抜かずの刃、鎮魂の祈り 第五話 とあるいつもの2(その2) カワウソ |
恭也が風呂から上がってリビングに戻ると、那美はそこにはいなかった。 「あ、おししょー、いま上がりですか?」 代わりにパジャマ姿のレンがひょっこりとキッチンの方から顔を出す。 「ああ、かーさんに鍛錬禁止を言い渡されてしまってな……」 そう答えつつ周囲を見渡す恭也。 そんな恭也の落ち着かない様子に、レンは噴出しそうになるのをこらえながら恭也の知りたがっている事を教える。 「那美さんなら、一足お先におししょーのお部屋へ案内しましたよ」 ぎしり。と一瞬固まってから恭也はことさらゆっくりとレンの方を向く。 無表情を装っているとはいえ、あまりにもわかりやすい恭也の様子に思わず顔面が崩れるレンだった。 「お、おししょ。いまさらそんなに慌てなくても。おししょーとペアルックにしか見えへんカッコで那美さんがぽーっと座っていればわかりますって」 ケイレンしている腹筋を懸命に押さえながらさらに追い討ちを掛けるレン。 母親の桃子や、いつもかき回されているリスティはともかく、那美といい美由希といい、そしていまのレンといい、今日はことごとく女性陣に先手を取られて いる(自業自得な面もあるが)と思わず仏頂面になる恭也だった。 「あー、そんな怖い顔せんと、うちも野暮はしませんよってに。ほな、おやすみです〜」 眉間にしわの寄った恭也に何を感じたのか、ドップラー効果を伴いそうな速度で自分の部屋に引き上げていくレン。 「…………」 そのあまりの早業に、追撃を諦めた恭也はひとつため息を漏らすと、自分の部屋に向かった。 「あ、おかえりなさい」 自分の部屋に戻った恭也を那美が迎える。 「…………」 本日何度目かの硬直体制の恭也。 部屋にはすでに布団がしかれており、那美はその前に正座して待っていた。 「ええと……失礼いたしますね。よいしょ、と」 そのまま後ろを向き、掛け布団を半分上げ、あらわになった敷布団の上に正座しなおす那美。 服装に限ればサイズが合わずだぶだぶのTシャツに黒のスウェットパンツというラフな格好であるが、恭也も同じ格好(正確には那美が恭也の寝巻きの予備を 借りたのだが)であり、和室である事と、本人達の雰囲気からしてどこをどう見ても新婚初夜である。 「不束者(ふつつかもの)ですが、よろしくお願いいたします」 三つ指を突いて深ぶかとお辞儀をする。 「あ、いえその……こちらこそ」 どう返したらいいかわからず、那美の前に座って同じようにお辞儀をする恭也。 そのまま頭を下げたままの二人だったが、恭也が先に頭を上げる。 まだ、顔を上げない那美の細いうなじが視界に入り、そこからほのかに立ち上る石鹸とシャンプーの臭いが恭也の鼻腔をくすぐった。 「あ……」 那美の手を取り、そっと体を起こさせる。 そのまま胸に抱きよせ、布団の上に押し倒す。 掛布団を手探りで引き寄せ、自分たちの上に掛けながら何気なく枕元に目をやった恭也は、そこにあるものに気がつき、動きを止めた。 「…………」 「…………」 恭也が見たもの。それは籠である。 果物を入れておくのには少し大きめと思われるそれは、中にタオルがしかれているのがわかる。 そして、そこから二本のやや細長い耳が伸びており、布団の方向をうかがうようにぴくぴくと動いていた。 要するに、久遠の即席寝床が枕元にしつらえられていたのだ。 「恭也さん、どうかしましたか? ……くーおーんー? あんた、寝ていたんじゃなかったの?」 「きゃん!!」 久遠がおきていることに気が付いた那美の低い声に久遠は人型になって部屋から逃げ出す。 あわただしい足音は階段の方に向かい、 「ぎゃん!! くぅん……」 どうやらつまづいたようだった。 「どうやら、なのはの部屋にでも行ったようですね」 足音と気配で久遠の様子を追っていた恭也がそう結論づける。 「すいません。