがみ込んで泣いちゃったのよね」
「だって、びっくりしたんだもん」

 からかうように覗き込む千鶴に、両の拳を握った初音は恥ずかしそうに頬を上気させて言う。

「楓ちゃんは、耳を両手で塞いで目をパチパチさせてたっけ?」
「………」

 耕一が尋ねると、楓は恥ずかしそうにこくんと頷く。

「まだ小さかった楓と初音を驚かして、酷い奴だよ。だからあたしが懲らしめてやったんだ」
「俺は、火傷するとこだった」
「自業自得ってんだ」
「二人とも、もういいじゃないですか」

 言い合う耕一と梓をくすっと笑い、千鶴は可笑しそうにたしなめる。

「先輩。あたし達はあっちで楽しみましょうよ」
「わっ! かおり引っ張るなよ」

 昔話に入れないかおりに腕を引っ張られ、梓はバランスを崩し慌てて両足を踏ん張った。

「あたしはここでいいって」
「でもぉ、二人っ切りの方がいいですよぉ」
「あたしは、家族旅行で来てんだ」

 ぐっとかおりを睨み、梓は声に力を込める。
 強気に出無いと、かおりに良いように引っ張り回されるだけだ。

「ちょっとぐらい………」

 かおりが反論しようとした時。
 ヒューと言う笛の音に似た音が夜空を走り、梓も耕一達も音の方に顔を上げた。
 海岸で一塊りになった部員達が海に向け、ロケット花火を続いて二発、三発と打ち上げる。暗い海に向かい長い笛の音を引きながら音が消えていく。
 花火と言うには彩りもなにもない、味気ない音だけを残して。

「そろそろ始まる見たいですね」
「……うん」

 気のない返事を返す耕一を、千鶴は少し首を傾げて伺う。

「ロケット花火でよく撃ち合いとかしたけど。端で見てると味気ないね」

 千鶴の視線に気づいた耕一が取り繕うように言うと、千鶴は小さな笑みを浮かべた。

「物足りないですか?」
「うん。海のせいかな? 音が海に吸い込まれて行くみたいで、急に途絶えると少しね」
「情緒がないです」

 ほっと息を吐いた楓は、笛の音を響かせ続ける部員達をちらっと見て洩らした。

「情緒がないか? 確かにね」
「あっ!」

 楓の言葉に苦笑した耕一は、初音の上げた声で夜空に花が開いたのに気づいた。

「………」
「始まったな」
「ええ、綺麗ですね」

 耳を澄ますとポスポスと軽い音が聞こえ、夜空に次々と彩りを添える光が散る。
 夜空に花開いた光の花は、一瞬に散り次の花に座を譲り渡す。
 一つ二つ光を広げ、残像を残し静かに消える。
 夜空に咲く火の花を見上げる初音、楓の微笑みを浮かべた横顔を見やり、耕一は梓の方を伺った。

 梓はかおりを引き剥がすのを諦めたのか、かおりに腕を掴まれたまま空を見上げていた。
 腕を掴まれた梓も、掴んだかおりも、瞳に光の乱舞を映し静かに夜空を眺めていた。

 耕一は手に触れた柔らかい感触を握り返し、同じように穏やかな表情で妹達の横顔を伺っていた千鶴が笑みを浮かべると、静かに夜空に眼を戻した。



「わ、わっ。お、お兄ちゃん」
「初音ちゃん、しっかり持って」
「初音、こっち向けちゃダメ」
「ご、ごめんなさいっ!」

 手持ちの連発花火を持ったまま振り返ろうとした初音は、千鶴の慌てた声で謝りながら海に向き直った。

 打ち上げ花火も終わり。
 今は浜辺のあちらこちらで、耕一達と同じように部員達も花火を手にそれぞれ楽しそうな声を上げている。

「手を離しちゃダメだよ。もう少し上に向けて」
「う、うん。これぐらい?」
「うん、そう」

 背中から腕を回した耕一に手を支えられ、最初は慌てていた初音も、暗い海に光を曳いて飛んで行く花火を眺める余裕を取り戻していた。

「初音、あたしの方が遠くまで飛ぶぞ」

 初音の隣に並び連発花火を水平に向け、梓は少し得意そうに言う。
 その梓の片腕はしっかりかおりに握られ、遠目には仲睦まじい恋人同士にも見える。

「でも梓お姉ちゃん。水平打ちは危ないから、やっちゃいけないんだよ」
「平気だって。どうせ海なんだからさ」
「そうですよね、先輩」
「梓、ちゃっんと上に向けなさい」
「千鶴姉もやってみなって。結構遠くまで飛んで面白いよ」

