抜かずの刃、鎮魂の祈り 第三話 とあるいつもの(その3) カワウソ |
「さて、と」 自室で荷物を整理し、着替えを持った恭也は家族に言ったように風呂に向かった。 「……大丈夫、だな」 脱衣所の扉を開ける前に中の気配を探り、ノックもしてみる。 人の気配も、返事もないことを確認し、恭也は脱衣所に入った。 荷物を整理している間に年少組は出かけており、いま家にいるのは先ほど風呂に入ったばかりの那美と美由希なので誰もいないとはわかっているが、恭也は常 日頃からトイレや風呂に入る前には必ずチェックすることにしていた。 なにしろ、自分以外は家族も来客もほとんどが女性の高町家である。間違って鉢合わせでもした日にはその後の展開は想像するだに恐ろしい。 那美と言う恋人ができる前はそれほど気にもかけていなかった恭也だが、さざなみ寮で何度かニアミス(といっても恭也が借りているところに乱入されたケー スしかないが)を経験してからは自宅でも気をつけるようにしていた。 脱衣所で服を脱ぎ、洗濯物になる服はきちんと表が見えるようにして洗い物用の籠に入れる。 自分用のタオルを手にとり浴室に入り、まずは汗を流そうとシャワーのコックに手を伸ばそうとしたとき、脱衣所に誰かが入ってくる音がした。 「あのー、恭也さん。もう入っちゃいました?」 「……か、神咲さん?」 風呂場の曇りガラスのドア越しに声をかけてきたのは那美だった。 「ええとですね、やっぱりお背中お流ししようかと思いまして……その、ご迷惑だったでしょうか?」 「あ、いえ、今から体を洗おうとしたところでまだ洗ってはいないのですが」 まさか本当に来るとは思っていなかったためあたふたと返事をする恭也。 慌てているために自分の状況を答えるだけで、いいわるいの返事になっていない。自分でもそれに気付き、一度自分が落ち着くためにもとりあえずは戻っても らおうとする。 が、 「そうですか、では、失礼します」 まだ洗っていない、を承諾ととったのか那美は浴室に入ってきてしまった。 「やっぱり、凄い筋肉ですね」 泡立てたスポンジで恭也の背中をこする那美。 全身贅肉のない引き締まった筋肉で覆われた恭也の体だが、背中は特に筋肉がついている。 小太刀とはいえ、人の二の腕ほどの長さもある鉄の棒を片手で長時間精密に扱うだけの揚力を持つ恭也である。その筋力の源である背筋は一つ一つの種類が特 定できるほどにビルドアップされていた。 「それに、凄い傷跡……」 腕や脚は特に多いが、体や背中にも相当数の傷跡があり、ほとんどが刀傷である。 中にはわき腹を切り取られたのではと言うようなものから、なにかが貫通したものまである。 また、ほとんどが古傷ではあるが、まれにかなり新しい傷もあり、御神の剣士の鍛錬や活動の過酷さを物語っていた。 「……初めて見るわけでもないとは思いますが」 瞑想状態のようにややうつむき加減で、どこか焦点の合っていないような目で恭也がつぶやく。 バスタオル一枚で入ってくるのではという恭也の予想を裏切ってTシャツにホットパンツと言ういでたちの那美だが、思わず見てしまった胸元から、下着を着 けていないことがわかる。 「代えがもうないから」と言われてしまってはそれ以上追求も出来ず、そのままであればそれほど危ない服装ではないが、ここは浴室。何かの拍子で濡れてし まったらなかなかに色っぽい姿になってしまうのは予想に難しくない上に那美であればなおのことその危険度は上がる。 昼間と言うこともありいつ誰が帰ってくるかわからないこの状況で、これ以上煩悩が刺激されないようにと半ば祈るような気持ちの恭也だった。 「それは、そうなんですけど、明るいところできちんと見たことって余りありませんし、この前、耕介さんがずいぶんと驚いていたので、私もちょっと気になっ ちゃって」 つ……と背中のひときわ大きい傷跡を指でなぞりながら多少決まり悪そうに言う那美。 先日の「高町兄血まみれ事件」(命名、仁村真雪)の際、耕介は恭也の体を見ており、多少なりとも衝撃を受けていた。 高校のころは不良だった耕介からすれば、その時分なら傷一つあれば周囲への相当な威嚇になるし、一灯流の遣い手としての観点からもどれだけ過酷な修練と 実戦を積んできたかが伺い知れる。 傷が多ければえらいと言うものではなく、逆に若いうちについた傷は未熟者の証と見ることもできるが、少しだけ恭也の過去を聞いたことがある耕介は、本物 の剣士の何たるかを見せ付けられた気分だったのだ。 