月姫クリスマス競作
遠野家のクリスマスイブ(第1部) 夢の待ち人(星海の旅人さん)
くいくいと、袖が引っ張られる。 「ん? どうした、レン?」 見下ろすと、蒼い髪の少女が上目遣いに、じっと俺を見上げて来た。
「なにかな……ん? あれの事か?」 こくん。
──あれは、なに? この、夏に俺の使い魔になった黒猫の少女が不思議そうに、そう尋ねて来たのは、俺が彼女を連れて、買い物がてらの散歩に出かけた時の事だった。
「ああ……あれは、クリスマスの飾り付けだよ。クリスマスツリーだ」 ちょこんと、首を傾げるレン。 ……くりすます? 「そう、クリスマス。……最近、なんか街が浮付いてるだろ?」 こくこく。 レンは二度大きく首を上下させると、ぐるっと周囲を見回し、そしてまたモミの木のクリスマスツリーに目を止める。 「確かに騒がしいって? だろ。さっき通って来た商店街も、いつもと違ったしな」 そう。
……不思議…… 声無き声が脳裏に響く。
「そうか。レンは……こういう事は知らないか。今まで、縁もなかっただろうしな」 こく。 大きく頭(かぶり)を振る黒づくめの少女。 「これはな……クリスマス、って言うんだ。一年にたった一度の、一夜限りの夢物語さ」 ぴくん、と。
「ん? なんで夢物語なのかって?」 こくん。
「そうだな……何故かっていうと……」 俺はもうだいぶ暗くなって来た夜空を見上げて、目を細める。 「クリスマスの主役が……レンと同じ、夢の世界の住人だから、かな?」 ! 驚きに目を丸くする、レン。滅多に見せないその仕草が、外見相応の少女のようで、いや、もっと幼い子供のようで……俺の口元が綻んだ。 「クリスマスは……子供も、大人も、みんなが楽しみにしているお祭り騒ぎなんだよ。世界中の誰もが知っている、有名人を待ち望んでの、ね」 誰を、待っているの? レンの瞳が、そう伝えて来る。普段の感情が見えないクリムゾンではない、好奇心に満ち、きらきらとスカーレットに輝く虹彩。 「その人は、赤い服を着て、トナカイの引くソリに乗って、訪れるんだ」 俺はゆっくりと、丁寧に、レンが頭に《その人物》を思い描けるように、説明する。 「子供達へのプレゼントがいっぱい詰まった、大きな大きな袋を背負って、ソリに付いたベルをシャンシャンと鳴らして……たった一晩、その日の夜にだけ、夢の中から尋ねて来る。真っ白な口髭を生やした、陽気なおじいさん」 世界中でも有数の有名人。そこらの有名人など歯牙にもかけない、本物の伝説。
「──サンタクロースって、言うんだよ」 さんた……くろぉす…… ぱちくりと眼を瞬かせ、レンはその名を唇の動きだけで囁いた。 ──どくん── その、不思議な言葉は、少女の音無き言霊に乗せられた瞬間、ざあっと色鮮やかに染められてゆく。
「あの人が来るのが、クリスマスっていうんだ。うん。だから、あの人が来る日は、みんなお祝い事をするんだよ。それが……」 クリスマス……? ことんと、指を顎にあてて首を傾げるレン。その仕草は非常に可愛らしい。 「そう。街が騒がしいのも、道ゆく人達の心が浮き立っているのも、その日を心待ちにして……盛大なパーティーの、準備をしているからなのさ」 本当の由来は、別にあるんだけどねと、丁寧に説明し終え、それから、俺は苦笑を浮かべた。 「まあ、最も……そんなのに縁がない人もいるけどな」 誰の事とは言わないでおこう。鑑みれば、当て嵌まる人も大量にいそうだし。
「ん? まだなんか聞きたいのか? ……え? みんな、サンタに会いたいのかって?」 こくん、と。
「いや、哀しい事だけどね、みんながみんな、そうだってわけじゃないんだ」 どうして?
