星 に 願 い を ☆.。.:*・゚ その2

 

 

「さーさーのーは、さーらさらぁ〜」

 夕刻、山から海に下ってゆく穏やかな風が、八年前と同じ場所に立てられた笹と囁きを交わす。
 縁側に座って薄暮の空に揺れる笹とお飾りを見ながら、初音ちゃんが子供みたいに歌っている。
 小さな歌声だったけれど、風呂からあがって廊下を歩いていた俺の耳にそれは不思議に届いて、俺をあたたかい気持ちにさせた。
 台所から聞こえてくる梓と千鶴さんの騒々しい声(おそらく夕食の調理権の取り合いだろう)に苦笑しながら、俺は電気の消えた座敷を通り抜け、初音ちゃんの側に行った。

「初音ちゃん、電気つけないの?」
「あ、お兄ちゃん」

 初音ちゃんが振り向いて、にっこり笑う。
 俺は、つられて微笑み返しながら初音ちゃんの横に腰掛けた。
 風呂で火照った体に、夕暮れの少し冷えた風が心地よい。

「でも電気消した方が綺麗に見えるね」
「でしょう? もうあと少しすると真っ暗になっちゃうんだけどね」

 くすっ、と笑って初音ちゃんはまた楽しそうに目を細めて、さっきと同じメロディをハミングしだした。サンダルをつっかけた細い足を縁側でぶらぶらと遊ばせながら、子供みたいに微笑んでいる。
 楽しくてしようがないといった風のそんな初音ちゃんの仕草を見ていると、七夕を企画して良かったと心から思う。
 昔と同じ場所に立てられた笹に、昔と同じ飾り付けをして、昔みたいにみんなで祝う。
 八年間この子達が失ってきたものを、少しでも取り戻してあげたい。
 それは、今夜だけではない、俺のこれから一生の願いだ。

 願い、でひとつ気になることを思い出した。

「そういえば初音ちゃん、お願い事はもう決まったの?」

 笹をたてつけた後、みんなで笹に自分のお願い事を書いた短冊を吊した。
 しかしその時初音ちゃんは「まだ決まってないから」と言って自分のを吊さなかったのだ。
 その為、初音ちゃんのお願い事だけ、いまだ把握していないのだ。

「日が暮れちゃう前に下げないと、お願い事かなわないよ?」
「え? そうなの?」

 むろん嘘だ。そんなしきたりが七夕にあるとは聞いたことがない。
 ただ暗くなったら読みにくいからという、完璧に俺側の事情による。
 俺の言葉に、初音ちゃんは複雑な顔になった。

「でも、私の……」

 初音ちゃんが何かつぶやきかけた時、強い風が吹いて庭木を揺らした。俺たちは笹が大丈夫か気になって揺れる笹の葉を見つめる。
 ざわめきが去ったとき、笹が何事も無いのを見て俺と初音ちゃんは同時に息をついた。

「……ふう。今のは焦ったね」
「この風が吹くと、もう夜なんだよ」

 地元っ子らしい発言をする初音ちゃんに俺は微笑みながら言った。

「で、何か言いかけてたよね」
「え、う、うん。なんでもない。お願い事、早く決めるね」

 はぐらかすようにそう言って、初音ちゃんは立ち上がった。
 何なんだろう。無性に気になる。

「私、学校の宿題してくるね」

 初音ちゃんはそう言って去っていった。
 表情や声に暗さがないのが救いだけれど、なにか俺に言いづらいことみたいだ。
 ま、いいや。
 一人になった俺は、わざと声を出して立ち上がり気持ちを切り替えた。
 初音ちゃんのお願い事のことはあとで考えよう。
 まずは……千鶴さんだ。
 拳を掌に打ち当て、気合いを入れながら俺は台所に歩いていった。

 

mission 1 千鶴の願い

 気合いを入れるのには訳がある。
 生半可な気合いと決意では、これからの行動は危険すぎるのだ。
 千鶴さんの願い……それは――

「お料理が上手になりますように」

 笹に下げられたこの願いを読んだとき、俺は神を恨んだ。
 七夕様、これは今日が俺の命日なのだと、そういう意味なのでしょうか?
 ――止めようかな、今夜の計画……
 そんなことをふと思ったとして、だれが俺を責められるだろう。
 しかし俺は頭を振ってその悪魔の囁きを(本当は天使の忠告かも知れないが)頭から払いのけた。
 だめだ、俺は決めたんだ。みんなの願いを叶えると。そんな意志薄弱な事でどうする、柏木耕一!
 千鶴さんのお料理ぐらい、なんてことない! なんてこと……なんて……こと……

 だんだんメゲそうになる心を打ち叩いて、俺は台所に踏み入った。

 

「だーかーら! ダメだって言ってるだろ、千鶴姉!」
「いいじゃない、今夜ぐらい。特別なんだし」
「特別な日だからこそ何かあったら困るんだよ!」
「・・・梓ちゃん、その何かって、何?」
「ほお、あたしに言わせる気かい、千鶴姉」
「むーーーー!!」
「ふんっ!!」

