二章 鬼の系譜

 

 俺の中の鬼・・。

 千鶴さんのこの言葉は、俺の中に蘇った、次郎右衛門の記憶のことを言っているのだろうか。それとも・・今朝も見たあの夢の、檻の中の声の事なんだろうか。
何よりどうして千鶴さんは俺の中の鬼の存在を知ることが出来たんだろう。
 考えを巡らす間もなく、俺と千鶴さんは居間に入った。

 二つの影が俺達を待っていた。梓と、楓ちゃんだ。
入った途端、梓が俺をにらみつけてきた。てっきり何か文句を言ってくるものと思って反射的に身構える。が、意外なことに梓はそのまま目をテーブルに向けてしまう。
 楓ちゃんはこれ以上曲げられないほどうつむいて、前に流れたさらさらのおかっぱの髪で、顔を完全に隠してしまっている。
 座敷に漂う重い沈黙。柱の時計が時を刻む音が、やけに耳に障る。

 千鶴さんが下座に着き、俺は自然とその正面、上座に腰を下ろした。
ここに来てからずっと、何も思わずに座っていた場所。しかしこの姉妹達にとっては、ついこの前まで親父が座っていた席。 そのことに、情けないことに俺は今まで気がつきもしなかった。

 初音ちゃんは今朝、俺は親父に似ていると言った。仕草や声や面影が・・
当然だ、親子なんだから。そういったものは遺伝だ。
そう思って、自分の言葉にはっとする。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・遺伝・・・!

 遺伝・・子が親に似ること。その能力や特質を受け継ぐこと。
 俺の中には、千鶴さんが言ったとうり鬼がいる。だとすれば・・・親父の中にも鬼がいたと言うことになりはしないだろうか?
 鬼、おに、オニ・・。洞窟の中で見たおぞましい怨念の影を「エルクゥ」と初音ちゃんは呼んだ。星を渡り命を奪う悪い鬼だ・・・と。
 そう思ったとき、ここに来て連夜見る夢の中の声が俺にそそのかす事と、洞窟の中で俺に巣くった影達が叫んでいた事は同じような事だったと言うことに気がついた。
 あの魂を蝕み、殺戮と陵辱を求める声・・・。

 ・・・俺の中の鬼とは、エルクゥの事なのだろうか?

  「耕一さん」

 長いようにも一瞬のようにも思える沈黙は千鶴さんの声で破れた。
その声は一緒に俺の物思いまで断った。
はっとして千鶴さんの方を見ると、千鶴さんは俺の目を見つめ、もう一度

「耕一さん・・」

 と俺を呼んだ。
 俺は返事を返そうとして千鶴さんを見返し、そして・・・何も言えなくなってしまった。
 そこには千鶴さんが、俺の知らない顔で座っていた。
 感情を完璧に覆い隠すこんな仮面のような表情を、いつからこのひとは身につけたんだろう。
 呼吸さえ忘れ、俺は千鶴さんの目を見つめた。千鶴さんが可哀想で、訳もなくすこし、胸が痛む。

 仮面の千鶴さんはゆっくりと、かみしめるように言葉を紡いだ。

「あなたにお聞きしたいことがあります」
「・・・」

 気がつくと、梓や楓ちゃんまで千鶴さんの顔に見入っている。
 千鶴さんはその視線に気がついてすらいないように、ただ正面の俺を見据え淡々と言った。

「でもまず、その前にあなたにお教えしなければならないことがあります」
 ゆっくりとした口調。穏やかですらある声。
しかし、このとき確かに俺は、千鶴さんの悲鳴を、慟哭を、聞いた気がした。
「叔父様の・・あなたのお父様の死の・・・・真相について」
「親父の死の・・・真相?」

 意外な言葉だった。事故死では無かったのか?
 しかし、今朝来たあの県警から来たという二人連れの刑事の言葉を思い出した。
あの長瀬とか言うおっさんは、親父の事故を他殺の線で捜査していると言っていた。俺は鼻から信じてはいなかったんだが・・

 どくん。

 不意に心臓が大きく脈打つ。何か大事な事を千鶴さんは言おうとしている。
その瞬間、ある直感が俺の脳裏をよぎった。形にならない不安な直感は俺の鼓動を激しくした。

 親父は、親父は・・・・・・・・・・・・・!!

