星 に 願 い を ☆.。.:*・゚
「そう言えば、今日って七夕だよなぁ」
俺がそうぽつりともらしたのは七月七日、七夕の日の朝食の席でだった。
その声はふと途切れたおしゃべりの合間に絶妙のタイミングで入り込んで、卓を囲むみんなが俺の方を見る。
「七夕祭りとか、みんなするの?」
「七夕のお祭りって、笹に短冊を下げてお願い事するあれのこと? お兄ちゃん」
「そう。・・・あ、ありがと」
ご飯のおかわりをよそってくれた初音ちゃんの言葉に俺は頷く。
「七夕、ねぇ。もうあんなのする歳でもないでしょ」
俺の隣でみそ汁をすすりながら、そんな老けたような事を言うのは梓だ。
そのさらに隣で、楓ちゃんがすでにごちそうさまと手を合わせている。
相変わらず早い。ちなみにご飯を一回おかわりまでしている。無用なおしゃべりをしていないからという理由だけでは、この早さは説明できないと俺は思う。研究してレポートを書けば、何かの単位を取れるのではないだろうか。
でも、この際それはどうでもいい。
いまは七夕の事だ。
「昔はよくしてたわよね。みんなで飾りをつくって、裏山からお父様が取ってきた笹に飾り付けて・・・」
「そこの庭でしてたの?」
「はい。丁度その当たりに、笹を据え付けるのに具合のいい杭が立ってるんです」
懐かしそうにそう言う千鶴さんは、庭の方を向いて目を細めた。俺もつられてそっちを見た。
開け放たれた障子戸の向こうには簀の子造りの濡れ縁があって、その先には小さな池がある。
数匹の錦鯉が遊泳するその池のほとりに、確かに一本の丈夫そうな木の杭が立っていた。
「折り紙でお飾り造るの、楓お姉ちゃんが一番上手だったんだよ」
真っ先に食べ終わった楓ちゃんに食後のお茶を手渡しながら、初音ちゃんがにっこり微笑んで言う。
天使の微笑み、健在。俺は人ごとながら幸せな気分になった。
それにしてもこの子は世話をしてばかりで、ちゃんと自分のご飯を食べてるんだろうか。
「へえ、そうなんだ。でも楓ちゃんなら納得だなぁ」
「そうでも・・・ないです」
俺が誉めると楓ちゃんはちょっと頬を染めてうつむいてしまった。
「そうそう。折り紙に凄い細工を入れてたもんねぇ。いくら教わっても、真似できなくてさ」
「それで梓かんしゃく起こして、お飾り造るのやめて一人でこより作ってたのよね」
茶化すように千鶴さんが言い、俺の目をちらっと見て悪戯っぽく微笑んだ。
俺は梓が部屋の隅で背中を丸め黙々と短冊を吊すこよりを撚っている所を想像してしまい、思わず吹き出してしまった。
「千鶴姉! ・・・何がおかしいんだよ耕一」
「いや、べつに?」
俺は取り澄ましてそう言って、湯飲みを傾けながらちらっと千鶴さんの方を見る。千鶴さんも俺の方を見ていた。
目が合い、そして同時に吹き出した。
「くくくくくくくくくく・・・」
「ふふふふふふ・・・」
「なんだよなんだよ、もう。二人して」
ぶすくれる梓がおかしくて、俺と千鶴さんは堪えるのを止めて声を上げて笑い出した。
楓ちゃんと初音ちゃんもつられて笑い出し、俺達はひとしきり笑った。
「なんだよーっ!! 初音達までぇ〜〜っ!」
・・・唯一人、梓だけが取り残されていた。
「それはそうとさ・・・」
まだちょっと笑いの余韻を引きずりながら俺が言う。
「いつ頃からしなくなったの、七夕」
「あ、うん。それは・・・」
答えかけた初音ちゃんの顔が急に曇る。
見渡すと、梓や楓ちゃんまでが視線を落としている。
「・・・ごめん。なんか悪いこと聞いちゃったかな」
箸をおいて頭を下げようとすると、千鶴さんがあわてたように遮った。
「耕一さんが謝ることじゃありません。ごめんなさい、急に黙ったりして・・・」
「でも、なんだか辛そうだよ」
「・・・もう、八年も経つから平気かと思ってたんですけど。やっぱり・・・ごめんなさい」
「八年? 八年前って・・・まさか」
聞き覚えのある年数に目を上げると、視線の先で千鶴さんは唇だけで微笑んだ。
「両親が亡くなった年です。その時からうちでは七夕を祭ってません」
そう言って、一瞬後には千鶴さんは元の千鶴さんに戻っていた。
