〜聖なる夜の四つの物語〜
赤鼻のアズサ
「……37度5分」
「っくしゅ!」
電子体温計の数値を読み上げる横で、梓がくしゃみをした。
ずずーと鼻をすする梓に、無言でティッシュの箱を渡す。
「さんきゅ……」
「まあったく、イブの日に風邪引く奴がいるかよ」
やれやれと苦笑いすると、梓は物言いたそうな目で俺を見てそれからちーんと鼻をかんだ。
12月24日。俗に言うクリスマス・イブ。
テレビをつけても街を歩いても、どこからともなくあの心浮き立つメロディが聞こえてくる。
クリスチャンでは無いけれど、何となく今夜だけは愛する人と時間を分け合いたくなる、そんな特別な夜であることは分かる。そして俺はその相手に、この隆山にいる俺の家族――四人の従姉妹達を選んだ。
年末のバイトは割が良いけれど、家族五人で一緒に過ごせる時間はそれ以上に大事なのだ。
この想いは一方通行ではないと、俺は信じている。
大学は早々に冬休みに入ったが、サークルの忘年会やバイトの関係で、結局こっちに来れたのは昨日の夜になってしまった。
俺の勤めるコンビニの店長もいい加減なもので、俺が休みを入れている日に他の奴を平気で休ませたりする。
それで、昼過ぎに急に電話がかかってきて 「柏木君、済まないんだが……」
と呼び出される。そんなことが何度か続いた。きけば他のバイト連中もその目に遭っているらしい。それでもみんなこのバイトをやめないのは、店長の人徳か給料の良さだろう。同じチェーンでもここの時給単価は他より60円も高い。
しかしそれでも年末のこのシーズンだけはきっちり休むつもりだった。だけど店長の小さな息子さんの具合が悪いとなっては仕方がない。奥さんを亡くし父子二人で暮らす店長の家族愛の深さは皆知るところだ。
「すぐ良くなると思うが、落ち着くまでそばにいてやりたい」 と言う店長の言葉に応じ、俺は急遽店長代理の任をになうことになった。入れ替わりが激しいこの職場で一番長く勤めているのは俺なのだ。
隆山のみんなには二十日には帰ると言っていたけれど、電話で事情を説明し「いつ帰れるか分からないけど、なるべくはやく行く」と伝えた。
「体を大事にして下さいね」 という千鶴さんの言葉が胸に温かかった。
結局、店長の息子さんは肺炎の一歩手前で踏みとどまり、昨日の昼頃に復帰してきた店長からねぎらいの言葉と、「みんなには秘密だよ」という言葉付きの金一封をいただいた。……店長、愛してるぜ。
用意したまま4日間も放置して置いた旅行鞄を抱え、俺はすぐさま電車に飛び乗り隆山に向かった。
事故による遅れなどが重なり、結局隆山に着いたのは暗くなった頃になった。ためいきをつきながら改札を出た俺を待っていたのは、梓だった。
青いフード付きのパーカーの袖から小さく出した手をすりあわせ、梓は駅の柱にもたれかかるように立っていた。
電話も何もしていないのにそこにいた梓の姿にびっくりして、上手い言葉が出ない俺を見て梓は寒そうに笑い、それから……
「ひくしっ!!!」
構内中に響きわたるような、盛大なくしゃみをしたのだった。
――だから、梓の風邪の原因は俺なのかも知れない。
千鶴さんは仕事だし、初音ちゃんと楓ちゃんは今日まで学校があるとかで、梓の面倒を見るのは結局俺しかいなかったわけだけど、そうでなくとも俺が面倒を見てやりたいと思う。
それに、弱った梓の姿を見るというのもなかなか面白いものなのだ。
「昼飯、残してるじゃないか」
「……おいしくない」
「るせーな。お粥なんて作ったの初めてなんだからよ。旨くなくても全部食え」
「お粥じゃなくて、普通のがいい」
「病人にはお粥。これ日本の常識! ほら、口開けろ。あ〜ん」
「ちょっ、こういち!? あたし自分で……」
「ほれほれ、早く口開けろ。じゃないと鼻に入るぞー」
「……………(はむっ)」
わがままを言ってみたり、素直になったり、まるで拾ってきた猫を看病しているような気分だ。
俺自身、この数日間あんまりよく寝ていないので疲れていたが、珍しく熱を出して寝込んでいる梓の姿を見ると、俺が休むわけにはいかないなと思うのだった。
