第五章 いんたーみっしょん
 

「う〜む……」

 両手に下がった重みに苦笑しながら、俺は目の前ではしゃぐ従姉妹達を見ていた。

「ねえねえ、お姉ちゃん達、これどう?」
「あら、初音、よく似合うわよ。ふ〜ん、なかなかいいデザインね……」
「えへへ〜、そこで見つけたんだよ、いいでしょ〜?」
「あ、んじゃあさ、このリボンなんか、いいんじゃないか?」
「梓姉さん、初音だったら、それに合わすにはこっちのブラウスの方が……」
「ん? へえ、いい感じじゃないか。楓、それどこにあった?」
「あそこ。もう少し薄い色もあるけど、これがいいと思って……」
「えっと……サイズも少し大きいのがあるわね。楓、貴女にも合うんじゃない?」
「え……? わ、私?」
「あ、いいね。楓お姉ちゃん着てみて! わたし見てみたい!」
「え? えっと……あ、あの〜……千鶴……姉さん?」
「千鶴姉、眼が輝いてんぞ……」
「え? なあに、梓?」
「妹を着せ替え人形にして、自分が楽しんでるだろ?」
「あら、失礼ね。じゃあ、梓も着てみる? そうね……これなんかどうかしら?」
「いっ、いい、いい! あたしはそんなフリルの付いたのは嫌だ!」
「千鶴姉さん、それはどちらかというと初音向き……」
「お姉ちゃぁ〜ん……」

 凄い騒ぎになってる……
(こうして見ると、やっぱりみんな女の子なんだなぁ……)
 専門店で四者四様にはしゃぐ姉妹達を見ていると、なんだか微笑ましくなってくる。なって来るんだが……
 俺は既に、両手に大きめの紙袋を片手で数え切れないほどの数下げていた。しかし、これから更にそれが増えると思うと、戦々恐々とした気分にもならざるを得ない。
(気軽に「買い物に付き合うよ」なんて言うんじゃなかった……)
 考えてみれば、すぐにわかる事だ。
 柏木四姉妹とて女の子。何か買い物に出掛けたら、それなりに時間がかかる。ましてや、今日は四人揃っての、しかも大都会へショッピングに来たようなものなのだ。
 単純に考えて、いつもの四倍×+α。
 夏に初音ちゃんのお買い物に付き合った事があったが、隣街の駅前ビルのブティックの中で、俺は二時間連れまわされた。
 あの時は初音ちゃんだけだったし、俺といるのが本当楽しそうにしてたからそんなに苦でもなかったんだがなぁ……
 
 
 

 あの後、昼間は奴は動かないだろうという考えから、夜まで待つ事になった。
 今夜は推測通りなら奴は現れないはずだが、それが当たっているという保証もない事だし、深夜は新宿駅周辺を二組に別れて探索する事にしたのだ。
 柳川は性格が一匹狼に近いから、本来なら単独行動するんだろうが、今回ばかりは楓ちゃんか初音ちゃんがいないと奴を発見できないんで、仕方ないと言って了承していた。
 結局、奴と遭遇した場合に備えて俺と柳川、千鶴さんと梓、楓ちゃんと初音ちゃんの三組がそれぞれ同じグループに入らないようにして分かれ、夜に新宿の街を歩いてみる事になった。
 柳川は

「捜査に協力せねばならんのでな」

 と言って戻って行き、俺はそれまで時間が余っている事から、滅多に来れない東京に出てきた四姉妹の為に、買い物に付き合う事にした。
 ……今考えると、ちょっぴり後悔しないでもないが……
 時計を見ると、まだ三時少し前。
 昨夜、<狩猟者>の気配を感じて飛び起きたのが一時半。まだ、十二、三時間と少ししか経っていない。そして、今日はまだ三分の一以上ある。
 そう、まだ、同じ日の中なのだ。
 その間に事件が起こり、鬼が現れ、そして四人を呼び……

