第四章 鬼を追う者達
 

 正午、東京駅。
 出発の前に連絡を受け、到着時間に合わせて迎えに来た俺は、広大なホーム内部で人々の注目を集めている四者四様の柏木四姉妹を発見した。

「ひ、人だかりが……」

 遠巻きに何人もの人間が四姉妹をちらちらと盗み見て、何やら話をしている。中にはあからさまに指差して、ナンパに行こうかどうしようか悩んでいるふうな若者連中も見られた。

「まあ、無理ないけど……」

 俺は少々呆れた感じになっているだろう顔で、四人の姿を順々に見てみた。
 黒髪に銀の髪留め、濃い緑色のツーピースで合わせた優雅な千鶴さん。
 活動的な青いGパンと同色のジーンズのジャケット姿で元気そうな梓。
 白いロングスカートにクリーム色のブラウスを着た、可憐な楓ちゃん。
 赤いチェックのワンピースに、同色のリボンが可愛らしい初音ちゃん。
 四人が四人とも、並のアイドルなんか足元にも及ばぬ位にレベルが高くてタイプの違う美人な上に、それがこうして揃っているんだ。もしこの大都市の街中を歩こうものなら、一時間に二十回は軽薄なナンパ師どもが群がってくるに違いない。
 ……遅刻しないでよかったな。
 俺はほっとため息を吐くと、そろそろ動きを見せそうなナンパ野郎どもの機先を制する為、ゆっくりと歩きつつも四人に声をかけた。

「お〜い、みんな!」
「あっ、耕一お兄ちゃん!」
「耕一さん!」

 まず初音ちゃんが俺に気付いた。俺の声と同時に駆け出し、名前を呼んでくる。続いてそれに反応した楓ちゃんが小走りに俺に向かって来て、その後ろから千鶴さんと梓も歩き始める。
 四人とも嬉しそうな顔をしているのが見て取れるだけに、周囲から俺に視線が──特に、男共の嫉妬や羨望、敵意の混じった視線が注がれるが、俺はそれを完璧に無視する。

「お兄ちゃん!」

 天使の微笑みと共にぽふっと俺に抱き付いて来た初音ちゃんを受け止め、走り寄った楓ちゃんに手を差し出す。嬉しそうにその手をきゅっと握り返してきた楓ちゃんに笑いかけると、彼女もふんわり笑い返してくれた。
 うん、いい笑顔だ。昔、あの夏によく見ていたあの笑顔そのものだ。

「耕一、久しぶり!」
「おう、二ヶ月ぶりくらいだな」

 横まで来た梓がひょいと手を挙げ、俺はそれに自分の手をぱしんと軽く打ち合わせる。

「耕一さん、お元気そうですね」

 最後に、柔らかな微笑みを浮かべた千鶴さんがそう言ってくる。俺はにっと、からかう様な笑みを作り、千鶴さんに問い掛ける。

「千鶴さんこそ、元気みたいだね。朝はだいぶ眠そうだったけど、疲れてたんじゃなかったんだ」
「! ……も、もう!」

 恥ずかしそうにぷいっと顔を背ける千鶴さん。そんな姿も彼女に似合う。

「千鶴お姉ちゃん、嬉しそうだね」

 にこにこ笑顔の初音ちゃん。頭を撫でてあげると、くすぐったそうにしながらも

「えへへ〜……」

 と、にぱっと俺を見上げてくる。
 そんな仕草が、ひどく愛らしい。

「みんな、遠路はるばるご苦労様。悪いね、呼び寄せちゃって」
「いえ、そんな……」
「気にしなくていいですよ」
「そうそう。遠慮はいらないぞ、耕一」
「お兄ちゃんと会えるんだから、構わないもん」

 一通りの挨拶を済ませると、俺は皆の顔を見回し、にこっと自分自身にできる最大限の笑顔を浮かべた。

「 じゃあ、まずはホテルに行こう。積もる話はそれからね」
 
 
 

