抜かずの刃、鎮魂の祈り
第六話 心の一方(その5) カワウソ


「あれ?」
 皆が、恭也が「心の一方」を使えた経緯と霊に通用する理由の考察に納得がいったところで、那美がなにかに思いついたように首をかしげる。
「那美? どうしたと」
「あ、うん。ちょっと思ったことなんだけど。恭也さん。恭也さんが「心の一方」を習われてどれくらいになるんですか?」
「半年弱。といったところですが。それが?」
 那美のいかにも『素朴な疑問です』といった風の発言に、首をかしげながら正直に答える恭也。
「そういうことかの。確かに、期間からするとすさまじい上達振りですからの」
 得心が行った。と、頷く神主に同意する那美。
 何の技であれ、「知る」ことと「習得」する事は同一ではない。
 いくら鈍いとは言え、那美とて曲がりなりにも剣術道場の家で育った娘である。技を自分のものにするということが、どれだけ時間を費やすものであるのかは、それなりに感覚として知っている。
 さらに「心の一方」は普通の武術の技とは一線を架す特殊なものである。
 恭也の技量が非常に優れているのはわかっているが、短期間に教えた相手よりも上達するというのはさすがにおかしいと思ったのだ。
「とはいえ、わしが教えたのは取っ掛かりだけだがの。コツをすぐにつかまれてわしなどすぐに抜いてしまったのだが」
「イメージを外に出すか内に出すかの違いですから。自分にかける暗示であれば御神にもありますので、その応用です」
 もっとも、それだけではありませんが。と、思わずこぼしてから、しまったと口をつむぐ恭也。
 そのらしくない態度に、周りは当然のことながら興味を持った。
「なになに? 他にも何かあったん?」
「恭也君、何か特別な鍛錬でもしたと?」
「興味深いですな。短期間であれほどまでに強化する方策があるというなら、ぜひお聞きしたい」
「恭也様。後学のためにも。是非」
「くうん」
 那美を除く全員に迫られ、たじたじとなる恭也。
 真剣に聞くというよりはなにか興味本位な動機が混ざっていそうだったり、久遠まで詰め寄っているところに疑問を感じるが、これは逃げられないと観念し、渋々ながら話し始めた。
「その、ですね。巻島館長に『面白そうだから俺にもかけてみろ』と強要されまして」
「ああ。それは興味を持つでしょうな。それで、かけてみたのでしょう?」
 どうなりましたかと身を乗り出す四人。
「……密林の虎が、手負いの虎になりました」
 沈黙が降りる。
 恭也は思い出すのも恐ろしいと脇腹に――どうやらそのときにやられた個所らしい――手をやった。
「それは、その……」
「なんちゅうか、すさまじい事になったようやね」
「もしかしなくても、本人は嬉々として?」
 予測がついたのか、ひきつり気味になる三人。
「その通りです。『ハンデになって丁度いい』とそれは嬉しそうに全力で殴りかかってきました」
 先ほどの渋面からさらに額に無数のタテ線を浮かべる恭也。
 巻島十蔵。齢六十を超え、なお現役どころか空手界で並ぶ者が居ないとされる化け物を通り越して妖怪といわれる存在。
 その技量は看板に偽り無く、恭也ですらまだ届かない領域にある。
 強要されて「心の一方」をかけた恭也だが、巻島館長にはほとんど効かず、多少動きが鈍るくらいであった。
 その結果、恭也より髪の毛一本だけ上といったレベルに落ちたのだ。
 それをいい事に、いつも以上に遠慮と容赦をほっぽり投げて、恭也に殴りかかってきたのである。
 動きが鈍ったとは言え、髪の毛一本でも差は差。それが把握できるのであれば、その優位性は決して揺らがない。
 恭也からしてみれば、いつもの遊ばれている状態よりも、更に手強くなっているわけである。
 そのため、本部道場のビルを丸々使って鬼ごっこをする羽目に陥ったり、少しでも動きを鈍らせようと全力で「心の一方」をかけ、その余波で周囲の高弟達をまとめて金縛りにしてしまったりと、周囲へも影響を及ぼしまくった上での、下手な実戦よりも命がけな稽古になってしまっていたのであった。
「しかし、それだけ騒ぎを起して、よく追い出されなかったとね」
「それはそうなのですが、館長が気に入ってしまったので、向こうとしても下手に制限をかけて、館長に暴れられるのは願い下げなのではないかと」
 周囲に被害が及んでいるようであれば、出入り禁止になるのでは? と疑問を投げかける薫に、むしろそうなって欲しかったと言わんばかりに恭也が返す。
 さらに、放って置いたらうちにまで襲撃に来かねませんし、あちらとしても猛獣を大人しくさせるには餌を与えるしかないでしょうから。などとぼやく恭也に周囲は一言も無い。
 ちなみに、明心館では恭也は館長の親友の忘れ形見というだけでなく、その実力から、別流派の師範代として客分扱いである。
 明心館の高弟達が知る限り、恭也は海鳴近辺で、館長の不意打ちを受けてもさほど怪我をしない唯一の人間のため、館長自身の稽古相手として是非とも確保しておきたい人材なのだ。
 そのため、最近では追い出されるどころか、行くたびに薄謝が用意されていたりする。
「え、え〜とぉ。そうだ!! そういえば『斬る』方はどうしてできるようになったんですか? まさか、館長さんに試したわけでもないでしょうし……」
