―― 姉日誌 参 ――
 

1989 1月1日 晴れ 
 

 今日はお正月だった。

 近くの神社にはつもうでに行った。 
 
 お姉ちゃん、ごめんなさい。
 楓はわるい子でした。
 

―――
 

「どういうことだ? 意味がわからないけど」

 耕一と梓は読書の舞台を茶の間に移し、炬燵に入ってお茶を飲みながら一つ一つ読み進めていた。
 それぞれが一冊ずつ読んでいるのだが、耕一には意味の通らない記述も少なくなかった。
 正月の日付が振られたこの日もその一つだった。

「……そういえば、そんなこともあったなァ」

 横から覗きこんで耕一のみているページを読んだ梓は懐かしそうにそう言った。
 耕一のお茶が尽きているのに気づいて、梓は急須にお湯を注ぐ。

「楓の新しい着物がおろされた日だったんだよ。そして初詣に着て行ったんだ」
「それで?」
「うーん。そのときさ、家族全員で行ったのね。そういうもんだろ? で、正月の初詣ってことでみんなおめかしして」
「……それが?」

 耕一にはまだピンと来ない。
 梓は余り話したくないという様子だった。
 いまさら良識ぶるもどうかという思いとの狭間で、その歯切れは悪い。

「楓はさ、綺麗な着物を楽しみにしてたわけよ。実際可愛かったんだけど……わかる?」
「それはわかるけど……だから?」
「んーー。ほら、千鶴姉もいたわけさ」
「あ……」

 ようやく耕一も理解した。
 艶やかな千鶴の振袖姿が目に浮かぶ。
 中学時代の千鶴のそれがどうだったか。しかしある程度は想像がつく。

「そっか……子供といっても、やっぱり女の子だな」
「そうなんだよね。私も解らなくもないんだよ。 やっぱりさ、今日は自分の晴れの舞台って言うのがあるじゃない?千鶴姉は全然悪くないし、そんなぶったところもなかったんだよ。でもね、周りがさ」
「うーーん……千鶴さん、結婚式とか呼びにくいタイプ?」
「そりゃもう、本人も回りもバリバリ気を遣ってるぜ?」

 耕一はどちらを気の毒に思っていいのか解らなかった。
 幼い楓の胸にあった嫉妬は何となく正当なものに思えたし、かと言ってまだ中学生の千鶴にそこまでの気遣いを求めるのはどうだろう。
 いや、たとえ今の千鶴であっても、そんな気遣いは本来しなくていい類のものなのだ。
 楓も楓でそれを解っているようなのがまた耕一の胸を刺す。
 どうしようもない事というのは本当にどうしようもなく、ただただ切ないのだ。
 誰にとっても。

「みんないろいろ大変なんだな」
「まぁ、すぐに二人は仲直りしたよ」
「そうだな……ここの皆が全員美人揃いでよかったって、ほんとに思うよ」
「なんだよそれ」
「俺にも、四分の一は血が入っている筈なんだがなぁ……やっぱ、顔ってのはトータルバランスなんだな」
「そんなん当たり前だ、バーカ」
 

 横目にちらりと。
 梓の表情は変わらない。

 ――余計な気遣いだったかな。

 そして二人はまたそれぞれの読書に戻る。
 
 

1989 1月○日 雨 
 

 私はこたつが大好き。
 これを発明した人はノーベルしょうをもらっていいと思う。

 雨がふってそとであそべないので、梓お姉ちゃんと初音と三人でかくれんぼをした。
 千鶴お姉ちゃんともいっしょにあそびたかったけど、見つからなかったので三人ではじめた。

 私がこたつにもぐると、先に千鶴お姉ちゃんが半分入って寝ていた。
 うわぎも着たままだった。
 いつも私がもぐると怒るのに。

「ぜったいここだ」

 すぐに見つかったらしい初音をひっぱって、梓お姉ちゃんはちかづいてきた。
 見つかるとおもったけどにげるばしょがなかった。

「ここにはいないよ?」

 千鶴お姉ちゃんがこたえる声がした。
 梓お姉ちゃんがのぞいたけど、千鶴お姉ちゃんがうわぎでかくしてくれた。
 

―――
 

 ……ふーん。千鶴姉って、こんなだったっけ?
 そんな風に梓が思っていると。

「わははははは!!」

 ほのぼのしていた気分を壊されて梓は少しむっとする。
 横で耕一が馬鹿笑いしていた。

「なんだよ、大笑いして」
「あははははははは!! これは馬鹿だ!!」

 なんだ? また千鶴姉がなんかしたのか?
 梓は耕一から渡されたページを読む。
 
 

