21.
 

ここ何年か俺は耳を澄ますことも、匂いを嗅ぐこともしなくなった。人の話にイチイチ耳を澄ませるのは疲れるし、自分が落ちぶれたような気がする。人に会うたびに匂いを嗅ぐのもだんだん面倒くさくなってくるのだ。常に臨戦態勢でいることに耐えられずに安らぎの味を覚えてしまった、ちゅうわけやね。

しかし最近どうやら風向きが怪しくなってきた。親父は全然帰らなくなった。母さんは心配と不審を俺や四姉妹にも隠し切れなくなってきた。千鶴さんの態度も少し変だし、梓に対しては俺自身がいい加減な接し方をしてしまった。楓ちゃんに対してもはぐらかした態度をとっているし、初音ちゃんに対しても俺が誠実だとはとても言えない。

つまり近づいてくる嵐に家が少しづつ軋(きし)んだ不協和音を立て始めているのだ。しかも風が強くなれば皆がその軋みに気がつく。気が付けばさらに軋みは大きくなる。

嵐は柏木の血にこびりついた運命。家はそれに弄ばれる家族。

俺にはその風を止めることはできない。だから家が家として機能するようにできるだけのことをするのが俺の仕事だ。家族みんなをできるだけ幸せにするのだ。爺さんに言われなくてもこれくらいは解ってる。

そこでその嵐を乗り切るための準備をしなければならない。俺が今図書館に来ているのもそのためだ。 2年程前はよくここの図書館に入り浸って調べ物をしていたが、千鶴さんに出会ったのをきっかけにあまりここには来なくなった。

小6から中学に入った頃まで俺はここに入り浸っていた。そして多くの知識の断片を身につけた。自動車、薬草、検死そういったジャンルのものだ。今から思えば当時は考えが足りなかったと思う。子供が普通読まないジャンルの本棚を探し、そのくせ何も本を借りて帰らなかった。それで図書館の人にも顔を覚えられてしまったのだ。久しぶりにここに来るともう誰も俺に気がつかなかった。一番仲のよかった司書さんももうここにはいないようだ。

今日は小説を何冊か借りていこう。そう考えて棚の間を歩いていると、郷土史の所に一冊の本が目に入った。

『雨月ものがたりの世界』

俺の興味を引いたのはその題名ではない。著者が俺の小学校の先生だったからだ。直接教わったことはないが名前は知っていた。そうかあの先生はこんな本を書いていたのか。全然知らなかった。ぺらぺらめくってみる。よし今日はこれを借りて帰ろう。

柏木の屋敷の前に来ても誰にも会わなかった。俺はそのまま門の前を通りすぎ、裏山の寺へ向かった。だいぶ日が傾いてきたので歩みを速める。山門をくぐり墓地の坂を登っていく。 秋深い夕暮れの墓地は誰もおらず、カラスの鳴き声が寂しさを引き立たせる。

あれは一回忌、いや三回忌の時だっただろうか。
「耕一、お前もお祖父さんと伯父さん達にご挨拶しなさい」
母さんが俺の背中に手をやって促す。
俺はそれぞれの墓前で静かに手を合わせる。
語り掛けることも許しを請うこともない。
霊なんて、魂なんてこの世にはないのだから。

人が死んだ時、現代人でも魂がどうとかマヌケたことをヌカすボケがいる。殺人などの場合は特にそうだ。墓前で謝れとか妙な発言が飛び出す。奴等は生命をなんだと思っているのだろう。だいたい死者にも魂があるのならば、どうしてこんなに生命は美しいのだろう。

人殺しはいけない。自殺もいけない。そのくせ霊はあるだと。ふざけんな。

どうしても人を殺さなければいけないことはある。(その際に警察や裁判や量刑が主観的な償いになることはない。)死に逃げ込まなければならないほどの苦しみだってこの世にはある。生命は決して他の全てに優先するものではありえない。それでも一つしかないから尊く美しいのではないか。俺みたいな二回目の命はそれゆえ質が劣るのだろうと思う。