昼過ぎになれば終業式を終えた初音ちゃんが帰ってくるので、それから少しだけ休ませてもらうことにしよう。
「……耕一、ティッシュ」
「はいよ」
お粥あ〜んは、梓があまりに恥ずかしがるので一度で終了し、今は自分で食べている。
鼻をかみつつお粥を口に運ぶ。なかなか器用な技を持っている。
「鼻かみすぎると良くないって言うぞ?」
「だってしょうがないじゃん。垂れて来るんだから……ちーん!」
「ティッシュ丸めて詰めとけ」
「いやだっ!」
こんな他愛もないやりとりで、疲れを癒されていくように思うのは俺だけだろうか。
「あーあ。お前鼻かみすぎて真っ赤だぞ。鏡見るか?」
「いらない。髪もぼさぼさだろうし」
「なんつーか、今のお前トナカイみたいだぞ」
「トナカイ? なにそれ」
くっくっく、と低く笑いながら俺は言った。
「ほら、クリスマスの歌にあるじゃないか。真っ赤なお鼻の〜トナカイさんは〜♪ っての」
「赤鼻のルドルフ、ね」
梓が耳慣れない言葉を口にした。
「赤鼻のルドルフ? それがあの歌の名前なのか。良く知ってるな」
「へへん、見直したか」
「鼻すすりながら偉そうに言うな。で、実際の所は?」
「学祭の手伝いしたときにクリスマスソング全集みたいなのがあってね。英語だとしっかりルドルフって歌ってる」
「ほーう。今度気をつけて聞いてみよう」
そんな話をしながら、梓はゆっくりと食事をした。
やがてお粥をまずそうに食べ終わった梓に水の入ったコップを渡し、薬を飲ませる。
「薬飲んだらもう一眠りしろ。初音ちゃん帰ってくるまでに食器洗っておくから」
「うん……すまないねぇ、耕一」
「それはいわねえ約束だろ」
「あははは……けほっ、けほっ」
「ほら、ふざけるから……。おとなしく寝てろって」
「耕一もノったくせに」
ぶつぶつ言いつつ背中に掛けた綿入れを脱ぎ、布団に横になる梓。
手渡された綿入れを布団の上に広げ、布団の裾を整えてやる。
「……なんだか母親の気分だな」
苦笑する俺に、梓が横になったまま言った。
「ごめんね、耕一。ほんと……せっかく帰ってきたのにさ……」
「何言ってんだ。病人はそんなこと考えないで、はやく良くなることだけ考えてればいいんだよ。それに……」
「それに……?」
「お前に風邪ひかせちまったのは、俺のせいかもしれないからな」
後ろ頭を掻きながら俺はそう言った。
ちょっとぶっきらぼうな口調になったかも知れない。
部屋の電気がついて無くてよかった。今の俺はすこし顔が赤くなっているだろうから。
気恥ずかしい沈黙がしばし漂う。
慣れないことは言うもんじゃないな、と思った頃に梓が俺を呼んだ。
「……耕一」
「うん?」
「あのさ……」
「なんだよ」
「………」
「………」
「……やっぱいいや。何でもない」
俺は少しずっこけた。
このやろ、人で遊びやがって。
寝返りを打つように顔を隠した梓の、すこしだけ見える頬が赤い。
……何を言うつもりだったのやら。
「ま、いいけど。……それじゃしばらく寝てろ。あっち行ってるから、なんかあったら呼べよな」
「……うん」
布団の中からくぐもった声で梓が答えた。
俺は布団の端をぽんぽんと叩いて、部屋を静かに出た。
「ただいま〜っ」
そう多くもない食器を片づけて居間でテレビを見ていると初音ちゃんが帰ってきた。
背中を丸めコタツにあごをのせただらしのない格好のまま俺は返事を返す。
「おかえり、初音ちゃん。早かったね」
「あ、お兄ちゃんただいま。お昼ごはん食べた?」
「梓には食べさせたけど、俺はまだだよ。初音ちゃんと一緒に食べようと思って」
俺がそう言うと、初音ちゃんはにっこり笑った。
「本当? じゃあ、急いで着替えてくるね」
「ゆっくりでいいよ。そんなに腹減ってないし」
「えへへっ、私はぺこぺこ」
少し恥ずかしそうに微笑むと、初音ちゃんは小走りで自分の部屋に去っていった。
「梓お姉ちゃんの様子はどう?」
俺が片手をコタツにいれたまま行儀悪くスプーンを口に運んでいると、初音ちゃんがそう聞いてきた。
公言どうりあっという間に着替えて出てきた初音ちゃんが残り物で作ったチャーハンは、梓ほどではないけれど十分に平均レベルを超えた出来映えだった。
