二章
 

 春の優しい風に乗り楽の音が流れる。
 清浄な空間に高く澄んだ笛の音が響く。
 神楽。
 神留り坐す神々に、捧げられし天上の調べ。
 高く低く、透き通った音色は静かに空間に染みいり広がっていく。
 懐かしさを感じさせる澄んだ音の波を、瞼を伏せ身体で感じていた楓は、春風になぶられ頬を擽る髪を片手でそっと抑えた。
 柔らかな日差しを受け輝く漆黒の髪から、掌に暖かい温もりが伝わる。
 厳粛な気持ちを湧き起こす旋律が与えた心地よい緊張が弛み、柔らかな唇から小さな吐息が洩れていた。
 小さな神社の境内に置かれたベンチに腰を下ろした楓に、立ち並ぶ桜や梅の梢から洩れる陽の光が静かに降り注ぎ。姉に寄かかるように身を寄せた初音は、春の陽気に誘われこくりこくりと微睡みつつ船を漕いでいる。
 傍らに感じる妹の柔らかな温もりに伸ばした手が、栗色の柔らかな髪の上で静かに二度三度と動く。
 一房跳ねた癖毛を押さえるように動かしていた手が止まり、手で隠した楓の口元からはクスリと小さな笑みが洩れた。
 いくら直そうとしても直らない妹の癖毛を、また二度三度と押さえてみる。
 押さえる度、癖毛はぴょこんと立ち上がり、ゆるゆると春風に揺れながら日差しを跳ね返す。

 耕一さんが初音の頭を撫でるのは、もしかしてこれが面白いから?

 楓の頭にはそんなたわいもない考えが浮かび、ゆっくりとした動きで首を巡らし蒼い空を見上げてから神楽の音が流れてくる拝殿に視線を向けた。
 拝殿に入った耕一と巫結花は、楽の音が終わるまでは戻って来ないだろう。
 そう考え、楓の唇から微かな吐息が洩れた。
 
 
 
 

 神社に着いて、楓はすぐ上の姉が来なかったのは正解だと思った。
 楓もすっかり忘れていたが、巫結花は宗教家だった。
 まず参道を真っ直ぐ拝殿に向かおうとした初音が、厳しい面持ちの巫結花に引き戻された。
 参道の中央は、神様の通り道だから歩いてはいけないと言うことだった。
 そして神社に入る前の礼から始まり、手水舎での禊ぎの仕方から参拝の仕方。
 正式な参拝の礼法を事細かに実践する様に求められた。
 二礼二拍手一礼ぐらいは知っていた楓だが、まさか柏手を打つ手の動かし方にまで決まりがあるのまでは知らなかった。
 初音と楓の誤りを巫結花は厳しい表情で指摘し、耕一が困り顔で正式な作法を教え、五分と掛らない参拝を済ませたのは神社に着いて三十分以上経ってからだった。
 参拝を終えた二人に満足げに頷いた巫結花は、宮司に祝詞を上げて貰う為に耕一と共に社務所に向かい。
 参拝だけで疲れ果てた楓達は、耕一からも勧められて境内で休む事にした。
 軽い散歩のつもりで来た楓と初音には、息の詰まる本格的な参拝だった。
 初音と楓だから最後まで付き合ったが、梓なら途中で切れていただろう。
 美冬が一緒に来なかった宗教上の理由も、本当なのか怪しいものだ。

「…うっ…ん」

 小さな掠れた声音と一緒に、傍らに寄り添った柔らかさな重みが遠ざかる。
 支えていた重みが消え、楓の身体が重みを追うように揺れる。
 身体が温もりを恋しがっているよう。と思いながら、楓はゆっくりとした動作で視線を傍らに戻す。
 小さな拳で瞼をごしごし擦る妹の姿に昔を思い出し、楓の頬に静かな深い笑みが浮かんだ。

「…楓…お姉ちゃん?」

 静かに注がれている姉の視線に気付き、訝しそうにくりんとした瞳を向けた初音は、柔らかな眼差しに問い掛ける色を浮かべる。楓はそんな妹の仕草に僅かだけ首を傾けるとゆっくり薄紅の唇を開いた。