幽霊とか死者の魂なんていうのは生ある者の妄想にすぎない。遺族に対してももちろんだが加害者に対する逃げ道でもある。死者は決して感謝も、怒りも、怨みも、そして許しもしないのだ。

だから葬式の時に棺の中の伯父さんの体を見た時も、火葬場で埋葬される時も俺は決して目をそらさなかった。あれが俺にできる精一杯だったのだから。俺はできるだけのことをしたはずだから。

親父と母さんは泣いていなかったけれど伯母さんや従姉妹達は泣いていた。正直言ってこれを見るのは辛かった。できるだけのことをしたはずだけど、それでも爺さんや伯父さんを死に追いやったのは俺なのだ。俺、次郎衛門の遺した血によって彼等は過酷な運命を背負わされ、柏木耕一によって伯父さんは命を絶たれた。それを彼女たちは悲しんでいる。

『あのね、こういう事情だから俺が手を下さざるをえなかったんだ』

そうぶちまけることができればどれほど楽だろう。でも家族にそれを知られてはならない。その事がまた彼等を苦しめるのだから。俺がしたことだ、全部俺が受け止めてやる。俺は自分に言い聞かせながら彼女たちの方を、できる限りの平静さを装って見続けた。

俺は代々の墓を通り過ぎさらに上をめざす。

昨晩遅く俺は久しぶりに力の全てを解放し、あの岩、俺の墓石、を持ち上げた。鬼としての俺は夜目が利くがそれでもきちんと元の位置に戻すことができたか日光の下で確認しておきたかった。

俺が岩のある広場に入るとそこには意外な先客がいた。
引き返そうかとも思ったが 声をかけることにする。
「初音ちゃん」
俺の呼びかけに初音ちゃんはビクッと大きく跳びあがってこちらを振り向いた。
「ごめんごめん、そんなに驚くとは思わなかったんだ」

「お兄ちゃん、私すごくびっくりしちゃったね」
初音ちゃんは照れ笑いをする。
「だって誰も来ないって思ってたから」

「何してたの? こんな所で」
尋ねられる前に俺の方から先手を打つことにした。
初音ちゃんは恥ずかしげにちょっとうつむいてから。
「うん、うんちょっとね」
とごまかす。初音ちゃんらしくない。

夏の初め頃に梓が鬼に目覚めたようだ。俺が梓の心を不安定にしたからかもしれない。それにつられてなのか、同じ頃に初音ちゃんの鬼も蠢き始めた。

木々の間をかろうじて抜けた陽光が、広場の所々を紅く染める。
「これはね、俺達の遠い御先祖様のお墓なんだって」
当然初音ちゃんも知ってるとは思ったが、俺は白々しく解説を始めた。
「うん」
初音ちゃんは”知ってるよ”とも”知らなかった”とも言わなかった。

どこかすごくやばそうな雰囲気だ。俺は強引だと思ったが場所を変えることにした。
「初音ちゃん、すぐそばに池があるのを知ってる? 昔友達と見つけたんだ」

立ち去りながら俺はリネットの墓と思われる左端の岩におもわず目をやる。この3つの墓のうち俺が建てたのは右のエディフェルのものだけだ。俺が知る限りではその傍らに埋められたのは当然俺自身ではなくて、俺とリネットの最初の息子だった。墓石もこんなにででついものではなかった。

俺自身が死んだ時にリネットや子供達が俺の墓をエディフェルのものの横に建てたのだろう。リネットが死んだ時子供たちは彼女を何故俺の墓に入れずに隣に建てたのか?多分リネットがそう遺言したのだろう。姉に対してでしゃばりたくなかったのだろうと思う。

それにしてもこの娘まで記憶を取り戻したらどんな事になるのだろう。
 

(注1)年末に時間が食われてるのに・・・すっかり駄文を垂れ流すのがやみつきになってしまいました。ほとんど一発で書いてるから質がどんどん下がってるような気がする。(誤字脱字が多そうだ。どんどん指摘して下さいね。)今回は特に中盤がおかしいですねえ。ちょっと極論を書きすぎやねえ。でもそろそろ最終コーナーなんで詰め込まないとあかんのよねえ。もうちょっとのんびりしたハートフルなコメディにすべきでした。
 

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