抜かずの刃、鎮魂の祈り
第六話 心の一方(その4) カワウソ


 ――体が、重い。
 元々、彼女に体重など無い。むしろ、あるかのように強く自分を保つほうが難しい。
 壁をすり抜け、霊視などできない普通の人にも見え、会話できるくらいの濃度。そのくらいが彼女にとってごく自然な現界のしかたである。
 それが、今は重い。重さが無いのに重くて動けない。
 否。自分自身が重いと思うからこそ、この重圧である。
 しかし、この気持ちは自分のものではない。仕掛けた相手は彼女の正面にいる。
 生まれつき目の見えない彼女だが、その分、気配には敏感である。相手の場所を把握する事など見えるかのように行える。
 しかし、今この状態で、それに何の意味があるのか。
 動けない彼女の前に、相手は無造作に近づき――
「縛よ、解け」
 彼女を、その重圧から解き放った。
「ふう…… 助かりました。恭也様」
「いえ、大丈夫ですか?」
 心の一方から解き放たれて、十六夜は大きく息を吐く。
 目の前にいる恭也が心なし心配そうに覗き見る気配を察し、顔と思われる方向を向いて笑顔を向けた。
「はい。先ほどは全く動けませんでしたが、解いていただければ問題ありません。しかし……」
「もしやとは思っていましが、こんな事になるとは……」
 十六夜が周囲を示すのを見て、困った顔になる恭也。
「とにかく、解いて差し上げていただけますか?」
「そ、そうでした。……縛よ。解け」
 十六夜に促され、周りに対しても暗示を解くイメージを放つ。
「ま、まいった……」
「はあぁ〜 なんちゅう圧力……」
「あううううううぅ〜 まだしびれています〜」
「これは、聞きしに勝りますな……」
「久遠も、ちょっと重かった」
 恭也の心の一方の余波で固まっていた薫、楓、那美、神主、久遠が金縛りを解かれ、いっせいに溜息を漏らしていた。


