――Santa Claus is coming to…――
〜聖なる夜の四つの物語〜

 

  賢治の贈り物  

 

「お姉ちゃん起きてた?」

 梓の部屋から出ると、台所から初音ちゃんが声を掛けてきた。
 がさごそと音がする。覗いてみると初音ちゃんはなにやらメモを片手に冷蔵庫や棚の中を探っている。

「寝てた。あいつも寝てる顔は可愛いもんだな」

 俺がそう言うと、初音ちゃんはくすっと笑った。

「……ところで、何してるの?」
「あ、うん。あのね、夕ごはんの買物、何を買ってくればいいのか調べてるの」
「ふーん。偉いな〜」

 メモに鉛筆でチェックをしている初音ちゃんに近づいて手元を覗き込む。
 大根、里芋、卵、人参、こんにゃく……

「……だいぶ買わないといけないね」
「うん、お味噌とかお醤油とかは配達してもらえるけど……お野菜とかはお店に行かないといけないみたい」
「お店って近くにあるの?」
「う〜ん、歩いて15分くらい」

 歩いて15分と言ったら、ちょっとした距離だ。
 車やバイクならすぐそこなんだろうけど。

「買物、一緒に行こうか」

 俺がそう言うと初音ちゃんは一瞬嬉しそうな顔をした。
 が、すぐに思い直したようにメモに目を下げてしまう。

「でも、重たいよ。たくさん買うし、それにお外寒いし……」
「だったらなおさらだよ。俺一人で行ってもいいけど、店の場所知らないからさ」

 俺はそこでにこっと微笑みかけた。

「それに、二人で行けば寒さも和らぐと思わない?」
「……うん!」

 初音ちゃんが輝くような笑顔を見せた。

「じゃあ、一緒にお買い物行こう。お兄ちゃん!」

 

 

 一旦部屋に戻って愛用の革ジャンをはおり、マフラーを引っかける。
 窓から見える庭木の枯枝が時折強く吹く風に揺れている。どんよりと冬色に曇った空がいかにも寒そうだ。
 用心のためトイレ経由で玄関に行き、座って靴を履いていると初音ちゃんがやってきた。

「おまたせ、お兄ちゃん」

 振り向くとサンタクロースが立っていた……というのはおおげさだけど、何となくそれをイメージさせる初音ちゃんのファッションだった。
 上品な赤のダッフルコートにふわふわの白いマフラー。編み込みのセーターにピンクのミトン。
 茶系のチェックのスカートからのびる脚は黒いタイツをはいている。
 もしサンタクロースがこんなに可愛かったら、煙突に罠を仕掛けて捕まえるところだ。
 まあ、そんな汚れた心の持ち主の所にはサンタは来ないだろうけれど。 

「変じゃない?」
「ううん、可愛いし暖かそうだよ」

 誉めると初音ちゃんは、頬を少し染めて照れたように頬笑んだ。

「……じゃあ、いこっか」
「うん」

 
 
 

 玄関から出た途端、びゅーっと強い風が吹き付けてくる。
 俺と初音ちゃんは同時に

「寒〜〜い!!」

 と叫び、顔を見合わせて少し笑った。笑った口元から漏れる呼気が白く濁り、忽ち風にさらわれて行く。
 まったく、一日で一番気温が上がるはずのこの時間帯にこの寒さは一体何事だ。
 俺は手袋をしてない両手を革ジャンのポケットにつっこんで、背中を丸めてう〜っと唸った。

「こっちは凄く寒いねぇ……今思うと東京は暖かかったんだなー」
「今日は風が出てるからよけいに寒いね……ううう」 

 考えてみれば、あっちは建物や車が密集していて、それらから出る熱が気温を底上げしてたんだろう。
 それにひきかえこの隆山は、日本海からの冷たい風を妨げるものが何もない。
 寒いわけだ。
 長い下り坂を並んで歩きながら、俺達はいろいろ話をした。
 黙っているとよけい寒い。俺達二人は普段以上におしゃべりになった。
 話題はなんといってもクリスマスのことだ。

