五章 八年前の真実(上)
 

 ――なんという夜だろう。
 俺はふとそんなことを考えた。
 俺達は永遠の夜の中に閉じこめられてしまったんじゃないかという錯覚に陥りそうになる。
 ・・・初音ちゃんと河原で花火をしたのと、まだ同じ日の夜なんだろうか。

 千鶴さんは、俺に親父の死の真相を話してくれた。
 裏山に落ちた光の事を何も訊かずに、裏山で何があったかも何も訊かずに、まずそのことを俺に教えてくれた。
 千鶴さんの話――親父の死の真相は俺を驚かせた。
 親父は鬼との壮絶な戦いの末に、鬼を道連れに自殺したのだという。
 親父は鬼に負けたのではないと言った千鶴さんの顔と声を、俺は忘れることができないだろう。
 ・・・死に様とは、ある意味人生の集大成のような物であって、すなわち親父の死の真相とは、親父の人生そのものだった。千鶴さんは俺にそれを伝えるために、何はさておきその事を俺に話したのだ。

 千鶴さんが伝えたかった、親父の人生――死に様に凝縮された親父の生き様とはなんだろうか。
 それは、俺が知らなくて千鶴さん達が知っている親父の人生・・・つまり間違いなく 「鬼と戦った柏木の男子」 としての生き方だろう。それがつまり、今千鶴さんが俺に伝えようとしている、「柏木の掟」そのものなのかもしれない。

 しかし、そんなに大事な「掟」なら、どうして直接俺に伝えなかったんだ。
どうして、千鶴さんにこんなに辛い役目を負わせてまで、俺達は離れて暮らさなきゃいけなかったんだ。

 俺はもう、親父を憎んではいない。恨んでもいない。親父の死は・・・人生は立派だったと俺も思う。
 しかし・・・だからこそ俺は不思議でならなかった。
 だから俺は千鶴さんにそう訊いたつもりだった。
 ――どうして別れて暮らさなきゃいけなかったのか。
 ――失われた日々に一体どんな意味があるというのか。

 俺の問いに答えた千鶴さんの言葉は、俺を今夜何度目かに驚かせた。
 ――俺の中の鬼は、八年前に一度目覚めている・・・!?

 

 「・・・八年前・・・」

 それは丁度、親父が俺達と別れてこの家に来た頃だ。それはすなわち俺にとっての叔父さん、千鶴さん達にとっての実の両親が急逝した時でもある。
 いや・・・それより前に、俺たちが初めて会ったのもその頃だ。
 そして千鶴さんによれば、親父の鬼との戦いが始まったのも、八年前――。

 何かある。
 八年前に、何かがあった。
 そう考えざるを得ない。偶然にしてはあまりにも八年前に全てが重なりすぎている。
 八年前に起きた出来事を貫く共通点はなにか。
 ――考える前から答えはわかっていた。
 鬼だ。

 時間の順を追って考えてみる。
 始まりは、八年前の夏休みだ。八年前の夏休み、俺はこの隆山にいた。
 初めて会った従姉妹達と、小学生だった俺はあっという間に仲良くなって毎日一緒に遊び回っていた。

 あのころから元気いっぱいで、一緒にお風呂にはいるまで従兄弟だと信じて疑わなかった、梓。
 やっぱりおとなしめで人見知りする子だったけど、今よりずっと明るくて良く笑ってた、楓ちゃん。
 七夕様がくれたお兄ちゃんだといって始終ひっついていた、でもどうしようもなく可愛かった、初音ちゃん。
 「耕ちゃん」という呼び名が照れくさくて、つい邪険に手をはねのけてしまった、中学生だった千鶴さん。
 そんな娘達が可愛くてたまらないと言った風の、優しかった、でも今では顔もよく思い出せない叔父さん夫婦。
 そして、息子の俺から見ても仲睦まじい円満な夫婦だった、若かった父さん、母さん・・・。
 あのころは、平和だった。なにも欠けてはいなかった。
 あのころの悩みと言えば、明日何をして従兄弟達と遊ぼうかと言うことだったし、その頃の俺を脅かす物は夏休みの宿題くらいだった。
 ずっとこんな日が続くと信じていた・・・。

 しかし、その年の秋の終わりのある日。唐突に平和な日々は終わりを告げた。
 ――叔父夫婦の突然の死。
 その死が叔父さんの中の鬼のせいであることは、さっき千鶴さんの口から明らかになった。
 それは、冬の始まり。平和な日々に柏木の血の昏い影が落ちかかってきた瞬間だったのだ。
 そしてその冬、何度目かに隆山に行った親父は、そのまま帰ってこなかった。
 母さんと俺は二人には広すぎる家を去って、少し離れた町で暮らし始めた。母さんは俺の前では元気なふりをしてたけど、夜中に泣く声を何度も俺は聞いた。その度に、俺は親父を憎んだ。訳が分からなかった。
 しかし、千鶴さんの言葉によると、その頃から親父の鬼との戦いは始まっていたのだ。俺がここに来てから見出すようになった、あのおぞましい夢を見続けていたのだ・・・。