「長い一日だな……」

 俺が、ぼけっとしつつそう呟いたその時──

「なにがですか?」
「──え……?」

 目の前に、いつのまにか千鶴さんが立っていた。
 決して高くはない身体で背伸びして、俺の顔をなんだか楽しそうに見上げている。

「どうしたんです? 耕一さん、なんだか遠い眼をしてましたよ?」

 くすっと、千鶴さんが微笑する。
 暖かい笑み。あの夏に一度凍り付き、失いかけた微笑み。俺と、三人の妹と、みんなで取り戻した、千鶴さんの微笑み。
 おもわず見とれてしまった俺の頭に、そっと繊手が触れた。

「あ……」

 姉が弟にするように──いや、実際にそれと大差ないだろう──千鶴さんが、俺の頭を優しく撫でる。ふんわりした唇が、よしよしとでも言うかのように、微かに動く。

「ち、千鶴さん……」

 照れくさくなって困ったように呼びかけると、千鶴さんはようやく手をどけてくれた。

「耕一さん」
「千鶴さん……」
「さ、行きましょう」
「──え?」

 ふと現実に立ち返ると、いつのまにか初音ちゃん達が少し離れた所からこちらを見ている。買い物を終えたのか、梓が二つ程の紙袋を持っていた。

「耕一さん、こっちですよ」

 楽しそうに、楓ちゃんが俺を手招きしている。
 もしかして……今のを、ずっと見てたのか……?
 梓は少々苦笑を交えて、初音ちゃんは楓ちゃん同様にくすくす笑っている。
 間違いなく、今の俺の一部始終を見られていた。そして、なにやら笑いのネタにされている……
 顔が赤くなって行くのを自覚していた俺の耳に、背後に回った千鶴さんの声が届いた。

「さあ、早く。まだまだ、お買い物に付き合ってもらいますからね」
「…………」

 俺は戦慄と共に、まだこの苦行が続くという事実を目の当たりにされ、虚脱しそうになってしまった。
 今日は、本当に長い一日だ……
 でも──
 とんっと、俺の背中を千鶴さんが押す。

「さ、行こう──耕ちゃんっ」

 妹達に聞こえないように、小声でぽそっと呟いた、千鶴さんの声。
 懐かしい呼び名に驚いてちらっと振り返ると、彼女は悪戯っぽい笑顔で、昔よく見ていた姉のような笑顔で、俺を見上げている。

「うん……行こうか」

 俺は、こんな長い一日なら、あってもいいんじゃないかと考えていた。
 
 
 

 冷たい北風がビルの谷間を通り過ぎて来る。わたしは反射的に、ぎゅっとしがみ付いているおっきな腕に身体を寄せた。

「寒いの? 初音ちゃん」
「あっ……ううん。大丈夫だよ」

 覗き込んできたお兄ちゃんの顔を見上げて、わたしはにこっと笑った。耕一お兄ちゃん首を傾げてる。

「そう?」
「大丈夫だよ、耕一。そのストールがありゃ、寒くないよ」

 右側を歩く梓お姉ちゃんが、揶揄するみたいに言ってくる。
 お姉ちゃん、もしかしてわたしをからかってるのかな? 笑顔がなんだか意地悪だよぅ。
 でも……
 わたしは、自分の肩にかかっているストールの端っこをきゅっと握って、ほっぺたに摺り寄せてみた。
 すりすり……
 ……あったか〜い。えへへへ……
 午後にお買い物に行った先で耕一お兄ちゃんが見付けた、真っ白でおっきなストール。
お店の人は一点物だって言ってたけど、手作りなのかな? とってもあったかくて、すっごくふわふわしてる。
 耕一お兄ちゃん、プレゼントしてくれたんだよ。わたし、ほんとに嬉しくって、何度も何度も「ありがとう」って感謝したの。
 お兄ちゃんも、「初音ちゃんらしくて、似合ってるよ」って言ってくれたんだよね。
 わたしがクフッと笑ってると、

「初音ちゃん、ご機嫌だね」

 耕一お兄ちゃんがにっこりしてわたしを見てた。

「え? そう?」
「うん。よっぽど気に入ったんだ、そのストール」
「え……だって……」

 お兄ちゃんからのプレゼントだもん……

「そうだな。初音も楓も、ほんとに似合ってたもんな」

 ありがと、梓お姉ちゃん。
 これ、楓お姉ちゃんとお揃いなんだよね。わたしが白、お姉ちゃんは黒。楓お姉ちゃんのはとってもおとなっぽくって、あのさらさらの髪と一緒になんだか不思議な感じがするの。耕一お兄ちゃんもお姉ちゃん達も、よく似合ってるって誉めてくれたんだ。
 耕一お兄ちゃんにプレゼントだって言われた時、最初はわたしもお姉ちゃんも申し訳なくって遠慮しちゃったけど、お兄ちゃん、素敵な笑顔で言うんだもん。