「……へえー。じゃあ、イエス様が生まれたのは本当は12月25日じゃないんだ」
「うん、私のクラスの教会に行ってる子がそう言ってた」

 知らなかった。

「じゃあどうしてみんなクリスマスするんだろうね」
「うーん、楽しいからじゃないかな」
「あははっ、違いないな。それにクリスマスが無くなったらデパートが潰れるか」

 俺は東京の家の郵便受けに毎日飛び込んでくる膨大なDMを思い出しながら言った。

「そういえば、鶴来屋も今日は一杯らしいね。パーティがいくつもあるって千鶴さん言ってたし」
「お姉ちゃんも、幾つか出席しないといけないんだって」
「それもある意味大変だよね。どうせオジさんばっかりだろうし」

 そう考えれば、会長職なんてなるものではない。
 もっと千鶴さんをいたわってあげなきゃな。

「パーティと言えばさ……」

 俺は初音ちゃんの顔を見ながら言った。

「初音ちゃんは誰かから誘われなかった?」
「えっ?」

 初音ちゃんはいきなりの話題に少しびっくりしたように振り向いた。

「誘われるって……何に?」
「パーティとか、デートとか。初音ちゃんならお誘いたくさんあったでしょ」

 にんまり笑ってそう言うと、初音ちゃんは少し困ったように頬笑んだ。

「たくさんはなかったけど……友達からとか、ちょっと」
「男の子からは?」
「………」

 初音ちゃんはマフラーに顔を埋めるようにして、ますます困ったような顔をした。

「俺が初音ちゃんと同じクラスだったら、絶対放っておかないもの。何人ぐらいに誘われたのかな?」

 親父モード全開にして、俺はしつこく食い下がる。
 初音ちゃんの学校でのモテ具合を調べて置かねば。俺は謎の使命に燃えた。
 すると初音ちゃんはちょっと困ったなぁという顔をしながらミトンを脱いで指を出した。
 親指と小指がおられている。

「30人! すごいなー」
「もうっ。そんなわけないじゃない、お兄ちゃん! 3、だよ」
「いやあ、初音ちゃんならそのくらいいても不思議じゃないって」

 本気でそう思う。
 でも、まあ声を掛けられるだけの勇気がある奴の数は、実際そんなものかも知れない。

「――で、全部断ったわけだ。よかったの?」
「よかったのって……なにが?」
「そういうのに行きたいとか、思わなかった?」
「………」

 初音ちゃんは少し黙って、そして目を閉じて小さく首を振った。

「楽しそうだなって思った事はあるけど、行きたいって思ったことはないよ」
「……どうして?」
「だって」

 初音ちゃんは俺の顔を見上げて、にっこりと微笑んだ。

「その日はお兄ちゃんが帰って来るんだもん」

 天使もサンタも振りむきそうな、無垢な笑顔だった。

 俺が来るから……か。
 他の子ならいざ知らず、この子はお世辞を言ったり嘘をついたりする子じゃない。
 その言葉が初音ちゃんの心からの言葉であることは疑いなかった。
 ――俺はこの子に「お兄ちゃん」と呼んでもらえるような、どんな良いことをしたんだろう。
 
「……ありがと、初音ちゃん。俺がサンタだったら部屋中をプレゼントで埋め尽くすところだ」
「きゃっ!?」

 手を伸ばして初音ちゃんの頭をなでる。北風に晒されて、初音ちゃんのふわふわの髪の毛も冷えていた。
 初音ちゃんは目を細めてなでられるままになっていた。
 その頬が少し紅く見えるのは、身を切るようなこの風の冷たさのせいだけだろうか……?

