月姫クリスマス競作
遠野家のクリスマスイブ(第1部)
 

夢の待ち人(星海の旅人さん)
 

 くいくいと、袖が引っ張られる。

「ん? どうした、レン?」

 見下ろすと、蒼い髪の少女が上目遣いに、じっと俺を見上げて来た。
 ……なにか、聞きたい事がある時の顔だな。

「なにかな……ん? あれの事か?」

 こくん。
 頷き、そして、小さな手がそれを指差す。レンの視線は、その先にあるものをじっと見ていた。

 ──あれは、なに?

 この、夏に俺の使い魔になった黒猫の少女が不思議そうに、そう尋ねて来たのは、俺が彼女を連れて、買い物がてらの散歩に出かけた時の事だった。
 レンが見ていたのは、公園の奥に一本だけ立っている大きなモミの木。その木は毎年、クリスマスの為に飾り立てられ、イルミネーションが施されてツリーになる。この街の、ちょっとしたスポットになっている木だった。

「ああ……あれは、クリスマスの飾り付けだよ。クリスマスツリーだ」

 ちょこんと、首を傾げるレン。

 ……くりすます?

「そう、クリスマス。……最近、なんか街が浮付いてるだろ?」

 こくこく。

 レンは二度大きく首を上下させると、ぐるっと周囲を見回し、そしてまたモミの木のクリスマスツリーに目を止める。

「確かに騒がしいって? だろ。さっき通って来た商店街も、いつもと違ったしな」

 そう。
 少し前から、街が騒がしい。
 商店街の街路樹や店先が飾り付けられて、日が暮れると、イルミネーションが鮮やかに浮かび上がる。お決まりの、しかし耳に残る幾つものクリスマス・ソング。そこを歩く人もみんな、どこか楽しそうに頬を緩める。

 ……不思議……

 声無き声が脳裏に響く。
 レンはそんないつもと違う光景を、きょろきょろ見ながら俺に付いて来ていたのだ。
 その姿が可愛くて、俺も自然と、いつもより更にゆっくりとした歩調で歩いていた。

「そうか。レンは……こういう事は知らないか。今まで、縁もなかっただろうしな」

 こく。

 大きく頭(かぶり)を振る黒づくめの少女。

「これはな……クリスマス、って言うんだ。一年にたった一度の、一夜限りの夢物語さ」

 ぴくん、と。
 夢という単語に、レンが反応する。

「ん? なんで夢物語なのかって?」

 こくん。
 再び、大きく頷きが返る。

「そうだな……何故かっていうと……」

 俺はもうだいぶ暗くなって来た夜空を見上げて、目を細める。

「クリスマスの主役が……レンと同じ、夢の世界の住人だから、かな?」

 !

 驚きに目を丸くする、レン。滅多に見せないその仕草が、外見相応の少女のようで、いや、もっと幼い子供のようで……俺の口元が綻んだ。

「クリスマスは……子供も、大人も、みんなが楽しみにしているお祭り騒ぎなんだよ。世界中の誰もが知っている、有名人を待ち望んでの、ね」

 誰を、待っているの?

 レンの瞳が、そう伝えて来る。普段の感情が見えないクリムゾンではない、好奇心に満ち、きらきらとスカーレットに輝く虹彩。

「その人は、赤い服を着て、トナカイの引くソリに乗って、訪れるんだ」

 俺はゆっくりと、丁寧に、レンが頭に《その人物》を思い描けるように、説明する。

「子供達へのプレゼントがいっぱい詰まった、大きな大きな袋を背負って、ソリに付いたベルをシャンシャンと鳴らして……たった一晩、その日の夜にだけ、夢の中から尋ねて来る。真っ白な口髭を生やした、陽気なおじいさん」

 世界中でも有数の有名人。そこらの有名人など歯牙にもかけない、本物の伝説。
 彼の人は、赤い色彩身に纏い、雪降る聖夜の空に姿を見せる……

「──サンタクロースって、言うんだよ」

 さんた……くろぉす……

 ぱちくりと眼を瞬かせ、レンはその名を唇の動きだけで囁いた。

 ──どくん──

 その、不思議な言葉は、少女の音無き言霊に乗せられた瞬間、ざあっと色鮮やかに染められてゆく。
 蒼い月が雪照らす聖夜に、微かに響くベルの音。やがて舞い降りて来る、一艘のソリ。
 その上に乗っていた……赤い服の、老人。
 語るだけで、俺にもその姿が浮かんで来る。懐かしい、昔『視た』あの白髭のサンタの姿。
 ふと、じっと上目遣いに見つめて来るレンの視線に気付いて、俺は笑う。

「あの人が来るのが、クリスマスっていうんだ。うん。だから、あの人が来る日は、みんなお祝い事をするんだよ。それが……」

 クリスマス……?