 幾本も水平に光を飛ばす梓に言われ。千鶴はちょっと考え、チロッと唇から舌を覗かすと小さく肩を竦める。

「そう? えぇと、これなんかどうかしら?」
「えっ? わっ! 千鶴さん、それはダメっ!」

 最後の一発を打ち終わった初音と新しい花火を取りに戻った耕一は、首を傾げて太めの円筒を取り上げた千鶴を慌てて止める。

「えっ?」
「これは、打ち上げ花火じゃないって。ほら台が付いてるだろ」
「千鶴姉、それドラゴンじゃない? そんなの手に持ってやったら大火傷するよ」
「そ、そうね。気を付けないと。暗いから…間違えて……」

 きょとんとした顔をしていた千鶴は、苦笑気味の耕一と呆れ顔の梓に言われて、手の中の花火を見つめ頬を赤く染めぎこちなく笑う。

「千鶴お姉ちゃん。こっちならいいんじゃない?」

 千鶴の様子に笑いを抑えた笑顔を向け、初音は花火の中から一回り小さい筒を取り上げた。

「ありがとう、初音。でも、これで終わり?」
「もう一本あるよ。これで最後かな?」
「打ち上げは終わりみたいだな。後はドラゴンと、普通のだな」
「楓。どう、やってみない?」
「ううん、いい」

 打ち上げ花火を差し出す千鶴に、楓は腰を引きながら髪を揺らして首を横に振る。
 スッと初音から最後の打ち上げ花火を受け取った梓は、確認するように楓に花火を見せ。楓がふるふると首を振ると耕一に眼を向けた。

「じゃあ耕一、千鶴姉とあたしの同時につけてよ」
「お前には、かおりちゃんが要るだろ? つけて貰えよ」
「梓先輩、任せて下さい」

 意地悪く耕一が言うと、かおりは大張り切りでマッチを構える。

「それじゃあ、つけるよ」
「はい。いいですよ」

 返事だけは勇ましく、千鶴は腰を引きつつ伸ばした手の先で花火に火をつけて貰う。
 ポスッと軽い反動を千鶴の手に残し水平に伸びた火は、海面の細波を照らしすぐに落ち。梓の手から伸びた火は、ずっと先まで伸びて行く。

「え? ど、どうして?」
「ははっ、下手くそ。千鶴姉、あたしの半分も飛んでないぞ」
「千鶴さん、下げすぎ。もっと上げて」

 むっとした顔で悔しそうに梓を睨む千鶴の背に回り、耕一は初音にしたように後ろから腕を伸ばし筒を少し上に向ける。
 その間も軽い音と共に飛び出した光は、海面に放物線を描き吸い込まれて行く。しかし耕一に手を添えられ角度を調節された千鶴の花火は、今度は梓に負けず緩やかな曲線を描いて飛んでいった。
 梓と同じように遠くまで飛ぶようになった千鶴は、少し嬉しそうな表情で耕一の横顔をチラッと見ると悪戯っぱい笑みを浮かべ花火に眼を戻した。

「………」
「……楓お姉ちゃん。どうかしたの?」

 耕一と千鶴の様子を見ていた楓の微かな溜息に気づいた初音は、表情に憂いを浮かべた姉を見上げて尋ねた。

「ううん、何でもないの。ただ……」
「ただ?」
「………」

 楓は心配そうに聞き返す初音の頭をそっと撫でると、静かな笑みで、何でもないと首を横に振った。
 楓も、初音には言えなかった。
 さっき耕一に手を借りた初音を羨ましがって、千鶴がわざと花火を低めに打った気がして呆れていただけだとは。
 特に羨ましかったのは、自分も同じとあっては尚更に。