 
 
 

「へいらっしゃいらっしゃいらっしゃいーっ! ブリにカンパチ、ヒラメにカレイ、活きのいい魚なんでも――」
「いらっしゃいませぇ! 揚げたての美味しい薩摩揚げはいかがですかぁ!」
「ただいまタイムサービス中でございます! ポイント二倍、お値段半分! さあ買った買ったあ!」
「……すごい活気だね」

 威勢のいいかけ声と人の波に圧倒されて、俺は呆然とそうつぶやいた。
 初音ちゃんの案内で入り込んだそこはやや古ぼけた建物が軒を連ねる、いかにも昔からの商店街といった風情の天井のない通り筋だった。
 車が一台通れるかという感じの狭い道路に所狭しと商品が並べられている。
 見上げた頭上には「歳末大売り出し」の横断幕がでかでかと張り渡されていて、ゆらゆらと風に揺れていた。
 電信柱のスピーカーからひび割れた音で流れているクリスマスメロディだけが、今日がクリスマスであることを通行人に思い出させるもので、後は通年変わらぬ圧倒的な日常に飲み込まれすっかり押し出されているようだった。
 丁度どこでも夕食の買い物の時間帯なのか、人にぶつからずに歩くのが不可能なほど込み合う路地を歩きながら、先を進む初音ちゃんに呼びかけた。

「最初に何を買うの?」
「え? なんて言ったの、お兄ちゃん?」
「最初は! 何を、買うの!?」

 年寄りに話すときのように俺は大きな声でそう言った。
 初音ちゃんは前の方を指さして何か言い返しているけど、近くのスーパーの呼び込みが拡声器を使っているので切れ切れにしか聞き取れない。
 人の波が揺れて初音ちゃんの姿が人混みに流されて行く。
 このままじゃあはぐれてしまう。
 そう思った俺は問答無用で初音ちゃんの手を握った。話している最中だった初音ちゃんはきょとんとしている。
 俺は握った手ををたぐり寄せるようにして初音ちゃんのそばにたどり着く。
 そして耳元に口を寄せてひそひそ話をするように言った。

「このまんまじゃ迷子になっちゃうよ。はぐれないように手を繋いでいこう」

 初音ちゃんはこくんと頷いてにっこり笑い、ピンクのミトンの手で俺の手を握り返してきた。
 初音ちゃんと手を繋いで、満員電車のような人混みの中をかき分けるようにすすむ。
 誰かの足を踏み、肩にぶつかり、そのたびに早口に謝りながら先を行く初音ちゃんのくせっ毛を追いかける。
 温泉と豪華な旅館ばかりが注目されがちな隆山の、これは本当の生活の姿なのだ。
 行き過ぎる買い物客の姿からは、東京でも、ここ隆山でも変わらない、日常の匂いがする。
 初めて来る町なのに、なぜか懐かしさすら感じる。
 ――この町を好きになれそうだ。 そんなことをふっと思った。
 30メートルほど進むと混雑は弱まり、二人並んで歩けるくらいに人の密度が薄くなった。
 どうやらあれほど込み合っているのは、さっきの一角だけのようだ。
 角をひとつ曲がり少し進んだ所に、初音ちゃんのお目当ての店があった。

「おじちゃん、こんにちは」

 店先で荷を降ろしていた中年の男に可愛い声で挨拶した。
 重そうな段ボールを地面に置いて振り向いた男の顔が、初音ちゃんを見た途端くしゃっと笑み崩れた。

「おお! 柏木さんとこの初音ちゃんじゃないか。芹菜(せるな)だろ、ちょっと待ってな。……お〜い! 芹菜!!」
「あ、今日は違うの。お買い物しに来たんです」

 何を早合点したのか店の奥にだみ声で呼びかけた男を、初音ちゃんが止める。

「今日は梓お姉ちゃんが風邪引いちゃって寝込んでるから、私がお夕飯作るんです」
「そうか、梓ちゃんが風邪か。今年の風邪はよっぽど強いみたいだな、ははは」

 おっさんはそう言って白い息を盛大に吐いて笑った。人の良さが伺える、イヤミのない笑い方だった。
 それにしても、梓ってやっぱり風邪を引かないタイプのイメージがあるんだな。
 ○○は風邪引かないってか? 
 俺と初音ちゃんも少し笑った。
 そして男は初音ちゃんの横に立つ俺に、ふと目を留めた。

