13.
 

青い空、青い海。私達は海水浴に来ている。

浜辺はまさしく、芋の子を洗うような混雑ぶりだ。

「もうちょっと、穴場みたいな所はないのかよ」
耕一さん焼きそばをほおばりながら話をする。
「ない」
梓はカレーだ。
「なんだ、この街にはビーチがひとつしかないのか?」
「あるんだけどここよりも混んでるはずだよ」
初音も元気になった。

「奥の手がないこともないんですが・・・」
私は最近重くなってきた、と体重計が主張している。
だから叔母様がつくってくれたおにぎり一つで我慢だ。
「えっ、どんな手なの?」
こういうところは耕一さんは妙に子供っぽい。
「どこかの旅館がプライベートビーチにしてるところがあるんです」
「そっか。それはちょっと」

「とにかく、ここにいたら水浴びもできない。午後になったらもっと海の中に行こう」
「いいんですか?」  楓の飛び抜けて白い肌はここでは目立つ。
「なにが?」
「だって・・・」
「だいたい、一番泳げないのは耕一じゃないの」
「浮き輪があるから大丈夫」
 耕一さんはいやに堂々と言いきった。
 

 
 去年は海に来るとことがなかった。
 
祖父が病死し、父が自殺したからだ。

祖父は私にとって理解し難い人物だった。
同じ家に住んでいるのに挨拶以上のことはほとんどしたことがない。
もちろん嫌っていたわけではない。時折向けられる微笑みに私は気づいていた。
しかしその前時代的な感覚がどうも私には受け付けなかった。

祖父の身体が悪いことを私はなんとなく知っていた。
父や母がそれとなく匂わせていたからだ。
だからそろそろ危ないということを家族全体が、おそらく祖父自身も、知っていた。
妹達は泣きじゃくっていたけれど、少なくとも予感のようなものはあったはずだ。
 

しかしながら妹達は、父がなぜ自殺したのかまではわからないようだった。
私は父の苦しさの一部を理解していた。
父が死にたがっていることに気づいていた。
それなのに私は絆を深めようとはしなかったのだ。

未明に起こされ、父が行方不明だときいた時、心のどこかに「もしかしたら」という予感のようなものがあった。
父が死んだことが確認された後、もちろん悲しかったけれど、何処かで「ほっ」としていたのだ。
 

家族を2人も失った後、私達は新たな家族を迎えることになった。
それはいろいろな意味でいい考えだった。
 
 

「千鶴、あなたに言っておきたいことがあるの」
まだ叔父様達が東京で引越しの支度をしている時、母が私の部屋に来た。
母の顔はいつもに増して暗い。
「あの夜のことなんだけどね・・・・」
隣に聞こえないようにするためだろうか、声を低くしている。
「私が最初私達の部屋に行った時ね、耕ちゃんもいなかったのよ」
えっ。あの日、耕ちゃんは両親の部屋で寝ていたはずだ。
「だから私は、二人で何処かへ出かけたのかな、って思ったのよ」
・・・
「でも、あんなことに」

「それでね、あの子変わったと思わない?」
変わったか、と聞かれても私は以前の耕ちゃんを知らない。
「あの子ってあんなに笑う子だったの?あんなにしゃべる子だった?」
梓達とは以前から話し込んでいたような気がする。私や母に対して見せる、あのはにかんだ笑顔も変わりないような気がする。

「それにね、お葬式の時だってあの子は平然としてたの」
男の子なら強がるものだと思うわ。
「違うの、あの子は平然としていたのよ。まるで関心がないみたいだった」
それは考え過ぎよ。
「だって、少なくともお義父様はあの子の前で倒れたのよ、それなのに」
すくなくとも・・・

「千鶴、あなただったらわかるでしょう、あの子は、もう耕ちゃんではないんじゃないかしら」

耕ちゃんにも確かに祖父の血が流れている。しかしまだ小学生なのだ、あの年で目覚めるようなことがあり得るだろうか。

もちろんありえる。去年のちょうど今ごろ一度目覚めているのだ。まだ幼い楓だってほぼ目覚めているのだ。でも耕ちゃんからは匂いがしない。叔父様のような匂いがしない。
 

 
私はあの時から耕一さんを見続けている。
 
 

