第四章 鬼を追う者達
正午、東京駅。
「ひ、人だかりが……」 遠巻きに何人もの人間が四姉妹をちらちらと盗み見て、何やら話をしている。中にはあからさまに指差して、ナンパに行こうかどうしようか悩んでいるふうな若者連中も見られた。 「まあ、無理ないけど……」 俺は少々呆れた感じになっているだろう顔で、四人の姿を順々に見てみた。
「お〜い、みんな!」
まず初音ちゃんが俺に気付いた。俺の声と同時に駆け出し、名前を呼んでくる。続いてそれに反応した楓ちゃんが小走りに俺に向かって来て、その後ろから千鶴さんと梓も歩き始める。
「お兄ちゃん!」 天使の微笑みと共にぽふっと俺に抱き付いて来た初音ちゃんを受け止め、走り寄った楓ちゃんに手を差し出す。嬉しそうにその手をきゅっと握り返してきた楓ちゃんに笑いかけると、彼女もふんわり笑い返してくれた。
「耕一、久しぶり!」
横まで来た梓がひょいと手を挙げ、俺はそれに自分の手をぱしんと軽く打ち合わせる。 「耕一さん、お元気そうですね」 最後に、柔らかな微笑みを浮かべた千鶴さんがそう言ってくる。俺はにっと、からかう様な笑みを作り、千鶴さんに問い掛ける。 「千鶴さんこそ、元気みたいだね。朝はだいぶ眠そうだったけど、疲れてたんじゃなかったんだ」
恥ずかしそうにぷいっと顔を背ける千鶴さん。そんな姿も彼女に似合う。 「千鶴お姉ちゃん、嬉しそうだね」 にこにこ笑顔の初音ちゃん。頭を撫でてあげると、くすぐったそうにしながらも 「えへへ〜……」 と、にぱっと俺を見上げてくる。
「みんな、遠路はるばるご苦労様。悪いね、呼び寄せちゃって」
一通りの挨拶を済ませると、俺は皆の顔を見回し、にこっと自分自身にできる最大限の笑顔を浮かべた。 「 じゃあ、まずはホテルに行こう。積もる話はそれからね」
「っふはぁ……」 部屋に入った途端、耕一さんが微かなため息を吐く。私の耳は、それを正確に捉えた。 「大丈夫? 耕一お兄ちゃん」
千鶴姉さんがしゅんとして謝る。私も初音も申し訳なくて、ちょこんと頭を下げた。 「いや、いいよ。確かに疲れたけどさ、みんながどれだけの美人揃いなのかが、改めてよっくわかったからね。しかしまさか、スカウトまで声をかけてくるとはなぁ……」
かあっと、頭に血が昇るのがわかった。私はきっと、林檎のように頬を赤くしているはず。
「しかし、普通なら耕一が睨めば尻尾巻いて逃げて行くのに、さすがは東京のナンパ野郎どもだよな。それでも向かって来るのが結構いるんだから」 荷物を降ろしながら、梓姉さんがいっそ感心したように言う。 「あれも、根性が入ってるって言えんのかね?」
運んでくれた荷物を降ろして、耕一さんが言い返す。 「そんなにナンパに命かけてんのかねぇ? 悲しい連中だね」
そんなやりとりをしながら、私達はソファーに座る。 「さて……」 耕一さんがふうっと息を吐いた。
「みんな、すまないが聞いてほしい……」 耕一さんの声で、はっと私は現実に引き戻った。
「本題に入ろうか……みんなをわざわざ呼び寄せた、その理由を」 耕一さんがそう呟き、そして話が始まった──
「──と、いうわけだ。俺や柳川じゃあ、さっぱり奴の居所が掴めないんだよ」 一通りの事情を話し終わり、俺はぎりっと唇を噛み締めた。 「それで、楓が必要だと言ったんですね」 得心がいったように、千鶴さんが頷いた。 「いきなり『楓ちゃんが必要なんだ』なんて言うものですから、何事かと思いました」 くすっと、電話の内容を漏らす千鶴さん。その言葉を聞いて、なにやら楓ちゃんが顔を薄紅色に染めている。 「ま、まあ……その件はいいとして、楓ちゃん、初音ちゃん」
俺は、エルクゥきっての感知能力を持つ二人に、尋ねてみた。 「どうかな……? 東京に来てから、俺達以外の鬼の気を、感じた?」