 ことんと、指を顎にあてて首を傾げるレン。その仕草は非常に可愛らしい。

「そう。街が騒がしいのも、道ゆく人達の心が浮き立っているのも、その日を心待ちにして……盛大なパーティーの、準備をしているからなのさ」

 本当の由来は、別にあるんだけどねと、丁寧に説明し終え、それから、俺は苦笑を浮かべた。

「まあ、最も……そんなのに縁がない人もいるけどな」

 誰の事とは言わないでおこう。鑑みれば、当て嵌まる人も大量にいそうだし。
 と、くっと涙を拭いて空を見上げた俺の服の裾を、再びくいくいと引っ張る小さな手。

「ん? まだなんか聞きたいのか? ……え? みんな、サンタに会いたいのかって?」

 こくん、と。
 レンは頷き、疑問を意思のみで伝える。

「いや、哀しい事だけどね、みんながみんな、そうだってわけじゃないんだ」

 どうして?
 視線がそう言っていた。本当に不思議そうに、レンは首を傾げる。

「人はみな、大人になるに連れて、サンタの事を信じなくなっていってしまうんだ」

 何故!?

「忘れてしまうからだよ。幼い頃に、プレゼントと一緒に貰った大切な心を。白髭のおじいさんから託された、ユメの欠片を」

 そう。人は、忘れてしまう。
 楽しかった出来事も。大切な想い出も。哀しい記憶も。暖かい気持ちも。
 ──忘れてはならない、約束すらも。

「みんなみんな、忘れてしまうんだ。だから、大人達はこう言ってしまう……」

『サンタクロースなんて、いない』

「……って、ね」

 ぎゅっと、裾を引っ張る指に力が篭る。見ると、レンが秀麗な眉を寄せて、泣きそうなくらいに瞳を潤ませていた。

「レン……!?」

 今まで見た事がない程の、大きな感情の揺れを見せるレン。その表情があまりにも哀しそうで、俺は咄嗟に、その小さな肩を抱き寄せた。

「どうしたんだ?」

 志貴は……志貴も、あの人を信じていないの?

 たどたどしく、伝わって来る心の声音。レンの顔は、ひどく物悲しく、寂寥感に溢れていた。

「レン、いや、そんな事はないよ。俺は多分、まだ信じているんだと……思う」

 それを聞いた途端、自然と言葉が湧きあがって来る。
 絶対に、そんな事は、ない。

「俺だけじゃないさ。口では『サンタなんていない』って言ってる大人達も……みんな、きっと心の底では信じているんじゃないかと、俺は思う」

 そう、きっと、何処かで。

「心の何処かでは……ひょっとしたら、もしかしたらって、どんなに微かでも、信じているんだ。子供だった時に受け取った、夢の最後の一粒ぐらいは、ちゃんと残しているんだ」

 俺は、そう思っている。
 大人になって……成長してゆく過程で、大切なものを幾つも置き去りにしてしまう。大事に取っておきたい、失ってはならない気持ちを無くしてしまう。
 それでも──それは、捨てたわけじゃない。本当に、全部消えてしまったりはしない。
 何処かに、心の片隅に、咄嗟の行動の中に、何気ない会話の内に、見え隠れしながら……今も尚、これからもいつまでも、その人の存在の何処かに残っている。
 残っているはずだ。

「じゃないと寂しすぎるだろう? 俺達も、サンタクロースも、ね」

 ──

 そっと、少女の目元に手を伸ばす。こぼれかけた涙をすくい、拭ってやる。

「だからさ、そんな哀しそうな顔をしないでくれよ。大丈夫、今言っただろ? 俺はあの人を、信じているって」

 例え、誰もが儚い夢物語だと思っていても。

「──それでも、俺は信じているんだ。だって、サンタクロースはレンと同じ、夢の世界の住人だから。だったら、信じてあげなくちゃいけない、昔、俺に夢の欠片をくれた、あの人の事を」

