大江戸歌劇団・前説(こみぱ組)
 

 江戸の海のほとり、湾岸部。
 その一角、数年前に埋め立てられたばかりの地区。

 そこにはその平面を生かし、広大な建物が建てられていた。
 立地上江戸の果てにあり、近くには人家も無い為普段は人影も無い。
 その様はこの世の最果ての地、とも見える。
 ただ、同時に何千何万、そして何十万という人が集う場所でもある。

 その名は『同人市場』

 その広さと大きさは市場としては日の本一であり、毎月開かれる同人漫画等の市『こみぱ』などで使用される多目的市場なのである。
 ただし、宿は近くには無い。 だからといって周辺での野宿は禁止であるので注意されたい。
 

 現在は市が行われていない為、がらんとしている広大な会場。
 その数ある入り口の一つ。
 今、外よりそこに入ってきた一組の男女が、更に屋内にもある入り口へと向う。
 その先で今や遅しと待ち構える影があった。

「遅いぞ、まいぶらざぁ」

 腕組みをし不敵な笑みを浮かべる、この男の名は『九品仏 大志』
 こみぱ組では取り纏め役をしている。
 取り纏め役とは言っても絵は描かないし、むしろ連絡調整役と言ったほうが正しいだろう。

「んなこと言っても、突然呼び出しておいて良く言うな」

 『まいぶらざぁ』と呼ばれたのは『千堂 和樹』。
 元々絵師を志していたのだが、今ではこみぱ組の一員でありその成長が一目置かれる存在となっている。
 何故こみぱ組に入ったかというと、理由は簡単にして明快。 この大志に引きずり込まれたのである。

「ふん、ある日突然に空から毒えれきてるが降って来ることもある。 この位で気にしていたら扉は開けぬぞ」
「…………なんだそれは?」
「そうや、いきなり獣人が目の前に跳んでくるかもしれへんのやで」
「……由宇、だからそれは何の話なんだ?」

 突如、横から口を挟んだのは『猪名川 由宇』
 元々は関西にある旅館の娘なのだが、こちらにも滞在すること多である。
 勿論こみぱ組の一員であり、経験も豊富で熱い信念を持つ中堅所の同人作家。
 ただ、きっぷが良すぎるのと情熱が暴走することがあるのが、良さでもあり悪さでもあり。

「いや、こっちの話や。 気にせんといてな。まだな……」
「そうだ、いずれはな……ふふ…ふははははは」
「うふ……うふふふ……」
「だか…ら……」

 問おうした和樹は思い止まる。
 怪しい気を発する大志と由宇の向こうに、何故かは不明だが越えてはならない扉が見えたような気がしたからである。

「ふん、それはとりあえず置いてだ」

 電波の放出から一転、大志は瞬時で普通に戻った。
 そして和樹の隣、長く赤い髪を頭の横で束ねた少女が怯んでいる隙に言う。

「まいしすたぁも遅かったな」
「あたしは和樹を起こして来たのっ!」

 大志に『まいしすたぁ』と呼ばれたのは『高瀬 瑞希』
 和樹と大志の友人であり、出会ってから3年だが幼なじみのような振る舞いをする。
 この瑞希だけはこみぱ組では無い。
 そして和樹のこみぱ参画に唯一否定的な姿勢を取り続けている。
 まあ、それには偏見や思い込みや意地もあるようだが……

「では何故ここにいる?」
「そ、それは……」
「素直になるがいい、一気に『せっかくだから心の扉を開くぜ』と……くっくっく……」
「だーかーら、あたしはあんた達と違うのっ!」

 こういった瑞希と大志の口喧嘩は毎度の事である。
 瑞希はいわゆるおたく全般が嫌いだし、大志はその権化であり発信源であるからそれは当然であり。
 更には大志が瑞希までも引きずり込もうとしているため、あつれきが絶えないのは最早必然であろう。

「おお、ええで。 主張あるんやったらどんどんやったり」
「だから! あたしは…」
「ふん、いずれは同じ事。 なれば…」

 という訳で毎度の口喧嘩が始まり、由宇はその野次馬と化し。
 よって唯一人残った和樹だけは、蚊帳の外へと一人置いていかれた格好となった。

「やれやれ、結局何の用件なんだか……」
「あら、和樹さん」
「あ、南さん」

 苦笑する和樹の前に現れたのは『牧村 南』
 葉っぱ瓦版でこみぱ組を担当している女性であり、温和で温厚な人柄は誰からも信任を集める。
 自身では描かないが、それを愛する気持ちは他の面々にひけを取らないだろう。
 ただ……ちょっと『ぽけぽけ』のきらいがあるが。

「何かお困りのようですけど、何かありましたか?」
「南さん、今、俺ってそんなに困っているように見えますか?」
「はい」

 あっさりと答える南。 悪意などかけらもあるはずはないが、それだけに効いた。
 今まで勢いに流され続けた疲れと近似視感もあり、がっくりとうなだれる和樹。

「えっと……その、勘違い…でしたか? でしたら差し出がましかった…」

 その様に南は困惑しうろたえるが、その気配を察した和樹の上体はバネ仕掛けの如く跳ね起きる。

「いやいや! その……今日ここに呼ばれたは良いんですが、何の用件か解らなくて」
「あ、はい、その件ですね」

 南は和樹のその様にも変わらぬ笑顔と口調で話す。

 ついでである、こみぱ組と葉っぱ瓦版の関係について多少説明させて頂こう。
 葉っぱ瓦版は瓦版に限らず、本などの出版物も手がけている。
 また葉っぱ瓦版自体にも絵などが使われているのだが、そういう絵を描くのがこみぱ組である。