 バチバチバチバチバチバチバチバチッ!!
 睨み合う二人の視線が火花をあげている。

 おお、いきなり修羅場だ。
 全身の毛穴が縮こまり、つめたーい汗が背中をすうっと滑ってゆく。
 ……や、やっぱ止めとこうかな。
 しかし、弱気になってそっとドアを閉めかけた所を二人同時に見つかってしまった。

「あ、耕一!」
「耕一さん!」
「や、やあ」

 ドアの影に隠れるように顔を出し、俺は間抜けな挨拶をした。
 そんな俺に良いところに来たとばかりに二人が詰め寄ってくる。

「耕一、千鶴姉を止めてくれ! 夕飯造るって言って聞かないんだよ」
「耕一さん、私のお料理食べたくないですか?」

 料理なんですか? 料理の皮をかぶった毒ではなく?
 反射的に浮かんできたそんなツッコミを、俺はのどで止めた。
 生か死か、どちらか選べと言われたら、誰でも生を選ぶだろう。
 俺だってそうしたい。
 でも、今日はあえて俺は死を選ぶ。

「……千鶴さん、俺のだけ造ってよ」
「「えっ!?」」

 俺の言葉に二人の驚きの声がハモる。
 俺はせいぜい微笑みながら続けた。

「千鶴さんのせっかくの料理、独り占めしたいなぁ」
「耕一さん……はい! 頑張ります!」

 独り占め、という言葉に感激したのか、千鶴さんは目を潤ませ立ちつくす。
 そんな俺の言葉に、梓が血の気の引いた顔と声で俺の肩を揺さぶる。

「お、おい、耕一。正気か!? 自殺願望でもあるのか?」
「何も言うな。何も訊くな。責任は俺が取る」
「耕一……あたし達のために……」
「梓、後は頼んだぞ」
「こういちいいいっッ!!」

 妙なノリで盛り上がる俺と梓に、千鶴さんの声がかかる。

「梓、早くみんなの分造らないと遅くなっちゃうわよ。 やっぱりあたしが……」
「やめろおおおおおおーーーーッッ!!!」

 俺を突き放して光の早さで移動した梓が、千鶴さんの手から食材を取り上げる。
 梓の奴。やはり自分が可愛いと見える……

 

 ――小一時間後
 食卓に並べられた料理を見て、初音ちゃんが言った。

「あれ? 耕一お兄ちゃんだけ料理が違うんだね」
「耕一のは特別メニューだ」

 梓が暗い声で言う。
 しかし初音ちゃんは無邪気な声で応じる。

「良かったね、お兄ちゃん。初音にも少し味見させてね」
「――千鶴姉特製でも?」

 梓の言葉に、さすがの初音ちゃんの笑顔も凍り付いた。

「や、やっぱりあたしダイエットしてるから……ごめんねお兄ちゃん」

 凍り付いた笑顔のまま、初音ちゃんがすううと引いてゆく。
 初音ちゃん、きみまで……

 

 自室にこもって勉強していた楓ちゃんが席に着くと、食事が始まった。
 どこかそらぞらしい「いただきます」の後、当然のようにおれの手元に視線が集中する。

「耕一さん……」

 見ると千鶴さんが期待に満ちた目で俺を見つめている。
 俺は目だけで頷き返し、箸を手に取った。
 今夜の特別メニューは……

 安全パイの白御飯
 異様に赤い唐揚げ&カットレモン
 湯気が不吉なお味噌汁
 怪しさ本命正体不明の食材入り和え物

 ……以上四点が、今夜の俺の運命である。

「いただきます……」

 思わず御飯にのびそうになる手を、無理矢理料理に向ける。
 ……逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだあああ!!!
 自閉症気味の某少年(そろそろ古いか)のようなことをつぶやきつつ、まずはみそ汁に手を伸ばす。

 ずる……

 みんなが固唾を呑んで見守る中、俺は一口すすったみそ汁を飲み込んだ。

「――うん、おいしいよ」

 俺は肩の力を抜いてそう言った。
 まあ、滅茶苦茶美味しいという訳ではないが、ちゃんとダシも取ってあるし、みそも普通の味がする。
 俺の言葉に元気付いたのは千鶴さんだ。

「ほらみなさい、梓。わたしだって料理上手になったんですからね」
「みそ汁くらい誰でも作れるよ」

 そんな憎まれ口を叩きながらも、梓は気の抜けた顔をしている。
 こいつなりに、心配していたんだろうな。
 でも、まあ俺も千鶴さんの腕を酷く考えすぎだったのかもしれない。
 先入観を捨てれば、どれもそれなりに美味しそうな料理じゃないか。

 そう思って二口目をすすった俺の歯に、かつんと何かが当たった。
 ふと椀を傾け覗き込んでみると……

「? どうかしました、耕一さん」

 硬直した俺に、千鶴さんの天衣無縫な声がかかる。
 俺は椀をさっと下げて痙攣したように首を振りながら何でもないを繰り返した。
 ……言えない。
 みそ汁の具の中に、包丁の刃先が入っていたことなんて……

