抜かずの刃、鎮魂の祈り
第三話 とあるいつもの(その2) カワウソ


 高町家リビング。
 縁側で一服していた美由希と那美は、美由希が練習前にタイマーセットしておいた風呂で汗を流し、普段着に着替えて雑談モードに入っていた。
「――あ」
 ふと、美由希が、何かに気が付いたように玄関の方に顔を向ける。
「美由希さん、どうかしましたか?」
「恭ちゃん、帰って来ました」
 美由希の様子を不思議に思った那美に、美由希はそう答えると玄関の方へ歩いていく。
「あ、美由希さん。私も行きます〜」
 那美も慌ててその後をついていった。


「おにーちゃん、おかえりなさい」
「師匠、お疲れさまです!!」
「おししょー、おかえりですー」
 玄関には帰ってきた恭也と、すでになのは、レン、晶が二階から降りてきて恭也を出迎えていた。
「ただいま……と、久遠来ていたか」
「くぅん」
 恭也は肩に担いでいたスポーツバックを下ろし、久遠を抱き上げる。
 久遠は尻尾をパタパタと振り、嬉しそうに恭也にじゃれついていた。
「恭ちゃんお帰りなさい。那美さん来ているよ」
「こんにちは恭也さん、お邪魔しています」
「……ただいま。と、神咲さんいらっしゃい。美由希と稽古ですか?」
 玄関に来た二人の髪がかすかに濡れているのを見て取り、恭也は那美の訪問の目的を言い当てる。
「はい、美由希さんに打ち込みの相手をしていただいていました」
「ついさっき終わったところだよ、それにしてもみんな、恭ちゃんが帰ってくるのわかってたの?」
 那美の返事を補足してから、美由希は自分達より先に恭也を出迎えていた三人に聞く。
 レンの部屋からよりも、リビングのほうが玄関に近い。美由希が恭也の気配に気がついてすぐに玄関に向かったにもかかわらず、なのはたちが先に玄関にいたと言うことは、なのはたち美由希よりもすこし先恭也が帰ってきたのに気付いたことになる。
 三人が美由希よりも気配に敏感と言うことはないので、前もって帰って来る時間を知ってたのかと美由希は思ったのだ。
「ううん、くーちゃんがおにーちゃんが帰ってきたって教えてくれたから下りてきたの。くーちゃん、すごいねー」
「しっかしおどろいたゆーか、美由希ちゃんより先にお師匠の気配に気がつくとは、やるな、くー」
「くうん♪」
 久遠が気が付いたと答えるなのはとその察知能力の高さに感心するレンに誉められて、久遠は恭也の腕の中でこころもち得意げに尻尾をゆらす。
「へー、久遠凄いねー。やっぱり野生動物は感覚が鋭いのかな?」
「美由希ちゃん、久遠は半野良ですらないと思うんだけど」
「えー、ええと、そうかもしれないけど……」
 その様子を見て、ちょっとずれた関心の仕方をする美由希と素直に突っ込む晶。
「あはは……」
 そんな中、一人と一匹の親友達に先に恭也の気配を感じ取られてしまった那美は自分の感覚の鈍さに苦笑いをしていた。
 もともと聴覚嗅覚が人より遥かに優れているはずの久遠や、恭也があまり隠していないとはいえその気配を察知できる美由希に対抗すると言うのがどだい無理な話ではあるのだが、恋人の気配くらいは誰よりも先にわかりたいと思うのは当然のことであろう。
「動物の感覚は鋭いから。久遠が一番最初に気が付いたのは不思議でもなんでもない」
 那美の複雑な心境を知ってか知らずか、玄関内で立ち話が続きそうな面々を尻目に、恭也はそう締めくくって久遠を下ろし、スポーツバックを担ぎなおす。
 実際のところは美由希に突っ込もうとしていたところを晶に先を越されてしまい、ちょっと不貞腐れていたりもする。
 もっとも、本気で悔しがっているわけではないので、誰も気付くことはなかった。
「あ、恭ちゃん。私と那美さんはさっきお風呂に入ったばかりだから、汗流すんだったらすぐに入れるよ」
「そうか、なら、そうさせてもらう」
「ゆっくり入ってきてくださいね。俺、なんかおやつ用意しておきますから」
「ほんなら、うちはあつーいお茶でも淹れときます」
 ふむ。と一つうなづいて妹に返事をして荷物を置きに行く恭也に晶とレンがそれぞれ声をかける。
 いつもながらの風景であった。が、
「あ、恭也さんお背中お流ししましょうか?」
「ええええええええ〜??」
 那美の何気ない発言をきっかけに玄関先はわけのわからない騒音に包まれることになった。


「なぁ、この場合って、背中流すだけか?」
「晶、それ以上は野暮と言うものや。想いおうとるお二人が一糸まとわぬ姿で密室に二人っきり……ああ、これ以上はうちには口に出来ん〜」
 興味津々とばかりにレンに同意を求める晶に、妄想でどこかへ旅立ちかけるレン。
「え?あ、いえ、べ、べ、べ、べつにいっしょに入ったりするわけじゃなくて……」
「那美さん、だいたん……」
「はわわわ〜」
 二人のあらぬ方向への脱線で、ゆでだこもかくやと顔面に血液を集結させる那美。
 高町家姉妹はそんな三人を見て、我が事のように照れていた。
「……何を騒いでいる。冗談に決まっているだろうが」
 そんな妹と妹分と恋人を前に、いつもにも増して憮然とした表情でたしなめる恭也。
 当然のことながら照れ隠しである。つかんだ柱にヒビが入っているところからも恭也が相当動揺しているのは見て取れた。
 那美も、二人だけの時はそこそこ積極的で、自分から擦り寄って甘えてくる。
 というか、恭也が要らぬ遠慮をしているため、自分から迫ると言うことはほとんどなく、那美がきっかけだけでもリードしないと先に進まないのだ。
 ゆえに、やることはやっている二人だが、はたからはその進展はじれったくなるほど遅く見える。なにしろ、恭也が用意された据え膳しか食べようとしないのだからそれも当然である。
 それでも、そんな恭也に那美のほうが積極的になったせいか周囲にもわかるほどには進展してはいた。
 そのため、今この場に二人しかいなければ、それくらいのことは言い出してもおかしくはないと思えるが、衆人環視の中で言い出すとは恭也も思っていなかった。
「は、ははははは、はい!! 冗談です!!」
 渡りに船とばかりに恭也に便乗する那美。
 とはいえ、どもって力みまくった上に声が裏返っていては「嘘です」といっているようなものである。
 那美としてはなんとなく稽古から帰ってきた恭也に何かして上げたいと思ってつい口に出してしまったのだが、那美本人にとっても人前で言うにはかなりふっとんだ内容である事に気づき、慌てふためいていた。
「あ、あはは、そうですよね!」
「そ、そうだよな。冗談だよなー」
「なるほど、那美さんもなかなか言うようになりましたな」
「はにゃー、冗談だったの?」
 しかし、そんな那美に高町家の娘達は口々に同調する。
 からかおうと思ったところで、経験なぞない4人。本当にそんな展開が目の前で行なわれたら照れまくるしかないのだ。
「……そういうことだ、みんなわかったな」
 もっとも、今回はそれ以上に、それぞれの兄であり師であり、場合によっては父親役でもある長男のプレッシャーが強烈だったようである。
「というわけで、兄は風呂をもらう。みなはそれぞれの持ち場に戻るように」
 ものすごい勢いで首を縦に振る妹と妹分たち、それに少々複雑な表情の恋人を背に今度こそ恭也は自分の部屋に向かった。

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