 微妙な沈黙に支配されてしまった空間を何とかしようと、那美が話題を転じる。
「あれは……不本意ですが、仕事上の事故です」
 しかし、恭也はさらに沈み込み、背後にまで闇を背負ってしまった。
「あああああああ、すいませんすいませんすいません!! まさかそんな嫌なお話だとは思わなくて!!」
「いえ、大丈夫です。約束した事ですし」
 恭也から出ていた、どんよりとしたモノがさらに濃くなってしまい、慌てて謝り倒す那美。
 そんな恋人を見て、少し持ち直したのか恭也は那美に笑いかけた。
「約束?」
「ええ、以前、この件についてお話すると」
 話の見えない薫たちに、血まみれでさざなみ寮に転がり込んだことをかいつまんで説明してから、恭也は「心の一方」で人を斬った経緯を話し始めた。
「リスティさんの手伝いで、龍の下部組織を潰していたのですが……」
 昨日の襲撃もそうであるが、日本での龍の構成員はほとんどがいわゆる「ストリートギャング」などといわれる若者達である。
 自由などといいながら、マフィアの末端になっているなど、お笑い種でしかないのだが、彼らがやっかいなのは、ほとんどが素人であるということである。
 プロの戦闘家や暗殺者であれば怪我をしようが――極端な話死んでしまおうが――マスコミや人権屋もうるさくないのだが、素人が相手では嬉々として噛みつかれるし、下手をすると賠償問題にすら発展する。
 リスティが所属するような、民間の支援組織では、なるべく穏便に捕らえないと収入にかかわるどころか、存続すら危うくなる。
 そのため、リスティの能力や恭也の「心の一方」は重宝され、頻繁に呼び出されていた。
「世知辛い話やね。それで?」
「あの時も、そういった組織を潰しに行ったのですが、相手が少々特殊でして……」
「恭也君が苦戦するような相手だったと?」
「いえ、強さで言えばそんな事はないのですが」
 周囲のいぶかしげな視線の中、さんざん口篭もってから、ホモの強姦魔の巣窟だったと、思い出すのも嫌そうに恭也は告白した。
 本来なら機動隊の面々が出張るところであったのだが、あちらの趣味の場合、基本的に筋骨隆々の男達がはまる事が多いと認識されている。
 警察内部では、自分の肉体を見て「美しい」と陶酔するような面々がまずなるものと見られていたのだ。
 そのため、同じようにゴツイ体形の機動隊員達では彼らを喜ばせるだけだと判断され、女性であるリスティと、見た目は細身の恭也が動員されたのであるが、恭也が誤算だった。
 本人はカケラも意識も理解もしていないが、恭也は鋭く眉目の整った美形である。
 しかも、着やせする性質のため、ぱっと見た外見に反して、筋肉はこれでもかというくらいにビルドアップされている。
 つまりはホモ集団の好みど真ん中だったのである。
 自分達の好みを嗅ぎ分けられるのか、踏み込んだ瞬間、彼らはリスティには目もくれずに恭也に襲い掛かったのだ。
 しかも、間の悪い事に、彼らは強姦の最中で、ほとんどが全裸であり、腕を広げて唇を突き出し、腰を振りながら迫り来るという、敵を排除するにはありえない襲い方をしてきた。
 敵意剥き出しで拳銃を向けられたり、鉄パイプでいっせいに殴りかかられるような状況であるなら、別に動じない恭也であるが、さすがにこれには反応が遅れてしまい、気がついたときには間を詰められてしまっていた。
 自分だけであればどうにでもなったのであるが、隣には、あまりに想定外の状況のため、固まってしまっていたリスティがいた。
 リスティをかばうために、「心の一方」を放った恭也であるが、思わず「斬る」というイメージを乗せて放ってしまったのだ。
 結果。近づいていた数人が皮膚を切られ、飛び散った血を浴びてしまったのであった。
「そ、それで、恭也さんは何もされなかったんですよね?」
 あまりの内容に再び絶句してしまった他の面々とは別に、恭也の貞操――というのもいささか違う気がするが――を心配して詰め寄る那美。
「さすがに、自分達の胸から血が出れば動きは止まりましたから。その隙に当て落としました」
 返り血を浴びてしまった以上のことはないのでご心配なく。と、恭也は那美をなだめて、その頭をなでる。
「はい。よかったです」
 那美はそれで落ち着いたのか、えへへと照れ笑いを浮かべて、恭也のされるがままに任せた。
「そ、想像したくなか……」
「……同感」
「恭也様は、衆道はお好みではないのですから、当然ですね」
「趣味でなければ地獄絵図ですの」
 少々二人の世界に入ってしまった那美と恭也を見ながら、他の四人は巻島館長の件といい、恭也は男性に対するめぐり合わせが悪いのではないのかと同情しつつ、それぞれの感想を漏らしていた。

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ひとりごと

・おいらは女の子の方がいいですが、好き同士なら否定しません。念のため。
・無理やりはいかんです。無理やりは。
・恭也は、本人感覚で「可愛らしいもの」が好みだし、弱いんでないかなーと。

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