あの子、リビングで眠りかけていたので、レンちゃんに籠とタオルお借りしてベット作ってあげたから、すっかり寝ているものだと思って……」 油断していました。と自分の判断を悔やむ那美。 「久遠が居合わせるのは初めてではないので、気にすることもなかったような気がします……」 恭也は恭也で思わず慌てた自分を恥じていた。 夢移しで知っていたことだが、久遠自身も人型での経験もあるし、社で那美と恭也がしていたときも結構すぐそばにいたはずであり、なにより現場を見られて いたこともある。 同じ部屋にいたとしてもいまさら騒ぐ事でもないような気もするし、なにより部屋に入るときに気が付かなかった自分に問題がある。 那美が自分の部屋に泊まるということで、ずいぶんと舞い上がっていた己を自覚し、気が緩んでいると反省する恭也だった。 「それはそうかもしれませんけど、ああいう風に聞き耳を立てるのは感心できませんから」 あとでちょっとお説教です。と少しむくれ気味の那美。 最初の初夜もかくやという雰囲気は、どこかに行ってしまっていた。 「しかし、美由希が帰ってくる前に盛り上がるのはまずいと思うので、よかったのかもしれません」 なんとなく落ち着いてしまった二人は、そのまま布団の中で雑談に興じる。 「美由希さんは盗み聞きなんてしませんよ?」 さすがに人の親友まで一緒とは思えず那美は反論する。 「しなくても、あいつも御神の剣士です。気配や物音から察してしまうでしょうから」 「あ、あはははは。そうですね」 いくらわかられていても現場を見通されては気まずいと恭也は説明し、それは恥ずかしいと納得する那美だった。 「今日は神咲さんも疲れているでしょう。このまま寝てしまうのも悪くないと思いますが……」 「えへへ、ありがとうございます」 あくまでも自分の体調を気遣ってくれる恭也に嬉しそうに体を摺り寄せる那美。 湯上りの柔らかな体を押し付けられ、恭也は思わず反応しそうになる。 「でも、その、遠慮なんてしないで下さいね」 そんな恭也の状態を知ってか知らずか、恭也の耳元で恥ずかしがりながらも那美はそっとささやく。 体温と、それよりも熱く感じられる吐息が恭也の首筋をくすぐり、その感触に恭也の理性は決壊寸前であった。 「しかし、体に負担をかけるわけには……」 なおも踏みとどまろうと、懸命に那美に、というよりは自分に言い聞かせる恭也。 はっきり言って無駄というよりは無意味な努力である。 那美も確かに疲れてはいるが、霊力はほとんど使っておらず、体力的にもさほど消耗していない。 銃撃戦に巻き込まれたために、精神的に疲労してはいるのだが、恭也と同衾することによってその疲れもどこかに行ってしまっていた。 また、美由希が覗くかもしれないと思っている恭也だが、これも要らぬ心配である。 今日のお膳立ては、美由希がしたものであるから、それを無駄にするようなことをするはずもないし、そもそも、純情な美由希は、先日のデバガメ未遂とて、 レンと晶に引っ張られたようなものである。 そのような気配に気がついてしまえば恭也の部屋の前を通ることすら出来ないであろう。 「大丈夫ですよ」 据え膳を前にしてまで遠慮している恭也にさらにもう一押しをくわえる那美。 「…………」 それでも動かない(ここまで来ては最早意固地になっているとしか思えないが)恭也を見て、那美は別の話題を持ち出してきた。 「恭也さん、恭也さんはとても魅力的なんですよ」 「それは、ないと思うのですが」 いきなり何の話かと思いつつも、あまりに自分にふさわしくない形容に恭也は否定を返す。 「あら、それじゃあ、私はどうして恭也さんのこと、好きになったんでしょうね」 自分が人気があるなど、どうあっても信じられない恭也ににっこりと笑って魅力を感じている見本を見せる那美。 これを否定しては那美の人を見る眼を疑う事になってしまうため、恭也は沈黙するしかなかった。 「高校になってからの再会で、ちょっと怖そうだけど、薫ちゃんに似たカッコいい人だなぁって思いました。