その1、全員集合の翌日『最深部』
(注、これは悪役同志の会話ではありません)
粉雪の最深部よりさらに奥、昼なお闇につつまれた部屋。
僅かな光のみがあり、窓も無い室内。
そこで蠢く影が2つあった……
「……と、いう訳で全員了承ですな」
「ふむ、いやいやご苦労だったね」
「いやいや、吾輩としても労苦は惜しまないところですから」
声はすれど姿はおぼろげにしか見えず。
よって、それが誰であるかまでは特定できる……いやいや、出来ない。
「まあ、計画に遅延は認められないがな」
一方の影、それは全く姿が見えない。
ちなみにそれは「音声専用」と書いてある黒い箱……では無いので誤解無きよう。
「……心配は御無用」
もう一方の影は眼鏡を光らせ、顔の前で組んだ両手で口元を隠すようにして喋る。
ちなみに髭も生えていないし息子もいないので、これまた誤解無きよう。
「全ては計画の通りに進んでおります、誤差も修正可能の範囲」
「しかし”庭球”が問題かも知れないが?」
「それに関してもご心配無く。 仕込みは済んでおります」
「ふむ。 まあ予定通り、だな」
「くっくっく、まあ、ですな」
「ふふふ……」
二人して笑っているようだが、それに楽しさの響きは無い。
それを示すかのように笑い声は直ぐにぴたりと止み、静寂を再び招く。
「……まあ、期待しているよ」
その台詞だけを残し、声の主である一つの大きな気配が消える。
「……ほんまにええんか?」
そしてすぐさま、新たに一つ気配が残った影の隣に現れた。
その影は腕を後ろで組んでいる白髪細身で初老の男性……ではないので、またまた誤解無きよう。
「こちらとの利害は一致している以上、あちらも遵守するだろう……今のところはな」
「せやけど、あっちは食えんやつやで」
「それはこちらも同じこと、切り札はこちらにある」
「ま、それならええけどな」
「問題は無い……」
ぶん……と残った二つの気配も消え、その場は完全な静寂と闇に包まれる……
その2、全員集合から1週間後『公園』
粉雪での練習が続く日々。
その中のある日の昼下がり。
「あら、あれは……」
練習を終え、帰宅ついでに海辺の公園に寄り道した美咲は、その公園で見なれた後姿を見つけた。
手には庭球の”らけっと”なるものの入っているらしき袋を持ち、緑の髪をぶっきらぼうに短く切ったその女の子。
「はるかちゃん?」
「!」
僅かにびくっと体を硬直させた後、ゆっくりと振り返るはるか。
いつも”まいぺぇす”なはるかにしては、かなり珍しい反応である。
「美咲さん、こんにちわ」
「こんにちわ、はるかちゃん……」
だが、それが幻であったかのように、自然にいつものはるからしい柔らかな笑顔を見せた。
美咲もそのはるかを見て、先の反応が少し気になってはいたが会話を進めることにする。
「どうしたの、誰かと待ち合わせ?」
「うん、ちょっと」
「ふふっ、庭球をするの……かな?」
「うん」
そう返事しつつもちょっと目をそらすあたり、何か隠しているようにも見える。
「どうか……した…」
「ごめ〜ん!」
美咲がそれに気付いて聞いてみようとした矢先、活発そうな声と近づいてくる軽快な足音が聞こえた。
それははるかと同じ袋を持ち、頭の右横で結わえた髪をゆらしてきて、美咲達の目の前で止まった。
「待った?」
「全然」
その娘は息を切らせているが、駆けて来た早さから考えればかなり少ない。
事実、駆けてきて直ぐに喋れたことは、普段から運動していることの裏打ちだろう。