「真相って・・なにいってんだよ、千鶴姉!。叔父さんの事故になんか変なとこでもあったのかよ!」

 梓がしびれをきらしたようにテーブルを叩いて身を乗り出した。湯飲みが踊り派手な音がたつ。
 しかし千鶴さんの白い仮面は少しも崩れなかった。あくまで俺の方に顔を向けたまま、梓に言う。

「そうね、梓。あなたに話すのは初めてだったわね。ごめんなさい。ちゃんと話すから、落ち着いて聞いて」
「落ちついてってなぁ・・!!自分が何言ってるかわか・・・」
「あずさ!!」

 怒鳴ったのは、俺だ。
 拳を握りしめて千鶴さんに詰め寄っていた梓が、びくんと震えたように動きを止めこっちを向く。

「こ・・耕一?」
「座れ」

 俺もまた、千鶴さんの目を見つめながら言った。

「すわって、千鶴さんの話を聞け」
「な、なんだよ耕一・・怖い顔しちゃってさ・・」

 怖い顔?俺は今そんな顔をしてるのか?
 また止めどもなく乱れそうになる思いを振り切って、俺は千鶴さんに言った。

「千鶴さん、最後まで話してもらえるかな・・」

 本当を言うと、もうだいたいわかっている。
でも、聞いて確かめなければいけない。本当のことを。

「・・怖い夢を見ると・・おっしゃいましたね。耕一さん」

 今朝のことを言っているんだろう。起こしに来てくれた千鶴さんに、俺はここ数日続けてみる悪夢の内容を話した。そのとき千鶴さんは、フロイトとかユングとか難しいことをいってたけど・・。

 そうか、あの夢は・・・。

「残虐な行為を強要する猟奇的な夢を、心の中からおぞましい何かが這い出してくる夢を、ここに来られてから毎日のように見る、とおっしゃいましたね」
「そうなのか?耕一」

 俺はこくりと頷いた。
 千鶴さんはその俺の答えを待って、少し間をおいて、ゆっくりと言った。

「叔父様も、その夢を見ておられました。・・・・・八年間も」

 やはり、と言う思い。そしてそれ以上の、まさか。
 まさか、まさか・・・・8年間も。

「耕一さん、あなたが見た夢は、そして叔父様が見ておられた夢は、柏木の血の中に眠る鬼が目覚める姿なのです」

 千鶴さんは続ける。

「叔父様はその夢を見るのは、柏木の男子にかけられた鬼の呪いだと言っておられました。みんな戦ったのだ、だから俺も最後まで戦う、と・・・」

 みんな黙っている。千鶴さんの告白は、いっさいの感情を通り越し、整理され、凍っているかのように静かな声で紡がれていく。

「その夢は、次第に夢という仮想の領域を越えるようになり、眠っている時だけではなく起きているときにも鬼のその衝動が襲うようになります。・・・・・叔父様の戦いとは、その鬼の衝動との戦いでした」

 鬼の衝動との戦い・・・それはいわば実体を乗っ取ろうとする鬼の本能と、それを押さえ込もうとする人としての理性の戦いと言うことだろう。
 それはまるで活火山にふたをしようとするような物だ。
 人は、あの攻撃に、長くは耐えられない。今の俺は、それが理解できる。

「叔父様は本当に・・・・よく戦われました」

 千鶴さんの瞳がきゅっときつくなる。
 俺はその目を見てまた胸が痛くなる。
 この人はすべてを見たのだ。
 ゆっくりと、しかし絶望的なまでに確実に鬼に蝕まれてゆく、親父の姿を、その戦いを。