「こら! かおり、なにすんだぁ!」
「決まってます。あたしも梓先輩のお手伝い」

 静かな浜辺に響いた梓の怒声で、初音と楓、耕一と千鶴は、一斉に又かという感じの半ば諦め、半ば呆れた溜息を洩らした。

「放せっ! 危ないだろ」
「梓先輩、暴れちゃダメですよ」

 案の定、耕一の真似をしたかおりが、梓の背中にしがみつき振り払おうとする梓の耳に唇を寄せていた。
 梓の胴にしっかり巻き付いた両手が柔らかそうな二つの膨らみを掴んでいる辺り。梓に暴れるなと言う方が無理だろう。

「耕一、千鶴姉! どっちでもいいから、見てないで助けてよぉ」
「そう言われてもな」
「あの日吉さん。もう花火は終わってますし、お手伝いは必要ないんじゃ………」

 半分泣きが入った梓に助けを求められた耕一は、ぽりぽり頭を掻き。千鶴は無駄だとは思ったが、後で梓に文句を言われるのも嫌なので、愛想笑いで取りあえず注意はしておく。
 その隣で初音は赤くなった顔を両手で覆い、指の間からチラチラ二人を伺い。楓に至っては冷たい瞳でツイッと梓達から顔を背けただけだった。

「離れろぉ! ほら、もう終わった。こら! 指を動かすな!」
「えぇ〜、まだいいじゃないですか」

 未練がましく言いながらも、かおりの両手の指はふにふにと梓の胸の形を変える。

「いい加減、に。しろっ!」
「きゃ!?」

 首筋まで赤く染めた梓に本気で振り回されたかおりは、流石に堪え切れずに振り飛ばされ、小さな悲鳴を上げ浜辺をごろごろと転がる羽目になった。

「いった〜い。ふぇ、酷いですよぉ」
「あ! ご、ごめん。かおり、怪我しなかった?」

 自業自得だと思うが。浜に転がったまま目に涙を浮かべて見上げるかおりの本当に痛そうな様子に、やりすぎたかと思った梓は、おろおろと駆けよる。

「あそこで蹴りが入れば、寛一お宮だな。うん」
「もう、耕一さん。面白がらないでください」

 表情一つ変えずおかしな感想を洩らす耕一に軽く片眉を上げ、千鶴もかおりの様子を調べに行く。

「日吉さん、大丈夫でしたか?」
「怪我は無いみたいだよ。千鶴お姉ちゃん」

 先に駆け寄って調べていた初音が、ホッとした顔を上げて言う。

「でも、腰を打ったみたいで………」
「そりゃ大変だ。ベンチで休んだ方がいいよ、かおりちゃん」

 梓に甘えた声で訴えるかおりを遮り、耕一はそれがいいいとみんなに頷きかける。

「そうですよね。打ち身は後から痛みますからね」
「それがいいと思う」

 耕一の意図に気づいて、千鶴と楓も心配そうな顔を作って調子を合わせる。

「あ、あの………」
「俺達の事は気にしないで、ゆっくりと休んだ方がいいよ」
「残念だけど。仕方ないよね」

 慌て気味に口を開きかけたかおりを遮り耕一が言うと。初音は心底心配そうな顔で頷く。

「そうだな。かおり、そうした方がいいよ。ベンチには監督もいるしさ」
「へ、平気ですっ! もう痛くないです」

 厄介払いされそうな雰囲気を察したかおりは、勢い良く立ち上がると転んで付いた砂をぱんぱん払い、耕一を憎々しげに睨み付ける。

「無理するなよ。ベンチまで付いてってやるからさ」
「ベンチまで。ですか?」

 やっぱり監督に押し付けるつもりだと言うように上目で睨むかおりから眼を逸らし、梓はポリポリと鼻の頭を指で掻く。

「あたしは大丈夫です。梓先輩、花火続けましょう」
「あ、ああ」

 ちっと舌打ちした梓は仕方なく掴まれた腕を引かれるに任せ、かおりと花火を取りに向う。

「あの、なにかありましたか?」

 梓の後ろ姿を見送っていた千鶴達は、背中から掛かった声に再び軽い溜息を洩らした。
 振り返らなくても判るごつい声は、柴田の物だ。先程から巡回と称しては頻繁に顔を出してくる。