「美咲さん、瑞希」
「こんにちは、沢倉 美咲です」
「あ、高瀬 瑞希です」
はるかに促され、頭を下げあう瑞希と美咲。
一方の美咲は瑞希と聞いて記憶にひっかかるものを感じ、思い出そうとする。
「もしかして、千堂くんの友達で……」
「美咲さん」
和樹達の会話に良く出てきた名前、と思い出しかけた美咲が問うてみようとする。
だが、その機先をはるかが制した。
静かだが、なんとなしに語気が込められているようである。
「ちょっと、急ぐから」
「そ、そうなんです。 庭球の場所に時間制限があって」
「あ……そう…ごめんね。 じゃあ……またね」
「うん、また美咲さん」
「ごめんなさいっ」
なれば引き留めるのも礼を失する、と美咲はその場を離れて公園の奥へと向う。
はるか、瑞希は別の方向へと歩き出した。
少し歩いてから、はるかの態度のどことなしに感じられる妙さがやっぱり気になった美咲は、後ろを振り返って見る。
別れて直ぐだから、当然はるかと瑞希の後姿が見えたが、2人の向って行った先は……
「あら?」
この公園は結構大きく、隣接するように庭球が出来る場所がある。
てっきりそこに向う為に待ち合わせしていた、と思っていたのだが、そこへ向う道へ入らずにそのまま公園を出る方向である。
「庭球が出来る場所……あっちにあった…かな……」
公園を出れば市街地。 記憶によれば無いはず。
むしろ美咲の辿った道を逆行していることから考えれば……
「粉雪に……ふふっ、まさかね……」
湧いた疑念を払い捨て、公園の奥へと歩き出す美咲。
実はその疑念は真実であったのだが、そのことが証明されたのは公演時のことである。
その3、講演前日・昼下がり『長瀬療養所』
江戸は長瀬寺よりほど近く、だがまだ木々の生い茂るの静かな林の中。
そこにひっそりと小さめの屋敷が構えられている。
その屋敷の通称は『長瀬診療所』
長瀬源零朗が大陸に渡って習得したといわれる『気功』
その修練と医学への応用を兼ねて開かれている。
だが、余程でないと患者を取らない為に、その存在すら知る者は多くない。
本来は道場として開いたのだが、今まででも1人しか弟子を取らなかった為に事実上の開店休業状態である。
「先生、お願いします!」
「うむぅ……」
その診察室に老人と一人の女の子が向き合って座っていた。
女の子の方はなにやら一生懸命に訴えているのだが、老人はというと長い白髭をいじりながら苦笑しているだけである。
この老齢で白髪ながら、どことなく凄みを感じる老人。
これがここの主にして気功師でもある長瀬である。
長瀬だが、先生、同心、用心棒、茶店店主、骨董屋、主任の長瀬ではないので注意されたい。
「私、最近は調子が良いし……」
「確かに。 しかれど郁美殿」
源零朗は苦笑を止め、真剣味を帯びた目で語る。
「自らの身は自らが知るはず。 無理に長時の利は無し」
「でも…明日は絶対に……行きたいんです……」
ぽろぽろと郁美の目から涙がこぼれる。
その様は単なる幼いが故の我が侭には見えず、なにか必死さが伝わってくる。
「……とりあえず休むが上策。 気の乱れは心の臓にも負担となる」
「はい……失礼します」
それを感じ取れない源零朗ではないが、あくまで冷静に休養を告げる。
郁美がとぼとぼと診察室より出るのを確認してから、大きな溜息をつく。
「問う、か……」
長瀬は考え込む。
確かに言った通り、最近の郁美の調子は悪くない。
多少の外出なら許可出来るが、演劇ほど長く居ても大丈夫だと保証できるだろうか?
