「おー、ここやここ」 「へえ…結構いい所ですね〜」
車で山道を登り、行き着いた先は広い敷地にある二階建て。 すでに気を取直して感銘を受けた風に装っているが、やはり心の内はひどく落ち込んだものとなっている。 駐車場に停められた車から降り立って時刻を確認してみれば、既に8時を回りこんだ後。 コレがもはや事情説明を誤魔化し抜きでやることは不可能なのだと、それがより確かな事だというのを示していた。
「です、ねぇ〜……」 「大丈夫ですよ。確かににぎやかな人達だなーとは思いましたけど、別に取って喰うということは無いと思いますし」 「何故に『思います』留まりなんでしょうか?」 「いや、え〜っと…」
ぎりぎりと機会音を立てるかのように顔を逸らす御剣さん。 フォローしようにもそれを逸脱するほどの魔境的場所なのだろうか、この寮は…… 今まで数々の修羅場を潜ってきたというのに、挑む前からこれほどまでに戦々恐々とした思いをしたのは某英国の女学校以来かも知れない。。 あ、男の尊厳を失う覚悟という理由で挑むあたりまで似ているからなおさら既視感が……
「確かに賑やかな所ですけど、それでも皆とはきっといいお友達になれると思いますよ」
確かにこの異様なまでの他人との親しくなる速度を思うと、それには説得力を感じてしまう。 一人が二人、そして一気に四人と来てこれからさらに増えるというのか。
「それでここが私の経営している所で、さざなみ寮っていいます」 「さざなみ寮?」 「どうかしたん?」 「あー、いえ…なんでもないですよ」
怪訝な表情を見せる椎名さんを前に努めて明るく振舞うが、どうしてもその言葉に対して引っかかるものを覚えた。 どこかで聞いた事があった気がするが、確か―――
「ああ、ごめんな!ちょう、言いそびれとったわ!」 「はい?なにかあったんですか?」 「実はここな、女子寮なんよ」
は……ひ…? 女子寮。つまりは女性のみが住む事ができる寮で、一般的には男子禁制……
「でもお友達なら連れ込みオッケーってことになっとるから、そう気ぃ悪うせんといて。な?」 「あ、え〜…と。上がっていいんでしょうかねぇ?」
いくら住人に案内されたとはいえ、女子寮に入るという行為に抵抗感がある。 今後のこともある。ここで妙な騒ぎを進んで起こさずに、駄目なら駄目で大人しく帰るが吉だろう。
「大丈夫です。オーナーの私が言うんですから、きっとみんなも歓迎してもらえますよ」 「ちなみに住人で無い男性が入るのって初めてじゃないんですよ。実際、私の友人もここの住人と縁があって何度か出入りした例もありますし」 「それでも最初は大分あっけに取られましたけどねー」 「………っ!」 「井上っ!」 「あ、いや…大丈夫です、きっと!」
失言の挽回のつもりだったのだろうが、何気に出た最後の一言が余計に不安を煽られる不始末ぶり。 なんで『大丈夫です』と切った言い方にならなかったんですか…
「井上〜」 「あ〜うぅ」 「大丈夫なんですよね。本当に」 「そんな怖がらんでもええんやけど…あんまし無理強いせぇへんから、ここらで帰っとくか?」
嗚呼、ものすごく嬉しい申し出。 緊張で幾ばくか強面となったのを見てか、そう言ってくれる彼女に後光が見えた。 だけどここは―――
「せっかくの招待を無碍にも出来ませんし、お世話になります」 「そうか?でもきっと大丈夫やで。みんなとはすぐに馴染めると思うやさかい」
そう言い、苦笑いをしながらも玄関へと入ってゆく。 とてつもなく心配になるが、ここまで来て引き返しようも無いか…
「ただいまやー。お客さん連れてきたでー」 「漫才コンビ相方〜!今頃ようやく帰っ…て……」
廊下に面したドアの一つが開き、怒鳴り声を上げてメガネをかけた女性が現れた。 そしてこっちと目が合った途端に言葉が切れ―――
キュピーン!
