抜かずの刃、鎮魂の祈り
第六話 心の一方(その3) カワウソ


 自分は、剣術の家に生まれた。
 その事について、思うところは特にない。ただ、自分には合わないところだったのは、間違いがなかった。
 剣が嫌い。という事ではない。物心ついたときには木刀を握らされていたのだ。最初からあるものに嫌悪も何もない。
 家族や門下の中でも下手な部類であった事も問題ではない。まだ幼かったのだから。伸びる余地は幾ばくかは期待もできたし、努力を惜しんだつもりもなかった。
 しかし、自分には普通の人には見えないものが見えた。そして、周囲にはそれが見える人も、自分が見えるものを信じる人もいなかった。
 発言は全て虚言と見なされ、稽古と騙った折檻を通して、人格を否定される日々。
 自分を否定されてもなお、握っていた剣も、見るのも拒絶するようになるには、さほど時間はかからなかった。
 そして、周囲は速やかに拒絶を虚言と結びつける。
 稽古をしたくないから、あんな事を言うんだ。と。
 無理解によって閉塞した出口のない日々は、異端者の来訪によって唐突に終わりを告げる。
 自分と同じように、見えないものを見、聞こえない声を聞き、存在しないモノに触れる異能力者。
 それが霊能力と言う物であると教わったその場で、弟子入りを志願し、了承された。
 一門からはこれ幸いと破門に附せられ、何の感慨もなく自分の人生は大きく転換する事になった。
 最早部外者であると、存在すらないものとして扱われた最後の数日。何を思ったのか、父は剣術遣いとして餞別をくれた。
 剣術遣いとして大成は望めないと言われた自分が唯一人並みに扱えたもの。
 剣術でありながら剣を、いや、武器を使わずに相手を抑える技法。
「心の一方をお前に譲る。以後、我々がこの術を使う事はない」
 一門でも外法扱いされ、習得しても、使わない事に意義を見出される技の譲渡。
 自身が理解できないものへの侮蔑か、せめてもの親心か、今となってはわからない。
 ただ、そのときは、嫌いだったものの技など使うものかと心に誓った事だけは覚えていた。
 家を出た後は師の元で退魔の技を磨き、霊達の心に触れ、ただがむしゃらに退魔師として研鑚を重ねる日々を過ごした。
 いつしか、独り立ちを果たして全国を回るようになるにつれ、退魔を生業とする者たちの間で名を知られるようになり、気がつけば後進の者達を導く齢に達していた。
 そして、少し前に、かつての自分の実家が剣術の流派として消滅した事を風の噂に聞く。
 原因は内外部の抗争でも、事故でも、なにがしかの不祥事でもなく、剣を振るうものがいなくなったための自然消滅。
 剣を取らぬと自分を責めた者達が、結局は剣を持つものを育てられなかった事実は人の世の面白さと言うべきか。ともあれ、第三者から見れば滑稽以外の何者でもなかっただろう。
 最早自分には何の関係もないことではあったが、それでも、一抹の寂寥は感じた。
 恨むにも、軽蔑するにも、月日は経ち過ぎている。なにより、自分は退魔師だ。滅んだものに下げる頭はあれども、害も無いのに踏みつける足はない。また、よき思い出など無きに等しいとは言え、自分がそこの出自である事に変わりはなかった。
 今更ではあるが、何か手向けをと思いを巡らせ、当然、自分が唯一受け継ぎ、はるか昔に封印したものに思い至る。
 誰かにこの技を継いで貰おう。できれば、自分の信頼に足る。よき剣士に。
 流派は消えても、せめてその技を残そう。そう決めて、心の一方を継ぐにふさわしい剣士を探す事にしたのだった。


