抜かずの刃、鎮魂の祈り
第三話 とあるいつもの(その4) カワウソ


 それから一時間半後。
 那美にしてみれば少々長めの、恭也にしてみれば下手をすると一週間分くらいの長風呂の後、単に入る以上にのぼせてしまった二人は縁側で夕涼みをしてい た。
「あの……、恭也さん。本当に『おまじない』しなくていいんですか?」
 普段着のブラックジーンズに包まれた膝を心配そうに覗き込む那美。
 風呂場で『おまじない』の申し出を那美にされていたが、恭也はそれを断っていた。
「……見た目にはひどい怪我に見えますが、古傷ですし普段はどうということもありません。それに、フィリス先生の治療の下、完治の見込みは少しずつですが 大きくなっています」
 恭也の右ひざは二回連続で砕いてしまったことがあり、常識的に言って歩行すらおぼつかないほどの深刻なものであった。
 それを致命的な故障の部分だけでも、なんとか回復可能な状態にまで持っていったのが、幼い日の那美の治癒術である。
 その後の恭也の桁外れな根性と努力と回復力があってこその今の状態ではあるが、那美の治癒術なくして回復はありえず、その時に支えられたことも含め、恭 也は深く感謝していた。
 しかし、
「……神咲さんの治癒術は神咲さんに相当な負担をかけると思います。お仕事の時に差し障ってははなはだまずいのではないかと」
 恭也は那美が治癒術を使うたびに那美がひどく疲れているのを気にしていた。
 切り傷擦り傷やちょっとした疲れなどを癒すのであればそうでもないが、少し深い傷などを治した後の那美はかなり顔色が悪く、具合が悪そうに見える。
 幼い日の恭也の治療の時は結局丸一日寝込んでしまい、起きられずに海鳴の滞在予定を一日延ばしてしまったとも聞いている。
 退魔の仕事でも霊力は使うのであるから、常日頃は温存しておいたほうがいいように恭也には思えていた。
「え、ええと、はい。お心遣い感謝します」
 那美としては連日連夜鍛錬に明け暮れる恭也の膝に対する負荷が気になっての申し出であったが、逆にここまで気遣われてしまっては無理にとはいえなかっ た。
 もっとも、恭也からしてみれば、本日は背中を流してもらうのに始まるその他もろもろがあったのだからこれ以上はサービス過剰と言うものであろう。
「そういえば、お仕事のほうですが、あれからないのでしょうか?」
「はい。警察のほうでもぜんぜんないようで、このところ、お呼びがかからないんですよ」
 このお仕事が暇なのはいいことなんですけどね。と那美は笑って付け加えた。
 次回からの救霊の際には必ず同行すると約束した恭也だが、その後、那美に回される仕事はぱったりと止まっていた。
 退魔士として暇なのはいいことであるが、さすがに気になった那美は八束神社の神主や警察にも問い合わせている。しかし、こと霊障に関しては海鳴周辺は静 かなようだった。
「それならばいいのですが。――それと、四人とも、そんなところで様子見などしないで入ってきていいぞ」
 那美の説明を受け、納得した恭也はおもむろに庭先に視線を向け声をかける。
 果たして、多少ばつの悪そうな顔をしながら、美由希を先頭に晶、レン、なのは(それに久遠)が庭に入ってきた。


「いつから気が付いていたの?」
「そんなに前ではないぞ、レンが玄関に入って久遠を使って風呂場と俺の部屋を確認し、お前達がそろって縁側を覗き込んだあたりくらいからだ」
 ばれていないと思っていたのか多少悔しげにたずねる美由希にしれっと答える恭也。
「あうぅ、最初っからじゃない……」
「お師匠、いつもにもましてごっついですなー」
「師匠、人間捨てすぎですよ」
「おにーちゃん、すごい……」
「そうか?」
 戻ってきてからの行動をほとんどモニターされていたと言われ、感心するしかない高町家の(一人欠員につき)仮想四姉妹。
 対する恭也は平然としているが、剣において最近自分にほぼ追いついている美由希の先の先を取れてひそかに満足していたりする。
 もっとも、恭也とて、いつ帰ってくるかわからない相手にここまで詳細に感知できるわけではない。
 那美の言葉から帰ってくる頃合を見計らって気を張っていたのだ。
 枯れているだのじじ寒いだのと言われるが、意外にいらぬところで鍛えた御神の技の無駄遣いをする恭也だった。
「まぁ、それはそれとしてだ。四人とも、今回の件についてだが……」
 こほんと咳払いを一つして切り出す恭也に、なぜかびくっと震えるなのはと久遠以外の三人。
「……なぜにおびえる?」
「いえいえいえ!! なんでもありません!!」
「お師匠、どぞお気になさらず続けたって下さい」
「……わかった」
 なにかやましい所がありますと力いっぱい告げている晶とレンの反応だったが、なんとなく予測のついている恭也はそれを追求することなく話を続ける。
「皆の気持ちはありがたいが、俺も神咲さんも他の住人まで追い出して二人っきりになろうなどとは思わない。どうしてもなりたければ俺達がどこかに行くか ら、今後、このような気遣いは無用だ」
 家族公認のうえ、わざわざ二人きりの時間を作ってくれるのはありがたいが、自分達が追い出したようで気が引けるし、ここまで露骨ではかえって「なにをし ろと?」という気分になってしまうものである。
 もっとも、今回はやることをやってしまっているので余計なお世話と抗議する資格があるはずもないのだが、次からはわざわざしてくれなくてもいいと釘をさ す恭也だった。
「はーい」
 気持ちだけもらっておくという恭也に四人はいっせいに返事をする。
「さてと、俺達は夕食の支度をしますね。那美さん、食べていかれるでしょ?」
「ええと、そうですね。ご馳走になります」
「おし、んじゃ今日も腕によりをかけて作らさせていただきます」
 お楽しみにと気合も新たに台所に向かう晶とレン。
 そんな二人を少し羨ましそうに見る美由希と那美を横目に、恭也は二人に声をかける。
「……楽しみにしているが、露骨なスタミナ料理など作らないようように」
「は、はいっ!!」
 どうやら図星だったらしく、引きつり具合まで綺麗にはもった返事をする晶とレンだった。


