一年後の柏木家の食卓 前編

 

 わかっていたはずだった。
 ここに来たときから、この日が来ることは・・・。

 あれから一年・・・今度はどんな災いが降りかかるのか・・・

 

「・・・去年もそんなことおっしゃってましたよね、耕一さん」

 冷ややかな声に目を開くと、ふくれっ面の千鶴さんが俺をジト目で睨み付けていた。

「そ・・・そだっけ。あはは・・」
「そんなに私の手料理食べたくないんですか?耕一さん」

 食べたいとか食べたくないとかの前に・・・食べられるんですか・・・?
 のどの所まででかかった言葉を咳払いでごまかすと、俺は軽い笑い声をたてた。

「なはははは・・・まさかそんな・・・」
「耕一、無理するなよな」

 横であっさりそういって、俺の腐心をふいにしたのは梓だ。

「去年千鶴姉の手料理のせいでなにがあったか、少なくともあたしはしっかり覚えてるからな」

 ・・・俺も覚えてるよ。
 というかこの一年忘れたことはなかった。
 あの・・・・キノコのリゾット・・・・

「あ、あれは材料が悪かったんであって、私の腕が悪かった訳じゃないわ」

 千鶴さんが意地になったように言うが梓は取り合わない。

「ほーう。そこへんから摘んできた正体不明の毒キノコを自分で入れといて材料のせいにするってか?」
「まあまあ、梓。千鶴さんもこの前の事で懲りたろうし、料理の腕も上がったんじゃないかな」

 ・・・期待はできないが。

「そうよ! ちゃんとお料理教室にも行ったんですからね」
「お姉ちゃんがんばってたもんね」

 初音ちゃんが天使の笑顔で千鶴さんのフォローに回る。

「へーえ、そんなことしてたんだ」

 これはちょっと俺にも意外だった。
 でも考えてみれば去年のリゾットだってあのキノコさえ入っていなければ、梓でさえもおいしいと言った味付けの立派な料理だったのだから、これはちょっとは期待してもいいかも知れない。

「今年こそ耕一さんを私の手料理でちゃんともてなそうと思って・・・。先生から「もう教えることはない」って直々に言ってもらって、通常の3倍のスピードで卒業したんですよ」

 通常の三倍って・・・赤い彗星じゃないんだから。

「はっ。体よく追い出されただけだろ? 通常の三倍ってあのお料理教室、千鶴姉が申し込んだのは集中三日間コースだったじゃんか」
「・・・それって、初日で追い払われたってことじゃ・・・」

 俺は言いかけてそして口をふさいだ。
 座敷に短い、しかし重い沈黙が落ちた。

「い、一日で卒業なんてすごいねお姉ちゃん」

 さすがの初音ちゃんも、笑顔がなんだか引きつっている。
 そこに楓ちゃんがぽつりと言った。

「料理学校のあった所、いまテナント募集になってる」

 ・・・まるで放射能のように重苦しい沈黙が再び落ちてきた。
 楓ちゃん・・・千鶴さんと何かあったのか?
 俺は、その料理教室の経営者の冥福を心のなかで祈った。
 合掌。

「・・・みんなそんなに私のお料理嫌いなのね・・」

 千鶴さんがいじけた。

「お姉ちゃん・・」
「いいのよ初音、無理しないで。どうせ私なんか私なんか・・・」
「そんなこと無いよ! 私お姉ちゃんのお料理嫌いじゃないよ」

 ・・・初音ちゃん。君はなんて優しい子なんだ。
 でも、きっといつかその優しさのせいで命を危機にさらすことになるとおもうぞ。お兄ちゃんは。

「初音甘い! 去年あのリゾットを食べて自分がどんな目にあったか忘れたのか?!」

 梓がびしりと指を指す。
 初音ちゃんはびっくりして えっ? と顔をあげた。
 そしてすまなさそうに小さな声で言った。

「わたし・・・あのときの事よく覚えてないの・・・気がついたら家で寝てて・・」

 ・・・手料理食べた後に意識がなくなっていると言うだけでも十分異常事態だと思うが。
 しかしあの時の初音ちゃんはすごかった。
 普段が天使のようにいい子なだけに反転ぶりもすごかった。
 俺はあのあとしばらく初音ちゃんの動作ひとつひとつにおびえて過ごした覚えがある。

「ま、おぼえてないんじゃしょうがないか。でもな初音。千鶴姉の料理に情けはいらないからな」
「梓お姉ちゃん・・・目が怖い」
「梓、そこまで言うのならなんで台所使わせたりしたんだ?」