「もう冬だし、こういうのは大切だよね。大事な楓ちゃんと初音ちゃんだもの」

 ……わたしも楓お姉ちゃんも、真っ赤になっちゃった。耕一お兄ちゃんの顔、見れなかったし。
 楓お姉ちゃん、恥ずかしそうにしてたけど、すっごく嬉しそうだったなぁ。

「……それにしても、さすがは新宿だね〜。まだまだこれからだ、って雰囲気じゃない」

 梓お姉ちゃんが、感心したみたいにうんうん頷いてる。
 でも、ほんとう。もうお夕飯も終わってるし、早い人達はもう眠っちゃいそうな時間なのに、全然人が少なくならない。うっかりお兄ちゃんの手を離したら、迷子になっちゃいそうだよぅ。

「この辺りは、特にまだ人が多い所だからな。おまけに明日は休日だ。二人とも、はぐれないように気を付けてくれ」
「うんっ」
「OK。わかってるよ」

 了解、っとわたしは耕一お兄ちゃんの手をしっかり握り直した。梓お姉ちゃんも、もう少しこっちに寄って来る。
 ふわぁ……でもでも、ほんとに人が多い。それに……なんだか、怖そうな人もいるみたい。
 わたしがきょろきょろしてると、

「ねえねえ君達……」

 え?

「可愛いねぇ。どう? そんな奴ほっといて、俺達と遊ばない?」

 ぱっと見ると、六人ぐらいの男の人が、わたし達を囲んでいた。
 不良さん……? みんな頭を変な色に染めてて、あちこちになんだかじゃらじゃらとアクセサリーみたいなものをいっぱい付けてる。それに……あ、あれ、笑ってるつもりなのかな? でも、どう見ても怖いよぅ……
 わたしはしっかと、耕一お兄ちゃんの腕に縋り付いた。

「やれやれ……またかよ……」
「ほんと、懲りないというかなんというか……蟻みたいにぞろぞろ出てくるな、こいつら」
「ああ……」

 耕一お兄ちゃんと梓お姉ちゃんが、ひそひそ言い合ってる。
 ううっ……でも、これで何度目なんだろう……?

「耕一お兄ちゃん、ごめんね……」

 わたしはその度に追い払ってくれる耕一お兄ちゃんに申し訳なくて、謝った。

「いや、いいんだよ。初音ちゃんは悪くないよ。悪いのは、身の程を知らないこいつらなんだから」
「んだとぉ!?」
「なめてんのか、てめぇ!」

 不良さん達が、耕一お兄ちゃんを睨んでる。
 ううっ……わたし、あんな眼で睨まれたらすぐに逃げ出しちゃいそう。
 でも、耕一お兄ちゃんは平然としてるの。さすがはお兄ちゃん。

「梓、初音ちゃん頼む。三十秒で充分だ」
「あいよ」
「初音ちゃん、ちょっと待っててね」
「う、うん……」

 わたしはぱっとお兄ちゃんの腕を放した。
 ちょっとさびしい……でも、すぐに戻ってきてくれるよ。
 
 
 

 わたしが予想した通り、不良さん達は耕一お兄ちゃんが睨んだだけで、ぴゅーって逃げていっちゃった。

「お待たせ、初音ちゃん」
「うん!」

 やっぱり、お兄ちゃん凄いね。鬼の力を使っていないのに、あの不良さん達、蒼褪めてたもん。
 お兄ちゃんは、夏にあの事件があってからすっごくかっこよくなった。ううん。前からかっこいいよ。でも、なんていうか……もっとかっこよくなったの。
 落ち着いて普通にしていても、なんだか回りから注目されるような存在感があるの。こういうのって、別に鬼の力じゃないよね。
 格が違うっていうの、こういうのを言うのかなぁ?