生まれてこの方、いろんな人間を見てきてその分だけ修羅場を潜っての胆力を持ち合わせてきた。 いや、持ち合わせてきたつもりだったが、確かにこの瞬間、目の当たりにした悪魔の笑みに本能的に全身がこわばわったのだ。 普通ありえない。 口が三日月に裂け、メガネが怪しく光るなど――― どれだけ死と硝煙に彩られた裏の世界で生きてきても、このような形で心底に恐怖の二文字を刻み込む存在など、この後先きっと現れることなどそうそう無い。出来れば無いと信じたい……いや、あって欲しくない!
そう思えるほどの戦慄が、体に走ることを確かに覚えた。 そうしてこちらが動けずにいると、相対している彼女に動きが生まれ、そして…
「す〜……、お〜い!ゆうひが男連れて帰ってきたぞ〜!」
一瞬。息を止めるかのような挙動。 それが大きく息を吸い込む動作だと気づいた時にはすでに遅し、先ほどよりもはるかに大きい声での爆弾発言が辺りに大きく木霊した。 とんでもない勘違い振りに口を挟むまもなく、反響して返ってきたかと思うほどの複数の足音がこちらへと駆け込んでくる。
どたどたどたどた……!
「ほほほほほ…ほんまや!ゆ、ゆうひさんが〜!」 「おどろきなのだー…」 「先を越されちゃってちょっとだけショックかも」 「男にはあまり興味ないとか言っていたのにねぇ」 「あ、あの〜。私は別に…」 「はいはい。彼氏君ののろけ話は後ね」
彼氏ではないと言おうとするものの、悪魔のような彼女の中では完全に立場が確定済みのようだ。 いや、もしかしたらそうでないと知っていて言っているんだろうか。
「あ、そうだったんですか?じゃあ私、お邪魔だったんですね」 「なぜにあなたが、そこで勘違いに惑わされるんですか」
あげくの果てには、後から入ってきたオーナーまで間違った情報へと誘導されてしまっているし。
「ちょ、皆して誤解やぁ〜!別、そういう関係やあらへんって!」 「またまたぁ。そんなに照れなくってもい〜っての」 「せやから、真雪さ〜ん!」
いつもこんな調子なのかと、その様子を眺めながら完全に取り残される。 なるほど、いやな予感は概ね外れていなかったというわけだ。 そのことよりもまず気がかりなのが…
「……?どうかしました?」 「あ、いえ。どことなく見たことのある顔かなぁと思ったもので」 「なんだ?ゆうひに飽き足らず、わたしの妹にまで手を出そうってのかね」 「妹さん?!」 「ああ。よっていくらゆうひの連れでも、手を出したら制裁を加えるのでよろしく」
顔は笑っているというのに、まったく冗談のようには聞こえないんですけど。 背中を冷たい感触が走るのを感じながら、見間違いでないかと先の報告書を思い起こす。 ―――髪型、おおよその身長にエトセトラ… とんでもない偶然だった。 思わずドッキリか何かの悪戯ならしっくりと来る話だという考えが頭の中をよぎってしまったが、直ぐに現実を受け入れる。 この二人は間違いなく今回の護衛対称、仁村千佳にリスティ・C・クロフォード。
「手を出しません。誓います」
運動会とかである宣誓のポーズを取ってそう答えた。 しかし虎穴に入ったとばかりのこの状況、接触できたのはむしろ不幸な方か。
「よろしい」 「よろしくないってばぁ、お姉ちゃん」 「だからといってボクに手を出しても駄目だからね。その分だけしっぺ返しをするから」 「それは無いんですってば……どの道、誰にも手は出しませんよ。故郷(くに)に待たせている人がいるんです」 「うわっ。彼女持ちで浮気かよ?!」 「「………」」
椎名さんと共にため息が漏れる。 この姉は一度そう決め込んだら、意地でも譲らない気か。
「浮気相手とお付き合いとは大変だな。ゆうひ」 「おねぇちゃん…」
訂正、単なる早とちりでなく状況を面白おかしく楽しんでる。 実際に付き合っていなかったと分かった所でも関係ないようだ。
「ほらほらみんな。もう夜中なんだから、あんまり騒いだら駄目だろ?」 「別に周りに民家があるってわけじゃないんだし、それ位いいじゃないかよ」