「っふはぁ……」

 部屋に入った途端、耕一さんが微かなため息を吐く。私の耳は、それを正確に捉えた。

「大丈夫? 耕一お兄ちゃん」
「耕一さん、平気ですか?」
「ああ、平気だよ、初音ちゃん、楓ちゃん」
「ごめんなさい、私達のせいで……」

 千鶴姉さんがしゅんとして謝る。私も初音も申し訳なくて、ちょこんと頭を下げた。

「いや、いいよ。確かに疲れたけどさ、みんながどれだけの美人揃いなのかが、改めてよっくわかったからね。しかしまさか、スカウトまで声をかけてくるとはなぁ……」
「こ、耕一さん……」

 かあっと、頭に血が昇るのがわかった。私はきっと、林檎のように頬を赤くしているはず。
 横を見ると、初音も似たような状態になっている。千鶴姉さんは……さすがの姉さんも、ちょっと頬が染まっているみたい。梓姉さんは真っ先に窓際まで行っているから、このやりとりを聞いていない。
 ホテルに向かうまでの道すがら、私達姉妹に声をかけてきた男の人は、両手の指では数え切れなかった。ちょっと耕一さんが眼を離したり、私達が離れたりすると、甘い物に群がるかのように人が寄ってくる。……なんだか、蟻みたい。
 その度に耕一さんが追い払ってくれるのだけど、そうして耕一さんが離れると、今度は反対側から……
さすがの耕一さんも、辟易していたもの。
 千鶴姉さんはさりげなく躱したりできるみたいだし、梓姉さんも無視する術を心得ていたけど、私にはそんな器用な事はできない。初音にいたっては、優しい子だもの、人に話し掛けられて無視なんて、まず出来る子じゃない。
 結局、私と初音は耕一さんにしがみ付く様にして、なんとかそれを乗り切る羽目になっ
てしまった。
 ……でも、それは結構嬉しかったんだけど……
 しまいには、芸能プロダクションの者ですが……なんて言う人まで寄ってきたけど、あの人、本物だったのかしら?
 何故だか私達五人は人の注目を集めるみたいで、ちらちらと私達を窺ったりする人達がたくさんいて、正直言って私は恥ずかしくて仕方がなかった。でも、なんでそんなに注目されるんだろう? 私達、どこもおかしくないと思うんだけど……
 私達はその中をなんとか乗り切って、千鶴姉さんが足立さんを通して宿泊予定を入れたホテルに辿り着いた。
 急な予定だったけど、時期がずれていた事もあって、部屋は空いていた。