「ふう……それにしても、こりゃ向こうも大変かもしれないなぁ」

 また歩き始めて、耕一お兄ちゃんがぼやいてる。

「千鶴姉や楓達?」
「ああ。あの三人の組み合わせだと、俺達よりも目立つはずだからな」
「確かにね……」
「お姉ちゃん達、大丈夫かなぁ……」

 千鶴お姉ちゃんと楓お姉ちゃんは、柳川おじちゃんと一緒に別の方を見回りに行っている。わたし達がこっちで、お姉ちゃん達は向こう。
 お姉ちゃん達、すっごく綺麗なんだもん。きっと目立ってるよね……

「まあ、大丈夫だよ、初音ちゃん」
「柳川もいるしね……それに、千鶴姉なら一人でもあんな連中くらい、軽く追い払えんだろ」
「ははっ……そうだな。でも、却って大事になってたりしてな」
「有り得る有り得る……楓が苦労してそうで、あたしゃ心配だよ」

 気楽そうに、耕一お兄ちゃんと梓お姉ちゃん……あうぅ、千鶴お姉ちゃんが聞いてたら、なにかひとしきりありそうだよ……
 そう思いつつ、わたしは耕一お兄ちゃんの腕にしっかり捉まって遅れないように足を速めた。
 
 
 

 ふう……もう、こんな時間ね。
 耕一さん達、大丈夫なのかしら?
 私は腕時計を確認し、息を吐いた。白い空気が広がる。
 隆山程じゃないけど、今夜は冷えるわ……もう、冬も近いのね。
 見上げた空は、星もよく見えない。街の明かりが、強すぎる。
 初音、絶対に耕一さんにしがみ付いてるわね。いつもはもう寝てる時間だし、おんぶされてぐっすり、なんて事になってなければいいんだけど……
 思わずその光景を想像して、私はくすっと笑みを漏らした。

「千鶴姉さん?」
「ん? 何、楓?」

 不思議そうに、楓が私を見る。

「ううん……なんだか、笑っていたから」
「ああ……いえ、ちょっとね……」
 
 楓に私の想像した事を教えると、楓もくすりと笑みをこぼした。

「そうかも……大変ね、耕一さん」
「ええ……」

 楓の微笑み。昔、あの頃に見慣れていた、あの楽しそうな笑顔。
 いい顔をするようになったわね……
 妹の取り戻したそれを見て、私も自然と嬉しくなる。
 そしてふと、楓の羽織っているストールに目を向けた。
 漆黒の楓の髪と同じ色の、初音とお揃いのストール。大量生産の代物にはない、丁寧に編み込まれた絹地が、かなりの逸品である事を示している。
 よく似合ってるわ。
 楓の神秘的な雰囲気にぴったり合うそれは、耕一さんが何気無しに見付けた物だ。掘り出し物と言っていいそれを簡単に見付けてきた時は、私達も目を丸くした。
 耕一さん、こういう時は不思議と私達よりも目利きなのよね。
 楓は私の視線に気付いたみたい。ストールをちらっと見て、微かに頬を染める。

「嬉しそうね、楓」
「……うん……」

 耕一さんがストールを買ってあげてプレゼントした時のこの子ったら、今にも倒れそうなくらいに真っ赤になっていた。
 余程嬉しかったんでしょうね。
 私や梓は似合いそうなのがなくってちょっと残念だったけど、でも、妹達が喜ぶ様子を見ていると、なんだか微笑ましくなってくる。耕一さんも、同じ気持ちみたい。
 家族。
 家族って、こういうものなんでしょうね。
 お互いがみんな大切で、失いたくない人達。自分自身よりも大好きな、とっても暖かい人達。その人達が笑っているだけで、自分も嬉しくて。その笑顔を見ているだけで、私も幸せになって。
 あの夏に一度失いかけて、壊れかけて。
 でも、みんなで必死になって取り戻して、もっと強い絆に変わった。
 私達……家族の絆。