 ・・・・・・そして、その最期を。

「千鶴さん」

 俺は、本当はもういいよと言いたかった。
 千鶴さん、もういいよ。もう、これ以上、話さないで。思い出さないで。
そういって、すべてを忘れてしまえたら、どんなにいいだろう。
 でも、俺は確かめなければいけない。
 親父の死を。その真実を。

 なぜなら俺は、親父の息子だからだ。

「千鶴さん・・・・親父は・・・・・・自殺したんだね?」

 自殺。
 直感で理解した、親父の死の真相。
 千鶴さんはしばらく俺の目を見つめ、おもむろにうなずいた。

「そうです。あの事故は・・・・・叔父様の最後の抵抗でした」

 ひどく静かに千鶴さんはいった。

「鬼との戦いにもうこれ以上抵抗できない時が来たことを悟った叔父様は、お酒を飲み、睡眠薬を飲み、鬼が最後に邪魔をしないように眠らせてから、車に乗り込まれました。・・・・・・アクセルの上におもしを載せて十分な助走をつけて、もっとも高い崖の上から・・・・・・。死に損なうことがないようにと、叔父様がずっと前から決めていた方法でした」

 ・・・・・俺は今や、見てきたかのようにその状況を思い描くことができた。
 月のない夜。峠の長い坂を狂ったような加速で下る車がある。爆発寸前のエンジン音と尻上がりにかん高くなって行くアスファルトの悲鳴が夜の静寂を引き裂いている。その車はあっと言う間に坂を下り終わり、ついにカーブを曲がるための最後の一線を越えてしまう。刹那、フロントがガードレールを突き破り、車は半ば月に向かうような角度で中空へ舞う。
 闇の中を車はしばらく静かに落ちて行き、そしてやがて崖の険しい斜面に激しくたたきつけられる。岸壁にもてあそばれるように・・・・・・・・そのすべてを、俺はリアルに思い描くことができる。
 そして、そのような死に方を選んだ親父の真意も、俺は・・・・・・・。

「・・・・・ちょっと待ってくれよ」

 梓がぽつりと言った。
血の気が失せるほどに握りしめた拳をテーブルの上に載せ、うつむいたまま梓が言う。

「ちょっと待ってくれよ、千鶴姉!・・・・・・・・・・嘘だろ?おじさんが自殺?・・・・・・・どうして!どうして!!!」
「梓・・・・・・・・・」

 千鶴さんが、梓のふるえる拳に手を添えようとした瞬間、梓は拳を大きく振ってその手を払った。

「どうして!なんでおじさんが死ななきゃいけなかったんだよ!!」
「梓、あなたもうちの鬼の血の事は知っているはずでしょう?叔父様は・・・・・」

 しかし梓は千鶴さんの言葉を聞こうとはしなかった。

「だいたい千鶴姉!!なんで千鶴姉がそこまで知ってるんだよ。叔父さんが死んだ時の事を、何でそんなに詳しく知ってるんだよ!まるで・・・・・・・・・・・!!!」

 話している内に梓は理解したらしい。元々大きな目を限界にまで開いて、千鶴さんを睨み付けた。
千鶴さんは梓のその視線を真っ正面から受け止めて、微かにうなずいて見せた。

「・・・・・・・・私は、叔父様の最期に立ち会い、この目で見届けました。それが、叔父様の希望でもあり、私の義務でした。柏木の血を導くものとしての・・・」
「黙れ!」

 梓が叫んだ。

「黙れ黙れだまれ!!千鶴姉・・・・・・・・・・!!!」

 子供のように頭を振って梓は叫ぶ。

「なんで・・・・・・・なんで止めなかったんだよ!。なんで見殺しにしたのかよ!!・・・何とか言えよ!千鶴姉!!・・・この偽善者!!人殺し!!!」

 ぱんっ・・!