「昨日より熱は少し下がったけど、まだ鼻が出るみたい。まるであの歌のトナカイさんみたいだよ」
俺がそう言って数小節をハミングすると、初音ちゃんは口に手を当てて笑った。
「クリスマスだもんね。あはっ、でもおかしい……」
「あいつが先頭になってそりを引いてたら、サンタが振り落とされそうだな」
「うふふふ。あとでお姉ちゃんに桃缶持っていってあげよう」
「今は薬飲んで寝てるから、もうちょっとしてから持っていってあげるといいよ」
「うん」
量が少ない初音ちゃんがごちそうさまと手を合わせた。
「ふう、お腹いっぱい」
「やっぱり女の子だなぁ。それだけで足りちゃうんだもんな」
「私からみると、お兄ちゃんが凄いと思うけど」
テーブルに立てた両手に顔を載せて、なぜか嬉しそうに俺の食べる姿を見つめてくる初音ちゃん。
「……どうしたの」
「ううん、別に。……美味しい?」
「うん、美味しいよ。初音ちゃんも料理上手なんだね」
「お兄ちゃんのために練習したんだよ。梓お姉ちゃんに習って……」
俺のために……
くぅ〜〜っ。 初音ちゃん、君はなんていい子なんだ。
「ありがとう、初音ちゃん」
「おっ、お兄ちゃん……」
手を伸ばして頭をなでてやると、初音ちゃんは頬を薄く染めてうっとりした目になった。
「……今夜の御飯も、私が作るからね」
「助かるよ。千鶴さんほどじゃないけど、俺も料理下手だから」
ひゅおーう……
俺がそう言った瞬間、冷たい風が室内に吹いてきた。
ま、まさか……って辺りを思わず見渡してしまう。しかしどうやらただのすきま風のようだった。
「……そ、そういえばさ、今夜は千鶴さんどうなのかな。やっぱり昨日みたいに遅くなるのかな」
どことなくぎこちない口調になってしまう俺。
初音ちゃんは頬に可愛らしく指を当てて考えながら言った。
「うーん、頑張るって言ってたけど、お仕事すごく大変みたい。腰が痛いわ、ってよく言ってるし」
「年末年始が掻き入れ時だろうしね……。楓ちゃんは?」
「終業式の後、塾にまっすぐ行くって言ってた。7時位には帰るって」
「受験生にはクリスマスも正月もない、か。なんだか可哀想だな」
みんな大変そうなのに、俺だけこんなに暇でいいんだろうか?
ちょっとだけ罪悪感を感じる俺だった。
「……と言うことは、今日は俺と初音ちゃんと楓ちゃん、三人でクリスマスすることになるのかな」
「梓お姉ちゃんも、少しなら良いんじゃない? コタツに座ってるぶんにはいいと思うけど……」
「あいつは酒飲みたがるからな〜」
「卵酒ならいいでしょ?」
「あんまり甘やかしちゃだめだよ、初音ちゃん」
相変わらず優しい子だ。
思わずこぼれた微笑みを頬に載せたまま、俺は梓の顔を思い出しながら言った。
「しっかし、梓も案外ヤワだよな。駅のホームに少し立ってたぐらいで風邪ひくなんてさ」
すると、初音ちゃんが少し困った顔をしてぽつりと言った。
「違うよ、お兄ちゃん。梓お姉ちゃんあの日だけ駅で待ってた訳じゃないんだよ」
「えっ……」
俺は、口に運び掛けていたスプーンを皿に置いた。
「あの日だけじゃない、って……」
「梓お姉ちゃんね、お兄ちゃんから「いつ帰れるかわからない」って電話があってから毎日あそこで待ってたんだよ」
「………」
そう言えばあの日、電話も何もしていないのに迎えに来ていた梓に俺はびっくりしたのだった。
師走も二十日を過ぎて、もうそろそろ雪もちらつこうかという隆山の気候だ。
吹きさらしの隆山駅に立ち、いつ現れるとも分からない俺を待って……
「……そりゃ風邪もひくよな」
何となくしんみりして俺が言うと、初音ちゃんはすこしだけ目を細めて頷いた。
「ホントはね……」
「うん? なに、初音ちゃん」
「梓お姉ちゃんには言うなって言われてるんだけど、言うね」
意味深な前置きをして初音ちゃんが言った言葉は、俺を当惑させるものだった。
「梓お姉ちゃん、初めから風邪ひいてたんだよ」
はっ、とも、へっ、とも付かない間抜けな声が喉から出かけ、俺は咳払いをして初音ちゃんに聞いた。
「それってつまり……梓が風邪ひいたのは、俺を待ってたからじゃないってこと?」