俺の言葉に二人とも揃って瞳を閉じ、胸元に手を当て、動きを止める。
「……駄目、ですね……」
ややあってから、楓ちゃんが呟く。初音ちゃんも、きゅっと眉を潜めて、ふるふると首を振る。 「鬼の──エルクゥの気配は、一切ありません。昼間は多分、完全に力を押さえているのでしょう」
千鶴さんが同意を示す。 「おそらく、昼間は人の姿で──鬼気も、普段の私達のように隠しているんですね。それでは、さすがに楓や初音でも、かなり接近しないと相手の正体もわかりません」
楓ちゃんが呟く。 「そうだね……昼間は探せそうにないかも……」 と、初音ちゃん。後を受けて、梓が苦虫を噛み潰したかのように顔を歪める。 「一刻を争うかもしれないってのに……まどろっこしいね」
梓が怪訝そうに身を乗り出してくる。 「あの電話の後、午前中は情報を集めに走り回ってたんだけど……さっき、皆を迎えに来る前に柳川に連絡したら『とんでもない事がわかったぞ』って言ってきたんだ」
横に座った初音ちゃんの頭を撫でながら、柳川から聞いた話を皆に伝える。 「その、例の鬼のものらしき事件は、今までにも起こっていたらしいんだ」
俺の言葉に、全員が複雑な表情に変わった。
「最初の事件は、一週間も前の事……」
千鶴さんが驚いたように身を乗り出す。 「ああ、それが……」 コンコン。
「ん? 誰だ?」 梓が訝しげにドアを振り返る。 「楓ちゃん」
俺の言外の言葉を察し……いや、既に誰が来たのか気付いていたのだろう、楓ちゃんがドアに向かった。そして、ノブに手をかける。 「……こんにちは」
響く声。全員が、その人物の事は知っていた。情報源の、当の本人が来たのだ。 「柳川……」
部屋の中をぐるりと見渡すと、柳川はそのままゆっくりと歩み寄りつつ、俺に声をかけてきた。 「耕一、どこまで話が進んでいる?」
俺の向かいに腰掛ける柳川。いつのまに用意したのか、初音ちゃんが茶碗を差し出すと、軽く頷きそれをとる。 「その事件だが……更に詳しい事がわかった」
くっと茶碗を傾けて喉を湿らせ、それから静かに語り出す柳川。 「事件は、二日置きに発生している。最初のものは耕一が言ったように一週間……七日前だ。それから、五日前と三日前、そして昨日……現場は都内に限られ、時間は決まって深夜を回ってからだ」 一息に喋ると、ぐいっと再び茶をあおる。
「あれ以外に、三件もか……」
梓が疑問符を浮かべた。ちらっと視線を走らせると、他の三人も同じような顔をしている。
「俺達は、その時は都内やその近郊にいなかったんだよ」
柳川が、俺の後を追従する。 「そして、俺が出張に来たのは二日前の朝からだ。耕一が帰って来たのも、二日前。それ以前の事件に関しては、察知出来なかったのも当然だったというわけだ」
梓が呟く。
「……それで、事件の被害者は?」
静かな湖面のような表情で、千鶴さんが問う。
「全部で七人……行方不明だった者を数えて、九人と言ったところか」
楓ちゃんが息を呑む。 「死亡したのは、年齢はまちまちだが全員男だ。行方不明は両者とも、二十歳前後の若い女性」 やはり、女は連れ去っているのか。 「片方……一番最初の事件で行方不明だった女性は、現場近くで死んでいるのを発見されている。四日前だな」
千鶴さんが、言いにくそうに柳川の方を窺う。頬が微かに赤い。
「ああ……あった、そうだ」
ぐっと、千鶴さんが唇を噛み締める。
「……そして、つい先ほど……もう一人の女性──昨夜の事件の際に、行方不明になった被害者だな……彼女が、やはり遺体で発見された」
見付かったのか!? 「ああ……遺体は、かなり酷い有り様だったらしい」 ……間に合わなかったのか……ちくしょうっ!!
