店の奥の方に知った顔をみつけた。
「ちぃっす」
「柏木、遅いぞ」
「わりぃわりぃ、バイトが長引いてさ」
俺はテーブルを見渡す。
まず今日の主役に挨拶をせねば。
「やあ、和ちゃん。アメリカに行っても俺のこと忘れちゃ駄目だよ」
「なに言ってんのよ、柏木君ったら」
いい感じの笑いが場に満ちている。
「由美子さん、今日はどうもね」
由美子さんは少し笑って、俺が座るスペースを作ってくれる。
「山崎は?」
「やっぱり来れないらしいわよ」
俺が座るやいなや店員さんがグラスを持って来てくれた。
「ってことは俺がラス?」
「そうよ。とりあえずビールでいいわよね」
俺のグラスにビールが注がれる。
「えーっと今日のメンツが揃いましたんでもう一度ここでご挨拶を」
幹事の由美子さんがグラスに手をかけて声を上げる。
「本日は我等が加藤和美、アメリカ留学の壮行会で〜す」
由美子さんもほんのり酔っているらしい。
「それでは加藤さんどうぞ」
「あっ、加藤です」
周りの喧燥に負けないように俺達は手を叩く。
「えーっとこの9月からアメリカの大学へ留学することになりました」
今度はテーブルを叩く。
「こうしてゼミの皆さんに祝ってもらって、とても嬉しいです」
少し目が潤んでいる和ちゃんは、妙にマジメな挨拶をした。
「それでは皆さん和美の門出を祝って」
『かんぱーい』
由美子さんの音頭でグラスを鳴らす。見ると野郎共は既に日本酒のようだ。
和ちゃんは留学のことを最初内緒にしておくつもりだったらしい。でも由美子さんの黙って行くのは良くないという説得で、こうして急遽壮行会が行われたのだ。突然だということや、夏休みでなかなか連絡がとれない人間がいたために、ここには俺を含めても7人しかいない。
「アメリカに行ったらこういうのは食べられないんだからね、しっかり味を覚えておくのよ」
「よーし次は海鮮盛りいこう」
「サイコロステーキ!」
「それは向こうが本場。肉じゃがだ」
「みんな好き勝手頼んでるわね」
「柏木は残りの休み、だいたいこっちにいるのか?」
「おう。でもバイト漬けだからなあ。動けないぞ」
かたやきそばからしそサラダへ。俺はとりあえず”食い”に走る。
「山崎もいないらしいしな。小出さんは?」
「私も来週ちょっといないわよ」
もう秋になるっていうのにみんな東京にいなくなるのか。9月に入ってからの方がツアーとかも安いからかな。
「由美子さんは何処行くの。家族で海外?」
「ううん、休みなのは私だけでじゃない。国内で一人旅よ」
「ホントかなあ。ねえ由美子さん、誰といくの?ねぇ誰と?」
俺の頭に軽くげんこつが当てられる。
「隆山温泉、っていうところに行くの。北陸にあるんだけど」
「あっ、そこ知ってる」
いきなりいままでおとなしかった小泉さんが声を上げた。
「この前ね、スマイルに載ってたよ、その温泉の鶴来屋っていう旅館なんだけど」
「えっ、私が泊まるの予定なのもその旅館なのよ」
「うわー、リッチ。あそこってスゴイ高級旅館みたいよぉ」
「えっ、そうなの?」
俺の出身は東京だ。少なくとも嘘じゃない。生まれもそうだし、人生の大半を東京で過ごしている。でも出身校を覚えている人間もいるかもしれない。
「なんだぁ由美子、知らないの?」
由美子さんはかぶりを振った。
「旅館もスゴイけどそこの女将さんっていうのがね、あれ会長さんって女将さんなのかな、まあいいや、なんと私達とホトンド年が変わらない、っていうからスゴイわよね〜」
そうか、やっぱりそうだったのか。俺は地下鉄の中吊りだけで中身を見ていない。
ふと斜めを見ると和ちゃんが暇そうにしていた。
「ねえ和ちゃん、アメリカ留学かあ、いいなあ。俺も外国に行ってみたいなあ」
和ちゃんは少し微笑んで応える。
「柏木君だってすぐに行けるよ」
「そうかなあ、だって俺、北海道だって行った事ないんだぜ」
俺は肉じゃがをついばむ。
俺は一杯目のビールをようやく飲み干した。空いたグラスを和ちゃんが満たしてくれる。周りの男どもは既にポン酒からワインを空けている。おい、それは女の子のためにとったんじゃないのか?せめて俺だけはシラフで後始末をせねばなるまい。
「でも私のは親の金だし」
和ちゃんはビールをすすっている。
「それだって才能だよ。生まれつき体がデカイ奴、生まれつき頭が回る奴、生まれつき金回りのいい奴、全部才能だよ、気に病むことはないってば」
「そうかなあ、どこか違うような気がするけど」
和ちゃんはまだすっきりしないようだ。
「とにかく和美はむこうで勉強してくればいいの。遊んでばっかじゃだめだよ」
由美子さんがこちらの会話に入ってきた。旅行の話は終わったらしい。
「普段は遊んでてもいいでしょ、キメるとこさえキメとけば」
俺は和ちゃんの大事な体を背負って彼女の家に向かっている。あれから”日本で最後の一杯”を和ちゃんは二桁は飲み干したはずだ。他の連中はそれぞれに帰ったはずだ。途中で寝込んでも夏だから大丈夫だろう。由美子さんが俺の隣を歩いて和ちゃんの家を教えてくれる。
「いいなあ和美は、アメリカへ留学するのが子供の時からの夢だったんだって」
「へえ」
「柏木クンは子供の頃どんな夢を持ってたの?」
子供の頃の夢ね。
「俺は昔、野球選手になりたかった」
そうマウンドに立って一球入魂。死して屍拾う者無し。
由美子さんはクスっと笑う。背中では和ちゃんが寝息をたてている。
「じゃあ柏木クンがその夢を諦めたのはいつ?」
「なにかテストされてるみたいだなあ、うん12歳の時だよ」
「じゃあ12歳の時になにかあったんだ?」
「えっ、なにかって?」
俺は由美子さんの言うことがわからない。少し酔ってるから頭のネジが抜けているのかもしれない。
「だって12歳だ、って断定したんだもの。だから誰かにホームラン打たれたとか、心無いだれかに下手だなって言われたとか、そういうことがあったのかな、って思ったの」
由美子さんなかなか鋭いぞ。
「うーんそういうことはなかったな」
「なのに12歳だってことは覚えてるんだ」
「なんでかな、そういうのって変?」
「いや、変だとは思わないけど」
俺達は街灯を頼りに歩みを進める。
「そういう由美子さんは小さい頃何になりたかったのさ?」
当然の俺の問いかけに少し顔を赤らめる。
「私?私はね・・お嫁さんだった」
うわぁ。
「なに柏木クンまで赤くなってるのよ」
「だって話の流れからいうとさ、由美子さんがそれを言いたいがタメに・・・」
「ええっ、なに言ってるのよ、柏木クンちょっとそれ違うわよ」
そう言いながらも顔が赤い。酒のせいだけじゃないと思う。
「そうかなあ。由美子さんって家庭的なとこあるからなあ」
「もう柏木クン意地悪なんだから。たまたまこんな話になっただけよ」
由美子さんが苦笑しながら弁明する。
「うそ、うそ、冗談、もういじめないよ」
俺はくすくすと悪戯っぽく笑った。