私が市の図書館で調べ物をしようとした時だ。ふと見ると耕ちゃんがいた。
正直、あまり似つかわしくない光景だった。
私が近づいていくと耕ちゃんも私に気づいた。
「あれ、千鶴さんどうしたの?」 耕ちゃんは私にささやく。
「ちょっと調べものにね、耕ちゃんは?」
耕ちゃんは黙って読んでいる本の表紙を私に見せた。
  『一発合格!   普通免許の取り方』

「耕ちゃんはまだ中学生じゃないの」  それもまだ1年になったばかりだ。
「ちょっと興味があるから」  耕ちゃんはいつでも微笑んでいる。
私は耕ちゃんの前に座り調べ物を始めた。
しばらくすると読み終わったのか飽きたのか、別の本を探しに行ったようだ。

なかなか帰って来ないので心配し始めた頃、耕ちゃんは帰ってきた。
今度は何を借りてきたのだろう。
そう思って耕ちゃんの方をのぞいた。
『中原中也詩集』
「耕ちゃんが詩を読むなんて知らなかったわ」
「千鶴さんの前だからね」

めぼしい本を何冊か借りて帰ることにする。
カウンターに行くと司書さんが耕ちゃんに声をかける。
「よう、今日は彼女連れなのか」
「えっ、えっ」  私はうろたえているのに耕ちゃんは笑っている。
「あれ、お姉さんなの?なんだ」
私の図書カードを見た司書さんが笑う。
「へへっ」 耕ちゃんも相変わらず笑っていた。

私は耕ちゃんと並んで家路についた。
耕ちゃんがあんなに余裕のあるふるまいをするなんて思わなかった。
いつも私には遠慮がちで恥ずかしそうな態度だったからだ。

「よう、柏木」
図書館をでてしばらくすると、突然後ろから荒々しく呼び止められた。
振り替えるとあまり見たくない顔があった。
「誰だよそいつ、なあ」
顔全体が気に入らねぇ、と主張している。
「そういうアンタは誰なんだ」
耕ちゃんの声にも不機嫌さが伝染していた。
「この人は私の学校の先輩なの」  私はささやく。
「先輩だ? 千鶴さんの高校って結構、進学校なんだろ。それなのに・・」
耕ちゃんも声を荒げるが、それ以上に大きな声に遮られる。
「柏木ぃ。お前こんな中坊が好みなのかよ」
なっ。

「千鶴さん、行こう」
耕一さんが私の手を取って歩き出す。
それに引っ張られて私も歩き出す。
後ろから追ってくることも声がかかることもなかった。

確かにそれは私の知っていた耕ちゃんではなかった。
でも母が危ぶむような危険な兆候は感じられなかった。
耕一さんと私はほとんど何も言わずに家にかえった。
そして握った手を放すこともなかった。
 

はっきりしたことは覚えていないがあの時から私は耕ちゃんと呼ばなくなったのではないだろうか。
 
 

さすがにこの辺までくるとすいている。
耕一さんは浮き輪に捕まって泳いでいる。さすがに腰に巻くのは恥ずかしかったのだろうか。その辺りはやはり子供っぽい。
「耕一、浮き輪から手を話したらどうなんだ」
顔を出したまま梓は泳いでいる。
私は泳ぎながら話すなんて器用なことはできない。梓は水を飲んだりしないのだろうか。
楓と初音は交代で浮き輪を使っている。私も時々捕まる。
「海は泳ぎにくい。波があるし、口に入ると辛いし足もつかない」
「海で泳げなきゃ泳げることにならないぞ」
 

去年はまた違う夏。日差しは同じなのに人々は変わっていく。
 

私達はそれなりに焼けて帰った。

楽しみすぎたのだろうか。
耕一さんと梓以外の3人、特に楓、は肌が赤くはれ熱を帯びてしまった。
そんなわけで今は常に誰かがシャワーを使っている。
 
 

(注1)「初音」によると楓は泳げないらしいですね・・・・
 

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