「しかし、普通なら耕一が睨めば尻尾巻いて逃げて行くのに、さすがは東京のナンパ野郎どもだよな。それでも向かって来るのが結構いるんだから」

 荷物を降ろしながら、梓姉さんがいっそ感心したように言う。

「あれも、根性が入ってるって言えんのかね?」
「腐った根性が、だけどな」

 運んでくれた荷物を降ろして、耕一さんが言い返す。

「そんなにナンパに命かけてんのかねぇ? 悲しい連中だね」
「姉さん、それなにか違うと思う……」
「そう?」

 そんなやりとりをしながら、私達はソファーに座る。

「さて……」

 耕一さんがふうっと息を吐いた。
 途端、私は表情を引き締める。
 耕一さんの眼が、真剣なものに変わっている。
 ちらりと視線を動かすと、千鶴姉さん、梓姉さん、初音、みんなが私と同じように顔を引き締めていた。
 こうして同一の表情になると、私達は本当によく似ている。
 外見が、というだけじゃない。内面もよく似ている。
 私は、姉妹の顔を順々に眺めていった。
 千鶴姉さん。
 優しさと厳しさ、温かさと冷たさ、強さと弱さ、頑固とすら言える頑なな意志と、それとは裏腹のひどく脆い心を併せ持った人。
 氷のような仮面を被り一人重荷を背負い続け、それでも壊れる事無く私達を守り続けてくれた、今も昔も大事な姉さん。時に威厳ある家長であり、時には泣き続ける子供のような姉。
 何もかもを自分だけで背負い込もうしたこの人は、でも夏のあの事件で、今まで隠していたその姿を晒してくれた。
 一人であり続ける事に疲れていたから。私達妹を、耕一さんを、信じてくれたから。
 その瞳の中に、あの時の沈んだ光はもう見えない。
 梓姉さん。
 千鶴姉さんと同じように、弱い部分を隠していた梓姉さん。
 最も傷つきやすい危うさを持ちながら、姉妹みんなが、耕一さんが帰れる場所をずっと守り続けていた優しい姉さん。
 どんな時でも元気で、誰よりも自分の負うべき役目を知っていた。いつでもなんにでも真剣で、そして困難に立ち向かう事が出来る、強い人。
 梓姉さんは、きっとどんな壁でも超えて行ける。自分から越えようとする事が出来る。
 それこそが、あの時にも見せた姉さんの強さ。
 初音。
 私には過ぎた妹。昔も今も、変わらぬ無邪気な笑顔と、純粋な心を持っている。そして、私達姉を支えるため、敢えて良い妹を演じ続けてくれた哀しく愛しい私の妹。
 この子は、強い。一番強い。
 千鶴姉さんよりも、梓姉さんよりも、もちろん、私なんかよりも心が強い。
 遥か過去のあの時も──そして、それに比べればほんの少し前の、あの時も、この子は、深い悲しみを抱えながらも笑っていた。
 この子が、私や姉さん達や耕一さんを……皆を、助けてくれた。晩夏に起きたあの事件は、初音がいなければ最悪の事態を招いたかもしれない。
 皆、心に痕を負っている。それでも、必死に戦っている。
 過去と、宿命と、現在と、血と、未来と、自分自身と。
 そして──
 私は、ちらりと最後の一人に視線を移す。
 耕一さん…………
 貴方も。
 私達は、よく似ている。
 心に負った痕が。それでも前に進み続ける、その姿が。
 家族だから。
 だから私は、皆と一緒にいたいと──
 そう、思って。

「みんな、すまないが聞いてほしい……」

 耕一さんの声で、はっと私は現実に引き戻った。
 すこし。ぼぉっとしていたみたい。
 慌てて、話を聞くために集中する。

「本題に入ろうか……みんなをわざわざ呼び寄せた、その理由を」

 耕一さんがそう呟き、そして話が始まった──
 
 
 

「──と、いうわけだ。俺や柳川じゃあ、さっぱり奴の居所が掴めないんだよ」

 一通りの事情を話し終わり、俺はぎりっと唇を噛み締めた。

「それで、楓が必要だと言ったんですね」

 得心がいったように、千鶴さんが頷いた。

「いきなり『楓ちゃんが必要なんだ』なんて言うものですから、何事かと思いました」

 くすっと、電話の内容を漏らす千鶴さん。その言葉を聞いて、なにやら楓ちゃんが顔を薄紅色に染めている。

「ま、まあ……その件はいいとして、楓ちゃん、初音ちゃん」
「あ、はい……」
「なあに、お兄ちゃん?」

 俺は、エルクゥきっての感知能力を持つ二人に、尋ねてみた。

「どうかな……? 東京に来てから、俺達以外の鬼の気を、感じた?」
「…………」
「…………」

 俺の言葉に二人とも揃って瞳を閉じ、胸元に手を当て、動きを止める。
 俺も千鶴さんも梓も、じっと呼吸すら停めたように静かになって、二人を見つめる。
 部屋に、静寂が満ちた。

「……駄目、ですね……」
「うん……」

 ややあってから、楓ちゃんが呟く。初音ちゃんも、きゅっと眉を潜めて、ふるふると首を振る。

「鬼の──エルクゥの気配は、一切ありません。昼間は多分、完全に力を押さえているのでしょう」
「そうか……そういや、夏の時もそうそう簡単に気配は探れなかったな……」
「<鬼化>していない限り、常に爆発的な鬼気を発し続けるような真似は出来ませんしね」

 千鶴さんが同意を示す。

「おそらく、昼間は人の姿で──鬼気も、普段の私達のように隠しているんですね。それでは、さすがに楓や初音でも、かなり接近しないと相手の正体もわかりません」
「……と、いう事は……」
「無闇に探しても、無駄足に近いか」
「それに、昼間は何も東京近郊にいるとも限りませんしね」