「しっかし、さっきはびびったな」
「なんや、お師匠、最近とみに鋭どうなっとるからな」
 台所で買ってきた食材を整理し、冷蔵庫の中身と併せて晩の献立を組み立てる晶とレン。
 いつもなら食材の使用方法に整理方法、はてまた台所のポジション争いで文字通りの一戦を交える二人だが、今日は珍しく、恭也の話題で口だけを動かし、手 は順調に作業を続けていた。
 実のところ、なのは以外の三人は那美をけしかけて出歯亀をするつもりだったのだ、
 日頃、一家の主よろしくどっしりとかまえた恭也には色々な意味で隙がない。家族や同居人からすると頼もしい半面、どこかに穴を見つけたくもなるのだ。
 そのチャンスが思いもかけず巡ってきたのだから、その機会は存分に生かしたくなると言うものである。
 しかし、そのたくらみを阻止したのは久遠の
「三人とも、うまにけられてしにたい?」
 という、内容とは裏腹に純粋な一言であった。
「まぁ、きつねに言われたとおりにしてよかったかもな。師匠に見つかったら間違いなく折檻されただろうし」
「うう、想像したないわ。那美さんがいるとはいえ、お師匠、そういうことに妥協はせえへんやろからなぁ」
「二人ともー、私がどうかしたの?」
 御神流師範代のまだ見ぬ仕置きを想像し、背中が薄ら寒くなった二人の後ろから那美が声をかける。
「うわぁ!! 那美さん、いきなり声かけないでくださいよ」
「やかまし!!」
 那美のいきなりの登場で飛び上がる晶にレンのスリッパ突っ込みが炸裂する。
 恭也がこの場にいたら、かなりの高得点をつけたであろうその一撃を顔面にまともに受けてしまった晶は、そのままうずくまってしまった。
「わわわ、晶ちゃん、大丈夫?」
「問題あらしません。こないな打撃でどうにかなるほど可愛げのあるおさるとちゃいますから。それよか、那美さんはお師匠と一緒ではなかったのですか?」
 いつもの事とはいえ、あまりに痛そうな音に驚く那美に、晶への突っ込みで内心の動揺を隠したレンが何食わぬ顔で話をそらす。
「あ、ううん。恭也さんは美由希さんとご飯ができるまで打ち合うって言うから私は二人のお手伝いをしようかな、なんて……」
 恭也のそばにいるのでは?と聞かれた那美はどこからか持ち出したエプロンを片手に少し困ったような笑みを浮かべる。
 今日は恭也に引っ付いていようかなとも思った那美だが、稽古の邪魔をするわけにも行かず、また御神同士の打ち合いはあまりに動きが速い上に複雑すぎて那 美には見取り稽古にもならない。
 それならばと夕食の準備の手伝いをと思ったのだが、高町家の料理主担当者は二人そろってプロ一歩手前の腕の持ち主である。
 申し出たはいいが、自分にできることがあるのだろうかと不安になる那美だった。
「あー、助かります。ほなら、まずはさやえんどうのスジ取り、お願いしたってええですか?」
「うん、じゃぁ、それから」
「こらー!! カメてめぇ、顔面はよせって言ってるだろうが!!」
 笑顔で那美の申し出を快諾するレンにようやくダメージから復活した晶が飛びかかろうとする。
「ふん、おさるは晩飯できるまでのびとれ!!」
 当然、そのままやられるレンではなく、いつもどおりに応戦しようとする。が、
「晶ちゃん!! レンちゃん!! 喧嘩はいけません!! 晩御飯が遅くなります!!」
「……はい」
 これまた狙い済ましたタイミングで現れたなのはに瞬殺され、すごすごと作業に戻る二人だった。

その5へ


ひとりごと

 この二人って布団の上ではまだしていなかったりして(←下世話)


三話その3へ


三話その5へ

目次へ