一年後の柏木家の食卓 中編

 

「さあ、熱いうちにどうぞ召し上がれ」

 千鶴さんが膝の上にお盆を立てて座り、にっこりと笑ってそう言った。
 しかし、誰の口からも「いただきます」の声が出ない。

「どうしたんですか? 耕一さん」
「あ・・・うん。ごめん。 いただきます、千鶴さん」
「はい」

 千鶴さんが首を傾げてちょんとうなずいた。
 なんとなくその目つきが、新薬を投与した実験動物をみる科学者のようにみえるのは、俺の悪い先入観のせいだけだろうか。
 箸を親指に挟んで合掌。いるんなら神仏にでもすがりたい気分だ。

 まだ熱い茶碗蒸しの蓋を箸の先で摘み、ゆっくりとおろす。
 一瞬ふわっと上がった湯気が、おとぎ話に出てくる魔女の毒鍋を連想させる。
 しかし、その湯気の中から姿を現したのはヤモリやトカゲの足ではなくて、薄黄色のとてもおいしそうな茶碗蒸しの肌だった。

「・・・おいしそう」

 あんまり意外だったので、ぽろっと口からそんな言葉がこぼれてしまった。
 こんなにまともなものが出てくるなんて。
 しかし千鶴さんはその言葉を、素直に受け取ったらしい。

「そうですか?! 耕一さん本当ですか?!」
「嘘言ってどうするの。 いやほんとおいしそうな色してるよ」

 色は・・・ね。

「まあ、見た目はふつうの茶碗蒸しだな」

 梓が自分のをじろじろみてそうつぶやく。
 その言葉に千鶴さんの耳がぴくぴくっと反応するのを俺は見た。

「・・・うん、匂いもふつうか。 楓、そっちはどう?」
「反応が出るまで、もうすこし待って」
「梓? 楓?」

 どこから出してきたのか、怪しげな器具をつかって成分検査する二人に、千鶴さんは微笑みかける。
 その手元で、膝の上のお盆にぴしりと大きなひびが入った。
 千鶴さん・・・爪がめり込んでます・・・

「・・・全試薬に反応なし。砒素、シアン化合物、重金属類による汚染はないわ、姉さん」

 千鶴さんの渾身の微笑みに気付いていないのか気付いてて無視しているのか、楓ちゃんがきわめて冷静にそう言った。

「そっか。さんきゅ、楓。・・・と言うわけだから耕一、安心して食べな」
「・・・死ぬことはないと思います」

 そんなこといわれて安心できるかぁッッ!!

「お・・お姉ちゃんたち。ちゃんと食べようよ」

 千鶴さんから放たれる不穏なオーラにおびえたように、初音ちゃんがそう言う。
  そう言えば何となく千鶴さんの周りの空気の温度が異様に下がっているような・・・

「そうだぞ、千鶴さんが一生懸命作ってくれた料理じゃないか。ちゃんと食べなきゃばちが当たるぞ」
「じゃあ耕一が最初に箸付けろよな」

 俺の言葉に、梓が狙い澄ましたタイミングでカウンターを入れてきた。

 気付いたときにはもう遅い。

「耕一さん・・・」
「耕一お兄ちゃん・・・」
「・・・」

 俺を取り囲む期待に満ちた目・・・。
 千鶴さんのすがるような視線にたじろいで目をそらすと、初音ちゃんが大きな目を潤ませ「お願い光線」を発射してくる。さらに目を移すと、楓ちゃんがひたすら静かに俺を見つめている。
 視線に追いつめられ逃げ場がなくなった俺に、梓が人ごとのように軽いノリで言った。