「人はみな、大人になるに連れて、サンタの事を信じなくなっていってしまうんだ」 何故!? 「忘れてしまうからだよ。幼い頃に、プレゼントと一緒に貰った大切な心を。白髭のおじいさんから託された、ユメの欠片を」 そう。人は、忘れてしまう。
「みんなみんな、忘れてしまうんだ。だから、大人達はこう言ってしまう……」 『サンタクロースなんて、いない』 「……って、ね」 ぎゅっと、裾を引っ張る指に力が篭る。見ると、レンが秀麗な眉を寄せて、泣きそうなくらいに瞳を潤ませていた。 「レン……!?」 今まで見た事がない程の、大きな感情の揺れを見せるレン。その表情があまりにも哀しそうで、俺は咄嗟に、その小さな肩を抱き寄せた。 「どうしたんだ?」 志貴は……志貴も、あの人を信じていないの? たどたどしく、伝わって来る心の声音。レンの顔は、ひどく物悲しく、寂寥感に溢れていた。 「レン、いや、そんな事はないよ。俺は多分、まだ信じているんだと……思う」 それを聞いた途端、自然と言葉が湧きあがって来る。
「俺だけじゃないさ。口では『サンタなんていない』って言ってる大人達も……みんな、きっと心の底では信じているんじゃないかと、俺は思う」 そう、きっと、何処かで。 「心の何処かでは……ひょっとしたら、もしかしたらって、どんなに微かでも、信じているんだ。子供だった時に受け取った、夢の最後の一粒ぐらいは、ちゃんと残しているんだ」 俺は、そう思っている。
「じゃないと寂しすぎるだろう? 俺達も、サンタクロースも、ね」 ── そっと、少女の目元に手を伸ばす。こぼれかけた涙をすくい、拭ってやる。 「だからさ、そんな哀しそうな顔をしないでくれよ。大丈夫、今言っただろ? 俺はあの人を、信じているって」 例え、誰もが儚い夢物語だと思っていても。 「──それでも、俺は信じているんだ。だって、サンタクロースはレンと同じ、夢の世界の住人だから。だったら、信じてあげなくちゃいけない、昔、俺に夢の欠片をくれた、あの人の事を」 ──志貴 「俺は今でも、ここに夢を持ってる。これがある限り、俺は夢を信じていられる」 それは、幼い頃に託されたユメのカケラ。
「それに、俺にはその大切な夢を守ってくれる、可愛いお姫様がいるからね」 その言葉に。
……こくん。 嬉しそうに、恥ずかしそうに、一つ頷きを返すレン。 「ははっ。さあ、そろそろ帰ろうか。買い物に出かけたままいつまでも戻らないんじゃ、秋葉も翡翠も琥珀さんも、みんな心配する……レン?」 いつのまにか、レンがひどく優しげな、温かみを感じさせる眼差しで俺を見ていた。心なしか目尻も口元も緩み、穏やかな、嬉しそうな、そんな、本当に微かな微笑みを、浮かべていた。 ──志貴 意思の言葉が、直接頭の中に響く。繋がっている、レンの声。 志貴がまだ、あの人の事を信じていてくれて、よかった。 「レン?」 ──あの人も、きっと喜ぶ。たぶん、その日に、クリスマスに、お礼に来る。 「へ……? お礼、って……?」 俺は呆気に取られたような顔になった。
──私も、その人を知っている。多分、志貴よりも良く知ってる。時々、夢で出会う、白髭の、おじいさん。 少女の笑みが、深くなる。 ──名前は、今始めて、志貴に教えてもらったけど。 「レン……それって、まさか……」 こくん、と、夢魔の少女は頷いた。
「え?」 ──志貴もさっき、《あの人》って言ってた……志貴も、無意識にだけど覚えている。 「!? あっ……!」 そういえば、俺はさっきから、サンタの事を、《あの人》って!
──そう。あの人は、いる。白髭のおじいさんは、志貴の夢にも、他の皆の夢の中にも、ちゃんといた。どこか遠くから、人々の夢を、見ていた。 幻想の中に、確かに生きる存在達。 ──サンタクロース。夢の世界の住人……志貴が言った通りの人。 「は、はははっ……そう、か……そうか……!」 自然と、笑いがこみ上げて来た。 「夢の世界に、いるんだな、サンタクロースは。やっぱり本当にいて、子供達に夢の欠片を届けている!!」 幼い頃に、信じていた人。
「はははは、なんだか、クリスマスがより一層待ち遠しくなってきたよ。本当に、本当に楽しみだ」 子供の頃のように、胸が高鳴る。
「さ、帰ろう、レン。早く帰って、クリスマスの夜を待とう、眠って夢の中で探しに行こうか、白髭のおじいさんをさ」 俺はレンの手を取り、帰りを促す。
「夢の中で、ちょっと散歩でもして、もしもばったり出会えたら、アルバイトでも申し出ようか? 今は忙しいだろうし、俺達もサンタクロースの手伝いしよう。クリスマスの夜は、本物のサンタクロースと一緒に俺達も、サンタの真似事でもして皆の夢の中に、お邪魔して夢を届けてやろう!」 ──それは、楽しい? 「ああ。楽しいさ。レンも、一緒に楽しもう。今まで遠くから見ているだけだった場所に、今度は、混ざりに行く番だ。だったら楽しまなくちゃな」 うん! そして、志貴はレンの手を引いて歩き出す。
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