何せ病気が心の臓であり、目が離したままにする訳にはいかない。
しかも明日の演劇といえば……
「ふむ……」
一息ついでに茶を一杯、と診察室を出ようとした源零朗だったが、それと入れ違うように入ろうとした影が見え、歩みを止める。
そしてふすまを開け部屋に入ってこようとした、その人影は丸知と芹緒だった。
「丸知、芹緒か」
「お茶をお持ちしました」
「茶菓子もあるです〜」
「ほう……」
そういえば今は八つ時、小腹が空いてきている頃である。
仙人のごとき源零朗ではあるが、物を食べない訳ではない。
「失礼します」
「この机の上でいいですかー」
長瀬が自分の腹具合を認識する間に、芹緒と丸知は部屋の中に入り喫茶の準備を始めた。
「ふむ……ここも一興か」
漢方の匂いが多少する中での茶会もたまには良いか、と長瀬は診察室の自らの座布団まで戻ってあぐらをかく。
丸知、芹緒もそこに出したちゃぶ台に湯のみなどを並べ終え、押し入れに収めてあった座布団を持ってきて座る。
「菓子とは?」
「はいです、尾根屋のお菓子です〜」
「『くっきー』というものだそうです」
長瀬がそれをつまむと、さくさくした触感と共に素朴ながら広がる味わいがある。
作った人は豪快ながら気を使っている人であろうと感じたが、同時にそれがどこか間違った気もする長瀬だった。
それをさておいても、なかなか美味である。
「ほう……」
その言葉に微笑む二人の娘。
笑顔の表現は対照的だが、どことなく同じ感じがするのも姉妹である証であろうか。
それに益々以って頬がゆるむ長瀬だった。
「それで、お話があるのですが」
「……うむ」
「明日ですね、私達にお休みを頂きたいのですけど……」
土産を持ってきて、用件を芹緒が切りだし、丸知が内容を語る。
長瀬はその手際の良さに打ち合わせ済みの会話であろうと察知するが、そのまま会話を進める。
「共にか?」
「はい」
「そうなんですけど……」
「構わぬ」
「ありががとうございますー」
あっさりと許可した長瀬。
丸知と芹緒には診療所をたまに手伝ってもらっており、その手が無くなることがどうでも良い訳では無い。
だが曾孫にあたる娘達の願いを断れるはずも無いし、それに一人でどうしようもない程の量は無い。
「それでですね、あの白記帳一座の公演に行くんですけど……」
「ほう、噂は知っておるがな」
「郁美さんも一緒に行っても良いでしょうか」
「むぅ……」
よもやそういう話で来るとは。
並みの男子十数人が一編に飛び掛っても触れることすらで出来ないであろう、源零朗。
数年ぶりにその読みをしても読めなかった展開である。
考えれば、丸知と芹緒は療養所の手伝いをしている。
その中、患者の中では年齢も近い郁美と仲が良くてもそれは必然だろう。
そしてその会話の中、そういう話になっても不思議は無い。
だが、郁美の希望はそうであったとしても、自らの病状を知っているのに軽軽しく約束するであろうか。
そういう娘でないはず。 であれば……
「……解った」
「え? 本当に良いんですか?」
「明日の朝に検診。 調子良ければ予防策を講じた上でだが」
「ありがとうございますー、では郁美さんにお知らせしてきます」
「うむ」
満面の笑みをうかべ、鼻歌まじりで部屋を出て行く丸知。
本当に嬉しいのだろう、郁美も喜ぶであろうことが。
「これを……」
「……これは?」
丸知が部屋から出ても、出て行った障子を眺めていた長瀬の脇に券が差し出される。
それは入場券であるが、「特」の朱印がある。
「これがあれば関係者入り口から観客席に入れます」
「…………」
真意を理解しかねる長瀬が黙っていると、芹緒は説明を続けた。
「主任が今回の公演にはからくりを納入しますので、貰っておいたものです」
「診療所の手はいかんとする」
「主任が留守番するそうです。 それに演劇自体は2刻程で済むと思われます。
代わりに、ぎりぎりに完成したからくりを一つ運ばないといけませんが」
「芹緒……」
「はい」
「策士め」
一応とはいえ医学知識を有する丸知と芹緒のつきそいならば、郁美の病状が急変したとしても直ぐに応急措置が取れるだろう。
しかも源零朗が舞台裏に控えていれば、それからすぐに本格的な処置が出来る。
更には処置のための場所として舞台裏が使え、大騒ぎになる前に処置できれば公演を阻害することは無い。
それに郁美が心より楽しめることは気的にも良いこと、すなわち病気にも良いことであるのは必然の理。