「千鶴姉さん、柳川さん、帰って来たみたい」
「え?」

 私が物思いから覚めると、コンビニのビニール袋を下げた柳川さんが歩いてくるところだった。

「まだ夜は長い。気を張り過ぎるな」

 そう言って、ホットの缶コーヒーが差し出される。私も楓も、軽く会釈してからそれを受け取った。

「やはり、今夜は可能性が低そうだな」
「現れませんか?」
「ああ……楓、どうなんだ?」

 視線を妹に移す。楓は、眼を閉じて何かを探るようにしている。

「……今の処、鬼の気配は……」

 眼を開ける楓。

「そうか。だが……もしも出現するとしたら、そろそろ時間帯に入る。まだ注意は怠るな」
「はい」

 ふと私は気になって、柳川さんに尋ねてみた。

「……時間帯って……?」
「ん……? ああ、奴の出現する時間帯だ。大まかな時間は、一定しているようなのでな」
「どのくらいの範囲なのですか?」
「だいたい、深夜零時から二時……それ以前やそれ以降は、現時点ではない」

 と、いうことは……

「これから二時間強、と言った処ですか」
「そうだ。それを過ぎたら、今夜は撤退だな……それ以上は、時間の無駄に近い」
「わかりました。では、もう少し頑張ってみましょうか」

 私は立ち上がると、缶を屑篭に入れて歩き出し……

「千鶴姉さん、そっちは、さっき来た方……」
「え?」
「こっちだ、千鶴……方向音痴も大概にしておけ」

 呆れを含んだ二人の声に肩を引っ張られ、私はぼっと頬を染めた。

「あ、あらら……ごっ、ごめんなさいっ!」

 慌てて反転して二人を追い抜き、歩き出した私の背に、もう一声投げかけられる。

「それと……あまり離れるな。さっきの二の舞もごめんだ」
「姉さん……また絡まれると、大変な事になるわ」

 ………………
 私は先程、迷子になりかけた上にナンパされて、ちょっと、その……あんまりしつこいんで、思わずちょっぴり鬼気を込めて睨んでしまって……結局、二人に助けられて事無きを得たんだけど、その、ちょっと大事になって……
 恐る恐る振り返ると、楓は心配そうに私を見つめて、柳川さんは腕を組んで呆れた顔でこちらを見ている。二人の態度が、面倒事は避けたい……と言っていた。
 ううっ……ごめんなさい。私が軽率でした……
 私はしゅんと肩を落とすと、追い付いて来た楓に手を握られて、一緒に歩き出す事になったのだった。
 
 
 

 そして、翌日の朝。
「ふぁ……」

 俺は欠伸を噛み殺すと、街中を足早に歩いていた。

「やれやれ……出なかったな……」

 まあ、柳川の推測通りだったわけだが。
 昨夜は結局、鬼の気の欠片すらも現れなかった。楓ちゃんや初音ちゃんも何も感じなかったって言っていたし(初音ちゃんは気丈にも、撤収するまで起きていた……まあ、帰り際にはもう俺の背中でぐっすりだったけど)、俺達もあの一昨日の強大な鬼気を察知しなかった。
 その足で初音ちゃんをホテルまで送り届けたのが午前三時。俺は

「泊まって行きませんか?」

 という千鶴さんの言葉を丁重に辞退し、自分の住まいに戻った。
 ほんとは俺だって泊りたかったのだが、何の因果か休日なのに教授から仕事を手伝って欲しいと言われていて、世話になっている人の頼みを断るわけにもいかず、こうして泣く泣く休日出勤、というわけなのだ。
 久々に会った大事な従姉妹達だ。俺だって、出来れば時間が許す限り付き合っていたかったのだが……まあ、仕方ない。

「今頃、みんな夢の中だろうしな……」

 普段、俺と違って規則正しい生活を行っている柏木四姉妹の事だ。あんな時間まで起きているなんて、それこそ初めてだったんじゃないのか? 今夜に備える為にも、今は揃ってぐっすりのはず。
 俺も、手伝いが終わったら仮眠する必要があるな。寝不足で鬼を追えないなんて、情けなさ過ぎる。
 ……にしても、柳川はいつ寝てるんだろうか……?
 別れ際にもしっかりとした足取りで、