 気を引き締めろ、柏木耕一。
 お前の敵は、味だけではない。

 とりあえずみそ汁を置き、安全パイである御飯を食べる。
 これは全員共通の釜からよそっているから危険はない。
 出来れば御飯だけ食べて終わりにしてしまいたいのだが、そういう訳にもいかない。
 俺は次の品を目で選んでいた。
 やっぱり次は・・・唐揚げかな。
 そう思って箸を伸ばしかけた瞬間、梓が俺に目で警告を送っている事に気が付いた。
 (ヤメロ、ソレハアブナイ……)
 俺はとっさに箸を引き、水を飲むふりをしながら観察した。

 ……赤い。
 赤すぎる。
 どうして唐揚げがこんなに赤いんだ。
 ほんのり赤いとか、赤っぽいとかいうレベルではない。
 溶鉱炉の赤だ。
 その連想から俺は想像する。これを喰った口の中が、まさにそのようになるであろう事を。

 俺は命の恩人にアイコンタクトを送る。
 (サンキュー、梓)
 (貸し1だぞ)
 恩着せがましく梓はウインクで応えてきた。こいつは、と俺は苦笑する。
 そんな生死をかけた無言のやりとりが交わされていることも知らず、千鶴さんはのほほんと言った。

「おいしいですか? 耕一さん」

 罪のない、無邪気な笑顔だ。
 千鶴さんは今、自分が造った料理を俺が食べていると言うことを本当に心から喜んでいる。
 七夕にかけた願い――「お料理が上手になりますように」というのも、嘘偽りのない本当の気持ちなのだろう。そしてそれが俺のためであると言うことも、俺は気が付いている。
 俺が千鶴さんの料理を食べ、そして「おいしい」と言うことが、千鶴さんの願いなんだ。
 しかし同時に、上手になりたいと願うということは、自分が未熟だということを自覚しているということだ。
 ――どの程度、自覚しているんだろう。
 俺はそれが気になった。自分が料理を作っているつもりでどんなに危険なものを作っているか、しっかり自覚する必要があると俺は思った。
 それが、上手になる第一歩だ。

 手に取ったのは正体不明の和え物。危険度ナンバーワンの物体だ。
 俺はそれを箸で取り上げ、千鶴さんの方に向けた。

「千鶴さん、あ〜ん」
「こっ、耕一さんっ!!」

 俺の突然の行動に千鶴さんのみならずみんながびっくりしている。

「耕一ぃ、二人っきりの時にやれよなぁ、そういうことは」
「こ、耕一お兄ちゃん……」  

 あきれ顔で梓がぼやく。その横で楓ちゃんと初音ちゃんが顔を真っ赤にしている。
 俺だって恥ずかしいんだ、と叫びたいのを生涯最大の自制心を振り絞って耐え、千鶴さんに言った。

「千鶴さん、凄く美味しいよ。頑張って作ってくれたんだね……だから、せめてこのぐらいさせてよ」

 笑顔なんか添えつつ俺は優しく言った。
 良心が痛む。これが偽善というものか……
 しかし千鶴さんはそんな俺の内心をよそに、口元に手を当てた驚きの表情のまま目にうっすらと涙を浮かべて頷いた。歓喜の色を昇らせわずかに震える千鶴さんの唇に、俺は箸を寄せる。

「ほら、口開けて」
「は、はい!!」

 目を閉じて、薄く開けられた千鶴さんの口の中に俺は細心の注意を払いながら箸を差し入れた。
 今頃になって、俺も緊張してきた。 なんだかすごくHだなこれって……
 隣で、頭の後ろで手を組んだ梓があさっての方をみながら大げさなためいきをついた。
 楓ちゃんは無言でじっとその様子を見守り、初音ちゃんも真っ赤になった顔に当てた手の指の間から、しっかりうかがっている。

 千鶴さんは口を閉じ、自分の料理を咀嚼し、そして、こくり、と飲み込んだ。
 そして世にも幸せそうな笑顔を浮かべ………

 ――そのまま仰向けに倒れてしまった。

 

「おっ、お姉ちゃん!?」

 初音ちゃんが駆け寄って千鶴さんの頭を抱き起こす。
 名前を呼ぶが反応がない。
 失神してしまったようだ。

 俺は半ば予想していた展開とはいえしばし呆然として、手の中の即効性の和え物もどきを見つめた。
 何が入っていたんだ。一体……

 事情を察した梓が俺の側にやってきて、一緒にその中身を見つめたが分からなかった。
 ただ、知らない方が幸せなこともあるという言葉を再確認し、二人でビニール袋に包んで闇に葬った。
 千鶴さんも、卒倒したものの呼吸も安定しており顔色も良いので、安静にしておけば回復するだろうと結論を下し、梓と二人で運んで部屋のベッドに寝かしつけた。

 千鶴さんの願い。
 俺はその一部を、ささやかにかなえてやることが出来たのかも知れない。
 でも、七夕の神様。
 今夜の出来事を見ておいででしたら、お願いです。
 俺の生命と健康の為にも……

 (千鶴さんの料理が上手になりますように……)

 ――涙ながらに星に願いをかける俺だった。
 

その1

その3

目次