こくん、と頷いた初音ちゃんにさらに詳しい事情の説明を求める。
「たのむ、初音ちゃん。もっと詳しく話してくれないかな」
「うん、梓お姉ちゃんには黙っておいてね」
ゆびきりげんまんで約束したあと、初音ちゃんは話し出した。
初音ちゃんの短い話をさらにまとめると、事情はこうだったらしい。
理由は不明だけれど、梓は今月半ばあたりからずっと風邪をひいていたらしい。
でもそれは鼻風邪程度のものですぐに治るはずだった。そこに俺からの電話があった。
はじめみんなで迎えに行くはずだったけれど、いつ来るのか分からないのではどうしようもない。
学校や仕事、塾などでスケジュールをあわせられないみんなのかわりに、俺と同じで早く休みに入っていた梓が迎えに出るようになったという。
「……二日目あたりから、本当は熱が出てたらしいの。でも 「あの寒いホームに付いたときに男一人だと、わびしすぎるだろ」 って言って、笑って迎えに行ってた……」
初音ちゃんはそういうと、俺の言葉を待つように口を閉ざした。
俺は初音ちゃんから聞いた話に、ただただ当惑していた。
いろんな感情と言葉がぐるぐると渦を巻いて、うまく形を整えない。
風邪をひいてるのに、熱まであるのに、俺がいつくるか分からないのに……
俺はあのやたらと風通しの良い隆山駅の寒々とした改札を思い出した。
……梓。
「――バカヤロ」
そう小さくつぶやいて、俺はゆっくりとスプーンを運び最後の一口を噛みしめた。
冷めたチャーハンは、のどの奥でいやに塩辛かった。
いつの間にか眠っていたらしい。
あたしはうっすらと目を開いた。寝ながらでも見えるように耕一が動かしてくれた壁時計の針は3時を指している。
あたしは寝たまんま、猫みたいにうーんと背伸びをして深呼吸をした。
部屋の隅に置かれたストーブの、灯油が燃える匂いが鼻をくすぐる。
――こんなにのんびりするのはいつ以来だろう。
いつものこの時間帯、あたしが布団に入っている事なんてまずあり得ない。
みんなの昼食の後片づけや溜まった洗濯物を干したり取り込んだり、やることは山ほどある。
「やっぱり起きようかな……」
布団に手をついて起きあがった途端、大きなくしゃみを二回立て続けにやってしまう。
手を伸ばしてティッシュを取り、鼻をかんでから結局布団をかぶりなおす。
……やっぱり耕一の言うとおり、風邪の時くらい休ませてもらおう。
横になって、じっとしていると、夢と現実がだんだんと溶け合って不思議な気持ちになる。
まどろみ、というのかな。あたし国語には詳しくないんだけど、この感覚はとっても大好きだ。
あたしが今、そのまどろみの中で思うのは耕一のことだった。
昨日、耕一が帰ってきた時、耕一ってばすごくびっくりした顔してたよな。
あはは、今思い出しても笑える。
四日も待って、熱も出て、いい加減疲れてたけどあの顔みたときには「やった!」と思ったね。
それに耕一、嬉しそうだったし。……だから、これでよかったんだ。あたしは何も間違ってないぞ!
……なんてね。
「いつ帰れるかわからない」 って聞いたとき、耕一このやろー! って思っちゃったけど、事情を聞いたらダメとは言えなかった。そっか、耕一はそんな優しい人のとこで働いてんのかって思ったら、なんだか安心しちゃったんだ。
みんなも、きっとそう思ったに違いないけど。
でも、やっぱりちょっと無理したかもしれない。せっかくのイブ、みんなと過ごせないのは悲しすぎる。
熱も下がってきたし、あとで耕一に頼んでみよう。
「……耕一」
今日はやけに優しいな。
たまには風邪もいいものかも、とか言ったら耕一に叱られそうだけど、なんだか子供の時に戻ったみたい。
お粥の出来はひどいもんだったけど、耕一があたしのために作ってくれたんだもんね。あーん、とかしてくれたりして。思い出すだけでも顔が赤くなってくる。
でも、そういえば七夕の時には千鶴姉にもしてたな。なんだかちょっと気にくわない。
……でも、あたし達みんな、耕一に甘々なんだよな。最近特に叔父さんに似てきたこともあるし。
あいつ、あたし達のそのへんの気持ち、気が付いてるのかな?