 俺はもっともな質問をした。たしか千鶴さんは台所の近くに寄ることさえ梓に禁止されてたはずだが・・。

「あたしだって反対だったんだ。でもなんか千鶴姉がやたら燃えてるし、あんまししつこいんで条件付きでOKしたんだ」
「条件?」
「そ、まずひとつは原材料の仕入れはあたしに任せること。二つ目は包丁は外で使うこと」
「一つ目はわかるけど、二つ目の包丁は外でってのはなんでだ?」
「台所が破壊される」

 ・・・んなおおげさな。

「おい、そりゃいくら何でも大げさだろ。いくら千鶴さんでも・・」

 梓はふっ、と薄く笑うと窓の所に歩いて行き俺を手招きした。

「なんだよ」
「あそこ見てみろ。耕一」

 梓の指さした方に視線を向けるとそこには・・・

「あれ・・? ここにはたしか竹林があったはず・・・」

 言いながら、俺は血の気がさぁ〜っと引いてゆく感覚を味わった。
 俺の目に写っているのは、でこぼこにカットされ、まるでベトコンゲリラのブービートラップのようになった元竹林とその向こうに見える妙に見晴らしのいい9月の空だった。

「これでもまだ大げさだって言うか? 耕一」

 俺はふるふると首を振った。
 おそるおそる千鶴さんの方を見ると千鶴さんはすこし頬を染めて

「ちょっと手が滑っちゃって・・」

 と、ちろっと舌を出して笑った。
 ・・・どう手を滑らせればああも見事な切り口を残せるのだろう。
 しかも料理用包丁で。

「でも、お料理の方は上手にできたんですよ! 耕一さんたくさん食べて下さいね」

 何事もなかったかのようにそう言う千鶴さんに、虚ろな笑みで応える。
 しかし、そのとき俺はあることに気がついた。

「千鶴さん。料理料理っていうけど、ご飯とお吸い物しかでてないよ?」
「あ、最後の一品は今持ってきますね。もうできてると思います」

 千鶴さんはそう言って立ち上がり、台所へ消えた。
 その瞬間、申し合わせたように残った四人がテーブルの上で顔を寄せ合った。

 

「・・・梓、千鶴さんの料理ってまさかカレーじゃないだろうな」

 開口一番俺はもっとも気にかかっていたことを尋ねた。

「馬鹿、カレーにお吸い物がつくかよ」

 梓が馬鹿にしたような声音で答える。

「千鶴さんならやりかねないと思ってさ」
「最近その手の事件多いから・・・」

 楓ちゃんがぽつりといった。

「楓お姉ちゃん・・・冗談になってないよぉ・・・」

 楓ちゃんの一言に初音ちゃんがおびえたような声を上げる。

「そんで飲み物がウーロン茶ってか?」
「・・・タマ、連れてこようか姉さん」

 楓ちゃんが真剣な表情で言う。タマとはこの家に出入りしている猫の事だ。

「毒味か? 良いアイデアだと思うけど、あいつは千鶴姉の料理を見分けるからなぁ」
「野生の獣の本能って奴だよな」

 うんうんと腕を組み俺はうなずく。

「ど・・・毒とかはともかく・・・。千鶴お姉ちゃんのお料理ってなんなの? 梓お姉ちゃん」

 初音ちゃんがちょっとこわばった笑顔を浮かべて話を元に戻した。

「そうだ、梓おまえ知ってるんだろう。材料買ってきたのはお前だってさっき言ってたよな」
「あれ、初音も楓も知らなかったのか? 千鶴姉の料理はなぁ・・・」

 梓が言おうとした瞬間、ドアががちゃりと開いた。

「お待たせしました・・・あら、なんのお話?」

 千鶴さんがお盆を手に入ってきた。

「い・・いや、最後の一品ってなんだろうねって話していたとこなんだ」

 ウソではない。

「すみません、おまたせして。これがお待ちかねの最後の一品です」

 待ってない待ってない。
 梓が横で手を振っている。
 千鶴さんが全員の前に配ったその食器には蓋がついていて、中身を確認することができない。
 その下には受け皿があり、陶器製のティースプーンのようなものが添えられている。

「千鶴さん・・・これは?」

 言いながら蓋を取ろうと伸ばした手に刺すような痛みが走って、反射的に手を引く。
 ひどく熱い。

「あ、今まで蒸し器の中に入ってましたから熱いですよ」

・・・早く言ってくれ。そう言うことは。

「蒸し器? 千鶴さんこれは何て言う料理?」

 俺の質問を待っていたように、千鶴さんはにっこり笑ってこういった。

「秋ですから季節物と言うことで・・・茶碗蒸しです」  

 

中編

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