ましてや友人と一緒に楽しめれば、それも倍加されることだろう。
「……最良の手段を実行しただけです」
「だが、帰りつくまでが過程」
「承知しています」
それから、丸知と郁美が診察室に駆け込んでくるまでの間、二人に会話は無かった。
だが、それは決して気まずいものではなく、むしろ心地よいものであったのも気のせいではあるまい。
その4、開幕直前『粉雪観客席』
入場がほぼ済んだ粉雪の客席。
しかしながら期待の熱は篭り相乗してその勢いを増し、開幕まで待つ時間を焼き払わんと欲するようである。
「あの、すいません耕一さん」
「なんですか、千鶴さん」
「団子5皿ほど買ってきて頂けませんか?」
「あとお茶も頼むな」
にっこりと微笑む千鶴と梓。
その言葉は丁寧ながら、逆うことが許されないようなのは気のせいだけだろうか。
「あ、あの……」
「どうかされましたか?」
「いえ、なんでもないです……」
何か言いかけた耕一だったが、2つの笑顔の前にあきらめた。
とぼとぼと売店まで歩み出し、あまり入っていない自らの財布を中身を数える。
「はぁ……ひのふの……」
「あ、耕一さーん」
客席を出た耕一が入り口前の広場までくると、聞いた声が聞こえた。
声の方を見ると緑の髪で小柄な女の子がとてとて、と走り寄ってくる。
もちろんその娘は見知った顔である。
「丸知ちゃん、こんにちわ」
「こんにちわですー」
頭をぺこりと下げ、挨拶する丸知の笑顔。 その顔に影など見えるはずもない。
同じ笑顔でもこうも屈託の無いものなのか、と先ほどの2つの笑顔が思い返される耕一だった。
「ここにいるってことは、丸知ちゃんも見に来たのかい?」
「はい、それもありますけど、今日はお手伝いなんですー」
「お手伝い?」
「はいですー、今日は郁美さんの付き添いも兼ねているんです」
そう言われ改めて耕一は丸知を見る。
その服装は診療所を手伝う時に丸知と芹緒が着ている、白と紺のちょっと変わった形の割烹着姿である。
めいど……なる言葉が何故か頭に浮いた耕一だったが、何故かが思いつかないので気のせいと切り捨てる。
そして、郁美という名前からそれが誰かと思い出そうとする。
「ええと……郁美さんって、確か診療所に入院していた女の子?」
「はい。 郁美さんは心臓に持病があるから無理できないんです。 でも、今日の演劇はどうしても見たいと言われて……」
答えたときは笑顔だったのだが、その笑顔は段々沈んで行く。
「それで長瀬さんが丸知ちゃんと一緒にと言ったんだな。 それで芹緒は……」
「はいー、芹緒さんも一緒なんですよー」
「なるほど、やっぱりな」
ぱっと笑顔になる丸知。
その心情に合わせころころ表情が変わる様に、安堵の念を覚える耕一だった。
だが、用件を理解すると同時に芹緒も一緒と聞き、少しだけ安心したのは秘密である。
「それで、ここで何をしてたんだい?」
「ああっ! そうでしたー! お饅頭でも買っておこうと思ったんですー」
「それなら俺も買おうって思ってたところだったから、一緒に行こうか」
「はいです」
そして売店へと向った耕一達だったが……
「しかし……」
「はわわー」
売店はあった。それも多数。
とはいっても、ほとんどがこれも英二の発案により入り口近くに場所を確保した出店である。
食物は固定化した売店ではなく出店とすることで競争を促し、また客としても慢性化しない。
ましてや天下一の演劇座、店としても面子にかけて最高にして庶民に適するものしか出せないだろう。
そういう店ぱかりが並び、まして開演前であるから盛況であるのは必然にして当然。
の、はずだが……
「完全に二極化しているな」
「そうですねー」
先ほどの通り、食べ物関係は居並ぶ店もかなりの店ばかりであるはず。
だが、それにも関わらず行列が出来ている店が2つ、他はまばらといった様。
しかもその2つの行列はかなり長く、しかも同じ位である。
「これは一体どうしたんだろうか……」
「はわわっ、どっちにいったらいいんでしょうか?」
「うーん、どうするかな……お?」
迷う耕一の目に見なれた顔が見える。
それはなにやら手に紙を持って真剣に筆を走らせている様子で、こちらにはまだ気が付いていない。
「響子さん」
「あら、耕一くん」
彼女は『相田響子』
こみぱ瓦版の記者であり、主に女性向けの記事の取材・編集を行う。
「どうしたんですか、この状態は」