「まさか、うちらまでかかるとは……」
 お茶が行き渡り、皆が一息ついたところで渋面になる薫。
 さざなみ寮で昼食を取った面々は、また八束神社に戻って恭也と合流していた。
 そこで昼前に相談したとおり、十六夜に対し、恭也に心の一方をかけてもらうことにしたのだ。
 勝手がわからないが、あまり強力にかけるのはまずいだろうと思い、恭也も軽めにかけてみたのだが、そこにいる全員の予測を超える事態が起きてしまった。
「申し訳ありません。まさか、皆さんにまでかかってしまうとは思いませんでした」
 見通しが甘かったと謝罪する恭也。
 那美がまたひっかかるのは予測がついていたが、剣術家として自分と遜色ない薫や、やはり同等と思われる楓、さらにはこの技の師匠である神主までもが動けなくなるとは思ってもいなかった。
「ま、まぁ、恭也君だけのせいじゃないから気にせんといて」
 責任を感じたのか、恭也があまりにすまなさそうな顔をするので、慌てて楓がフォローする。
 恭也から、気を強く持てばかかりづらくなると説明され、予告してから十六夜に対して軽くかけたというのにこの様である。
 楓としては「かっこわるい」状態なので、あまり恭也に謝られるのも決まりが悪かった。
「そうそう、あっさり引っかかるうちらもまずかとね。それで十六夜。なにかわかったと?」
「そうですね……霊力。というのも少々語弊がありますが、恭也様は普通の視覚や聴覚だけに訴えかけているわけではない。と思います」
 霊がごく一部の人にしか見えないのは、ひとえに生者と死者が別物であるということに他ならない。
 生者は生者の、死者には死者の理があり、いるべき世界が違う。
 しかし、別物であっても関連がないというわけではない。そもそも死者は生者からなるものであるし、死者が時を経て生者としてこの世に再び現れる――仏教で言うところの輪廻転生――も確認されている。
 その接点から黄泉の世界の理を感知でき、向こう側に影響すら及ぼすことが出来る力。それが霊能力と呼ばれるものである。
 ちなみに、霊が現世に直接影響を及ぼす場合は、現世の熱量を消費して力にしている。
 生前の思いがあるゆえに現世にとどまる霊は現世の理を覚えているため、力を操るだけの霊としての濃度があれば、容易に干渉が可能なのだ。
「霊力じゃないの?」
「大きなくくりで言えばそうなのですが……そうですね。恭也様。わたくしを振ってみていただけますか? 薫。お願いします」
 最後の言葉は薫に向けて、十六夜がその姿を消す。
「恭也君。打刀もつかえるとね?」
「ええ、型程度であれば何とか」
 十六夜が刀身に戻ったのを見て、薫が霊剣十六夜を恭也に差し出した。
「お借りします」
 薫からその刀身を受け取った恭也は一礼をして鯉口を切る。
 四百年を超える神咲の宝刀を正眼に構えると、恭也は一瞬、眉をしかめた。
 しかし、すぐに思い直したように、足を踏み出して、型を開始した。
「うわ……」
 瞬時の踏込みからの頚動脈への一閃。そこから半身をずらしての背後への袈裟懸け。
 突進力と自重を全て乗せた刺突を放ったかと思えば、膝よりも低く沈み込んで横薙ぎに剣を払う。
 流れは滞らず、重なる軌道もなく、自身の影も重ねず、全て必殺。しかしながら一所から決して出ることはない。
 複数を相手に切り結ぶことを想定し、そのための攻防で構成された、ただ、斬るためだけの形。
 観客たちが瞬きも忘れて見入る中。恭也は無心に舞った。
「有難うございました」
「ああ。やっぱり恭也君はすごかね」
 恭也から霊剣を返され薫が笑顔でねぎらう。
 魅入っていたのは楓や神主も同じだった。
 全ての斬撃が急所に向かい、殺めるためだけに放たれる殺人の技。
 赤黒く血塗られた歴史の中、ただ人を殺すために研鑽されたはずなのに、そのあり方はあまりに透明であり、伝わってくるのは恭也の剣士としての完成度の高さであった。
「恭也さん、やっぱり長剣もお上手ですね」
 普段は「両手持ちの一刀はあまりやってないから勝手がわからない」といっている恭也の腕前に那美も関心しきりになっている。
 とはいえ、那美には恭也の太刀筋はほとんど見えていなかったりするが。
「ええ、見事な太刀筋でした。ところで、気がつきましたか?」
 刀身から再び出てきた十六夜が神咲の三人に問いかける。
「んーっと、『十六夜』よりもずっと重い……うん、野太刀を扱っているようやったね」
 一瞬黙考し、それを口にした楓の答えに、薫と神主も同感と頷く
「ええ。霊能力があればわたくしと同調して、細身の太刀位の重量を感じながら振るうことになるのですが、恭也様はご自身が感じ取った重さに、感覚を修正して振られていました」
「え? でも霊力がないならそれが普通じゃないの?」
「那美。普通なら重くてあんな見事な型は出来ん」
 那美のピントの外れた疑問に対し、薫が呆れ気味に説明する。
「同調できなければ霊剣は野太刀どころの重さでなか。一回振り下ろしが出来れば上出来と」
 にもかかわらず。恭也はその重いはずの霊剣を刀の範疇で扱えた。
 神咲の言う霊力ではないだろうが、何がしかの力を使っていると見てよかった。
「十六夜はどげん感じた?」
「はい。わたくしに霊力の類が流れてきているとは感じられなかったのですが、こう、刀全体を包み込んで持ち上げているような。そんな力の奔流を感じました」
 あれはよく言うところの「氣」ではないでしょうか。と十六夜は結論づける。
「意識の力でなく、肉体に宿る生命そのものの力ちゅうこと?」
「ええ。霊力も生命力ではあるのですが、意識――魂の力に変換して行使しています。恭也様は生命力をそのまま使われているのでしょう」
「似て非なるものではあっても命の力であるのは同じか。霊力そのものに比べれば効率は悪いが、極めれば同じようなことが出来るというわけやね」
 感心したように薫が頷く。
 似たようなものであれば霊能力者は一般人よりもそれを感知しやすい。
 恭也が「心の一方」でそのような力を使っているのであれば自分たちは余計にその暗示を受け取ることになる。
 余波とはいえ、金縛りになってしまうのも無理からぬことであった。
「そのとおりです。そして、霊とは意思のみで姿を保っている存在。そのようなものが『動けない』と意識させられてしまってはたやすくその身を止められてしまうでしょう」
「じゃあ、切り裂いたのも……」
「『斬られた』って思わされたら存在を保ってなどいられない。っちゅうわけやね。自分が死んだと思わされれば霊にとってはそれが真実になる。言い方は悪いけどだまくらかして無理やり自分から成仏させているわけや」
 霊力で切り殺すよりいいかもしれんね。と楓も頷く。
「いやはや。とんでもない技に押し上げてくれましたな。さすがは『不敗』の剣を継いでいるだけのことはある」
「まったくです」
 四人の感心した視線が集中する中。恭也は居ごごち悪そうに身体を竦めた。

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ひとりごと

・ネタ晴らしにつき、2話一遍にアップしました。
・苦しいですか? そうですか。そうですよね……


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