1989 1月○日 晴れ 
 

 今日はおそとでごはんを食べた。

 行ったことのないお店で、すごく広くてきれいだった。
 みんなで注文しているときに、私と梓お姉ちゃんはステーキをたのんだ。

「焼き加減は?」

 と聞かれて梓お姉ちゃんは、

「熱いのにがてだから少しぬるめにしてください」

 とこたえた。
 お母さんがあわてて

「そうじゃなくてよく焼くかどうかってことよ」
「よく焼くとどうなるの」
「お肉の赤いところがなくなるの」
「じゃぁ、かなり悪く焼いてください!」

 と言った。
 

―――
 

「…………」
「わはははは!! 梓にもこんな時期があったか!!」
「や、やかましい! 可愛らしい子供の勘違いじゃないかッ!!」
「はっははは。いやま、そらその通り。しかし、今の梓からするとかなり想像できないな。
 そういや、何時ごろから料理を覚えたんだ?」
「うーん、何時頃だったかな……」

 それは彼女たちの父母が亡くなってからすぐのことだった。
 それぞれがそれぞれの役割を踏まえて、個としての自分たちより家族の一構成員としての自分を意識するようになったのと時期を同じくする変化だった。

 父として家族全員を躾け、同時に母として彼女たちを教え導く役を担った千鶴。
 もう一人の母として家庭内の雑事全般を一手に請けた梓。
 妹として、被保護者として、彼女たちの愛情の受け皿として、彼女たちの努力の結果を体現する者として裏から皆を支えてきた初音。

 そんな中で楓の位置は何辺にあったのだろうか。
 

               §
 

「お疲れ様でした。今日はご協力頂き、本当にありがとうございます」
「いいえ、こちらこそご足労様でした。ご期待に添えるようなお話ができずに心苦しいですけれど」

 そんな事はありませんよ、と相田響子女史は元気に言う。
 事実、迂闊な千鶴の発言を幾つも耳に挟んだ響子は上機嫌だった。
 いろいろと記事のネタは収集できた。
 予想以上の千鶴の容姿には「美人女将」の煽りも嘘にならぬどころか物足りぬほどだ。

「では、誌面ができましたらお送りします。本日は重ねてありがとうございました」
 
 

 女史が去ると、千鶴はやれやれと言った風にこわばった肩を叩く。
 隣に控える足立と秘書の目が少し痛い。

「……どうして、ああも聞かれもしないことをべらべら喋ってしまいますかな?」
「聞かれもしないからですよ。もう少し突っ込んでくれるものと思っていましたのに」
「社外秘まで。ライバルたちにこちらの展望が知られてしまいますよ」

 千鶴がぽろっと漏らした年末から年始にかけての鶴来屋におけるイベントはまだまだ企画中で、決定事項というわけではなかった。
 が、リリースされればその線で動かざるを得ないだろう。

「大した事は言ってませんよ? 向こうが勝手に宣伝してくれそうなんだから、言っておいたほうが得じゃないですか。時期的な物しか言ってませんから、先行して真似をしようにも無理ですし」
「そこまで考えて言ってらっしゃるなら、先にこちらにも一言欲しいですな。この老体には心臓にこたえます」
「まぁまぁ、足立さん。これくらいのことで驚かないで下さいな」

 千鶴、莞爾と。

「これからも長いお付き合いをお願いしたいと思っているんですから。頼りにしてます」
「敵いませんな……とでも言うとお思いですか? まだまだ、私の目は誤魔化せませんよ」
「あ……ばれてます?」
「説得役を私に押し付けましたね? その為に私をここに呼びましたね?」

 インタビューが足立に向くことはなかった。
 その内容上、足立が同席する必要はなかったはずだった。
 しかしこの場にいて、千鶴の発言を聞いていたと言うことは。
 それは彼が千鶴の発言に責任を共有し、そして同意するということを含意するのだ。

「あはは。もう遅ーいでーす。じゃぁ会議録のほう、社報に間に合わせてね」

 千鶴は隣の秘書に笑いかけ、席を立つ。
 うーんと体を伸ばして。

「さぁさぁ、お二人とも休日出勤お疲れ様でした。今日はここで開きましょう」
「……全く。愚痴の続きはまた週明けにでもさせてもらいますからな」

 足立はそう言うと去って行く。

「それでは車を廻します」
「あ……いいわ、今日は」

 千鶴は朝の梓の言葉を思い出す。
 仕事と直接関係ない用で運転手の休日を潰すのは忍びない。

「たまには美容と健康のために歩くとしますから。なんてったって美人女将ですものね?」
「はい、そうですね」
「笑うところよ?」

 二人は笑う。
 高層の窓から一望できる隆山の町並みと海には、そろそろ夕暮れの気配が押し迫ってきていた。
 
 

―― 姉日誌 参  了  ――
 
 
 

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