抜かずの刃、鎮魂の祈り
第五話 とあるいつもの2(その4) カワウソ


「なぁ、恭也君。ここまで来て言うのもなんじゃけど、朝食後に改めて来た方がいいような気がするんじゃが……」
 高町家前。
 真雪に煽られて目覚めると同時にさざなみ寮を飛び出してきた薫だが、やはり分別と常識が頭をもたげていた。
 半数以上住人が何かしらの武術をたしなんでいて、庭に道場があるものの、高町家は基本的には普通の家である。
 朝六時半の訪問は確かに非常識で、薫ならずとも敷居をまたぐのはためらわれるところであったが、那美の顔を早く見たい気持ちもあり、薫の心は揺れてい た。
「俺達が案内したのですから、お気になさらず」
「大丈夫ですよ。うちはそういうの、全然うるさくないですし。薫さんは那美さんのことが心配だったんですから、誰も文句なんか言ったりしません」
 何の問題もないと恭也は淡々と、美由希は笑顔で保証する。
「じゃけん、あまりご好意に甘えるわけにも……」
 しかし、生真面目な薫は、いくら家人の二人に言われてもおいそれと頷けず、四人は門の前で話し込む格好となっていた。
「おはよーごさいます!! って、師匠に美由希ちゃん、どうしたんですか? 家の前で立ち話なんかしちゃって」
「晶か、おはよう」
「おはよう、晶。薫さん達が那美さんを迎えに来たから案内してきたんだよ」
 スケボーの音と共に道の角から現れた晶と朝の挨拶を交わし、事情を説明する恭也と美由希。
 薫と楓を見た晶はああ、と納得し、二人に頭を下げる。
「薫さん、お久しぶりです!! それと、はじめまして!! 高町家にお世話になっている城島晶といいます!!」
「あ、うちは薫の従姉妹で神咲楓いいます。こちらこそはじめまして」
「晶ちゃん、久しぶり。相変わらず元気そうね」
「はい!! 元気だけは余ってますから」
 勢いよく、しかし礼儀正しく挨拶する晶に顔を綻ばせてかえす薫と楓。
 真直ぐな晶の態度は二人にはとても好ましいものであった。
「晶、今日の朝食当番はお前か?」
「はい、そうです」
 晶が自宅から来たであろうと推測し、食事当番を確認した恭也はすまんが、と前置きをして本題に入る。
「今日の朝食、三人分追加を頼めるか?」
「那美さん達の分ですね? わかりました!!」
 恭也の頼みを快諾した晶はそのまま勢いよく高町家の庭に駆け込んでいった。
 おそらく、スケボーを置いて、そのまま台所に上がるのだろう。
「あ、いや。晶ちゃん、ご好意はありがたいんやけど、うちらはご馳走になるわけにも……」
「薫、ここまでしてもろうて招待受けへん方が失礼や。大人しくご馳走になろ?」
 慌てて晶を止めようとする薫に、だまって事の成り行きを見ていた楓がそれを押し留める。
 面白半分と行った体で薫についてきた楓だが、その実薫が那美の身を案じているのはよくわかっている。
 別段心配する必要もなさそうなのだが、体面を気にしてさらに時間をつぶすよりもさっさと那美の顔を見たほうがいいだろうと思っていた。
「わかった。恭也君、すまんが世話をかけます」
 楓にまで止められた薫はようやく恭也たちの招待を受け入れ、頭を下げた。


