「えっ、ここが柏木さんの実家なんですか」
私はマヌケそうに口を開けたまま門を眺めていた。
「そうです。ここなんです」
柏木さんは憮然とした表情だ。
「すごいですね。こんなに凄いお家だとは思いもしませんでした」
私はこの壁がどこからあるのかを確かめてみる。やはりまるまる一区画をこの家が占めていることに間違いはない。
「さっ、入るとしますか」
門で気後れしている私を柏木さんが促す。
「親父ぃ、そんなにはしゃぐなよ」
お義父さんが来るまではあなただってはしゃいでいたくせに。
「いやいや、やっぱり孫はかわいいよ」
「千鶴ちゃんの時もこんなにはしゃいでいたのか?」
お義父さんは昨日生れたばかりの赤ん坊を抱きながら答える。
「千鶴の時も嬉しかったけどこの子は男の子だからな。やはり私としても感慨深いものがある。そうそう静子さん、この子の名前はもう決めたのかな」
いくつか候補を賢治さんと出したのだがまだ決めていない。
「いえ、いろいろ迷ってしまうんですよ。この子の一生のことですからね」
「そうだねぇ。いい名前をつけてあげたいねぇ」
賢治さんは窓に寄りかかってまぶしそうにこちらを見ている。
「名前のことを言い出す、ってことは親父もなにか考えてきたんだな」
お義父さんは赤ちゃんを私の方にゆっくりと返してくれる。
「よくわかるなあ。私が考えたのは耕一という名前だ。不肖、この私の”耕”とあと長男だから”一”だな」
目が覚めると枕元に耕一と楓ちゃんがいた。二人とも学校帰りらしく制服だ。
「よっ、母さんおはよう」
耕一の笑顔は昔のあの人を思い出させる。
楓ちゃんが心配そうに私を見ている。
「なにか食べる?りんごでもむこうか?」
楓ちゃんが剥いてくれた柿を食べる。
知らないうちに見舞いの品が増えているのよ、私がそういうと、知らないうちに減ってもいるはずだよ、と耕一が答える。見舞い品のほとんどは耕一の胃袋に吸い込まれているらしい。耕一は学校の友達の話をする。今家のことは梓ちゃんがしてくれているらしい。あの子は家事がすごく上手くなった。私がいなくても家の用事は滞りなく進むだろう。
「あなた、今年も実家の方には帰らないのですか?」
賢治さんはビールを飲みながらナイター中継を見ている。
「ああ、遠いから時間がかかるしな。それにあんな田舎に帰ってもお前も面白くないだろう。どうせ行くならお前の方の実家にしようぜ」
私のことを持ち出すのはいけないと思う。
私達が結婚してからあのお屋敷には行っていない。賢治さんがなぜあそこへ帰りたがらないのかわからない。お義父さん、お義兄さん、お義姉さん、みんな優しそうな人たちだった。千鶴ちゃんはもう随分大きくなったはずだ。下の梓ちゃんや楓ちゃんには会ったことがないから是非会ってみたい。
ここ数年はお盆もお正月も私の方の実家に帰っている。賢治さんが隆山へ帰りたがらないのはなにかがあるのだろう。次男としてのコンプレックスなのか、早くに亡くなられたというお義母さんのことなのか。
私が立ち上がると賢治さんが目で問い掛ける。
「ちょっと耕一を見てきます。あの子夏になるとすぐに布団を蹴飛ばしておなかを冷やすんですよ。まったく誰に似たのかしら」
「俺の経験によると、そのうちにでかいいびきをかくようになると思う」
この前いびきのことでからかったのを少し気にしているのね。
賢治さんは全然家に帰らなくなった。社長という仕事は確かに忙しいだろうけれど、これは少しおかしい。たまに帰ってきた時にそのことに触れるととたんに機嫌が悪くなる。
「いったい誰のために・・・」
賢治さんはそう言いかけたがすぐに「悪い」と言って私に謝った。たとえ理不尽な怒りであったとしても、それを私にぶつけてくれたらよかったのに。
久しぶりに私宛ての手紙が来ていた。学生時代の友達かしら、と思って裏を見ると知らない名前だった。落着いてから炬燵で開けてみると数枚の写真が入っている。
賢治さんと紀子お義姉さん、二人が歩いている写真。
別に腕を組んでいるわけでも肩を寄せ合っているわけでもない。しかし写真は雄弁に二人の関係を物語っている。昼のワイドショーを見ているような非現実感と、頭を金槌で殴られたようなリアルな痛みが同居している。
同封された手紙にはこのように書かれていた。
この写真のことでお話したいことがあります。こちらにお電話を頂ければ幸いです。
何度か電話をかけそうになったため、あの手紙は丸めて棄てた。写真の方は捨てることができなかった。でも耕一が捨ててくれたはずだ。あの子が中を見たかどうかはわからない。
私が目覚めると耕一が初音ちゃんと一緒に枕元にいた。二人とも学校帰りなのか制服を着ている。
「おはよう、かあさん」
(注1)うーむ、これはちょっと・・・