 だが、こみぱ組自体は言わば職人集団。 そして同人である。
 よってこみぱ組がはっぱ瓦版に所属しているわけではない。 また、どちらかと言えば本業はこみぱ市であろう。
 だが、はっぱ瓦版のほぼ全ての絵をこみぱ組が描き、またこみぱ組も仕事を受けるのは葉っぱ瓦版のみ。
 そう言うわけで一般には「葉っぱ瓦版の絵師集団」と称されることもある。
 また、はっぱ瓦版が非営利でこみぱ市を運営しているのも、契約関係はさておきそう呼ばれる一因だろう。

 こみぱ組の面々が元々独自色が強く風来坊的な気質に関わらず、はっぱ瓦版に繋ぎとまっている理由だが。
 この対応にも現れている南の人柄によるものが大半であることは、本人以外には周知の事実である。

「すみません。 正式に決まるまでは私の方からご連絡出来ませんでしたので」
「い、いえ、南さんは悪くないですし、別にそうならば構わないんですけど」
「ありがとうございます。 ですけど、確か大志くんに…」
「ええ。 今から説得するのですよ、牧村女史」
「だあっ! 湧いてくるなっ!!」

 再び困惑顔になる南、その会話に割りこんだのは再び大志である。
 対する瑞希は……見当たらない。 どうやら怒って帰ったようだ。
 由宇もいないが、単に見世物が終わったのでどこかに去ったのであろう。

「実はな、まい同志よ」
「人の話を聞いていないな……」
「今に始まったことではあるまい、長い付き合いだ」

 はあ〜、とまたうなだれる和樹。この大志の言動からすればそれももっともだろうが。

「解った、聞くから……」

 しかしながらすぐに立ち直るあたり、大志との幼少期よりの長い付き合いが成せる慣れ……いや、最早『技』と呼べるものであろう。
 そうでなければ、瑞希のようにとても付き合いきれるものではないのかも知れない。

「うむ。 実は我等があの白記帳一座の公演を手伝うことになったのだ」
「おい、白記帳一座って『あの』か?」
「『あの』だ」
「『あの』なんだぞ?」
「『あの』だろうと、そうなのだから『あの』なのだ」
「『あの』か……って、それは良いとしてちょっと待て」

 一度は得心しかける和樹ではあったが、何かひっかかるものがあったのか再び大志に詰め寄る。

「我等って誰なんだ? もしかして俺も……」
「無論だ。 お前の参加が他の面々の参加条件だったりもする」

 はあ……と三度うなだれる和樹。
 流石に今回の復帰には多少の時間を要したが、それでも戻れる辺りはやはり長い付き合いであろう。

「……まあ、裏方ならここの会場設営とかで慣れているし」
「あの、和樹さん。 全く何も聞いていないんですか?」

 三度困惑の表情を浮かべる南を見、和樹はいやな予感をかき立てられ大志を見る。

「同志よ、誰も裏方とは言っておらんぞ」
「裏方ではないのか?」

 その大志は腕を組んだまま不敵な笑みを浮かべ、さらりと重大なことを言ってのける。

「出演するのだ、我らがあの舞台にな」
 
 
 
 

(まあ言い出しは大志かもな。 我等が野望の為、作品に一層の磨きをかけるためだ、とか言って)
(それに由宇が乗って、他の面々にも声を掛けたんだろうな。 陰謀を付けて)
(となるとまずは詠美をそれに乗せたか。 ましてや相手は大志と由宇だし、こんな感じで……)

 以下、しばらく和樹の想像のせかい……
 

 某所で怪しく蠢く影二つ。

「……で、詠美の方はどうなんや」
「仕込みは上々。 後は任せるぞ」
「まかしとき」
「しかし猪名川屋、お主も悪よのう」
「なにをいわはりますやら、九品仏様」

 怪しさ全開な二つの影。 お気づきであろうが、それは大志と由宇。
 二人して密かに笑う様は、電波発信者か受信者にも見える。
 いや、事実そうなのかも知れない。

「ぱんだ! ここにいたのね」

 噂をすれば影。 そこに現れたのは当の本人、『大場 詠美』
 画力が高く、特に流行を読み取る感性は天性のものがある。
 その結果として『こみぱ組最大の売れ筋作家』の名を冠している。
 だが、非常に調子に乗りやすく、勉学は不得意、思慮が不足しやすいのが多少……もとい、少々の難。
 ちなみに由宇とかなり仲が悪く、パンダとは由宇を呼ぶ際のあだ名である。

 大志と由宇は詠美に対して共に背を向け、眼鏡をキラリと光らせる。
 それは狩猟者の如く赤く光ったような気もしたが、やはりは眼鏡の反射だろうか。
 僅かの間を置き、二人は詠美の方へと向きなおす。

「詠美やないの、どしたんや」
「あんた、演劇やるんだって?」
「そや」
「なんで? なんで演劇なんてやるのよ?」
「まあ、経験やな。 やってみるんも芸の肥やしと思うてな」
「あたしならやらないわね〜。 あ、そうか。 ぱんだは見世物になるんだ〜」
「ほお〜、詠美ちゃんはウチが出来ることもできんのや。 ああっ、可愛そうな娘やねぇ」
「むかむかむか!」