「ああ、先生。良い所に」
「はっ?」

 少し考えクルッと振り向いた耕一の心底嬉しそうな顔に、柴田は呆気にとられたように口を半開きにして首を傾げた。
 顔を出す度、耕一に言葉巧みに追い払われた柴田としては当然だろう。

「いや、かおりちゃんが転んじゃって。怪我はないようなんですが、どこか打ったみたいなのに無理してるようでして。ベンチで休むように言ったんですが、俺達に気を使ってるのか平気だって言うんですよ」
「はぁ、日吉がですか? あいつなら大丈夫だと思いますが」

 柴田は警戒の色も露に眉を潜めて耕一を見返し、心配ありませんと太鼓判を押す。

「ですが、女の子の事ですし。どこかに痣でも残ったらと思うと心配で………」
「はい。それは、確かにそうです」

 千鶴が心配そうな憂い顔で吐息を吐くと、柴田はころっと意見を変える。

「先生からも、シップだけでもして来るように仰って頂けませんでしょうか? 先生の仰る事でしたら、日吉さんも素直に聞かれるでしょうし」

 憂い顔に申し訳なさそうな笑顔を添えるのも忘れず、千鶴は柴田に微笑み掛けて軽く頭を下げる。

「あ、はい。もちろんお任せください。生徒の健康管理も教師の勤めです」

 それだけでのぼせ上がった柴田は、宙に向けて何がおかしいのかハハッと照れたように笑うと。かおりに向って歩き出した。
 単純と言うか抜けているというのか、体良く追い払われた柴田とかおりが一悶着を起こした後。
 耕一達は、やっと静かな夏の夜を取り戻した。




「…この…ぐらいですか?」
「そうそう。怖くなんか無いだろ?」

 楓は耳元で尋ねる耕一にポォと赤く染まった頬でコクンと頷き、揺れた髪に触れる感触と、背中と手を添えられた甲に感じる温かさに身体を固くしていた。
 自分の手元から暗闇を裂いて伸びる花火の光も、一条の光に浮かび上がる穏やかな海も、横目で耕一を窺う楓の眼には入っていないようだった。

 かおりをベンチに送った次いでに、梓が後輩から分けて貰って来た打ち上げ花火で、楓も海に向かって花火を飛ばしていた。
 初音や千鶴を羨ましそうに見ていた妹への、梓からのプレゼントと言ったところだ。

「さて、後はと」

 梓はポォとしている楓が花火を打ち終わるのを待って、浜にドラゴンを置くと周りの砂を土台に集めて固定した。
 台の脇から伸びる導火線に火をつけ、梓はさっと離れる。

「…うわぁ」

 梓に釣られてとととっと後ろに数歩下がった初音は、とんと後ろにいた耕一に肩を支えられ、扇ぎ見て苦笑気味の耕一の顔に微笑み返し。僅かに時間を置き吹き上がった光のシャワーを見上げて小さな感嘆の声を上げた。
 吹き上げる光のカーテンを透かし、波打ち際に寄せる波が光を跳ね返し、吹き上げる光の変化と一緒に闇の海が赤や緑の煌めきを跳ね返す。
 見上げる初音の視界の端で、耕一の顔が花火の光に様々な色に染まる。
 花火に眼を戻す初音の眼には、空一面の星が地上の星達の本流に霞んでいるように見えた。

「……あっ」

 徐々に勢いを無くし、ふっと途絶えた光の本流に初音は微かに残念そうな吐息を洩らした。
 静けさを取り戻した暗い海から聞こえる細波を、より寂しく感じた一瞬だった。

「初音ちゃん」

 そんな初音の様子を見ていた耕一に呼ばれ、初音はコクンと首を横に倒し耕一に笑顔を向け、クルッと振り返った。
 真後ろにいた筈の耕一が、少し離れた花火を置いた所でロウソクに火を点し、手首の先だけを振り初音を呼んでいた。

 初音は軽い足取りで、さらさらの砂の上に残った足跡に、ぴょんぴょん小さく栗色の髪を跳ねさせて足を重ねる。
 初音の足より一回り大きい足跡。
 歩幅も、初音が重ねるには少し広い足跡に足を重ね。
 煌めきを取り戻した星空の下、初音は波に戯れステップを踏むようにワンピースの裾を翻し、一歩一歩足跡を踏む。