そう声をかけつつ、その寮生と思しき人達が出てきた隣の部屋から新たに姿を見せたのは、ゆうに二メートル近くはある長身にがっしりとした体つきの……男ぉ!? あ、いや。さっきも男性の連れ込みがどうとか言っていたから、それ自体は問題ないんだよな。うん。
「思いっきり話し逸れてもうたけど皆ごめんな。ちょっとおねむしていたらこんな時間になってしもうたのを、この人が起こしてくれたんよ。そいで愛さんとばったり出くわして……なんやかんやで、ここまで引っ張ってきてもうてなー」 「おおかた。猫と戯れる余り、そのまま寝こけていたんじゃないのか?」 「うぅっ…!」
言った男性本人は冗談のつもりだったのだろうが、それは思いっきり的を射ていた。 ということは、ああいうのはそう珍しいことではないのだろうか……
「本日は急な事とはいえ、夕食に同席させて頂く運びとなりました。ご迷惑おかけします」 「いえ、うちとしてはそういうの歓迎してますし、ゆうひが男性を連れてきたのは初めてのことなんで」 「そのおかげで完全に彼氏扱いです」 「じきに…慣れてしまいますよ」
それはそれは素直に受け取ることはとても出来ない保証をされてしまった。 だってこう、何かが壊れるのを暗に示唆している。そんな風にしか聞こえないのだもの。
「(眼鏡なんか掛けてて、ものすごく純情そうな青年だな)」 「(でもなんか、カッコいい感じだよね)」 「(顔も並以上ってとこだしなぁ…相川美少年に続いて、美青年と来たか)」 「(うん…なんか、相川くんとはまた違った優しさがありそうですよね〜)」
会話に入ってこないと思えば、なに彼の後ろで内緒話をしているのだか。 ちなみに人よりもだいぶ私の耳はいい為にその会話の内容は筒抜けだ。
「でもそっか、電話で聞いた時にはゆうひの事だからてっきり女の子かと思ったけど」 「その辺は紆余曲折ってな?お友達やって事には違いないんやけど」 「ゆっくりじっくり聞かせてもらおうかねぇ。もち黙秘権無し―――逃亡は禁止だ」
再び向けられた悪魔の笑みに思わず回れ右しようとしたが、その一言に射竦められる。 ここで住人の印象を悪くすれば仕事に不都合が出るかもしれない。 だがこのまま後で尋問を受けることになれば私自身に不都合が出る。精神的にきっと出る。
「別に取って喰ったりするわけじゃないんだし、ゆっくりしていきなよ?」
どう見ても取って食う気満々なあなたに言われても、全く心休まりません。 知らなかった…心の奥底から震える恐怖って戦場とは無縁な日常生活の中にもあるんだね。
「まぁ、こんなところですけど、夕食食べていって下さいよ。一応人数分作ってありますし」
と、男性の方がそう勧めてくる。 確かにせっかく用意してもらったのをこちらから断るのは申し訳ない。 例えそれが後でこの悪魔からろくでもない目を遭うと知っていても……
「その…この人の質問攻めは何とか俺が抑えますから」 「ほう?いつからそんな口が利けるようになったのかねぇ」 「真雪さん。それはいいですから、一旦上がってもらいましょう?せっかく招待したんですから」 「それもそうだ。―――んじゃ、耕介。後どれくらいで出来るんだ?」 「あ、もうすぐできますよ」
どうも、この人が今日の調理担当みたいになっているのだろうか? 何か、普通に想像のつかない人間関係がここにはありそうだ。
「出来れば夕食に付き合って欲しい。男が敷居を跨いだ事はほとんどないんだし、ボクもすごく興味がある」 「つーことで賛成が大多数。反対はないよな?」 「……分かりました。では夕食ご馳走になります」
反対意見は通りそうに無かったけど、たまにはこうやって大勢で賑やかに食べるのもいいかな。 そう思い、逃げ道のない中で了承の意思を示すことにした。
「というか、お二人もなんかフォローしてくださいよ」 「いやー。下手に庇ったりしたらこっちにまで飛び火しそうだったもので」 「一度ターゲットにされたらそりゃあもう……」
井上さんはそういうとさめざめと泣き出す。 ……この先、物凄く不安だ。
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