 端から見れば露骨な挑発の応酬であるが、由宇は軽く返したのに対して詠美はそれを真に受ける。
 この時点で勝敗の帰結は既に定まっている様にも見えるが、それで引き下がる詠美では無い。
 いや、単に気が付いてないだけか。

「何言ってるのよ! パンダに出来てあたしに出来ないわけ無いでしょ、ちょー天才の大場詠美さまなのよ」
「確かに、この詠美嬢の才能には卓越したものがある」

 大志が口を挟む。 それにつられ詠美は大志を見る。
 一方の由宇が僅かに微笑むのもその詠美の視界の外の話であるから、気が付かないのも無理は無い。

「こみぱ市での売上連続一位が示すように、そのことは疑うべくない事実だろう」
「そうでしょお〜♪ この愚民にもわかってるようね、この詠美様の才能を」

 大志の言葉に詠美は今までの怒り心頭を一変させ、調子にのり上機嫌となる。
 その状態では、大志の横槍も全て計画通りなどと察することなど出来ようがあるまい。

「しかしながら、演劇に関しての才能は全く不明である。 よって言葉だけでは納得しかねる物があるのも、また事実」
「う……」
「そりゃ見せられないわぁ、出来ないんやからな」
「何よ! あたしのすっごい演技見たりなんかしたら、あんたたちなんてそっとーしちゃうんだから」

 急転直下、現実を叩き付けられ次の言葉が出ない詠美だったが、次いでの由宇の挑発に思わず大言を吐く。
 待ってましたとばかりに由宇と大志は炊き付ける。

「ほほお〜、そりゃ楽しみやな」
「うむ、吾輩も楽しみにしておこう」
「ほ、ほえづらかかないでよね」

 大志と由宇は心中で予定通りと確認し、やはり予定通り止めを刺す。

「物はついでだ、皆にも知らせる事にするとしよう」
「そや、あの大場詠美様の御出座や。 皆も楽しみやろしな」
「うきゅう……」

 と、詠美も参加することが決定したという。

(……という風にあっさりと乗せられる様が目に浮かぶな。 っていうか、由宇と大志が組んだら凶悪すぎないか?)
(あと、あさひちゃんは声優だし、シナリオ通りなら完璧に演技できるだろうな。 シナリオ外が大いに問題なんだけど……)
(玲子ちゃんは『こすぷれいやぁ』で元々出たがりだし、まあアドリブだらけかも知れないけど、問題は少ないな)
(そして参加させやすい人を確定させてから、他の面々に声をかけたのだろう)

「まいじぇみに和樹よ」

(そう俺に知らせ……って、何故俺が呼ばれるんだ?)

「同志、想像に夢中なのは良いが、空の向こうに行くにはまだ早いぞ」
「えいえん……って大志?!」
「ふん」

 和樹がそうぞののせかいから帰ってみると、大志は歩みを止めこちらへ向き直っていた。
 何時の間にか空想に入り込んでいたことを少し恥じる和樹だが、大志はそれを見透かしてか軽く口の端を上げる。

「同志よ!」
「な、なんだよ……」
「お前の考えていることは合っているが、今から会う人はその誰とも違うぞ」
「だああああっ! 人の心を読むなっ!」
「今日も良く晴れているからな……」
「理由なのか? それは」

 和樹の反論など聞こえてないかのごとく、大志は空を見上げる仕草をする。
 勿論、ここは屋内であるために空など見えるはずないが、大志の目には蒼天が映っているのかも知れない。
 

 さて、大志が空の向こうのせかいを見ている間、現在の状況を説明しよう。

 ここは先ほどの入り口より離れ、同人市場に数ある通路の一つ。
 さきほどまで和樹は考え事をしながら同人市場の広大な会場を黙々と歩いていた。
 正確に言うならば、いずこかへと歩く大志の後について行っているのだ。

 では、何故そういう事態になっているかだが……
 
 

「出演するのだ、我等があの舞台にな」

 この大志の台詞により、仏の顔も三度までというか三度目の正直というか、流石に呆れすぎて怒りが込み上げてきた和樹。
 南の手前もありなんとか抑えていたのだが、それに感づかないのか大志は話を続けた。
 それは一つの条件の提示である。

「ある人達に会って貰う」
「ある人達…だ?」
「うむ、二人だ。 お前も良く知っているだろう」

 大志の意図が読めず、考え込む和樹。
 だが、とりあえず確かめるか、とすぐに顔を上げる。

「それでも辞めると言ったら?」
「構わん。 その際の手続きは全て吾輩がやろう」
「全て、とはお前にしては殊勝だな」
「確信の裏返しということだ、まいはにー」
「だから”はにー”は止めろ。 ”はにー”は」
「くっくっく、ならば付いて来るがいい!」

 何故「ならば」かは不明だが、そうして大志はそれを制止しかける南に「彼は我が魂の双子、よってその意思は吾輩と同一。 結果をご覧あれ」と言い残し、歩き出したのである。
 止む無く和樹も南に一礼し、大志の後について行っている……という訳である。
 