さっき耕一が、「梓が風邪をひいたのは俺のせいだ」って言ったとき、あたし泣きそうになっちゃった。
あいつ、思いっきり照れてるんだもん。慣れないこというからよ、馬鹿。
風邪は初めからひいてたって、本当のこと言おうかと思ったけど、やめた。
耕一がそう思ったのなら、そしてそれでにあたしに優しくしてくれるのなら、真実は必要ない。
……耕一。大好きだよ。
あたしすぐに良くなるから、それまでは優しくしてよね……
――コンコン
その時、ドアがノックされた。初音かな、と思ったら耕一の声がした。
「梓、入るぞ」
寝てると思ってるのか、小さな声だ。
丁度いいや、寝たふりして耕一が何するか観察しよう。
「……なんだ、まだ寝てるのか。せっかく桃缶持ってきたのに」
なにっ。桃缶?
ちょっと心が揺らめいた。
でも、もうちょっと我慢。
「ま、いいか。起きてから食べれるように机に置いとこう」
ことっ、と皿を置く音がする。
それから耕一の気配が枕元にやってきた。
なんだろう、と思ってると耕一がつぶやくのが耳に入った。
「……梓。馬鹿だよ、ほんと。お前……」
なにおーっ! 誰が馬鹿だーっ!!
起きあがってけっ飛ばしてやろうかと思ったけど、何となく寝ている人間に好き勝手なことをいって腹いせをしているのとは違うようだ。
だとすると……
「無茶するなっていったじゃないか。風邪ひいてるのにさ……」
……やっぱり、初音からでも聞いてしまったんだろうな。
恥ずかしいから言うなって言ったのに……。
でも、今、こうして耕一がそばに来て、寝ているあたしに話しかけてくれる。
そのことが凄く、凄く、嬉しい。
その時、枕元の気配がすうっとあたしの顔のそばに寄ってきた。
――えっ!?
ちょっと、まさか?!
「梓……」
目を開けられないあたしは思わず唇を固くしてしまう。
こっ、耕一!
そんな、まだ心の準備が……
多分息だって臭いし、第一あたし寝てるのに。
あたしのファーストキス、寝ている間に奪われましたなんて……!!
あまりの異常事態に脳が熱暴走起こしたみたい。
そんな事考えてる内にどんどん気配は近づいてくる。
えーっ!!
ちょっと、ちょっと!
――――耕一……っ!!
ぽふっ
「う〜ん、だいぶ下がってきたな」
――へっ?
あたしは危うく声を出すところだった。
顔に迫った気配はそのままおでこにのっかり、熱を吸い取っている。
………
………
………
……だあぁ〜〜〜〜っ!
熱計ってるだけかー!!
あの緊張とときめきはいったいなんだったんだ。
あたしは思いっきり脱力した。
……でも、耕一の手、冷たくて気持ちいいな。
あたしは額に当たる耕一の手の感触を忘れないようにしようと思った。
あたしにキスはまだ早すぎるのかな。
こんな子供っぽいふれあいで、結構あたしって満たされてるのかも。
「熱低いわりに、顔が真っ赤だなこいつ」
耕一の苦笑混じりの声が聞こえる。
あちゃ、顔に出てたか。
「……早くよくなれ」
そうささやく声と共に、やってきたときと同じようにすっと気配が去った。
ドアが閉まり、部屋が静かになる。
廊下から耕一のハミングする「赤鼻のルドルフ」がかすかに聞こえてきた。
あたしは目を閉じたまま、夜空を行く九頭のトナカイのことを思った。
真っ赤なお鼻のトナカイさんは、そのぴかぴかの鼻でどんなに深い霧の中でもサンタさんを良い子の所に連れていくらしい。迷うことなく、まっしぐらに。
耕一、あんたさっきあたしをトナカイみたいだと言ったよね。真っ赤なお鼻がそっくりだって。
そうよ、あたしはトナカイ。
いつでも、どんなときでも絶対にあんたを迎えに行くから。
そしてあんたを待つみんなの所に連れていってあげる。
だって耕一。あなたはわたしの――
わたしの、サンタクロースだから。