「初音、御機嫌だね」

 クスクス笑って月下のダンスを見ていた姉達の中から、梓が腰を折って初音の顔を覗き込む。

「うん!」

 初音は屈託ない笑顔で勢い良く頷くと、少し恥ずかしがるようにエヘヘっと首を傾げた。

「初音ちゃん、はい」

 言いつつ耕一は、棒の先に花火が着いた数本を初音に渡し、姉妹それぞれに手渡した。

「残りは線香花火だけになりましたね」

 手渡された数本の花火を細めた瞳で見た千鶴が残念そうに言うと。楓も手の中の花火に目を落とし少し寂しそうにコクンと頷いた。

「派手好きが多いから。打ち上げとロケット花火ばっか買ってくるんだ」

 フムと息を吐いて零す梓も、少し残念そうだ。

「まだ夏は終わりじゃないさ。なんなら明日にでも買って来て、やればいいって」
「耕一、あんたって奴は」

 しんみりした空気を払おうと耕一が言うと。梓ははぁと息を吐いて耕一を上目で見上げる。

「なんだよ、その眼は?」
「デリカシーに欠けんだよ。ああ、もうすぐ終わるんだなって。この名残を惜しむ感じがなんとも言えずいいんだろ」
「……そう…いうもんか?」

 首を捻って初音を窺う耕一の眼は、困った様にぎこちなく頷く初音を捕らえた。

「まあ」
「………」

 助けを求めるように見る耕一に、ぎこちなくなった笑顔で千鶴は楓を窺い、楓も困ったように頷く。

「それをさ、大口開けて明日もやりゃいいなんて。そんな夢が覚めるような事言うなよ」
「悪い」

 悪いとは思えないが。姉妹揃って同意見では、耕一も頭を掻きながら謝るしかない。
 どうも女性の感覚は、男には理解しがたい物がある。

「梓お姉ちゃん。耕一お兄ちゃんは、みんなを思って言ってくれたんだし」
「まあね。にぶちんに分かれって方が無理だよな」

 取り成す初音の言葉にふっと口元に笑みを浮べ、梓は半眼に閉じた目を耕一に向ける。

「梓にだけは、鈍いなんて言われたくない」

 嫌みったらしい梓の目付きにムッとした耕一が言い返すと、梓はついっと身を乗り出す。

「鈍いから鈍いって言ってんだよ」
「お前のにぶさにゃ負ける」
「お兄ちゃん、お姉ちゃんも。早く花火やろう」

 初音は仕方ないな〜っといった苦笑いで、睨み合う二人に手にした花火を差し出す。

「初音、放って置きなさい。梓も耕一さんも楽しそうだし」
「うん」

 肩に手を掛けた千鶴に頷き返し、ちょっと考え初音は半身を捻ってうふふと笑う。

「誰も楽しんでなんかないだろ。千鶴姉、なに言ってんだよ」
「どう見ても。耕一さんに構ってもらいたくて、梓が突っかかってるように見えるんだけど?」

 コクンと首を傾げた千鶴に図星を刺され、梓はうっと詰まると顔を赤く染める。

「なんだ? そうかそうか。梓、お前って……」
「な、なんだよ?」

 腕を組んで意味有りげに言葉を切った耕一を、梓は上目遣いに睨む。

「ガキ。だよな」

 言いつつ耕一は手を伸ばすと、梓の頭をぐりぐり撫でる。

「ほら、良い子良い子してやろうな」
「………」
「梓はいい子だ。寝んねしなってな」

 調子に乗って更に頭を撫で撫でする耕一。
 梓は俯いたままふるふると肩を震わし眼を上げ。

「てんめえぇ! 食らいやがれ!!」

 瞬間、前蹴りが細かい砂を巻き上げた。
 だが梓の反応を予想していた耕一はさっと身を引いて避ける。

「っとと。いやぁ〜惜しい。今のはやばかったな」

 股間を蹴り上げられそうになった耕一は、ニヤニヤ笑いながら梓を挑発する。

「この! この!」
「惜しい惜しい。鬼さんこちらってな」

 ムキになった梓の続く蹴りを下がって避け、拳を横に避けながら、耕一ははやし立てる。
 千鶴や楓、初音でさえ、いつものリクリエーションをクスクス笑いながら眺めている。