「ふっふっふ……くっくっく……」

 と、説明をする間にも大志は帰ってくる様子がない。
 ここまでくると流石に和樹も心配になってくる。

「……おい、大丈夫…」
「だが! 我が魂の同志よ!」

 和樹が声をかけようとしたその時、大志は和樹をびしっ!と指差す。
 機先を制されて怯む和樹に、大志は一気にまくし立てる。

「我等の野望の前にはそんなことを気にする必要など微塵も! 微小も! 毛先程も! 原子大ほども無い!」
「少しは気にしろ……」

 至極当然な反論だが、それも大志にはそよ風のようなものでしかない。
 事実、大志の様子は単に言いたいことを言いきった満足げな笑みしかない。

「さて、 早速だが一人目だ」

 今までの調子を一転し、冷静に告げる大志。
 それに少し惑いを覚える和樹だったが、一人目といわれ辺りを見まわす。

 今は通路の途中であるから、ここから見える視界は狭い。
 見えるのは平行に続く壁面と天井、そして突き当たりぐらいだが、人の姿など無い。
 当然ではあるが『大志が一人目』などというのは、1秒で「却下」である。

「……誰もいないが?」
「これだ」

 そう言う大志が懐より取り出したのは、一通の書状である。
 特に妙な絵柄が入っていたりもしない、普通の書状に違いない。
 だからこそ大志には不釣合いな気がする和樹だった。

「これは?」
「うむ、先日お前にと来たので預かっておいた」

 それならばと差し出されたそれを受け取り、がさがさと開いてみる和樹。
 その内容は……

『こんにちは、和樹君。 立川です』
『今回、君が演劇に挑戦すると知り、私は一人喜んだものです』
『描く側だけでなく描かれる側にも立つことが、きっと更に良い作品を生み出す力となると信じます』
『様々な経験を積んでみるのも君にとって良いこととなるでしょう』
『ぜひとも観客として君の晴れ舞台を見守りたく思います。 では今回はここまでで』

「立川さんも……」
「ふむ、では同志よ。 二人目に行こうではないか」

 再び歩み出す大志の後を同じく再びついて行く和樹。
 実は書状の内容で気になった点があったが、追求はしなかった。
 それは何故か「参加する」と既に確定形であること、それに日付が少し前になっている事なのだが。

 何故聞かなかったかというと、聞くまでも無く大志の返答が予測できたからである。
 「我が魂の同志であればその(以下略)」と。

 そして再びしばらく歩いた後、ある扉の手前で再び大志は歩みを止める。

「ここだ」
「ここは……」

 こことは同人市場内に隣接する場所で、やや広い屋内広場である。
 その場所と空間を生かし、こみぱ市の時に「こすぷれ」なる催し物が行われたりする所なのだ。

 扉が開かれたままの入り口に歩む和樹の視界に、その室内のやや遠く、中ほどで動く一つの人影が見えた。
 その人影は同じ動作を繰り返したりしている所を見るとなにやら動きの練習中のようである。
 入り口から見えるのは長い黒髪を有している後姿のみだが、和樹は直ぐにその名を思い当たる。
 その名は……

「彩?」
「そうだ。 長谷部 彩、創作系の同人作家。 お前との親交も深いらしいな」
「……まさか?!」
「まさかかも知れんが、彼女が2人目だ」

 和樹がまさかと思うのも無理は無い。
 彩は物静かの上に重ねて物静かと言える程大人しく、人見知りはしないが出たがりとは対極にいるような娘だ。
 先ほどよりの和樹の思案に出てこなかったのも当然であり、無理もないことだろう。

「一体なにをやっているんだ……」
「ふむ、おそらくは演劇の練習だろうな」
「練習って……なぜ?」
「相手方が非常に創作意欲をかき立てられたらしくてな、かなり重要な役らしい」
「まだやるとは決定してないんだろ? なのに役が決定しているのか?!」

 困惑からか、憤りからか、和樹の言葉には怒気が僅かに篭っている。
 それを察してか、大志は眼鏡を掛け直す仕草で間を作ってから返答する。

「彼女たっての願いでな、特別に先に台本を書いてもらったという訳だ」
「彩が……」
「伝え聞く所によると、かなりの熱心さで頼んだらしいぞ。 向こうさんもそれでほだされたらしい」
「………………」
「ふむ、では返事を待っているぞ、まいえたーなるふれんど」

 最早言葉を発せず、ただ彩の姿を見つめる和樹。
 それを見、大志は一言だけ言い残して去って行った。

 それからも繰り返し練習し続ける彩。
 その姿を和樹も入り口で見つめ続けたという……
 
 
 

 時は少々後、場所は一転。

 茶屋「絵構図」

 流行ってはいないが、芸能関係者やこみぱ組などが良く寄る店である。
 あと店主が異常に無口であることも特徴だろう。
 その店主はどうやら店内にはいないようで、臨時雇いらしき男女3人と客の一組の男女のがいるだけである。

「でも驚きました、本当に大志くんの言った通りになったときは」
「ははは……はぁ……」
「実は皆さん、結構楽しみにされているようでしたから」

 その男女、和樹と南。
 あの後、時が経ち既に日が沈んだ頃。
 仕事を終えて帰ろうとした南と和樹が偶然出口で鉢合わせ、返答と合わせて聞きたいことがあった和樹は南を茶屋に誘ったのである。