「事件の処理を手伝う」

 と言っていたタフな叔父を思い浮かべ、俺は苦笑した。

「さて、と……んじゃあ、ちゃっちゃと教授の手伝い終わらせますか!」

 いつのまにやら、大学の正門前まで来ていた。
 そのまま大学校内に入り、教授の研究室へ向かおうとしたその時──

「柏木君」

 後ろから声を掛けられた。この声は……
 振り返ると、眼鏡をかけた理知的な女性がすぐ後ろに立っていた。

「あれ……由美子さん? どうしたの? 今日は日曜日だよ」

 小出由美子さん、俺と同じゼミの友人だ。

「私は図書館に用事。柏木君は? 教授のお手伝い?」
「ああ。水無月教授に呼ばれてね」
「ふぅん……」

 由美子さんは一つ相づちを打つと、なにやら俺をじろじろと見つめ出した。

「な、何?」
「ふぅ〜む……別に、変わった所はないわねぇ……」
「何が?」
「いやね。昨日の午後、ものすっごく綺麗な女性やらとんでもなく可愛らしい女の子やら四人も連れた柏木君を目撃した、って情報が私の耳に届いてね」
「なっ……!?」

 なにぃ!? ど、どっからそんな情報が!?

「それで夜遅くにも、繁華街を歩く柏木君と女の子二人を見付けた、なんて話もさっき聞いたから……怪しいな〜って思ったんだけど」

 だ、誰だ!? 一体誰だ!? この人にそんな飛びつきそうなネタを流したのは!?
 俺は、背中に冷や汗が流れ出るのを感じた。
 まずい。これはひたすらにまずい。

「でも……見た所、変わった感じがないわねぇ……柏木君が眠そうなのはいつもの事だし……」
「ゆ、由美子さん……一体、誰からそんな話が出てきたの?」
「さぁ〜て、誰かしらね……」

 すっとぼける由美子さん。その眼鏡の奥が、キラリッと輝く。

「……で、その四人の女の子達はどうしてるのかしら?」
「え゛……っ……!?」
「ふっふっふっ……私の眼は誤魔化せないわよ……柏木君、貴方動揺してるわね!」
「なっ……なにぃっ!?」
「動揺してるという事は、その話が真実である証拠! さあ、きりきり白状なさい!」

 そう言うと、由美子さんは俺の襟元を掴んで揺さぶった。

「ゆっ、ゆゆゆみこ……さんん、はっ、はな、はなし……!」
「喋りなさ〜い!」

 やばい、眼がゴシップ記事のネタを発見した新聞記者みたいだ。あるいは、面白い物を見付けた子供のような……
 し、仕方ない。ここは、正直に事実だけ話して即、逃亡だ。

「わ、わかった、話す! 話すから離して……!」
「ふっ……観念したわね! さあ、洗いざらい話すのよ! 今なら罪は軽いわ!」
「罪って……俺なにもしてない……」
「最初はみんなそう言うのよ! でも無駄ね、貴方は真実を話さない限り、一生監獄の中なのよ!」
「なんでっ!?」
「罪には罰をっ! それが私達の掟よ!」
「なんの掟っ!?」
「つべこべ言わず、さあとっとと吐く! その女の子達は何者!?」

 駄目だ、いっちゃってる……そう言えば、昨夜は人気の刑事ドラマの二時間スペシャルがやってたような……
 どうやら、由美子さんはテレビの影響を受けやすいらしい。

「……そ、それは、俺の従姉妹達だよ。夏に由美子さんと会った、隆山温泉の親父の実家の方の子達……今、ちょっと東京に遊びに来てるんだ」
「……従姉妹?」
「そう。昨日は久しぶりに会ったから、買い物に行ったりして遊んでたんだ。俺の、大事な家族だからね」
「ふむ……家族、家族ねぇ……」

 由美子さんは、なにやらぶつぶつ呟いている。
 いかん、また刑事モードに入る前に、とっとと脱出せねば。

「あの、由美子さん。俺、そろそろ行かないと教授が……」
「え? ああ、うん……」

 由美子さんが手を緩める。
 その瞬間俺は襟を素早く引き戻し、そしてくるっと反転して全力で走り出した。

「んじゃ、またね、由美子さん!」
「うん…………って、ああっ!? こらっ、柏木くぅ〜ん! まだ質問は……!」

 はっと我に返った由美子さんが声をあげた時──

「あ……あれっ!?」

 俺は、既に逃亡した後だった。
 
 
 
 

四章

六章

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