「この行列のこと?」
「そうです、どうなっているのやら」
「それはね……」
「それは?」
ふふふ、と微笑む響子に少し嫌な予感がする耕一だったが、とりあえず聞かないと話が進まない。
「教える代わりに、今度事件が起きたら重要な情報も流してくれる?」
だが、というかやはりというか、悪い予感は外れなかった。
片目を閉じて印象付けようとする響子を無視し、耕一はこれ見よがしに大きく溜息をつく。
「……他の人に聞きます」
「ああん、冗談よ」
「そうは聞こえなかったですけど……」
「やん、耕一君って冷たくなったのね」
「誤解されそうなこと言わないで下さい!」
響子は事件の取材もやるのだが、特に耕一と仲が良い。
事件が起きた際、取材する響子としても同心である耕一としても、お互いの情報は価値ありなのである。
という訳で内内で情報交換する仲ではあるが、響子が探偵気取りで温泉地などをめぐって犯人を特定したりはしないので注意されたい。
「……で、どうなんですか?」
「尾根屋と加農屋よ」
「あの『えいえん』と『きせき』の?」
「そう、ここでも『永遠と奇跡の御菓子対決』よね」
「なるほど、ならば道理かも知れない」
耕一の発する多少の怒りの気を察し、今度は響子も素直に答えた。
その答えを聞いた耕一は、この事態もそうならば、と合点する。
尾根屋と加農屋、江戸市中の菓子好きな婦女子の人気を二分する菓子屋である。
また『永遠と奇跡の御菓子対決』とは巷で近頃話題になっていることなのだが、その説明はまた今度の機会に譲ろう。
とにかく菓子ならば、いやさ他のものを食べようとしても、この両店が店を開いていればどちらかに並ぼうとするのは必然だろう。
「どちらにせよ早く並んでおかないと、開始まで間に合わなくなるわよ」
「うーん、どうするかな……」
かく言う耕一もどちらにすべきか迷い、他の店は眼中に無くなった一人である。
とはいえ、耕一としては噂は知っていても買ったことが無いし、自身が好きだからでは無いからこそより悩むのだが。
「そうですね……って丸知ちゃんは?」
「え? 丸知ちゃんならあそこにいるけど?」
「あそこって?」
「あっち」
響子の指し示す先を見ると、丸知は尾根屋の列に並んでいた。
「はわわわわーー」
……というか、人の流れにまき込まれ、一緒に流されていると言った方が正しいだろうか。
「ま、まあ買えることは買えるだろうな……」
そうは言いつつ、やっぱり駆け寄るお人よしな耕一だった。
それからしばらくして、再び客席。
「遅いですよ耕一さん、もうすぐ始まってしまいます」
「いや、ちょっと持ちにくくて……」
その通り、耕一は手どころか腕の上にまで使って皿やら紙袋やらを持ってきたのだ。
5人分もの食べ物と飲み物となれば当然かも知れないが……
持ってきたはいいが降ろしかねる気配を察し、初音と楓が耕一の腕の上にのせてある皿を取る。
「お、なんだか良い匂いだな」
「これ、梓、はしたないですよ」
「まあまあ、梓も女の子ってことだよな」
「”も”ってのが凄く気になるんだけどさ……耕一?」
「ま、まあ、それより、まずは初音ちゃん」
「なに?」
梓のじりじりと高まり迫る殺気を察し、耕一は話題の方向性を代える。
「初音ちゃんには……はい、これ」
「わぁ……」
耕一の差し出した紙袋には、湯気を立てている格子模様のついた焼き菓子らしきものが包まれていた。
初音は受け取ったものの、見たことも無い形と甘い香りにそれをじっと見つめる。
見つめ続ける初音の様子に僅かに耕一は苦笑し、説明することにする。
「なんでも”わっふる”っていうお菓子らしいよ」
「わっふる?」
「店員さんも『……おいしいです』って勧めてたんだ。 かなり甘いらしいけどね」
「耕一お兄ちゃん、ありがとう!」
初音の笑みを見ると、耕一は長く並んだ甲斐があった、と自然に微笑みがこぼれる。
次いで、耕一は別の袋から蓋付きの器と木製の匙を取り出す。
「で、楓ちゃんにはこれ」
「…………これは何ですか?」
手にとってしばらく見ていた楓だが、初音と同じく耕一に問う。
「”ばにらあいすくりぃむ”というお菓子。 冷たいから気を付けて」
「はい」
「これも店員さんが『ばにらあいすくりぃむが良いです』って言って勧めてきたやつなんだ」
「ありがとうございます……」
楓は早速蓋を開き、匙で少し崩してから一口食べてみる。
その表情には僅かながら驚きが浮かび、その後に笑みが見て取れ。