「南さん、それで聞きたいことがあるんですが」
「はい」
「今回の演劇に至る経緯を聞かせてくれませんか?」
「はい、では……」

 その内容は省略させて頂こう。
 理由はその話を聞いた後、流石に復活出来ないのではないかと思われる和樹の様子が語っている。

(想像通りとは……俺、不幸の予知が出来るんだろうか……って、不幸の予知って何?)
「あの、和樹さん、本当に大丈夫なんですか?」
「え、ええ、ちょっと疲れているのかな? でも平気ですから」
「無理しては駄目ですよ。 疲れたときにはきちんと休まないと」
「あ、はい、そうします」
「約束ですよ」

 あながち嘘でもないのだが、取り繕うような和樹の台詞にも素直に返答する南。
 それに対し、素直に頷く和樹。
 相手が南では当然でもあるし、それでこの笑顔が見れるなら安すぎるだろうが。
 そこへお盆を持った少女がやってくる。

「お待たせしましたです、田舎雑炊と抹茶です」
「千沙ちゃん、ありがと」

 この娘、塚本千沙。
 『塚本製版』は製版職人である千沙の父親と母親で営まれている。
 現在ではこみぱ組の製版を主な生業として、はっぱ瓦版の仕事などもしている。
 千沙は家の手伝いの他に、空いている時間などでここでも働いているのである。

「えへへ。 でもお兄さん、これは千沙の今の仕事ですから当然ですよ」
「そんなことないよ、千沙ちゃんは家のお手伝いもしているの頑張っているからね」
「えへへ……ではごゆっくりです」

 去って行く千沙の後ろ姿に和樹は一抹の不安を感じた。

「和樹さん、どうかしましたか?」
「いや、誉めすぎたので千沙ちゃんがこけないかと…」

 和樹は南に説明するため、千沙から目を離した。
 その刹那。

「にゃああっ!」

 すてーん!

「やっぱり……」
「だ、大丈夫? 千沙ちゃん?」

 予知が的中し、某超能力少女ほどでは無いが少し滅入る和樹だった。
 
 
 

 それから数日後の朝……
 朝と言っても既にかなり日は昇っているが、和樹の家は平穏な静寂につつまれたままだった。
 そう、その瞬間までは。

「おきろぉっ!」
「おわっ!」

 和樹の寝床が急速に熱を失い、外気が夢のぬくもりを奪って行く……
 と思ったら、布団泥棒……もとい、瑞希が起こす為に布団を引きはがしたようである。
 身を少しだけ起した和樹はようやく事態を認識し、瑞希に挨拶する。

「おはよう、瑞樹」
「もう、あんたも良く寝るわね」
「しかし朝からどうしたんだ?」
「あんたねぇ、寝ぼけてるの? もう昼前よ」
「そうか?」

 和樹は「休日の正午までは朝」と言いかけないでもないが、「おたくはそんな不規則な生活を(以下略)」という瑞希の反論が怖いので止めておく。
 それよりも気になることがあったのもあるからなのだが。
 と、いう訳で早速問うことにする。

「で、なぜここにいるんだ? また何か呼び出しか?」
「えっと、その……あ、そうそう。 ご飯作りに来てあげたのよ」

 惑ってから答える瑞希に、和樹はすこし妙と感じる。
 瑞希はいつも明快に言いきるはずである。 惑うなんてらしくはない。

「まあ、それはありがたいが……」
「あんた、いつもはどうせろくなもの食べてないんでしょ? 材料も持ってきてあげたから」
「だから何故…」

 質問を問答無用と押しきる瑞希に益々懐疑を深める和樹。
 だが、包丁とまな板の奏でる響きに躊躇し。
 次いでの醤油と味噌の香りに、その疑惑はえいえんの彼方へと仮置きされる。
 

 それからしばらく。

「狂暴なくせに料理は上手いんだからな……」
「もう、そんなこと言うなら食べさせないわよ?」

 和樹の食卓の上は例日にはない豪華さで彩られる。
 並んだ料理は色取り取りであり、見た目にも栄養の調和などまで取れているのが察せられる。

「食べる、食べるって」
「それなら良いけどね。 はい、ご飯」
「おう」

 いつもはこれとは比較にならない程簡素な食生活にある和樹にとって、これらを前に待てというのも無理な話だ。
 瑞希より渡された茶碗一杯の御飯と机上のおかずを、文字通り自らの口へとかき込む和樹。

「むぐ……はぐ……」
「ほらほら、そんなに急がなくても無くならないってば」
「ああ。 まあ、瑞希のメシも久しぶりだしな」
「そうね……そういえばそうかな?」

 和樹が数ヶ月前にこみぱ組入りして以来、瑞希がこういう風に料理を作る機会は少なくなった。
 特に仲が疎遠になったわけではないが、瑞希がその時より現在まで「あんたがこみぱなんて、絶対認めないからね!」と首尾一貫した方針をとっているせいであろう。

「和樹、それでね……」
「も?」
「……あんたねえ、人と話す時は口に物を入れたままにしないのっ!」
「ふぅ、それで何なんだ?」
「その……」
「うん」
「あのね……今度ね……」
「ああ」