「……それで、どこで?」
少々困惑した顔の柳川。 「サンシャイン60の、屋上……だそうだ」
なん……だって!? 「昨夜、俺と耕一は池袋にいた……現場の近くを、多少探ってもみた。それなのに、俺達は鬼の気配を全く感知できなかった……そんなに距離は離れていないはずなのに、だ」
初音ちゃんが呟く。 「やめさせなきゃ……絶対、やめさせなきゃ……」
楓ちゃんは、妹の手をそっと握って、しっかりと頷き返す。
俺は、しっかりと彼女達に頷きかけた。 「巻き込んでごめん。けど……頼むよ」
決意に満ちた表情で、二人は答える。
「ところで、だ」
初音ちゃんが不思議そうに言う。 「ああ、今までの事件だが……」 そこで一旦言葉を区切ると、柳川はなにやら懐から取り出した。 「地図?」 東京近郊の、縮尺図だ。 「いいか? まず、最初の事件がここ……」 そう言うと、地図の一点に印が付けられる。 「次が、ここだ」 キュッと、赤ペンが動く。 「そして、ここ……」
楓ちゃんが、何かに気付いたように叔父の顔を見る。柳川は、姪の洞察力に満足したかのように、にやりと笑った。 「わかったようだな……そう。最後が、ここだ」 キュッ…… 「! ……なるほど、な……」 俺にも、わかった。これは…… 「山の手線の、駅……」 千鶴さんが、ぽつりと呟く。 「あっ!」
初音ちゃんと梓も、合点がいったように顔をあげる。
「始まりが、七日前の新橋……」 楓ちゃんが指を唇に当てる。考え込む時の、彼女の癖。 「次が、東京。五日前だね」
「それから、三日前に上野で三件目の事件があって……」 梓がとんっと地図の一点を突っついた。そのまま、指を滑らせて姉の顔を窺う。 「そして、池袋……昨夜の事件ですね」 千鶴さんの表情が、硬くなっている。法則性から、何かを弾き出したのだろう。
「全員、わかっただろう?」 みんながしっかりと頷く。柳川は、にやっと笑った。 「奴がどういうつもりだか知らんが、山の手線の巨大駅近辺で、半時計回りに一日置きに<狩り>を行っている。腹立たしい事だが、大まかな出現位置さえ掴めれば、あとはどうとでもなるはずだ。俺達ならば、これだけのヒントで十分……いや、十分にしなくてはならない」
楓ちゃんが、不安そうに叔父を見る。 「どういう事でしょうか? 普通なら、<狩猟者>と化した者がそんな法則性があるような行動をとるものか……」
眼鏡をくいっと持ち上げると、そういえばと言うふうに眉根を寄せた。
「もしかして……まだ、負けてないのかな?」
真摯な眼差しで、初音ちゃんが俺を見上げる。 「もしそうだったら……」 そうか……それもありうる。
「だったら、助けなきゃ! わたし達だったら、出来るんだよ! わたし達のちからだったら……」 初音ちゃんが、俺に縋り付く。
「可能性、あると思うか?」
俺は、初音ちゃんの肩に手を置き、真剣に答える。 「わかった、初音ちゃん。俺達みんなで、出来るだけの努力はしてみよう!」
梓と楓ちゃん、俺達の様子をじっと見ていた二人は、即座に答える。
「……千鶴お姉ちゃん?」
先ほどから俯き考え込んでいた千鶴さんだけは、難しい顔でいた。 「千鶴さん……反対なの?」
俺が声をかけると、はっとして千鶴さんは顔をあげた。 「いや、だから……」
再び千鶴さんは俯き、唇に指を当てた。楓ちゃんとそっくりな、思考をまとめる時の癖。 「別の問題を、考えていたんです……」
梓が不思議そうに問う。
「その鬼が……どこから来たのか、です」
そうだ。うっかりそれを忘れていた。
「柏木家の、落とし子か……?」 柳川が不審そうに呟く。 「しかし千鶴、それは──」
千鶴さんは戸惑いと焦燥感を瞳に浮かべ、家族の顔を見やる。 「私の知る限り、お父様や賢治叔父様には隠し子などおりません。お爺様に関しても、柳川さん一人だけしか──」
何度考えても納得いかない、といった感じの千鶴さんの困惑口調を、柳川が引き継ぐ。 「一時、俺の父の家だという柏木家には興味を持ったからな。少し前に徹底的に洗ってみた事があるが……」 ふむ、と呟くと、柳川は続ける。 「俺の兄に当たるお前達の父親二人は、お前達の母親以外の者と接触した気配すらない。だいたい、その可能性があるとすれば鬼に侵食されはじめてからだが……」
確かに……
「じゃあ……父さん?」
俺、千鶴さん、楓ちゃんの順に否定する。
「じゃあ、お父さんもおじちゃんも違うの……?」
俺の言葉に、千鶴さんと柳川が揃って頷く。 「しかし……」
まどろっこしい話にいらいらして爆発した梓を、妹二人が必死に宥めている。
「……梓の言う通りね……」 ふうっ……とため息を吐いた千鶴さんが、やや表情を和らげる。 「そうだね。まずは、奴を発見しないとどうしようもないか……」 俺が賛同すると、柳川もそうだな、と答えた。 「推測はいつでもできる。今は、別に出来る事が残っている」 そして、俺はみんなの顔を見渡し、真剣な表情で告げた。 「それじゃあ、ちょっと整理してみようか」 ちらっと、まずは千鶴さんを見る。 「まず、相手の法則性……山の手線を半時計回りで、一日置きに、でしたね」
続いて、梓が言う。 「場所は、必ず駅周辺の地域に限定される……」 そして、楓ちゃん。
「それと、深夜……だよね」
柳川がそう言い。 「それじゃあ、次のやつの出現予測地点……そして、俺達が向かう現場は……」 俺は、びっと地図の一点を指し示した。 「ここで、決まりだな」 山の手線──JR新宿駅。
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