「……っと、初音ちゃん。お連れさんはどちらさまかな? ひょっとして……」
「あ、紹介するね。賢治叔父ちゃんの……」
「――賢治の息子の、耕一です」

 俺は自己紹介して頭を下げた。

「ああ、こりゃどうも。失礼しまして。蒲池と申します。しがねえ食品店の親父ですが、柏木さんとは長いつきあいをさせていただいております」

 帽子を取って深々と頭を下げた蒲池氏に俺は

「あ、これはご丁寧に」

 と頭を下げ返す。
 う〜ん、日本人だなぁ。俺達。

「いやぁ、賢治さんにそっくりだからもしやとは思ったんですがね。そーですか。こんなに大きな息子さんがねぇ」
「似てますか、俺と親父」
「若い頃にそっくりですよ。まるで生き写しだ。なぁ、初音ちゃん」
「叔父ちゃんの若い頃は良く知らないけど……でも、目とか鼻の形とか、笑った顔がそっくりだよ」

 初音ちゃんが、思い出の中の親父の顔と見比べるように俺の顔を覗き込みながら言った。
 じろじろ見られるのはすこし気恥ずかしかったけど、親父に似ていると言われるのは嫌じゃなかった。
 それにしても、親父の若い頃を知ってるなんて、本当に柏木家と長いつきあいがあるんだな。

「それで、耕一さんはいつ越して来られたんで?」
「あ、呼び捨てでかまわないですよ。…えっと、まだ都会で学生やってるので、こっちには帰省してきただけです」
「でも、いずれはこちらに……?」

 蒲池氏が俺に目で問うてきた。
 ふと斜め下からの視線に気が付いて見やると、初音ちゃんが俺の答えを気にするように顔を見つめていた。
 俺はそれに小さく微笑み返し、新城氏の目を見て答えた。

「……ええ、そのつもりです」

 目の端に映る初音ちゃんの顔が、少しほころんだように見えた。
 蒲池氏は得たりとばかりに目を細めると、小さく頭を下げた。意味が分かったので、俺も頷いて応えた。

「いや、これで柏木家も安泰ですな。立派な跡継ぎでらっしゃる。そして……」

 蒲池氏は目線を下の方に下げながら、少し悪戯っぽく言った。

「……初音ちゃんの未来の旦那様かな?」
「えっ?」

 視線の先に目をやると……固く握り合わされた俺と初音ちゃんの手があった。
 ――しまった。繋いだまま離すの忘れてた。

「あっ、あのっ、これは……」

 慌てて離した手を後ろに隠し、しどろもどろに何か言おうとする初音ちゃんを蒲池氏は面白そうに見ている。
 あーあ、初音ちゃん。そんなに真っ赤な顔じゃ何言っても逆効果だよ。
 とか思いながら、俺もすこし顔が紅くなっているかも知れない。

「……人混みではぐれないように、その……
「いーからいーから、おじちゃん野暮は言わねえよ。よかったなぁ、初音ちゃん」

 思いっきり誤解したまま蒲池氏は腕組みをして、なにやらしみじみと頷いている。
 初音ちゃんは説明を断念したのか、真っ赤な頬をしてちいさなためいきをついた。

「あっ、初音ぇ〜! どうしたの?」

 その時、店の奥からよそ行きの服を着た可愛い女の子が出てきた。
 初音ちゃんは姿を見つけると肩の所で手を振った。

「芹菜ちゃん、今から出かけるの?」
「うん、半に駅前で待ち合わせなんだ。……初音もやっぱりくる?」
「ううん、今日はお買い物に来ただけ」

 どうやらこの芹菜ちゃんと言う子は初音ちゃんのクラスメイトのようだった。仲がかなりよいらしい。
 ブリーチしているのか、わずかに明るい色のセミロングの髪を整髪料でなびかせている。
 元気があふれているような弾むような足取りは、なにかスポーツをしてるのかなと思わせた。
 かなりの美少女だ。初音ちゃんほどではないが……と言い添えるのは身びいきだろうか?