 お茶で流し込み一息付いた和樹とは対照的に、瑞希は今の勢いを無くしもじもじと言いよどむ。
 だが、待つ和樹に促されるが如く、ぽつぽつと話し始める。

「そのね…あんた、演劇………出るの?」
「ああ、出るつもりだけど」
「どうして! 大志のやつに勝手に決められたんでしょ?!」

 一転しての怒号に怯む和樹だったが、怯んだままではない。
 瑞希が乗り出した分だけ後ろへのけぞった自らの背を一先ず戻し、改めて向き直ってから話し始める。

「まあ、確かに勝手に決められたのは腹立たしいところもあるけどな」
「だったら!」
「でもいいんじゃないか? 皆でやることだし、楽しくはなるんじゃないか」
「楽しくって……」
「経験になるだろうし、次回のこみぱ用のネタになるかも知れないだろ」
「……経験…………」
「まあ大志が見込んだネタだし、確かめないで批判するのもなぁ」
「……たしか……める……」
「だからな、まずは…」
「あたしは……めてない……」

 だんだん勢いを無くして行く瑞樹。
 乗り出していた身はだんだん納まって行き、しまいには頭を下げてうなだれてしまった。

「ん? どうした、具合でも悪くなったか?」
「あたしは!」

 それに気付いた和樹が声を掛けると、瑞希は突如立ちあがった。
 がしゃ、と台の上の料理がその勢いにつられ音を立てる。

「ど、どうした?」
「…………」

 瑞希はそれに答えることなく、顔を伏せたままそのままの勢いで外へと駆け出して行く。

「今、もしかして泣いてなかったか、あいつ……」

 残された和樹は、瑞希の突然の行動の謎に悩む。
 そして悩みがもう一つ。

「どうすんだ、これ……」

 一人だけでは流石に多い料理にも頭を悩ませるのであった。
 
 

 それから1週間後。

 和樹は大志よりの言伝で「演劇の1度目の練習がある」と聞き、指定された時刻に粉雪座へと足を向けた。
 だが演劇の練習と言っても、まだ具体的には何も聞いていないのだが。
 とりあえず入り口より入ろうとした和樹だが、粉雪より出てこようとした人とはちあわせそうになる。

「あ、すいません」
「いえ、こちらこそ……ん?」

 その声は聞きなれた声。
 和樹は下げた頭を上げ、その姿を確認する。
 ぶつかりそうになった人、それははやはり……

「やっぱり瑞希?」
「か、和樹?!」

 確かに瑞希であった。
 だが、手には何かの包みを抱え、なんとなしにそれを和樹に見えないように隠そうとしているようである。
 更にはいつもの調子が無く、非常に落ち着かない様子。 明らかに妙としか思えない。

「どうしたんだ? それにその荷物は…」
「その……御免! あたし急ぐからっ!」

 心配になる和樹は問うてみるが、何故か更に慌てた瑞希は会話を無理やり打ち切り、市街へと走り去っていった。

「瑞希のやつ、急いでいるって一体なんなんだ……」
「今はまだということだ、まいあみーご」
「大志?」

 突然の声に驚いた和樹はあたりを見まわすが、大志の姿は無い。
 再度見まわしても大志どころか誰の人影も無い。

「どこだ? どこにいる?」
「ここだっ! とおっ!」

 すたん!

「おわっ!」

 大志が目の前に突然現れる。
 突然のことに狼狽する和樹を見やり、大志はため息をつく。

「ふん、吾輩の気配を察知出来ないとはな。 同志よ、受信機の調子が悪いのか?」
「上から人が降って来るなんて誰が思うかっ!」
「吾輩だから良いものの、これが獣人であればその胴体を一薙ぎされているところだぞ」
「そんなことより、一体どうやって現れたんだ……」

 どうやら状況から推測するに、大志は和樹の直上である入り口の屋根より飛び降りたようだが……
 …………あまり多くは考えるまい。

「これも我等が野望の為には必要な技能なのだよ、まいせにょりーた」
「野望って、お前は天下でも取るつもりか?」
「くっくっく、遅まきながらようやく我等の理想を理解してきたな、同志よ」
「おいおい……」

 反論に屈するどころか、それすら糧とし更に怪しき電波を発する大志。
 それを見、和樹はこれから始まるであろう大志の講談をいかにして早期に切り上げさせるかと考える。
 この思想に容易に賛同するのは余りにも危険過ぎるが、反論して長引くのも時間の浪費であろう。

「だが、ここは天下の往来。 その話は今度にしよう……ではさらばだ!」
「あ、おい……」

 だが、大志は予想に反して自ら話を絶ち、素早く去っていった。
 拍子抜けする和樹だったが、一呼吸置いて考え直すとどうも瑞希も大志も妙としか思えない。

「なんなんだ? 一体……」
「ふむ、まあいずれは解るというところかな?」

 和樹が振り帰ると、そこには青年と言うにはやや年を取ったような感じの男がいた。
 見覚えは無いが、相手の方は初対面にあるような緊張感が無い。
 とはいえ、面識があったかと記憶を遡ってみても心当たりも無い。

「え……っと」
「ああ、そうかそうか、自己紹介がまだだったな」

 相手の男は困惑する和樹を前に苦笑する。
 その様子からは威厳は感じられないが、何処と無く匂う正体不明さというか底の深さに和樹は僅かながら萎縮する。
 それを察知してか男はもう一度苦笑してから自己紹介を始める。

「白記帳一座座長、緒方 英二だ。 はじめましてだな、和樹君」

 緒方英二といえばその実力と有名さは最早説明するまでも無いだろう。
 その当人を目の当たりにしては益々和樹が固くなるのも致し方ない。

「あ……その、始めまして、千堂 和樹です」

 和樹は自分の自己紹介を言ってから気が付いたが、英二が自分の自己紹介より前に名前を知っていたことを疑問に思う。

「あの、えと」
「大志君よりいろいろ話は聞いているからな。 たぶんきみが和樹君だろうと思ったんだが、違ったかな?」
「え……あ、はい」
「違ったかなって、いま名前を聞いたばかりだったな。 いやいや、失敬」