もっとも、このような殊勝な考え方をしたのは耕介だけで、真雪などは話を聞くや否や「高町兄傷跡マップ」などという等身大の恭也のオールヌードを描き始 めた。 ちなみに、締め切りそっちのけで作り始められた大作だが、デッサン段階で見つかってしまい、本気で怒り出した那美に没収されてしまっていたりする。 「この傷、もしかしてチャリティーコンサートの時のですか?」 「……それは、そうだったと思います」 恭也の背中にある右から斜めに一本、交差するように左から二本、ひときわ大きく走っている刀傷のうち、かなり新しいものをそっと手のひらでさする那美。 対する恭也はそういった那美の行動一つ一つに反応してしまう自分自身を押さえるのに精一杯で気の効いた返事など出来ない状態にあった。 「それと、膝は……」 それに気付かず、洗う事も忘れて背中をさすっていた那美がふと恭也の横に回り、膝を覗き込む。 完全にえぐれ、新しい肉が盛り上がっている痛々しさに那美はすこしつらそうな顔をした。 「ひどい傷だってわかっていましたけど、こんなにひどいなんて……恭也さん、上がったらおまじないを……あ」 恭也の顔を覗き込もうとした那美の視点が、そこにたどり着く前に一点で固定されてしまう。 そこは、タオルで隠されているものの――それゆえにか――立派なテントが設置されていた。 「その……、生理現象というやつでして……」 かなり頬を紅潮させ、視線をさまよわせる恭也。 期待していないのも問題ではあるが、背中を流すだけだと言うのにこの反応は本人としてはかなり恥ずかしいものがある。それをまじまじと見られては相当に 気まずいものがあった。 「え、ええと、そのぅ」 その恭也の反応を見て、どういったらいいかわからずおたおたする那美。 それと同時に恭也の斜め前からノーブラで前かがみになっている自分にも気付く。 いままでのとった行動とあわせると、かなり扇情的な姿であることに思い至り、一挙に顔が真っ赤に点火した。 「す、す、すいません石鹸流していなかったですね!! すぐ流しますから」 慌てて立ち上がり、シャワーに手を伸ばそうとする那美だが、当然のごとくバランス崩し恭也に倒れこむ。 「きゃあ!!」 「……おわ、と」 支えようとする恭也だが、洗い場用の腰掛けに座っている状態では踏ん張りがきかず、那美を抱えたまま床へ転がり落ちる。 「…………」 「あうう……」 結果、那美も泡だらけになり、洗い場に二人して倒れこむことになった。 「すいません。またのしかかっちゃって……」 「……こちらこそ、救助活動がいたらなくて申し訳ありません。その、すぐに出ますのでちょっと待ってください」 なるべく那美を見ないようにしながらあたふたと体の泡を落として出ようとする恭也。 洗い場の床にへたり込んでいた那美は泡と水に濡れて肌に張り付き、恭也が慌てて体を流すシャワーの余波でさらに透けてしまったTシャツの襟をつまみなが ら、そんな恭也の行動を止めた。 「着替えは置いてありますから、私ももう一度入っちゃいます」 「ですから、先に……」 さすがに那美の言わんとしているところはわかっている恭也だが、これ以上狭い空間に二人きりでは理性を保つ自信はない。 美由希はまだ家にいるはずだし、出かけた三人も帰ってきてもおかしくない時にこれ以上は危険としか思えなかった。 「大丈夫ですよ」 「……はい?」 「美由希さんも私にこのシャツとか貸してくれたらすぐに出かけちゃいましたし、その、晶ちゃんたちもそうですけど、みんな二時間くらい帰ってこないって 言っていましたから」 理性と煩悩の狭間で葛藤する恭也に那美は恥ずかしげに、それでも止めずに最後の一押しを放った。 「……そ、そうですか、では、お待ちしていますので」 「はい……」 その場で押し倒しかねない気持ちを何とか抑え、声だけは冷静な恭也。 那美は先ほどから点火したままの頬をさらに赤く染め、いったん脱衣所に上がっていく。 ほんの少しの衣擦れの音を聞きながら、恭也は床に落ちていたスポンジを手にとり、いそいそと体を洗い始めた。 その4へ |
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ひとりごと 恭也のほうが露出度が高いな。 |