 楓ちゃんが呟く。

「そうだね……昼間は探せそうにないかも……」

 と、初音ちゃん。後を受けて、梓が苦虫を噛み潰したかのように顔を歪める。

「一刻を争うかもしれないってのに……まどろっこしいね」
「ああ……けど、問題はそれだけじゃない」
「何? まだなんかあるの?」

 梓が怪訝そうに身を乗り出してくる。

「あの電話の後、午前中は情報を集めに走り回ってたんだけど……さっき、皆を迎えに来る前に柳川に連絡したら『とんでもない事がわかったぞ』って言ってきたんだ」
「柳川おじちゃん、今どこにいるの?」
「警視庁。十時頃に一旦別行動をとって、あっちは警視庁に戻って情報収集に行ったのさ」

 横に座った初音ちゃんの頭を撫でながら、柳川から聞いた話を皆に伝える。

「その、例の鬼のものらしき事件は、今までにも起こっていたらしいんだ」
『えっ!?』

 俺の言葉に、全員が複雑な表情に変わった。
 驚愕、困惑、苦悩、痛み、そして微かな怒気。
 柏木の血脈に通ずる者のみが知る、あの哀しくつらい感情の顔に。

「最初の事件は、一週間も前の事……」
「一週間前!? 耕一さん、それに気付かなかったんですか?」

 千鶴さんが驚いたように身を乗り出す。

「ああ、それが……」

 コンコン。
 ノックの音が、開きかけた口を塞いだ。

「ん? 誰だ?」

 梓が訝しげにドアを振り返る。

「楓ちゃん」
「わかっています」

 俺の言外の言葉を察し……いや、既に誰が来たのか気付いていたのだろう、楓ちゃんがドアに向かった。そして、ノブに手をかける。

「……こんにちは」
「楓か。手間をかけるな」
「いえ……」

 響く声。全員が、その人物の事は知っていた。情報源の、当の本人が来たのだ。

「柳川……」
「柳川さん」
「おじちゃん」

 部屋の中をぐるりと見渡すと、柳川はそのままゆっくりと歩み寄りつつ、俺に声をかけてきた。

「耕一、どこまで話が進んでいる?」
「ああ……一週間前の最初の事件の、さわりの部分だ」
「ふむ……ならば、そこから先は俺が説明しようか」

 俺の向かいに腰掛ける柳川。いつのまに用意したのか、初音ちゃんが茶碗を差し出すと、軽く頷きそれをとる。

「その事件だが……更に詳しい事がわかった」
「何?」
「ほんとうなの?」
「ああ……」

 くっと茶碗を傾けて喉を湿らせ、それから静かに語り出す柳川。

「事件は、二日置きに発生している。最初のものは耕一が言ったように一週間……七日前だ。それから、五日前と三日前、そして昨日……現場は都内に限られ、時間は決まって深夜を回ってからだ」

 一息に喋ると、ぐいっと再び茶をあおる。
 俺は、苦々しく顔をしかめた。

「あれ以外に、三件もか……」
「二人とも、その昨夜のやつ以外は、わかんなかったの?」

 梓が疑問符を浮かべた。ちらっと視線を走らせると、他の三人も同じような顔をしている。
 まあ、それも当然の考えだよな……
 俺は、その疑問に答えてやる事にした。

「俺達は、その時は都内やその近郊にいなかったんだよ」
「えっ?」
「俺は先日まで、大学の教授の発掘作業を手伝って、東京を離れていたんだ。十日前からずっとね」

 柳川が、俺の後を追従する。

「そして、俺が出張に来たのは二日前の朝からだ。耕一が帰って来たのも、二日前。それ以前の事件に関しては、察知出来なかったのも当然だったというわけだ」
「……間が悪いね……」