「――ささ、みんなご飯食べましょ。あなた達、学校まだ大丈夫なの?」
「あっ、もうこんな時間。急いで食べなきゃ・・・あ、楓お姉ちゃんお茶のおかわりいる?」
「初音、人の世話はいいからご飯食べな。冷めちゃうだろ」
「梓は今日は休みなの?」
「ううん、11時から講義でその後ドライビングスクール行って来るから、帰りはちょい遅くなるかな」
「じゃ、じゃあ今夜の晩御飯あたしが・・・」
「絶っっっっッッ対にダメ」
もとの雰囲気を取り戻した食卓の中、今度は俺が沈んでいた。
・・・俺は自分の発言を後悔していた。
なんて無神経な事を言ってしまったんだろう・・・・
「耕一?」
そんな俺に気が付いたみんなが俺に声を掛けてくる。
「耕一さん・・・」
「耕一お兄ちゃん・・・」
「耕一さん、もう気になさらないでください」
「みんな・・・」
――その時、ひとつのアイデアが浮かんだ。
今日しかできない、俺にできる最大の罪滅ぼし。
「――今日、七夕のお祭りをしよう」
「えっ?!」
みんなの驚いた声がハモった。
俺は続けた。
「みんなで七夕をしようよ。昔みたいに笹を飾って、お願い事をして・・・。たくさんの悲しいことや辛いことがみんなから七夕を忘れさせてたんだとしたら、今夜それを思い出そう。八年前に比べて俺達はいろんなものを無くしたけれど、それなら今度は新しく手に入れて行けばいい。――悲しいことはもう、終わったんだから」
「耕一さん・・・」
「どうかな、千鶴さん。昔のままに、今夜この庭で・・・。それとも、やっぱりだめ?」
俺の顔を凝視したまま話を聞いていた千鶴さんはゆっくりと表情を和らげ、そして首を振った。
「いいえ――やりましょう、今夜・・・。八年ぶりに、七夕を・・・」
「よし、決まりだ!」
俺はパンと手をうった。
その音にこっちを向いた梓達の顔は、最初どこか惚けているような感じだったけれど、一瞬ごとに笑顔に変わって行く。俺は自分の思いつきが間違いでなかった事を知った。
「じゃあ、役割を決めよう。まず俺は笹を取ってくる。そしてそれをそこの杭に立てるだろ・・・」
「ばーか、先に立ててどうすんだよ。立てちゃったら飾り付けができないだろ」
「あ、そうか」
「お飾りは、私学校で作ってくるね。帰ってきてから一緒に飾ろうねお兄ちゃん」
「私も・・・学校では作れないから、早めに帰ってきて作ります」
「じゃあ、お飾り作るのは初音ちゃんと楓ちゃんに任せた。あと梓は・・・」
「あたしは・・・?」
「――こより作り、任せた」
「何だよそれーーーっ!!」
梓が笑いながら俺の肩を突いてくる。俺は大げさに倒れる真似をして大声で笑った。
初音ちゃんがはち切れんばかりの笑顔で、どんな飾りを作ろうか楓ちゃんと相談している。
楓ちゃんも、頬を上気させてやや興奮気味だ。いつもの三倍以上口数が増えている。
そしてそんな俺達を見て、見たこともないほど優しい表情をした千鶴さんがそっと目元を拭うのを俺は見た。
その後七夕の祭りの打ち合わせは、初音ちゃんが始業時間に間に合う時刻ぎりぎりまで続いた。
全速力で走っていかないと間に合わない時間であるにもかかわらず、初音ちゃんはそれすらも楽しげに元気よくでていった。事故に遭わなければいいけれど、と俺は密かに案じ、苦笑した。
やがて楓ちゃんが出かけて行き、食事の片づけを手際よく済ませた梓が大学に行き、ほぼ同時に千鶴さんも会社からのお迎えが来た。できるだけ早く帰ります、との言葉に、楽しみにしててと言い添え見送った。
出かけるみんなに、俺はひとつのことを頼んでおいた。
『お願い事を決めておいて』
それは、俺のアイデアのもうひとつの顔、そして本当の目的だった。
みんなが短冊に書くその願いを、俺ができる範囲でかなえて上げよう。
それが、俺にできる最高の罪滅ぼしだと思った。
屋敷の門をくぐりながら、俺は大きくのびをした。
空はよく晴れている。今夜は素晴らしい星空が見られることだろう。
俺は目を閉じ、そしてみんなより一足先に今夜の星々に願いを捧げる。
――みんなの願いを、かなえてあげられますように・・・
気の早い蝉が、どこかで鳴き始めていた。