 八年前というのは、そういう年だった。
 その、従姉妹達との出会いから親父との別居までの半年ほどの期間のどこかで、俺の鬼は一度目覚めたと千鶴さんは言う。

 ・・・やはり、そろいすぎている。偶然とは考えにくい。
 八年前のごく短い期間に、叔父さん、親父、そして俺という三人もの人間が鬼を目覚めさせている。
 八年前を貫く共通点。 すなわち「鬼の集中連続覚醒」
 ――その原因はなんなんだろう。 俺はいつ目覚めたのだろう・・・

 (耕一さん・・・あなたは覚えておられない事でしょうけど、あなたの鬼は八年前に一度、目覚めているのです)

 ・・・俺は千鶴さんの言葉をふと思い出した。
 そして思い出したときと同じようにふっと意識から追い出そうとした瞬間、なにか引っかかるものを感じた。
 もう一度繰り返して言ってみる。

 (――あなたは覚えておられない事でしょうけど・・・八年前に一度、目覚めているのです・・・)

 ――まて
 ・・・・・・ちょっとまて。
 千鶴さんはなんて言った?!

 (あなたは覚えておられないことでしょうけど――)
 (あなたは覚えておられない――)
 (あなたは――)

 ・・・確かに俺は、鬼が一度目覚めたことを覚えていない。
 それは良い。当たっている。
 しかし・・・どうして俺が覚えていないことを千鶴さんが知っているんだ・・・?
 そして、そのことを俺が忘れてしまっていることまで、どうして千鶴さんは知っているのだろうか。 

 ・・・そして俺は気が付いた。

 ――あなたは覚えていない、という言い方は、ひっくり返すと
 (私は覚えています) 
 ・・・と言うことにならないだろうか・・・?

 覚えている、という事と、知っている、ということは別だ。
 体験の有無がその差だ。
 「覚えている」と言うためには、それが起きたときにそこにいなければならないのだ。
 この場合のそれとはすなわち――俺の鬼の覚醒!
 ・・・千鶴さんは、俺の鬼が最初に目覚めたときに、俺の側にいたのだ。

 この結論は同時に俺の鬼が目覚めた時期をも教えていた。
 俺と千鶴さんが一緒にいたのは――俺のことを「覚えている」と言えるのは――八年前の夏休み、俺たち親子がこの隆山の屋敷に遊びに来ていた間だけしかない。夏休みが終わり俺が家に帰ってから後、母さんの葬儀の時に再会するまでには、なんと6年もの時間が経っているのだから。

 ――八年前の夏休み、この隆山で、俺の鬼は一度目覚めたのだ。
 親父も叔父さんも、母さんもおばさんも、みんなみんな元気で、生きて、笑っていたあの頃に・・・

 ・・・しかし、それがわかったところで、俺に記憶がないのは変わりがない。
 俺は今と同様、自分の鬼が目覚めた記憶がないのだ。
 しかし、それさえも千鶴さんの予測の中にある。
 八年前・・・ここで何があって、千鶴さんは何を見て、俺は何を忘れたのだろうか。どうして忘れたのだろうか。
 ――それは今の俺にどう関係すると言うのだろうか・・・

「・・・ごめん、千鶴さん。やっぱり思い出せない。でも・・・八年前、ここで何かがあった、それだけはわかる」

 正直なところを言うことにした。思い出せないことをいくら考えても、記憶は戻らない。

「・・・でも、それがどうしたの? 俺の鬼の目覚めが、俺やお袋と別れて暮らすどんな理由になったっていうの?」

 千鶴さんは俺の言葉を、少し哀しそうな顔で聞いていた。
 そして、俺の目に呼びかけるように言った。

「耕一さん・・・叔父様はあなたを護られたんです」
「護る・・・親父が? 俺を?」
「そうです。自らを贄として捧げることによって、あなたを・・・あなたの中の鬼を・・・護られたんです」

 俺は自分が救いようが無いほど困惑するのを感じた。
 理解を超えていた。
 親父が・・・俺を護るため・・・
 ――俺の鬼を護るため・・・?