 梓が呟く。
 まったくだ。

「……それで、事件の被害者は?」
「聞きたいか?」
「ええ」

 静かな湖面のような表情で、千鶴さんが問う。
 淡々とした調子で、柳川が答えた。

「全部で七人……行方不明だった者を数えて、九人と言ったところか」
「そんなに……」

 楓ちゃんが息を呑む。

「死亡したのは、年齢はまちまちだが全員男だ。行方不明は両者とも、二十歳前後の若い女性」

 やはり、女は連れ去っているのか。

「片方……一番最初の事件で行方不明だった女性は、現場近くで死んでいるのを発見されている。四日前だな」
「あの……」

 千鶴さんが、言いにくそうに柳川の方を窺う。頬が微かに赤い。
 何を言いたいのか、俺にはなんとなくわかった。柳川も察したようだ。

「ああ……あった、そうだ」
「……そうですか……」

 ぐっと、千鶴さんが唇を噛み締める。
 やはり……陵辱された痕跡が、あったのか。
 ちらっと千鶴さんを見る。彼女の瞳の奥に、怒りの冷たい炎が見える。同性として、これはやはり許せないものがあるのだろう。
 俺は気にかかり、梓、楓ちゃん、初音ちゃん……三人の表情を順々に盗み見て行った。
 梓と初音ちゃんは、このやりとりの中身にまで考えが至っていないようだ。まあ、出来れば、特に初音ちゃんには、こんな話は教えたくないな…
 だが、楓ちゃんだけは違った。
 普段ぼーっとした態度をとっている事が多いが、彼女は凄く頭が良い。あれだけの会話で、その中に含まれた事実に気付いていた。
 彼女の瞳も、怒りを宿して揺れている。

「……そして、つい先ほど……もう一人の女性──昨夜の事件の際に、行方不明になった被害者だな……彼女が、やはり遺体で発見された」
「何!?」

 見付かったのか!?

「ああ……遺体は、かなり酷い有り様だったらしい」

 ……間に合わなかったのか……ちくしょうっ!!
 噛み締めた歯が、ぎりっと音を立てる。
 四姉妹も、それぞれに顔を歪めている。
 出来れば、こんな顔は見たくなかったが……

「……それで、どこで?」
「それがな……」

 少々困惑した顔の柳川。

「サンシャイン60の、屋上……だそうだ」
「!?」

 なん……だって!?

「昨夜、俺と耕一は池袋にいた……現場の近くを、多少探ってもみた。それなのに、俺達は鬼の気配を全く感知できなかった……そんなに距離は離れていないはずなのに、だ」
「と、言う事は……」
「昨日耕一とも話したが……どうやら、奴はそのつもりならば完全に気配を消せるらしい。<鬼化>していても、だ。少なくとも、俺や耕一では向こうがその気になって力を解放しない限り、どうにもならん」
「わたし達が、必要なんだね……」