「ただいま」
「ただいまー」
「あの、お邪魔します……」
「右に同じく」
 四者四様の挨拶をし、家人と客人は玄関から上がった。
「あ、恭ちゃん、薫さん達をリビングへお願い。私は那美さんを起こしてくるから」
「承知した。すまんが頼む……どうぞ、こちらです」
「ああ、美由希ちゃん、すまんね」
 恭也の案内で薫と楓はリビングへ向かおうとしたとき、恭也の部屋のふすまが開いて那美が顔を出した。
「はれ? 恭也さん、おはようございます〜」
 寝起きの焦点の定まっていない目で恭也を見つけ、そのまま、ぽす、と恭也の腕の中に倒れこむ。
 恭也が朝の鍛錬のために部屋を抜け出た時には一糸纏わぬ姿だったのだが、今は昨晩借りた寝巻き代わりの室内着を身につけている。
 それでも、他の面々がいるのがまったくわかっていない所を見ると、寝ぼけているのであろう。
「あ、あの……」
 背中に嫌な汗をかきつつ、恭也は那美を起こそうとする。
 が、那美は寝ぼけたまま恭也に抱きついて、胸に頬を摺り寄せた。
「えへへ、やっぱり、昨晩一緒だったの、夢じゃなかったですよね……」
 発言内容に硬直する恭也。
 公認されているとはいえ、さすがに薫には那美が自分の部屋に泊まったなどと言う事は、あやふやにしておきたかった恭也だが、よりによって那美本人にばら されてしまった。
「神咲さん、あの、起きてください」
 最早手遅れではあるが、とにかく那美を起こそうとする。
 しかし、那美は夢見心地のまま、さらに爆弾を投下した。
「名前で、お願いします。那美は、恭也さんのものだと……」
 少し拗ねたようにつぶやき、そのまま恭也の首に手を回して頬を寄せる。
 状況が状況でなければ、恭也も那美の可愛らしくも艶のあるしぐさと声を堪能したであろうが、衆人監視の中では到底そんな気になれないし、何より、那美の 姉の目の前である。
 恭也の価値観からしてよくて怒鳴られ、下手をすれば木刀でニ、三発殴られかねない状況であった。
 が、
「楓、美由希ちゃん。うちらはお邪魔やし、退散しよか」
「あ……あ、うん。そやね」
「は、はい、こちらです!!」
 薫は多少困ったような表情ながら笑顔で他の二人を促し、顔を真っ赤にした楓と美由希がリビングへと逃げるように移動する。
「まぁ、するななんていまさら無粋な事は言わんけど、恭也君、ほどほどにな」
 恭也の肩を軽く叩いた後、一瞬だけ強く掴み、薫も二人の後に続く。
「…………」
「ん〜 ちゅ♪」
 後には切腹もやむ無しとまで決めた覚悟が無駄になり、呆然とする恭也と、結局、寝ぼけたままで恭也の頬に唇を当てる那美が残された。
「那美、起きて下さい」
「うわ〜 ぐらぐらぐら〜」
 気を取り直して、自分に抱きついたままの那美をゆすって起こそうとする恭也だが、那美はゆすられるだけで起きる気配がない。
 周りが見えていないのに、恭也だけ認識したり、そのままラブシーン全開となかなかに器用な寝ぼけっぷりである。
 考えようによってはこれもある種の才能かもしれない。と妙な関心をした恭也は、その場で起こすのを諦め、寝ぼけたまま、自分にじゃれ付いてくる那美を抱 き上げた。
「えへへ……」
 状況がわかっているのかいないのか、那美はされるままに恭也の腕の中に収まり、嬉しそうに額をこすりつける。
 小動物にしか見えないそのしぐさに、恭也はいつぞやリスティに言われた「那美の甘え方の見本は久遠」説を、これでは否定できないなと思いつつ自分の部屋 に入った。
「きゃ♪」
 まだ敷かれたままの布団の上に、那美を横たえる。
 そのまま嬉しそうに首に腕を絡めてくる那美に顔を近づけ、恭也は那美の鼻をつまんだ。
「ん〜ん〜〜〜? ……ぷはぁ!!」
 呼吸のできなくなった那美は口で息をしようとするが、恭也は口も軽く押さえて息を阻害する。
 これにはさすがにたまらず、那美も目を覚ました。
「はぁ、はぁ、はぁ…… あ、恭也さん、おはようございます」
「おはようございます。大丈夫ですか?」
 息を乱しながら挨拶をする那美に、何食わぬ顔で状態を聞く恭也。
 那美は、二、三回目をしばたかせると、軽く息を整え、笑顔を浮かべた。
「あ、はい。大丈夫です」
「そうですか。では、着替えて顔を洗ってください。薫さんたちが来ています」
 那美が慌て出す時間を与えず、昨晩のうちに美由希に借りた服を指し示し、恭也は部屋を出る。
「はい、何から何まですいません……ええええええっ? 姉が来ているんですか?」
「ええ。リビングにお通ししています。先に行っていますので、着替えたら来て下さい」
 案の定、慌てふためく那美に冷静に着替えを促す恭也。
「わ、わかりました……ええと、下着下着……きゃぁ、ズボンのすそがぁ〜、あいた!!」
 悲鳴やら柔らかい物の上に何かが倒れこむ音やらがあがり、やたらとにぎやかな自室を背に、恭也はリビングへ向かった。

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ひとりごと

・ドジ、というよりはマヌケ、とゆ〜気がせんでもないです。
・しかし、どこまでわき道にそれれば戻れるんだろうか。
・戻れなかったら嫌だなぁ……


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