「こら、初音ちゃんと話してばっかいないで、柏木さんにちゃんと挨拶しないか」

 蒲池氏が苦い顔をして沙織ちゃんの注意を俺に引いた。
 芹菜ちゃんは初音ちゃんの横に立つ俺を一瞬見つめ、ぱちぱちっと瞬いた。
 そして突然

「あ〜〜〜っ!! もしかして『お兄ちゃん』? 初音の噂のお兄さんですか?!」

 と言った。片手で俺を指さし、もう片方の手は口元に添えられている。
 リアクションの大きな子だ。
 納得がいった顔で小さく頷く芹菜ちゃんの頭を蒲池氏がぽかりと叩いた。

「こうら、この馬鹿娘! 人様を指さすたぁ何事か!」
「いったぁ〜。叩かなくてもいいじゃないのよ。せっかくセットしたのに……」
「何がセットだ。そんなものは世間の常識をわきまえてからにしやがれ」
「常識とヘアセットは関係ないでしょ!」
「まあまあ、気にしてませんし……」

 突然目の前で始まった親子喧嘩に、仲裁に入る。
 まあこの場合、親子喧嘩し慣れているようだったからほっといても良かったんだけど、話が進まない。
 蒲池氏は頭の後ろを掻きながら苦笑いを浮かべた。

「あーいや、こりゃとんだ所を。ホントに言っても言っても聞かねぇ娘で……」
「いっとくけど、私お父さん似なんだからね」

 髪を抑え憮然と言った芹菜ちゃんは、俺の方を見て、てへへと笑った。

「格好悪いとこ見せちゃったなぁ……えっと、改めて始めまして。蒲池芹菜です。初音とは中学からいっしょです」
「あ、柏木耕一です。……俺のこと、初音ちゃんから聞いてるのかな」
「そりゃもう! 初音の「お兄ちゃん」に逢えたなんて、みんなに自慢できるぞーっ、ってかんじです!」

 そう言って拳を目の前で握りしめ、明るい声で笑った。

「芹菜ちゃん大げさだよ……」

 横で初音ちゃんが恥ずかしそうな顔をしている。
 ふと目が合うと、忽ち赤い顔を伏せてしまった。
 ……一体俺のことを何て話していたんだろう。
 無性に気になるけど、これ以上いじめたら初音ちゃん泣いちゃいそうだしな。

「それより、いまからデート? 可愛い格好してるけど」
「あ、可愛いく見えます? デートって言うか同じクラスの子達で集まるんですけど……」
「当然それだけじゃ……」
「うふふふふ。ご想像にお任せしますお兄さん」

 語尾を消した妖しい会話を二人で交わし、猫目で笑う芹菜ちゃんとしばし視線を交わす。
 まあったく。最近の女子高生ときたら。…なんて台詞を吐きたくなる。
 おっさん臭くなるからしないけど。

「芹菜ちゃん、時間は大丈夫?」

 初音ちゃんが時計を見ながら言った。

「……半って言ってたよね」
「えっ? うそやだもうこんな時間。……じゃあ、私行くねっ」
「うん、またね」
「お兄さん、初音をよろしくお願いしま〜す」
「あ、ああ」