 ──志貴

「俺は今でも、ここに夢を持ってる。これがある限り、俺は夢を信じていられる」

 それは、幼い頃に託されたユメのカケラ。
 先生に出会った時に、色々な思いを、言葉と共に託されたように。
 今も尚、心の奥底に沈んで眠る、授けられた希望の灯火。
 だから……俺は、白髭のじいさんを信じている。

「それに、俺にはその大切な夢を守ってくれる、可愛いお姫様がいるからね」

 その言葉に。
 さあっと、レンの頬に朱がさした。

 ……こくん。

 嬉しそうに、恥ずかしそうに、一つ頷きを返すレン。

「ははっ。さあ、そろそろ帰ろうか。買い物に出かけたままいつまでも戻らないんじゃ、秋葉も翡翠も琥珀さんも、みんな心配する……レン?」

 いつのまにか、レンがひどく優しげな、温かみを感じさせる眼差しで俺を見ていた。心なしか目尻も口元も緩み、穏やかな、嬉しそうな、そんな、本当に微かな微笑みを、浮かべていた。

 ──志貴

 意思の言葉が、直接頭の中に響く。繋がっている、レンの声。

 志貴がまだ、あの人の事を信じていてくれて、よかった。

「レン?」

 ──あの人も、きっと喜ぶ。たぶん、その日に、クリスマスに、お礼に来る。

「へ……? お礼、って……?」

 俺は呆気に取られたような顔になった。
 レンは、何を言っているんだ?

 ──私も、その人を知っている。多分、志貴よりも良く知ってる。時々、夢で出会う、白髭の、おじいさん。

 少女の笑みが、深くなる。

 ──名前は、今始めて、志貴に教えてもらったけど。

「レン……それって、まさか……」

 こくん、と、夢魔の少女は頷いた。
 気付かなかったの? と、僅かに口元を綻ばせる。

「え?」

 ──志貴もさっき、《あの人》って言ってた……志貴も、無意識にだけど覚えている。

「!? あっ……!」

 そういえば、俺はさっきから、サンタの事を、《あの人》って!
 まさか!

 ──そう。あの人は、いる。白髭のおじいさんは、志貴の夢にも、他の皆の夢の中にも、ちゃんといた。どこか遠くから、人々の夢を、見ていた。

 幻想の中に、確かに生きる存在達。

 ──サンタクロース。夢の世界の住人……志貴が言った通りの人。

「は、はははっ……そう、か……そうか……!」

 自然と、笑いがこみ上げて来た。

「夢の世界に、いるんだな、サンタクロースは。やっぱり本当にいて、子供達に夢の欠片を届けている!!」

 幼い頃に、信じていた人。
 誰もが出会った事のある、白髭の老人。

「はははは、なんだか、クリスマスがより一層待ち遠しくなってきたよ。本当に、本当に楽しみだ」

 子供の頃のように、胸が高鳴る。
 それは、予感じみた確信。

「さ、帰ろう、レン。早く帰って、クリスマスの夜を待とう、眠って夢の中で探しに行こうか、白髭のおじいさんをさ」

 俺はレンの手を取り、帰りを促す。
 自然に零れ出る笑いが、止まらない。

「夢の中で、ちょっと散歩でもして、もしもばったり出会えたら、アルバイトでも申し出ようか? 今は忙しいだろうし、俺達もサンタクロースの手伝いしよう。クリスマスの夜は、本物のサンタクロースと一緒に俺達も、サンタの真似事でもして皆の夢の中に、お邪魔して夢を届けてやろう!」

 ──それは、楽しい?

「ああ。楽しいさ。レンも、一緒に楽しもう。今まで遠くから見ているだけだった場所に、今度は、混ざりに行く番だ。だったら楽しまなくちゃな」

 うん!

 そして、志貴はレンの手を引いて歩き出す。
 今夜は、きっとクリスマス前のサンタを探しに、夢の中で奔走するのだろう。
 クリスマスの日に、いつにも増して凄まじい騒ぎが訪れる事など、思いもよらずに。
 果たして、迫り来るサンタのお嬢様方を相手にする羽目になる彼に、白髭のおじいさんを手伝える余裕など、あるのだろうか……?
 
 

 
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