「大丈夫だいじょうぶ! 人間一度しか死なないって」

梓を睨み付けてから、ためいきと共に俺は腹をくくった。 「・・・わかった。まず俺が食べるから、みんなもちゃんと食べるんだぞ」

 こくこくとうなずく梓たち。
 俺は匙を手に取り茶碗蒸しの器を引き寄せた。

「いただきますっ!!」

 気合いと共にひと匙すくい、一気に口の中に放り込む。
 その次の瞬間。

「ひうわあぁぁあぁぁっぁあぁぁぁっっっッ!!!!」

 俺の口から絶叫がほとばしっていた。

「お兄ちゃん!」
「耕一さん!」
「初音! 救急車!」

 梓たちが立ち上がり俺のそばに駆け寄ってくる。

「耕一、しっかりしろ! 今救急車が来るからな」
「お兄ちゃん・・・死んじゃやだぁ・・」
「耕一さん・・・耕一さん・・!」

 梓が俺の頭を抱いて声をかけてくる。初音ちゃんと楓ちゃんは俺の手を握ってほとんど泣かんばかりに俺を呼んでいる。その向こうで千鶴さんがおろおろしているのが見えた。

「千鶴姉! 何入れたんだ今度は!」
「そ・・そんな・・・」
「・・・ち・・違う・・・あずさ・・」

 俺は、のどの奥の焼け付く痛みをこらえながら声を出した。 

「み・・水・・・」
「水か?! 末期の水だな?」
「ち・・違う・・はやく・・・水・・・」
「お兄ちゃん、はい! お水だよ!」

 初音ちゃんがコップを俺の口にあてがう。
 俺がのどを鳴らして水を飲む間、食卓は静けさに覆われた。
 まるで・・・家族の死を看取るかのように。

「・・・ふぅ〜〜っ・・」
「耕一さん!」
「耕一!」
「おにいちゃぁん・・・」

 俺を取り囲んだみんなが一斉に俺の名を呼ぶ。

 ・・なんか妙なムードになってしまったなぁ・・・
 なんかこのまま俺が死なないとおさまりつかないみたいな雰囲気だ。 本当はただ単に・・・

 俺がどう切り出そうか困っていると、千鶴さんがそばに寄ってきた。

「耕一さん・・・」
「千鶴さん・・・」

 しばし見つめ合う二人。
 そしておもむろに千鶴さんは言った。

「・・・熱かったんですね?」

 俺はこくりとうなずいて、体を起こした。
 横から俺の体を抱いていた梓はなんだか硬直している。
 どこかでカラスが鳴いた。

「あ〜死ぬかと思った。あ、初音ちゃんお水さんくすね」
「あ・・・う、うん」
「もう、耕一さん。あわてて食べるからですよ」
「だってのどの奥に直接入っちゃってさぁ」

 俺と千鶴さんが話している横で、梓たちは鳩豆状態のままだ。
 無理もない。俺が死ぬと思ってたんだから。

「こ・・・耕一・・・?」

 ようやく回復したのか梓が口を開く。

「熱かった・・・?」
「おお、梓も気を付けて食べろよ。本気で熱いから」

 親指を立ててウインク。
 ポーズを決めた俺の顔面を突然座布団が襲った。
 不意の攻撃にもんどり打って倒れる俺の胸ぐらを、梓がつかみ上げる。

「こ・う・い・ちいぃっっーーーッ!! 殺してやるぅううっッッ!!」
「た、たんま! ロープロープ!! 梓、じゃすたもーめんと!!」
「うるさいっ!! 熱いだけだとぉ?!! っざけるなよこのやろーーーーーっ!!」
「だからおめーの勘違いだって・・・・」
「問答無用ッ!! いざ覚悟!!」
「あーっ! 梓お前マジだな!? 目が鬼になってる・・・・うおっ?!」

 ・・・突然始まった俺と梓の乱闘は3分続いた後、奇跡的に被害なく終わった。

「じゃあ、改めて・・」

 みんなで手を合わせて。

「いただきま〜す!」

 ・・・俺と梓の乱闘の間、千鶴さんと楓ちゃんの手によって別室に避難していた食卓を戻し、ようやく食事開始となった。
 まあ、とりあえず熱いだけで、一応飲み込んだ俺に精神汚染や行動異常、幻覚幻聴などの症状が見られない事が判明したために、みんなで食べることに踏み切ったのだ。
 それでもみんな、まず一口目は一番の安全パイであるご飯に手を伸ばす。
 三つ葉と麩が入ったお吸い物は、色、香り、共にふつうのお吸い物だがそれでもなお、何かが溶けている可能性をだれも捨てきれなかったのだろう。
しかし・・・一番怪しいのはやっぱり茶碗蒸しだ。
 お互いの顔色を伺うように同じペースで、ご飯、お吸い物と食べおわり、ついに茶碗蒸しが残った。