 質問を言いかけただけで返答を言ったりと、掴み所が無く冗談とも本気ともつかない英二の語り口。
 だが、それは確実に和樹の緊張をほぐしていく。

「い、いえ、気にしてませんから」
「ははは、緊張しなくても大丈夫だ。 それにこれからもよろしくお願いするしな」
「あ……はい、よろしくお願いします」
「うん、まあ練習はしっかりとやっては貰うけど、楽しくやろうか」
「はい」

 意外にというか見た目通りというか、砕けた感じに和樹の緊張も解け。
 最高責任者がこうならば、とやっていけそうな自信も同時に湧いてくる。

「そういえば控え室は解るかな?」
「いえ、何も知らなくて……」
「うーん、どうしたものかな……お?」

 悩んでいるように見えない様で考える英二に、奥の廊下より歩いてくる女の子が目に入る。

「ああ、あさひちゃん、丁度良かった」
「は、はい、なんですか緒方さん」

 その女の子、桜井あさひ。

「すまないが和樹君を案内してくれないか?」
「かず……あ……」
「こんにちわ、あさひちゃん」
「ここ、こんにちわ、和樹さん。 あ、あの、えと……」
「どうやら知り合いのようだし、じゃ、後は任せたよ」

 英二には普通に応対していたあさひだったが、和樹を見るととたんに真っ赤になり、どもりも増える。
 それを見てない訳はないだろうが、英二はあさひを残して奥へと去っていった。

「ああああの、こ、こっちです」
「うん、よろしく」

 歩み出すあさひと和樹。
 あさひは和樹の漫画の熱心な読者であり、こみぱを通じて知り合った仲である。
 その二人は関係者しか入れない粉雪の奥へと廊下を進み続ける。

「ところで今回の演劇、あさひちゃんもやっぱり参加するんだね」
「は、は、はい。 その、こ、こういう方面へと進出する企画がかねてからあって……」
「企画?」
「え、えっと、その、こおいう話で…」

 あさひは声優でありながら、芸能的な活動をかねてより行っていた。
 だが今までは人気は絶対とはいえ活動基盤がこみぱ辺りに限られていたため、企画とはそれを一般に広げる話だったのである。
 そして今回のこみぱ組と白記帳一座の演劇をその契機とするという、事実上の企画の一歩目になる。

「へえ、あさひちゃんなら由綺ちゃんや理奈ちゃんに並び称されるかもしれないな」
「そ、そんな、私なんて」
「大丈夫だって、それにあの緒方英二企画なんだろ?」
「は、はい、さ、さっきも緒方さんにししし指導して、もらっていて……」
「緒方さんに見込まれるのは余程のことだよ、自信持って」
「で、でも、わっ私は、だだ台本通りにしか出来ないし、それに……」

 緒方英二に指導してもらうことがどれだけ凄いか、それの説明は不要であろう。
 だがあさひは全くそれに対して自信を持つことが無く、むしろうなだれてしまう。
 これに限らず、あさひは努力家で才能もあり評価も高いのだが、謙虚を通り越して全く自信を持たないのである。

「…………」
「か、和樹さん?」

 無言になる和樹に気付き、あさひは歩みを止めて見たその時だった。

「あさひちゃん!」
「は、はい?!」

 突然に和樹はあさひの両手を掴みあげ、胸の前で合わせる。
 戸惑うあさひに、和樹は真剣に見つめつつ語る。

「俺、演劇は全くの素人だけども、今回の演劇は頑張って成功させるから」
「え……あ、はい」
「だからさ、あさひちゃんも一緒に頑張ろうな」
「ははは、はい」

 自分に話題を振られたとたんにどもるあさひ。
 和樹はその様に内心に去来するものありつつも、話を続ける。

「あさひちゃんは経験があるんだ、経験無い俺が出来てあさひちゃんに出来ないはずないだろ?」
「あ………」
「なっ!」
「……はい……はい、はいっ」

 驚き動きが止まり、和樹の念押しにぽろぽろとあさひの瞳から涙がこぼれ始める。

「あ、ありがとぉ……ございま……」

 がらり。

「あれ? どうしたの?」
「きゃっ」
「うわわわわっ!」

 と、ちょっと先の廊下の扉が開き、そこから顔を出したのは…

「れ、玲子ちゃんか」
「なんだ、キミか」

 邦賀玲子、主にこみぱで衣装を着る『こすぷれいやあ』である。
 また同人活動も行ってもいるが、いわゆる「やおい」系なので説明は遠慮させて頂く。

「それでここでどうしてたの?」
「あ、あの和樹さん。 控え室はそこですから、私はここで……」
「あさひちゃん……」

 あさひは顔を伏せたままに駆け出し、どこかへと去って行ってしまった。
 それを目で追う和樹。

「やっほぉ」
「おわっ!」

 その視界一杯に突如、玲子の顔が跳び込む。

「ん? どうかしたのかな?」
「い、いや、まあ、ここまで控え室を案内して貰ったんだよ」
「ああ、それならここの奥の方の部屋。 こっちは女の子用だからね」
「そう、ありがと」

