30.
 

つい数年前までこの家には8人が暮らしていた。今は私達四姉妹だけが暮らしている。

「おはよう」
「おはよう楓」
「楓お姉ちゃんおはよう」

挨拶はするがその後話が続かない。今朝は梓姉さんや初音の舌もあまり滑らかではないようだ。私は今まで沈黙を苦痛とは思わないたちだと思っていたけれど、この状態には耐え難いものがある。私も脈絡のない話を続けることで沈黙を埋めようとした時期があったが、ここのところはそういった努力までがむなしく感じられる。私は食事を終わらせると自分の部屋に戻った。

部屋に戻ると時計をちらりと見た。学校に行くまでに少し時間がある。私は制服のままベッドに寝転んだ。実は私、機嫌がいいのだ。私は昨晩見た夢を思い出す。

「リーチ」
「またかよ。早いな」
「でもあがれねぇんだよな」
「とりあえず現物きりますけど」

どうやら麻雀の最中らしい。私は麻雀のルールを知らないし、そもそも音だけで映像の無い夢なのだ。これは耕一さんの声だ。初めてこの種類の夢を聞いた時、私にはすぐにわかった。

一緒に住んでいた時は過去の夢しか見れなかった。こんなに離れた所で暮らしているのに私は耕一さんを感じることができる。ほんの短い夢の間だけだとしても。

耕一さんがこの家にいなくなってからもう一年以上になる。その間にこのような夢を聞くのは6回目だ。
 

私はもう一度時計を見る。そろそろ梓姉さんも出掛けたはずだ。私はゆっくりと体を起こす。既に用意を整えてあるかばんを掴んで部屋を出た。居間にいた千鶴姉さんに声をかける。

「行ってきます」
「気をつけてね」

千鶴姉さんは今鶴来屋の会長だ。お母さんが亡くなるととりあえず名前だけの会長になった。4年生になると大学にいるよりも鶴来屋にいる方が長くなった。卒業後は正式に会長となって私達の生活を支えてくれている。

私達の食生活を支えているのは梓姉さんだ。女子校に通い陸上部に入っている。初音は少し離れた私立に通っている。どう見ても高校生には見えないが、その点では私も人のことは言えない。

まぶしい日差しを感じながら私は学校へと向かう。千鶴姉さん、耕一さん、そして私がちょうど入れ違いに通っている高校だ。
 

お母さんが口走ったようなことを本当に耕一さんがしたのだろうか。
耕一さんがいつ、どこで、何を、どうしたのか、それを耕一さんの口から聞きたかった。

違う、私はただ耕一さんに会いたいだけだ。耕一さんの側にいたいだけだ。もし耕一さんを、姉さんたちをも含めた世界中の人が非難したとしても、私だけは絶対に耕一さんの味方になれる。

お母さんが目の前で身を投げたことを思い出すのは辛い。また耕一さんも警察に連れて行かれた後、再びこの家には帰ってこなかった。あの時私達で迎えに行けばよかったのかもしれないけれど、それをある人にそれを変わってもらったのだ。

お母さんのお葬式の時も、耕一さんは帰ってこなかった。
「少し時間を置いた方がいいでしょう」
私が聞いたわけじゃないけれどそんな話だったという。

その人が耕一さんを東京に連れていったのだ、と千鶴姉さんに聞いた。どうやったのか高校をちゃんと卒業したことになっていて、アルバイトとおじいさんや叔父さん、叔母さんの遺したお金で暮らしているらしい。

大学に受かったら電話がかかってくるかもしれない。住むところがちゃんと決まったら手紙が来るかもしれない。夏休みになったら帰って来てくれるかもしれない。お正月になったら・・・。

少なくとも私はずっと耕一さんを待っていた。電話が最初のコールを鳴らすたびに。ポストを覗き手紙を確かめるたびに。誰かが呼び鈴を押すたびに。私は身を強ばらせたり、耳を澄ませたりしてきた。

耕一さんが何処に住んでいるのか、多分千鶴姉さんも知らない。
「今の住所は実は僕も知らないんですよ。大学がわかってますから・・・調べる気になればすぐです。でも・・住所がわかったら連絡するんですか?」

耕一さんが何をしているのか、多分誰にもわからない。ただごく希に見る夢で耕一さんが元気なんだということがわかる。笑い声だって聞いたことがある。

今日も私は早く寝ようと思う。もしかしたらまた夢を見ることができるかもしれないから。

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