その後、なのはちゃんを連れてきて、ああ、妹さん 思いの優しいお兄さんなんだなぁって……聞いています?」 視線を逸らし始めた恭也の両頬をむに〜っとつまんで引っ張る那美。 「きひへいまふはら、はなひへくらはひ」 なにかやたらと褒めちぎられて、じんましんと戦っていたが、那美の笑顔に妙な迫力を感じ、心の中で正座した恭也だった。 「剣術されていて、とってもお強いですし、神咲の退魔も、久遠の事も、ちょっと驚いただけで受け入れてくれて、久遠の時は私の想いを貫くお手伝いまでして くれましたよね」 「……お役に立てませんでしたが」 那美の感謝にめいっぱいずれた感想を漏らす恭也。 今日はじめて霊障に関しても何かしらのことができると判明したが、基本的に恭也は霊障に関しては役立たずであり、いくら剣ができようとも無力な素人でし かない。 海鳴にはやたらといる気もするが、自分が無力な世界を見てなお、踏みとどまれる人間はそんなに多くはないのである。 恭也は御神の剣をよりどころとして、見当違いな戦力として自分を捉えているふしもある(もっとも、霊障に直接かかわらない部分ではフォロー役として大い に役に立っている)が、那美からすれば剣の通じない世界でなお、自分のそばにいてくれるのであるから役に立つ立たないなど些細な事でしかなかった。 「そんなことないです。恭也さんがそばにいてくれるから、私は今までよりももっと先へ進めるようになったんですよ。私にとって恭也さんはとても有り難い存 在なんです」 それに、と一転して、表情を曇らせて那美は続ける。 「恭也さんの周りにはとっても魅力的な女の人が多いですし……」 事実である。 条件だけを並べるなら那美は恭也の周囲ではスペック的に劣ると言わざるを得ない。 いくら剣術を少々たしなんでいるとはいえ、運動神経は相当に鈍く、他の面々に対してもかなり見劣りがする。 家事はレン、晶に遠く及ばず、同じ剣の道を共に歩む美由希ほど人生を重ねられない。 容姿では完全に忍に負ける(というよりも将来性も考慮すると那美がいちばん貧相である可能性が高い)し、気軽な冗談を言い合うようなこともない。 フィアッセにいたっては自分が勝てる要素などどこをどうとっても見つけられない那美であった。 「それは、考えすぎです」 かなり憮然として、恭也は那美の言う事を否定する。 恭也からすれば、幼い日の治癒は唯一、恭也が甘えた出来事であり、あの出会いがなければいまの自分がないとすら思えるほど恩を感じている。 家事とて美由希ほど破滅的とは思えないし、女性的な魅力も十二分に感じている。 「俺は、その、神咲さんに魅了されつづけていますから……」 恭也なりの精一杯の表現。 那美はごめんなさい。と一言謝ると、恭也にすがりつくように身を寄せた。 「恭也さんの事、信じています。私自身よりも、信じます」 そのまま、恭也の胸に顔をうずめる。 恭也は、那美の髪の毛をそっと梳きながら、少し震えている体に腕を回す。 いつもの自分を省みるにつけ、ここまで恋人に言わせてしまった事に嫌悪感を覚える。 恭也は今、何を伝えるべきかを考える。 ふと、いつかの睦言の時に那美に言われたことを思い出す。 今は行為だけでなく、言葉でも伝えるべきと恭也は自然に思えた。 「那美」 ぴくり。と自分を呼ぶ声に那美が反応する。 「那美の事、愛しています。那美は、誰にも渡しません」 那美の目を見て、不器用なりに想いを伝える。 思えば、「好き」とすらほとんど言った事がなかった。 「あ、ありがとうございます……」 嬉しいです。と感極まって涙を流す那美。 恭也は華奢な体を限度をわきまえつつも力強く抱きしめる。 二人の夜は、長くなりそうだった。 その3へ |
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ひとりごと ごふっ、ザーーーーーーーーーーー(←砂を吐き出して口から漏れる音) |