「それが、恭也さんだったのですか?」
「そういうことでの。探す前に地元をと思ったら、いきなり大当たりとはいやはや」
 八束神社の境内。
 ここに移動した四人はお茶を飲みつつ、神主の昔話を聞いていた。
 初めは恭也に「心の一方」を教えた経緯をかいつまんで説明するつもりだったのだが、歳のせいか、ついつい話が長くなってしまい。自分の過去を説明してしまったところである。
 対する若人の三人は、別段退屈した様子も無く、真剣に話に聞き入っていた。
 手遅れになってからの力づくの除霊が少なくないとは言え、安易に威武に頼らず、話が通じる霊ならば想いを解いて天に還ってもらうべきというのが昨今の退魔師たちの主流である。
 その想いを解く鍵は、記録や縁の人達への聞き取りで当たりをつけるのだが、最終的には、本人の口からその想い――言ってしまえば霊の恨み言と言うか愚痴――を聞くことになる。
 言葉に流されず、かといって聞き漏らさずという態度は、ある意味彼らの技術と言ってよい。
 薫と楓はきちんと聞いてはいるものの、とりたてて感情を表に出していない。
 霊能力を持っている者の過去として、さほど珍しくは無いが、幸福とは言いがたい過去ではあるものの、自分達よりはるかに年長の退魔士に対して、同情など不要であり、かえって乗り越えた者に対する失礼に当たるとよく理解しているからだ。
 対して、那美は痛ましそうな表情をしているが、他の誰もそれを咎めたりはしない。
 那美の退魔の形は対話であり、全てを受け止める優しさによって霊を癒し、輪廻へと導く。
 ましてや、寄代ごと滅ぼすしかなかった「祟り」を「想い」で引き剥がした実績を持つ唯一の退魔師でもある。
 その源である共感を否定することはしないし、那美とて口にしない以上、触れる話でもなかった。
「しかし、そういう事であれば、うちらでもよかったのでは?」
「それもそうなのですがの。退魔を認めぬ人達でしたからな。まっとうな剣術遣いとは言え、退魔の大家に伝えては嫌がらせになるやもしれませぬし」
 もともと当てなら自分達では? といぶかしがる薫に笑って返す神主。
 できれば純粋な剣術家にと考えたと言われて、苦笑交じりに納得する薫と楓であった。
「でも、恭也さんとはどうやってお知りあいになられたんですか?」
 伝授の相手の選択基準に納得がいったところで、那美が次の疑問を発する。
 那美自身は神主と恭也を引き合わせた事はないし、八束で会ったのなら話題に上るはずである。
 ところが、二人が知己になっていることなど、ついぞ聞いたことが無かった。
「ふむ。それももっとも。理由は二つ。一つは、お互いを紹介した共通の知り合いがここにはいないことかの」
 髭をしごきながら那美の疑問に答える。
「そうなんですか……」
「ま、秘密でもなんでもないので教えとくかの。明心館館長の巻島十蔵。アレが引き合わせてくれたわけだ」
 思わせぶりに言ったためか、那美の表情が今ひとつ納得いっていないのを見て、一言付け加える。
「え? 神主さんも館長さんとお知り合いだったのですか?」
 意外といえば意外な人物が挙げられ、那美だけでなくほかの二人も目を白黒させる。
「海鳴に根を下ろしてからお互い長いからの。表向きでも接点は幾らでもあるわけですわ」
 神主と空手家。一見何の関係もなさそうではあるが、道場を建てるときなどのお祓いで出向いた事もあれば、その礼としてお布施などの奉納に向こうが訪れた事もある。
 周囲を威圧しているとしか思えない外見であるが、昨今の格闘ブームとざっくばらんな性格のためか、巻島館長はとにかく顔が広い。
 そこを期待して相談に行ったわけであるが、その時は武門の末裔として話しをしたし、退魔の事は話題にした事が無いので、巻島館長は自分の素性を知らないし、恭也にも話していないと説明する。
「まさか、神咲のお嬢の身内と知己とはおもわなんだ」
「そういうことだったんですね。あ、後もう一つは?」
「まぁ、ワシがあまり広めてくれるなと剣士殿に頼んだからかの」
 剣術をとおに捨てたものがそうそうおおっぴらに教えるわけにもいかないし、稽古は明心館に場所を借りたため、だれも気づかなかったのではないかと神主は話を結んだ。
「経緯はよくわかりました。しかし、なぜ、恭也君は霊を金縛りにし、あまつさえ斬るなんてことができたのでしょう? 心の一方にはそのような力があるとですか?」
 恭也が心の一方を習得している理由が明らかになり、薫が一番の疑問点に議題を移す。
 霊に何かしらの影響を及ぼすには、彼らの姿や想いを受け止める事ができ、彼らに声や力を届けられる者の力が必要になる。
 人の想いは霊に活力を与えたり、逆に鎮める事もある。
 しかし、それはよほど親しい間柄でもない限りは、集合的な無意識として影響を与える。と、いった間接的なものでしかない。
 恭也は気配を感じる事については長けているだろうが、霊能力者としての力があるとは思えない。
 心の一方に何かしらの秘密があるのではないかと考えるのはごく自然な事あった。
「といわれましてもな。霊にかかわりの無い剣術の技が、霊に通じるなど考えた事も無いですからの。霊相手になど使った事なぞないですし、それに、話に聞く限り私のそれと剣士殿のそれは威力がまるで違う」
 自分にはせいぜい二、三人を行動不能にするのが精一杯で、恭也のように十人近くもまとめてなどとてもできないと付け加える。
「恭也さん、あの時は手加減してかけたって言っていました。あ、工場の中では全力でやったって」
「桁違い。という事ですか」
「うむ。たいがい気の張っている相手には効きづらいですしな。力技ともいえなくないですが、それにしてもここまでの威力があるとは」
 剣に対する態度の違いですかの。と首をひねる神主。
「どちらにしても、恭也君に実際につこうてもらわなわからんちうわけやね」
「同感じゃな。しかし、恭也君は午後までこちらには来れんし、どうするね?」
 後は恭也がいないとわからないと結論が出たところで、時計を見る薫。
 お昼には早いが、移動を考えると中途半端な時間である。
 その横で、那美がポーチから携帯電話を取り出して、電話をかけていた。
「耕介さんですか? はい、ええと、お昼、四人ほど……ええ、わたしと、薫ちゃんと楓ちゃんと、あと、お客さまがお一人……はい。ありがとうございます。では、いまから向かいますね」
 携帯をたたんで、皆に向き直る那美。
「耕介さん、大丈夫だって」
「そか、耕介さんには手間かけるとね。先生。先生もご一緒できますか?」
「そうですな。ありがたく、お言葉に甘えさせていただくとしますかの」
 剣士殿とお会いするには、今から街へ出てはいささか手間ですからなと薫の誘いを受ける神主。
 話のまとまた四人はさざなみ寮へと歩き出した。

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ひとりごと

・やってもうた。いろんな意味で……


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