 こちらも多少赤い顔をする和樹を、玲子は顔を近づけじろじろと眺める。
 その仕草に対して額に汗を浮かべつつも黙っている和樹だったが、覗き込むのをやめた玲子はにやりと微笑む。

「んふふ〜、何か怪しいよね〜」
「な、なんにもやってないってば」
「いいっていいって、キミも男の子だったってことだよね」
「違うって!」
「ふうん。 じゃあ、なんだったの?」

 結構強い調子の否定だったが、玲子の調子は変わらない。
 むしろ聞かれた和樹は説明できずうろたえる。

「それは……」
「やっぱり……ふふふ……」
「だああっ! 何考えている?」
「なーんでもないよ。 キミとおんなじだよぉ」
「同じじゃないっ!」

 泥沼にはまりつつあることを自覚しつつも、もがき続ける和樹だった。
 でないと、次回の玲子達の同人誌のネタに引用されかねないからなのだが……
 
 

 それから半刻後。

「ふむ、ようやくほぼ全員集合といったところか?」
「ようやくって、日時を指定したのは兄さんでしょ?」
「ははは。 まあ、そうなんだけどな」

 粉雪の舞台の上には白記帳一座、こみぱ組が終結していた。
 とはいえまだ集まっただけであり、各所でざわめきが続いている。

 その内の一人、和樹は辺りをきょろきょろと見まわしていた。
 舞台には見知った顔が数多く揃っているが、ただ一人だけいないのを気にしているのだ。

「瑞希……」

 瑞樹が部屋を飛び出してから。
 たまたま顔を合わせても逃げるように去っていく。
 そんなこんなで話をすることすらろくに出来ずに気を揉んでいた。
 しかし、もしかしたら今日ここに来るかも……と思っていた。

「ふん、扉の前で躊躇する臆病者に構う暇などないぞ、まい同士和樹よ」

 だが、その姿は無い。

「だから何の扉なんだよ」

 少しだけ理不尽さと無力感もあり、少し語気が強い。

「それは……」
「それは?」

 大志はニヤリと微笑むと、ゆっくりと告げた。

「いずれ、わかる」
「はいはい……」

 大志の相手に疲れた和樹はその場をふらりと離れた。
 そのうろつく和樹を2人の女の子が見つける。

「あら、和樹さん」
「にゃあ、お兄さん」
「やあ、千沙ちゃん、南さん」
「ふふっ、どうされたんですか?」

 和樹の様子を察する南。
 こういう所は非常に鋭く有能なのだが、他ですっぽりと抜けることもあるのが不思議でもあり魅力的でもあり。

「い、いや、別になんでもないですよ」
「そうですか、それならば良いのですけど」
「そういえば。 千沙ちゃんも出るんだね」

 和樹は話題の転換を図る。 どうも南には嘘が付きづらい。
 話題を振られた千沙はそんな意図など無縁の笑顔を振り撒く。

「はいです。 こっちもお手伝いしてお父さんとお母さんを助けるです」
「もう、塚本製版の経営もそんなに苦しくないだろうに」
「ええ、こみぱ組のみならず色々塚本さんにはお仕事して頂いているはずですけど」
「いいえ、千沙ではあまり仕事を手伝えないです。 だからこういうことを仕事にするですよ」
「感心だなぁ。 うん、頑張ろう」
「本当です。 一緒に頑張りましょうね、千沙ちゃん」
「はいです」

 和気藹々としたその雰囲気に、和樹は今回の演劇がきっと成功すると予感するのであった。
 

 さて一方、白記帳一座側。……とはいっても同じ舞台上だから直ぐ近く。
 ほぼ勢ぞろいしているこみぱ組と同様、白記帳一座も集結していた。
 同じく、約一名いなかったが。

「しかし、はるかはどこに行ったんだろうな」

 はるかはこういうときに決まっていない。
 というか、単に気分屋なだけだろう。

「今日は天気も良いし、どこかに出たんじゃない?」
「そうだな、またふらりと自主休養とか言って出て行ったのかも」
「ありうるよね、はるかだし」
「だよな、はるかだからな」

 笑い合う冬弥と彰。
 全員集合時に行方不明でもこの扱いだが、相手がはるかでは致し方あるまい。

「おおい、みんな聞いてくれ」

 英二の声が響き、喧騒が納まって行く。

「ふむ、皆そろっているな」
「英二さん、はるかがいないんですが……」

 ぐるりと舞台上を見渡す英二、それに冬弥が声をかける。
 もう一度皆を見渡してみる英二だが、やはりはるかの姿は無い。
 それを確認して、頭をぼりぼりとかきながら苦笑し、一言。

「ふむ……まあ、仕方ないか」

 問題はこれだけで片付いてしまった。
 それなりに『はるか慣れ』している英二、そしてそれで納得する白記帳一座の面々だった。
 一方のこみぱ組の面々は、それで済んでしまうことに唖然としていたのだが。

「では……今日の所は顔合わせって所だが、これが正式な始まりとなる。 再びこれだけ揃うのは本番になるだろう」

 その声に舞台は静寂だけではなく、その上に緊張感が張り詰め始める。
 英二は空気が変わったことを確認するが如く一息ついてから、改めて宣言する。

「……演劇名『大江戸歌劇団』 今から開始する!」

 ここに白記帳一座とこみぱ組が協力するという、まさしく前代未聞の演劇は開始するのであった。
 
 
 

幕間へ

白記帳一座へ

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