 深々と腰を折る芹菜ちゃんに、俺は小さく頷いて応えた。

「みんなによろしくね、芹菜ちゃん」
「あんまりうろちょろせんと早よ帰れよ!」

 初音ちゃんが手を振る横で蒲池氏が手メガホンで呼びかけた。

「いってきまああああああぁす……!!」

 声にドップラー効果がかかりそうなスピードで芹菜ちゃんは走り去っていった。
 あっけに取られる俺の前で蒲池氏が

「ホントに落ち着きのねえ娘で……」

 と頭を掻き掻き言うのが、少しおかしかった。

 娘が台風のように去って行くのをためいきで見送った蒲池氏は、みんな忘れていた本題を思い出した。

「そういや夕飯の買い物だったね、初音ちゃん。こんな寒いところで長話してごめんよ。何がいるのかな」
「あ、えっとえっと……」

 ……それから俺達は必要な買い物をして、店を去った。
 今度はゆっくり来て下さいと言い見送る新城父に、俺はまた来ることを約束した。
 蜜柑を二袋もサービスしてもらったんだから、また来なきゃな。
 それに親父の昔話も聞かせてもらいたいし、この町の事も教えて欲しい。
 ――もうすぐ俺が住む、この町の事を。
 

 

 
 お買い物の帰り道も、行くときと同じようにお兄ちゃんといろんなおしゃべりをした。
 商店街を抜け、大きな道路を一本渡り、枯れた街路樹の並ぶ小径を、さくさく枯れ葉を踏みながら歩く。

 この道は、わたしが学校から帰るときいつも通る道。
 なのに、お兄ちゃんと二人で歩いている今はいつもとちがう景色に映る。
 不思議。だけど、素敵。

「……どうしたの初音ちゃん。にこにこして」

 えっ? 顔に出てたのかな。恥ずかしいよぉ……
 今度は顔が熱くなる。――すぐに顔に出るのは私の悪い癖だよね。
 みんなは「初音らしい」って言ってくれるけど、赤面性はなおしたいな。恥ずかしいもん。
 ……でも、そういうお兄ちゃんもにこにこしてる。
 それって、わたしと同じ理由なのかな? だったらいいのにな……。

「お兄ちゃん、重たくない?」
「平気平気。でも、初音ちゃんには重たかったかもね。一緒に行ってよかったよ」
「ありがとう、お兄ちゃん。じゃあ、お料理は頑張るからね」
「楽しみにしてるよ」

 にっこり優しくお兄ちゃんは笑った。
 こういうさりげない表情や物言いが、叔父ちゃんにそっくりだと私は思う。
 小さいときお父さんとお母さんが死んでみんなで泣いていたとき、叔父ちゃんが来てくれた。
 叔父ちゃんはクリスマスには、毎年わたしたちにプレゼントをくれた。
 プレゼントはいつも手渡しだった。普通は枕元に置くんじゃないのって梓お姉ちゃんが言ったら叔父ちゃんは

「年頃の娘の寝室にこっそり入るのは気が引けるしな」

 ――そう言って笑っていた。
 そしてこんな事も言った。

「手渡しの方が、お前達の笑顔が見れる。みんなの嬉しそうな顔をみるのが俺の生き甲斐なんだ」

 忙しいはずなのに、体も大変だったはずなのに、毎年いつも早く帰ってきて一緒にクリスマスをしてくれる叔父ちゃんが、わたしたちは大好きだった。
 毎年貰ったプレゼントは、使ってしまったり壊れてしまったりして、今はもうほとんど残っていない。
 でも、叔父ちゃんは絶対なくならない贈り物も、わたしたちにくれた。
 それは、メリークリスマスと言ってプレゼントを渡してくれる時の、叔父ちゃんの笑顔。
 わたしたちはその優しい笑顔が大好きだった。今も、目を閉じれば思い出せる。
 それだけは、絶対になくならない――叔父ちゃんのくれた最高のプレゼントだ。
 その叔父ちゃんが去年死んで、悲しくて仕方がなかったとき、今度は耕一お兄ちゃんが来てくれた。
 そしてお兄ちゃんは、お父さんと叔父ちゃんを死なせた柏木の宿命を見事に克服した。
 「これからは、俺達五人で家族になろう」 このお兄ちゃんの言葉を私はよく思い出す。
 もう、悲しいことはいや。家族を失うのはいや。もう……これ以上。
 今日はクリスマス。本当は違うらしいけど、神様の生まれた日。
 だから神様、サンタ様。……もしも祈りが届くなら。
 これから先、一生プレゼントをもらえなくてもかまいません。これまで以上にいい子にします。
 ――だから。