 初音ちゃんが呟く。

「やめさせなきゃ……絶対、やめさせなきゃ……」
「ええ、初音……必ず、ね……」

 楓ちゃんは、妹の手をそっと握って、しっかりと頷き返す。
「そうだな、二人とも……」

 俺は、しっかりと彼女達に頷きかけた。

「巻き込んでごめん。けど……頼むよ」
「うん!」
「はい!」

 決意に満ちた表情で、二人は答える。
 そこに、こほんと、咳払いが響いた。

「ところで、だ」
「?」
「この事件には、奇妙な法則性が一つあってな……」
「法則性?」

 初音ちゃんが不思議そうに言う。

「ああ、今までの事件だが……」

 そこで一旦言葉を区切ると、柳川はなにやら懐から取り出した。

「地図?」

 東京近郊の、縮尺図だ。

「いいか? まず、最初の事件がここ……」

 そう言うと、地図の一点に印が付けられる。

「次が、ここだ」

 キュッと、赤ペンが動く。

「そして、ここ……」
「! もしかして……」

 楓ちゃんが、何かに気付いたように叔父の顔を見る。柳川は、姪の洞察力に満足したかのように、にやりと笑った。

「わかったようだな……そう。最後が、ここだ」

 キュッ……

「! ……なるほど、な……」

 俺にも、わかった。これは……

「山の手線の、駅……」

 千鶴さんが、ぽつりと呟く。

「あっ!」
「そうか! 全部、でかい駅があるとこ……!」

 初音ちゃんと梓も、合点がいったように顔をあげる。
 柳川が印を付けたのは、全てが山の手線の、比較的大きな駅がある、その近辺。
 新橋、東京、上野、池袋……

「始まりが、七日前の新橋……」

 楓ちゃんが指を唇に当てる。考え込む時の、彼女の癖。

「次が、東京。五日前だね」
 初音ちゃんの瞳が、真剣に地図を見つめている。その中から、何かを見つけ出そうとしているかのように。

「それから、三日前に上野で三件目の事件があって……」

 梓がとんっと地図の一点を突っついた。そのまま、指を滑らせて姉の顔を窺う。

「そして、池袋……昨夜の事件ですね」

 千鶴さんの表情が、硬くなっている。法則性から、何かを弾き出したのだろう。
 そして、千鶴さんと同じように、俺もそれを察する事が出来た。

「全員、わかっただろう?」

 みんながしっかりと頷く。柳川は、にやっと笑った。

「奴がどういうつもりだか知らんが、山の手線の巨大駅近辺で、半時計回りに一日置きに<狩り>を行っている。腹立たしい事だが、大まかな出現位置さえ掴めれば、あとはどうとでもなるはずだ。俺達ならば、これだけのヒントで十分……いや、十分にしなくてはならない」
「ああ、そうだな……」
「でも……」

 楓ちゃんが、不安そうに叔父を見る。

「どういう事でしょうか? 普通なら、<狩猟者>と化した者がそんな法則性があるような行動をとるものか……」
「それは……わからんな……」

 眼鏡をくいっと持ち上げると、そういえばと言うふうに眉根を寄せた。
 たしかに……。
 相手は間違いなく<狩猟者>だ。だとすれば、それこそ無差別に人を狩りまくっても不思議じゃない。奴等は、殺戮衝動と性衝動でほとんど動いているといっても過言ではないのだし、それを押さえるような理性が残っているとも信じがたい。
 第一、そんな奴がこんなまどろっこしい事をするだろうか……?

「もしかして……まだ、負けてないのかな?」
「え?」
「柳川おじちゃんみたいに、まだ、負けないで必死で戦っているのかな……?」
「初音ちゃん……」

 真摯な眼差しで、初音ちゃんが俺を見上げる。

「もしそうだったら……」

 そうか……それもありうる。
 誰だかは知らないが、夏の時の柳川のように、まだギリギリの一線で鬼の意識と戦っているのだとしたら……

「だったら、助けなきゃ! わたし達だったら、出来るんだよ! わたし達のちからだったら……」

 初音ちゃんが、俺に縋り付く。
 俺は柳川を見、柳川が俺を見た。

「可能性、あると思うか?」
「やってみる価値はあるかもな。無論、無駄かもしれんが……」
「やってみなきゃ、わからないか……」
「とりあえず、その路線も押さえておく必要はあるだろう」

 俺は、初音ちゃんの肩に手を置き、真剣に答える。

「わかった、初音ちゃん。俺達みんなで、出来るだけの努力はしてみよう!」
「うん!」
「みんな……」
「はい」
「わかってるよ」

 梓と楓ちゃん、俺達の様子をじっと見ていた二人は、即座に答える。
 しかし。

「……千鶴お姉ちゃん?」
「千鶴さん?」

 先ほどから俯き考え込んでいた千鶴さんだけは、難しい顔でいた。

「千鶴さん……反対なの?」
「え?」

 俺が声をかけると、はっとして千鶴さんは顔をあげた。

「いや、だから……」
「あ、いえ……それには、もちろん賛成ですよ。それはいいんですけど……」
「だったら……どうしたの?」
「…………」

 再び千鶴さんは俯き、唇に指を当てた。楓ちゃんとそっくりな、思考をまとめる時の癖。

「別の問題を、考えていたんです……」
「別の……って、何さ? 千鶴姉?」

 梓が不思議そうに問う。
 千鶴さんは、俺達の視線が注がれているのを感じ、顔をあげた。

「その鬼が……どこから来たのか、です」
『あ……』

 そうだ。うっかりそれを忘れていた。
 一連の事件の犯人が人でなく鬼、それも、最強クラスの<狩猟者>という事は、そいつは鬼の──エルクゥの血を、引いているはずだ。
 という事は取りも直さず、そいつが俺達柏木家の血縁者である可能性が高い──という事でもある。
 薄まった血の者達ならば、隆山にはそこそこの数がいる。だが、まともに鬼の力を扱える程にちからを残している者となると──