再び耕一は甲斐があったと実感するのであった。
「で、あたしには?」
「梓っ」
「そうは言っても千鶴姉も落ち着いてないじゃん」
「そ、そうは言ってもね……」
確かに期待が入っている様子な千鶴と梓。
耕一は初音と楓に降ろしてもらった皿を取り上げると、ひょいひょいと千鶴と梓に手渡す。
「はいはい、千鶴さんと梓にはこれとこれね」
「……これは?」
「…なん……ですか?」
それを受け取るまで笑顔だった千鶴と梓の顔は、徐々に戸惑うような表情になってゆく。
いや、戸惑いというよりは困惑と不満であろうか。
「これ、梓も千鶴さんも知らない?」
「いいえ、良く知ってますけど……」
「そりゃあ見なれているものだし……」
「ならば問題ないよね、言っていた通りだし」
耕一の出したのは団子3本が2皿だった。
3個で一本、少なくとも見た目は普通の団子に他ならない。
「ちゃうわ! 4個で1本が普通や!」ということはさておき、やっぱり普通の団子である。
もちろん『自爆三兄弟♪』と歌ったりもしない。
というか、そんなのは鬼でもないと食べられないだろう。
「あり…がとう……ございます…」
「ま、まあ食べるけどさ……」
千鶴と梓は希望が叶っているというのに、何故か渋々して団子の串を持った。
耕一はというと、はくはくと熱そうに食べる初音の仕草に見入っている。
一生懸命に食べていた初音は耕一の視線にようやく気付き、照れたような嬉しそうな顔をして耕一に問う。
「こ、耕一お兄ちゃん、どうしたの?」
「うん、これでよかったのかなって思って」
「もちろん!」
初音はぱあっと明るく微笑む。
その表情からは装飾でなく光を発しているようにも思え、耕一は少しどぎまぎする。
だが、初音はそれに気付くことなく一生懸命に思いを伝えようと言葉をつむぐ。
「あったかくて、ふわふわで、ぱりぱりで、とっても甘くて、すごくおいしいんだよ」
「う、うん。 良かった、気にいってくれて」
「うんっ」
「それで楓ちゃんは……って……」
「か、楓お姉ちゃん……」
楓の手にある容器は、既に空になっていた。
それをまじまじ見られ、楓は『ばにらあいすくりいむ』と同じ色の頬を桜色に染めて呟く。
「その、おいしかったですから……」
「い、いやいや、それなら何よりだよ」
「……はい」
「うん、おいしいと良いよね」
陽気にはしゃぐ初音と楓。
それに対してその近くのせいか、千鶴と梓は陰気に包まれているように見える。
(美味いけどさ……)
(確かに、ただの串団子じゃないけど……)
(千鶴姉、どうする?)
(そうね……とりあえず……)
だが、耕一が家に帰った後にどうなったかは定かではない。
「なんか寒気がするような……」
さて、同じ客席のやや前方の右側。
「いよいよだね、浩之ちゃん」
「ああ、そうだな」
「そうだ、ちょっと聞いて良い?」
「んだよ、改まって。 なんだろうと別に断る必要なんてないぜ」
くすっ、と一旦微笑んでから、あかりは入場券の半券を目の前に取り出す。
「この入場券、富くじで当てたんだよね?」
「あ、ああ、そうだ。 知り合いに貰ったくじがたまたま当たったんだ」
「ふぅん」
「それで、まあそれは一回だけだったんだけど、たまたまこの入場券が当たってな」
「ふぅん、そうなんだ」
あかりから視線を外し、やや早口で弁明する浩之の様は何かあるようでもあるが。
それを見たあかりの表情は納得という風でなく、何か嬉しそうでも見透かしているようでもある。
浩之はそれが少し気に触ったのか、ぺしっとあかりの額を指で弾く。
「あうぅ」
「おめーはなにが『そうなんだ』だよ、何か企んでんのか?」
「企んでなんかないよ、ちょっと気になっただけだよ」
潤み目で抗議するあかりを見、浩之は罪悪感が急速に膨らみ。
「ん……まあ、なら良いけどな」
照れ隠しであることも自覚し、少し後悔するのであった。
一方のあかりはそれに関することなく、やはり嬉しそうに微笑む。
「ふふふ……」
「やっぱし、何かあるみてぇな気がするんだが……」
その時、がらんがら〜ん、と場内に大きな鐘の音が響く。
「あっ、始まるみたいだよ」
「なんだか、かなり待った気がするぜ……」
「うん、そんな気がするね」
場内の喧騒が汐が引くかの如く静まり帰り。
『白記帳一座公演『大江戸歌劇団 雪桜』ただ今より開始致します』
その声の響きが静寂の中、納まり静かに舞台の幕が上がる……
以下、次回。