14.
 

芸術の秋、スポーツの秋、読書の秋。

秋は一番ぱっとしない季節である。そのせいでよけいな肩書きを背負わされてしまった。

「俺は新聞記者Bをやることになったんだ」
「いかにもチョイ役、って感じだな」
キッチンからおでんを運んできた梓はそのまま腰を下ろす。
母さんも残りの食器などを運んで来た。

御飯がそれぞれの茶碗に盛られる。

「いただきまーす」
家族6人の声が重なる。

「それでセリフはどれくらいあるの?」
初音ちゃんはロールキャベツを二つに割っている。
「一応4ヶ所ぐらいあるんだけどどれも短いんだ。動きもないし楽勝だね」
「何もしないようなものね」と、母さん。

「実際は役者というより大道具だよ。部活とかやってる奴はなんやかんや言って逃げるから」
うちの中学では文化祭でクラスごとに劇をするのが恒例になっている。

「でも再来週の日曜日でしょう。時間があんまりないんじゃないの?」
千鶴さんは去年、準主役だった。クラブと掛け持ちなのに周囲が持ち上げたのだ。
うん、千鶴さんがいると舞台も華やぐよね。

「脚本を決めるのに随分手間取ったからね」

俺は満腹になると自分の食器を片づけてそのまま部屋に戻る。
今は調べものの真っ最中なのだ。

旧家の蔵というものは宝の山である。 それは美術品に限ったことではない。

柏木家にも様々な掘り出し物がある。 蔵に住み込んでいる俺もいまだすべてを把握したわけではない。書き物は面倒くさいので後回しにしていた。

今俺が読んでいるのは江戸時代初期に書かれた随筆のようなものだ。
いや、セミ研究論文といってもよいかもしれない。
作者名は書かれていないが、文中から「柏木嘉平」なる人物の手によるものだとわかる。なかなかマッドな男だ。

口語調で字も丁寧に書かれていて、わりかし読みやすい。
題はつけられていないようだ。前書き部分に門外不出とある。
必要ならば焼き捨てろとまで記されている。

ちなみに次郎衛門は天城家に仕えるようになってから読み書きを覚えた。
いくつか手紙などを書いているはずだがここにはない。寺などにもなかった。
下手な字で下手な文だったはずだ。残ってなくてよかった。
むしろリネットのほうが上手くなったが、彼女のものも残っていない。

次郎衛門自身はどうでもよいが子孫に読み書きを学ぶ家風を作り上げたのは我が事ながら評価してよいだろう。
 

ところで嘉平君の書物には興味深いことがたくさん書かれている。
この男は特に鬼の血について強い関心をもっており、当時としては
信じられないほど科学的に分析しようとしている。

まずその一つ。柏木家の一族でどれくらいの人間がいつ頃目覚め、また”発病”したかについてまとめてある。それぞれの個別のケースについて簡単だが経過やコメントが残されており親切だ。

俺はこの本をもとに表をつくった。ここで取り上げられているのは伝聞やうろ覚えのものも含めて100人以上。柏木家よりもその姻族のほうが多い。
とはいえ柏木家も今に比べると、人数が多かったのだな。

 具体的に書くと長くなるのでまとめると次のようなことが分かる。

まず目覚めるのは男女とも柏木家で生まれたものに限られる。
姻族には鬼は出現しないのだ。目覚める年齢はバリエーションにとんでおり一番幼いもので(数えで)13歳。最高齢で52歳である。
当時の平均年齢を考えると目覚めずに死去したものも多いだろう。

姻族で”鬼”になった者はいない。つまり”鬼”は父親から息子、娘にはほぼ確実に遺伝するのに、母親からの影響は極めて少ないことが分かる。

母親が柏木家の者で”鬼”であってもその子供は発症しない。
ケース数が少ないし、徹底的な調査が行われたとも思えないので、必ずしもそうであるとは言いきれない。親族間での血の交わりが頻繁なのは母方の血が無関係とは考えられていない証拠だろう。

女性で”憑いた”者はいない。男性では、嘉平によると、目覚めたもののうち1/3弱が”憑いた”状態になった。思ったほど多くない。
が、その全員が、結局のところ、事故死、変死している。
なかには狂死となっている者もいる。
それはおそらく世間に知られてしまい、隠し通すことが出来なかったケースだろう。
嘉平は筆を濁しているが、彼自身が手にかけた可能性も高い。

家訓を守るのには理由があるのだ、と結んでいるが肝心の家訓については明記されていない。今現在まで柏木家に伝わっているのかどうかもわからない。
が、推察するのは簡単だ。

まず一つ分かるのは(夭折したものは除いて考えて) 次男以降は結婚していない、あるいはしても遅い。また興味深いケースとして、ある三男は、できがよかったのだろう、他の地主の家に婿養子に入るよう請われている件を拒んでいるところだ。

次男以降が結婚し子供を成しているのは長男に男子が出来なかった場合がほとんどだ。
その場合、必ず従兄弟どうしの結婚によって(本家の)伯父の婿養子になっている。

そうでない場合もあるがそのような分家はすべてその次の代で断絶している。

さらに気づくことは子供に男子が生まれた場合、その子が末子になる事が多い。

つまり柏木家はその血を絶やさぬするように一方で、その血を柏木家一つに留めようと懸命な努力をしている。ある種の秘伝は一子相伝だと聞く。柏木家の場合血そのもの を細い糸のように残そうとしてきたのだ。健気だな。
 

嘉平がマッドなのは様々な実験を行っているところだ。
特に「雨月物語」のなかの鬼の娘(エディフェルのことだ・・・・・)が次郎衛門に血を与え鬼にしたという点に興味を持っている。

彼は自らの血を数人に与え(どうやって飲ましたのかは定かではない)その経過を観察しているのだ。常道を逸脱していると言わざるをえない。

彼の観察によるとその後の変化は見当たらず被験者(嫌な言葉だ)はもちろんその後生まれた子供達からも”鬼気”のかけらすら感じられなかったという。

彼はこう結論付けている。祖、次郎衛門が鬼の娘の血によってその力を与えられたというのは疑わしい。おそらく次郎衛門はもともと鬼だったのだと。

それだけ科学的な考え方をしているのに鬼の力そのものには特に疑問を感じている様子もない。鬼の力だ、というだけで納得しているようだ。それ以上の説明のつけようもなかったのだろう。
 

俺はこれを読んでなにかどろどろとした執念のようなものを感じる。
おそらく嘉平自身もある種の狂気に犯されていたのではないだろうか。

それは嘉平だけが踏み込んだ領域ではない。”家訓”を嘉平に残した者も同じように統計をとったりしたはずだ。
 

俺はなぜこの世に再び生を受けたのだろう。
次郎衛門の業に源を発す悲しみや苦しみを俺自身の手で絶つためではないだろうか。

それではエディフェルやリネットは?

どうだろう、どうすればいいのだろう。
一度決めたはずなのにまた俺は迷っている。
 
 

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