「・・・どうしてみんなそこで手が止まるのかしら?」

 千鶴さんが上目使いでみんなをじろりと見渡す。

「ど、どうしてって・・別に・・なぁ、梓」
「まあ、材料はあたしが仕入れたんだし、調味料のたぐいも事前にチェックしたし・・」

 梓が、箸を持った手でこめかみを掻きながら自分を納得させようとするかのようにつぶやく。

「梓は心配のしすぎよ」

 千鶴さんが軽く梓をにらんでそう言う。

「私だって今回はがんばったんだから」
「千鶴姉のがんばったは、信用ないんだよね・・」
「千鶴姉さん前科があるから」

 妹たちの連続攻撃に千鶴さんの背中が揺れる。
 なんとなくその背中から、無言のオーラが立ち上って見えるのは気のせいだろうか?

「まあ、俺がどうもないんだから害はないよ、たぶん。みんなで食べようよ」

 見るに見かねて俺が助け船を出した。何となくもっとひどいこと言っているような気がするのは気のせいだろう。
 俺の言葉に動かされてか、梓たち3人の間で素早い目配せが交わされる。
 そしてようやく意見がまとまったらしい。
 みんな一斉に手に匙を握る。そして・・・

 ・・・はむっ

 無言の内に一口。
 緊張の瞬間。
 俺の正面で千鶴さんが両手を絞るように握ってみんなの反応を見ている。
 ・・・静けさを破ったのは、初音ちゃんの声だった。

「おいしい・・・」

 何となくびっくりしたような初音ちゃんの声に、千鶴さんの顔が笑顔に変わる。

「おいしいよ、千鶴お姉ちゃん!! これすっごくおいしいよ!」
「確かに・・・おいしい」

 梓が納得のいかないような声で言う。
 こいつはきっと口に含む瞬間まで味覚破壊兵器のようなものを想像していたんだろう。

「本当!? 初音、 梓!」
「うん、よかったね! お姉ちゃん!!」

 初音ちゃんがまるで自分のことのように喜んでいる。
 この子はこういう子なんだよな。
 しかし確かにおいしい。
 千鶴さんにひどいこといって、悪いことしたな。こんなに一生懸命作ってくれたのに。
 おれはちょっぴり反省した。

 玉子色の部分を二口ほど食べると、その下には具が入っていた。
 人参、椎茸、三つ葉、タケノコ、蒲鉾。 定番の具だ。
 ・・・しかし、困ったことがひとつある。
 俺はタケノコが苦手なのだ。
 嫌いというわけではないが、食べると体がかゆくなったりする。一種のアレルギーなのだ。
 食べたくはない。しかし千鶴さんが一生懸命作ってくれたものなんだから、残さず食べて上げたいとも思う。
 ・・・さて、どうしよう。
 そう思っていると。

「どうしたんですか? 耕一さん」

 俺が困った顔をしているのを見たのか、千鶴さんが俺の顔を覗き込んできた。
 ・・・しょうがない。

「ごめん、千鶴さん」

 俺は片手で頭を掻きながら言う。

「言ってなかったと思うけど、俺タケノコだめな人なんだ。後で体がかゆくなったりするから」

 俺がそう言うと千鶴さんは案の定可哀想なぐらい肩をすくめて謝りだした。

「そ・・・そうだったんですか・・・。ごめんなさい耕一さん・・」
「千鶴さんが謝ることは無いよ。言ってなかった俺が悪いんだし」
「でも・・・」

 それでもすまなさそうな目をする千鶴さんに俺は言った。

「こっちこそ、せっかく作ってくれた料理きちんと全部食べて上げられなくて、ごめん」
「耕一さん・・・」
「・・・と言うわけで、これだけ残すけど、いいかな」

 匙ですくったタケノコをテーブルにおいた茶碗蒸しの蓋の上に、ころんと転がす。
 千鶴さんは、それに目をやってそれから俺に目を移した。
 そして、もちろんです、と微笑んだ。

 

 死者さえ覚悟された千鶴さんのお料理賞味会は、大方の予想を覆しこれまでになく平和に終了・・・・
 ・・・・したかに見えた。
 しかし、悲劇は繰り返す。
 このお食事会の真の影響、結果を俺たちが知ったのは、その翌日のことだった・・・・。

 

前編

後編

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