 頬を打つ鋭い音がして、梓が髪を乱す。
 打ったのは・・・・・・俺だ。

「梓・・・・・・取り消せ、今の言葉」
「耕一さん・・・・・」
「おまえに千鶴さんの苦しみがどれだけわかる?千鶴さんが親父の死を悲しんでいないとでも思うのか?」
「・・・・・・・・・・」

 梓は打たれた頬に軽く手を当て、虚ろな目でこちらを見返してきた。
 その大きな目に見る見る涙を浮かばせてゆく。

「だって・・・だってさ・・・・・・・・・耕一・・・・・・・・」

 つぅ・・・・・

 梓の頬を一粒の涙が這うのを、俺はある種のショックを感じながら見ていた。

「叔父さんは・・・・・あたしたちの事・・・・・・・・どうして・・・」

 固く握った拳を畳に押しつけたまま、梓は言った。

「どうして・・・・・・・鬼なんかに負けて・・・・・・」
「それは違うわ」

 そのとき、間髪容れずに千鶴さんが言った。

「梓、それは違う。叔父様は鬼に負けたのでは決してありません」

 話し始めたときと同じ冷たい仮面の顔に、このとき興奮というひびが入ったように見えた。

「梓も、楓も、そして耕一さんも・・・・・これだけは覚えておいてください。」

 強い語調で話す千鶴さんはこのとき、ここにいる誰をも見てはいなかった。

「叔父様が自ら死を選ばれたのは、鬼に負けないため・・・・その最後の手段でした。鬼に負けて鬼となり果てた自分が、私たちを・・・・・叔父様の愛した人たちを傷つけてしまうことを、叔父様は何よりも恐れておられました」

 千鶴さんはきっと、そう言ったときの親父に向かって話しかけているのだろう。

「叔父様はよくこう言っておられました・・・・。おまえたちや耕一が幸せに暮らせるなら、鬼におびえずにみんな幸福に暮らすそのためになら、俺はいつでも死ぬ。俺一人の犠牲ですむのなら安いもんだ・・・と・・・・」

 そういって千鶴さんは、視線を現実に戻してきた。
 その両目にはきびしい意志の光があった。千鶴さんは、いま俺に向かって話している。

「叔父様はいつも私たちの事を思って、すべてのことをされていました。私たちの幸せを、私たちの・・将来を・・」

 俺は、千鶴さんが伝えたかった「親父の死の真相」というものを、ようやく理解できた気がした。

「叔父様が家族を捨てて私たちの所に来てくださったのも、八年もの長い間、気が狂うほど厳しい戦いを鬼と交わされたことも、その戦いの様子をかけらも皆に見せなかった事も、そしてあの日、ひとり鬼を道連れに死を選び、すべてを締めくくられたことも・・・・皆、私たちのため。私たちを愛しているがゆえ・・・・・・・・・その叔父様の死を否定することは、叔父様の人生を否定すること。叔父様の死を無意味にしてしまう事です」

 親父の死の真相、とは親父の死に方のことではなかった。それはむしろ親父の生き方、親父の人生、親父の遺志。そういったことだ。事故死とか自殺とか、それが問題なのではなかった。
 そしてその「真相」を千鶴さんが俺に伝える。つまり親父の人生、親父の遺志を俺は受け取ったのだ。
親父の息子である、この俺が。

「・・・・梓・・・」

 千鶴さんは、威厳のある声で、でもとても優しく梓の名を呼んだ。

「今まで黙っていたことはごめんなさい。怒るのも無理はないわ・・・・・。でもね、これは叔父様の意向だったの。あなたも初音も、何も知らないですむならそれの方がいいわ。悲しみがおおきくなるだけですもの・・・」

 梓はまだ泣いている。不意に、親父は幸せだなと思った。
その肩に、千鶴さんは優しく手を乗せた。今度は梓もそれを振り払わなかった。

「でも、きょうみんなをこうして集めて、このことを話したのには訳があります。それは・・・・・・」

 千鶴さんは、悲しいくらいまっすぐに俺を見つめてきた。
そして、ゆっくりと言った。

「・・・・耕一さん。あなたの中の鬼のためです」

 

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