 叔父ちゃんの最後のプレゼント……
 ……耕一お兄ちゃんを、連れていかないで下さい……
 ……
 ……

「――今度はどうしたの、真面目な顔して」

 お兄ちゃんの声で目を開いた。
 見るとお兄ちゃんはにやにや笑っている。

「いや〜、初音ちゃんって顔見てるだけで楽しいな」

 もう、お兄ちゃんてば。人を動物みたいに。
 ちょっと立ち止まり、赤くなってしまった頬を両手で叩く。

 ――その時、買い物袋を握るお兄ちゃんの手が目に映った。
 手袋をしていないお兄ちゃんの手は血の気を失っているように見えた。

「お兄ちゃん、手、痛いでしょ?」

 慌てて横に追いついてお兄ちゃんに言った。するとお兄ちゃんは片頬をゆがめて

「痛いって言うか、寒くて感覚がなくなってきた」

 と苦笑した。

 ……私、ひどい子だ。
 いままで気が付きもしないで……

「ごめんねお兄ちゃん! 私半分もつよ」
「あとちょっとだからいいよ。それにこんなのバイトで慣れてるし」
「でも……あ、じゃあ私の手袋貸してあげる」
「あはは、ありがとう初音ちゃん。でもサイズが合わないと思うよ」
「うっ……」

 どうしよう、どうしよう。
 何かしてあげたいけど、なにも出来ることがない。
 情けなさに、じんわりと涙が浮かんでくる。
 ……ごめんね、お兄ちゃん。

 その時、

「――そうだ、初音ちゃん。手を繋いでくれないかな」
「えっ?」

 顔を上げるとお兄ちゃんはすこし照れたような顔で言った。

「風が当たるから冷たくなるんだ。だから初音ちゃんが俺と手を繋いで、風を遮ってくれると楽になると思うんだ」
「……お兄ちゃん……」

 あたしは思わずそうつぶやき、そして大きく頷いた。

「うんっ!」

 山からの吹き下ろしの風が髪を弄ぶ。
 風の強さと冷たさに思わず目を閉じてしまう。
 風が止んでから、私は手袋を外した。

「あ、手袋つけたままでいいよ。初音ちゃんまで冷たくなっちゃう…」
「いいの。冷えるまでお兄ちゃんの手を暖めて上げる」

 そして私はそっとお兄ちゃんの手を握った。
 それはまるで氷のように冷たかった。
 その冷たさを、私は自分への罰だと思った。

「こんなに冷たくなって……ごめんね……」
「初音ちゃんの手は暖かいなぁ」

 見上げたお兄ちゃんの顔には、叔父ちゃんそっくりの大きな笑顔が浮かんでいた。
 私の大好きな笑顔。きっと、これはサンタクロースの忘れ物。
 私はお兄ちゃんの手を握る手に、ぎゅっと力を込めた。
 
 
 

 
 お家に続く長い坂道も、もう少しで終わる。
 帰ったら、ストーブに火をつけてお兄ちゃんに温かいココアを入れて上げよう。

 ……でも、お兄ちゃんと手を繋いで歩くこの坂道が、どこまでもどこまでも続いていたらいいのに。
 なんて思う私は、悪い子でしょうか――神様。

 

  第一話

  第三話

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