「柏木家の、落とし子か……?」

 柳川が不審そうに呟く。

「しかし千鶴、それは──」
「ええ……」

 千鶴さんは戸惑いと焦燥感を瞳に浮かべ、家族の顔を見やる。

「私の知る限り、お父様や賢治叔父様には隠し子などおりません。お爺様に関しても、柳川さん一人だけしか──」
「そいつは俺も調べた」

 何度考えても納得いかない、といった感じの千鶴さんの困惑口調を、柳川が引き継ぐ。

「一時、俺の父の家だという柏木家には興味を持ったからな。少し前に徹底的に洗ってみた事があるが……」

 ふむ、と呟くと、柳川は続ける。

「俺の兄に当たるお前達の父親二人は、お前達の母親以外の者と接触した気配すらない。だいたい、その可能性があるとすれば鬼に侵食されはじめてからだが……」
「叔父様は、有り得ませんね」

 確かに……
 もし親父だとしたら、先にその衝動が向くのは──千鶴さんをはじめ、従姉妹達に行くはず。それ以外というのは、難しい。

「じゃあ……父さん?」
「いや、梓。それもない」
「そうですね……第一、お父様にしろ叔父様にしろ……」
「鬼の衝動に飲み込まれてだとすれば、生まれた相手はまだ子供のはずです。せいぜいが
六、七歳。十歳より年上は有り得ません」

 俺、千鶴さん、楓ちゃんの順に否定する。
 そう、伯父さんが鬼の衝動に飲まれ始めたのは、俺が隆山を訪れたそれ以後……つまり、八年より前はない。
 だとしたら、そんな子供がまともに鬼に──あれだけの鬼気を持った<狩猟者>に目覚めるとは、到底思えない。

「じゃあ、お父さんもおじちゃんも違うの……?」
「うん。まず、親父達の線はないか……」
「となると──」
「爺さんに、まだ隠し子がいた可能性ぐらいしか、ないな」

 俺の言葉に、千鶴さんと柳川が揃って頷く。

「しかし……」
「ええいっ! ここでそんな事議論しててもしょうがないだろっ!? そんな事してるんだったら、とっとと犯人の鬼とっ捕まえて死なない程度に痛めつけて、それからじっくり考えりゃいいんだっ!!」
「あ、梓姉さん……」
「梓お姉ちゃん、まあまあ……」

 まどろっこしい話にいらいらして爆発した梓を、妹二人が必死に宥めている。
 まあ、気持ちはわからんでもないが……

「……梓の言う通りね……」

 ふうっ……とため息を吐いた千鶴さんが、やや表情を和らげる。

「そうだね。まずは、奴を発見しないとどうしようもないか……」

 俺が賛同すると、柳川もそうだな、と答えた。

「推測はいつでもできる。今は、別に出来る事が残っている」

 そして、俺はみんなの顔を見渡し、真剣な表情で告げた。

「それじゃあ、ちょっと整理してみようか」

 ちらっと、まずは千鶴さんを見る。

「まず、相手の法則性……山の手線を半時計回りで、一日置きに、でしたね」
「って事は……昨夜に四件目があったんだから、次は明日の夜か」

 続いて、梓が言う。

「場所は、必ず駅周辺の地域に限定される……」

 そして、楓ちゃん。
 初音ちゃんが後を続ける。

「それと、深夜……だよね」
「まあ、あくまでも今までの動きから推測しただけだが……まずはこの法則に乗っ取ってみても、問題はなかろう。他に、有効な手がかりはないからな」

 柳川がそう言い。

「それじゃあ、次のやつの出現予測地点……そして、俺達が向かう現場は……」

 俺は、びっと地図の一点を指し示した。

「ここで、決まりだな」

 山の手線──JR新宿駅。
 高層ビル群が立ち並ぶ、摩天楼。
 そこが、俺達柏木の鬼と……新たな狩猟者との、決戦の場となる。
 
 
 
 

三章

五章

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