「ほれ。もう一歩踏み込めば当たるかもな、っと!?」
「チャンス!! ……えっ!?」

 砂地に足を取られた耕一が体勢を崩したのを見逃さず梓は一気に踏み込み、逆に態勢を立て直そうと前に飛び出した耕一とぶつかり二人揃って浜に転がった。

「あいてて」

 梓をクッションにした耕一は何ともないが、下敷きになった梓は腰を押えて顔をしかめていた。

「耕一お兄ちゃん。梓お姉ちゃん、二人とも大丈夫だった? 怪我してない?」

 駆け寄ってきた初音が心配そうに聞くと、梓は首を横に振った。

「二人とも調子に乗るから。耕一さん、平気ですか?」
「砂だから平気だって。耕一、転ぶなら一人で転べよな」
「うん、俺は平気。悪いな梓、足とか捻ってないか?」
「ちょっと悪ふざけが過ぎましたね」

 梓に手を貸し立ち上がらせていた耕一は、どちらが子供なんだかと言った眼で千鶴に軽く息を吐かれハハッとぎこちなく笑いながら眼を逸らす。

「耕一さん、梓姉さん」

 二人が転がった近くでしゃがんでいた楓が、耕一と梓に近寄るとついっと手を差し出す。
 楓の手には、耕一達が転んだ拍子に放り出した花火が載っていた。

「楓ちゃん、ありがとう」
「悪い、楓」

 二人が花火を受け取ると、楓は静かな笑みを浮かべた。

「あまりゆっくりしてると、遅くなります」
「うん、そうだね。もうほとんど終わってるんだ」

 浜で花火を楽しんでいた部員達が浜から引き上げ始めているのをに首を巡らして耕一が言うと、楓はゆっくりと名残惜しそうに頷いた。
 ロウソクの灯る所に引き返した五人は、それぞれの花火に火をともした。

 青赤、色とりどりの花火の光に目を細め、時に梓や耕一が振り回し光跡を闇に引く花火の残像に笑みを零し、潮騒が流れる穏やかな夏の夜は、瞬く間に過ぎていった。

「最後は、やっぱりこれだね」
「うん、終わりだって気がするね。でもね、わたし線香花火が一番好きかな」

 線香花火に火をつけながらしみじみとした口調で言う梓に、初音は微かに首を傾げて応える。

「うん。私も」

 楓もコクンと頷き、光を胞子を散らし徐々に勢いを無くす赤い珠の震えをジッと見つめていた。
 赤い珠があめ色に色を変えポツンと落ちると、楓はほっと静かな息を吐いた。

「……落ちちゃった」

 誰に言うでなく呟いた楓に、みんなは微かに頷いていた。

「私のも落ちそう」

 千鶴の呟きに、耕一はふっとロウソクの火を吹き消し、辺りを照らすのは星と銀の月、そして線香花火の仄かな灯火だけになった。

「耕一さん?」
「またデリカシーがないって言われるかな?」

 仄かな炎の胞子が浮かび上げる千鶴の横顔に悪戯っぽい笑みを向け、耕一は手にした線香花火の先を千鶴の持つふるふると今にも落ちそうに揺れる先に近づける。
 一瞬暗くなった先端は、耕一の持つ花火の先で新たな光り灯し、胞子を散らす。

「いいえ」

 上目遣いに見上げる耕一に静かに笑んで応え、千鶴はジッと花火の散らす胞子に見入った。

「耕一さん、私もいいですか?」
「うん」
「楓お姉ちゃん、次わたしね」
「じゃ、あたしその後」

 耕一の手から楓に渡った火が炎を上げ五人を照らし、楓の火が消え掛かると初音の手に渡り。初音から梓へ渡った火を千鶴が受け継ぎ。

 耕一と姉妹は、一本の線香花火に穏やかで静かな笑みを浮かび上がらせながら、光を散らす赤い珠が最後の瞬きと共に落ちるまでジッと見つめていた。

 

五章

七章

目次