 そんな俺の感情を読みとったのか、千鶴さんが言った。

「・・・八年前、あなたに何があったのか。また、叔父様がどうしてそうされたのか・・・」

 千鶴さんは、口元を結んで硬い表情になった。
 そして重々しく言った。

「・・・お教えします。八年前の真実を――全ての始まりを」

 

「八年前の夏を・・・覚えてらっしゃいますか?」

 千鶴さんの話はそんな風に始まった。
 八年前の夏・・・俺達が初めて会った頃。平和だった最後の季節。

「・・・忘れるわけ・・・ないよ」

 木霊のような蝉の声。スイカの味。蚊取り線香の匂い。目を灼く夏の太陽。母さんの扇ぐ団扇の風。
 裾を握る初音ちゃんの手。梓の大声。楓ちゃんの微笑み。うらやましそうに苦笑している千鶴さんの顔・・・。
 ――全部、覚えてる。今でも鮮明に思い出せる。

「そう、覚えておられることでしょう――たったひとつの事を除いて」

 俺はぎょっとした。思わず千鶴さんの顔を見直す。
 千鶴さんはそれすらも予測していたかのように落ち着いて俺の視線を受け止め、左右の梓や楓ちゃんを見やりながら続けた。

「あの夏、私達が共有した想いでの中にたったひとつ、私達とあなたの間で内容に食い違いがあるはずです」

 俺は思わず声を上げそうになった。
 呼吸すら忘れて梓を見る。
 梓もまた俺を見返していた。それで俺は確信した。

 ――水門!!
 今朝の話題。梓を送って行く途中で覚えているいないで喧嘩になった、水門での出来事・・・。

「耕一・・・今朝はごめん」
「梓・・・」

 梓は出し抜けにそう謝った。

「あんたがあのときのこと覚えてないの、あたし知ってたのに・・・ついカッとなっちゃって・・・」
「・・・あのこと・・・なのか・・・?」
「梓から、今朝のことは聞きました。・・・許してあげて下さい。梓にとっては大切な・・・思い出ですから」
「ちょ・・・ちょっとまってよ。千鶴さん、梓」

 頭を下げる二人に俺は手を振った。

「許すも許さないも・・・そんなことはどうでもいいって。いや・・・むしろ梓には礼を言わなきゃいけないかも知れない。今朝の話がなかったら、俺はこの食い違いに気が付く事もなかっただろうし・・・」
「いえ・・・今朝の梓の話は、明らかに梓の失敗です」

 千鶴さんが硬い表情になって言った。梓はうなだれて机の一点を睨んでいる。
 俺は千鶴さんの強い言葉遣いが気になって聞き返した。

「失敗って・・・何が?」
「八年前・・・あの水門での出来事のゆえに、耕一さん、あなたに対して「水門」の記憶を引き出すような話題はタブーなんです・・・いえ、でした、ですね」
「タブー・・・?」

 禁忌――タブー。
 触れてはいけないこと。してはいけないこと。
 したら災いが及ぶため禁じられた事。
 それが、俺の記憶・・・。
 水門での出来事を「思い出させてはいけない」――?
 ・・・何故だ。

「そう・・・でも、あなたの鬼が目覚めてしまった今、それを教えるのに妨げはありません。むしろ、叔父様の贄の価値を知るためには、避けて通ることのできない部分です。――柏木の掟を知る上でも・・・」
「・・・千鶴姉」

 千鶴さんの声が一瞬の沈黙に落ちたとき、梓が言った。

「・・・あたしから・・・説明していい? 耕一に・・・そのときの事を・・・」

 俺は驚いて、梓の顔を見つめた。
 千鶴さんも梓のこの申し出には少し驚いたようだった。

「・・・たしかに最初に見たのはあなた達だったけど、・・・梓、あなたは大丈夫なの?」

 心配げに見やる千鶴さんの目を、梓はしっかりと見返した。

「あたしが伝えたいんだ。――その、8年前の発端はあたしなんだから」
「梓・・・」

 さっきまで泣き崩れていた梓の雰囲気が、また変わった。
 千鶴さんは少し思案する表情を見せて、結局頷いた。
 梓は俺の顔を見ると、少年のような仕草で目元を拭った。まだ、涙が残っているんだろう。
 そして、すこしかすれた声で話し始めた。

「・・・耕一。今朝も言ったと思うけど、あたし靴は無くさなかったんだ」

 そう。水門に落ちた梓の靴――買ってもらったばかりの新品の靴の行方・・・。
 そこの記憶の相違が今朝の喧嘩のもとだったはずだ。

「無くさなかったって・・・」
「あんたが、拾ってくれたんだよ」

 梓はそう言って、俺の顔をちらりと見た。

「・・・溺れかけたあたしを助けてくれた後・・・私の靴を取りにもう一度、川に潜って・・・」

 そこで梓は唇を噛んだ。
 梓の頭が急に沈み、また泣き出したのかと俺は思った。
 しかし、千鶴さんが気遣うように背中に回した手に頷いてあげた顔は、ぎりぎりのところで涙をこらえていた。

「そこであんた・・・死にかけたんだよ・・・」

四章

六章

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