「小さい頃を思い出して…初音は覚えてる?」

 コクンと首を傾げたまま姉の顔を見ながらしばらく考えていた初音は、にっこり微笑むと勢い良く頷く。

「一緒に縁側に座って、お姉ちゃん達が帰って来るの待ってたよね」

 懐かしそうに初音が言うと、楓も懐かしそうに目を細めた。

「初音、いつも途中で寝ちゃってた」
「楓お姉ちゃんも眠ってたよね」

 はにかんだ笑みで初音が言うと、楓は小さく微笑んで頷き返した。
 幼い頃の楓と初音は近くの家に歳の近い女の子が少なかったせいもあり、いつも一緒にいた。
 長女の千鶴は二人の面倒を良く見てくれたが、七つ近く離れている姉は遊び相手と言うより、家事で忙しい母親の代わりだった。
 千鶴より歳の近い次女の梓も、二人の妹を可愛がり遊んではくれた。
 しかし、大人しい楓や初音の相手は活発だった梓には物足りなかったのだろう、男の子に混じって外を駆け回っている方が多く。
 そうなると初音と楓が二人で遊ぶ時間が多くなるのは必然だった。
 千鶴が中学に進むと更にその傾向は強まった。
 中学に入って帰宅の遅くなった千鶴に代り、梓に妹達の世話係が回ってきたのだが。
 梓は楓達を連れ近所の公園に遊び行くと、遊び友達の男の子達に誘われるままいつのまにか姿を消す。
 楓と初音は梓が戻って来るのをしばらく待って、梓が戻らないと屋敷に帰り縁側に座って姉達の帰りを待ちながら遊ぶのが日課になっていた。
 縁側で遊び疲れて抱き合って眠る二人が目覚めると、帰宅した千鶴が二人に毛布を掛けて隣りに座っているという事が良くあった。

「梓お姉ちゃんは、ちょっと可哀想だったよね」

 妹の世話を忘れ遊んで帰って来た梓が、千鶴に正座させられ叱られていたのを思い出した初音が苦く笑いながら言う。

「でも、堪えてなかった見たい」
「うん。梓お姉ちゃん、叱られた次の日でも遊びに行っちゃたし」

 可笑しそうに微笑む初音の顔を見ながら、楓はある時期から自分達を置いて行く事の無くなった姉の変化を思い出していた。

「でも梓姉さん、あの夏から変わった」
「耕一お兄ちゃんが帰ってから?」

 初音にも思い当たる節があったのだろう。
 確認するように顔を覗き込む初音に、楓は少し考えながら頷いた。
 小学生の耕一が遊びに来た当時、楓達も耕一を慕って後を付いて歩いた。
 遊び盛りだった耕一には、七歳や六歳の女の子に付いて歩かれるのは、本当は遊びの邪魔でしかなかったかも知れない。
 実際耕一に付いていけたのは、普段から男の子と一緒に駆け回っていた梓だけで。楓と初音は駆け回る耕一と梓の後をとことこと、それでも懸命に息を切らせながら付いて行くのがやっとだった。
 本当なら追い付ける筈がなかった。
 だが当時は置いて行かれなかった嬉しさが先に立ち不思議とも思わなかったが、楓も初音も耕一達を見失なった事は一度もない。
 耕一が必ず二人が追い付くのを待っていてくれたからだと気付いたのは、楓も初音も随分後になってからだった。
 そして、耕一が帰ってからの梓は、母親や千鶴が驚くほど妹達の面倒をよく見るようになっていた。

「姉さん、優しくなった」
「えっ? でも梓お姉ちゃん、ずっと優しかったよね? 一生懸命になると私達の事忘れちゃたけど…でも、悪気はなかったんだし」

 目をぱちくりさせ、初音はぎこちなくなった笑顔で梓を弁護する。
 初音に微笑みかけた楓は、小さく頷いて言い直す。

「耕一さんの来る前より、優しくなった」

 初音は言い直した楓に頷いて懐かしそうに目を細める。

「わたし達を耕一お兄ちゃんがからかうと、梓お姉ちゃん一杯怒ってたよね」
「焼き餅妬いてたんだと思う」

 クスッと可笑しそうに楓は微笑む。

「焼き餅? 梓お姉ちゃんが私達に?」

 耕一が幼い妹達をからかうと、梓はムキになって耕一を追いかけ回していた。
 耕一が妹達を構うのが、面白くなかったのだろう。

「うん」

 楓は首を傾げ覗き込む初音に頷き、栗色の髪を明るく照らす柔らかい陽射しが漏れてくる梢に目を上げた。
 柔らかな春の陽射しが繁った葉の間を通り抜け、そよ風が緑の葉を揺らすと光も揺らぐ。
 蜻蛉の羽の様に透けて見える緑の葉を細めた瞳で眺め、楓は小さく穏やかな吐息を漏らした。
 妹とこんなに話すのは随分と久ぶりな気がして、微かな笑みを頬が刻む。
 長年同じ家で暮らしながら、我ながらおかしな感想だった。

「そうなのかな?」
「初音だって、お兄ちゃんを取っちゃダメって」
「え? そっ、そうだった」

 覚えていなかったのか、初音はキョトンとした顔で楓の横顔を伺っている。

「七夕様にお願いしたのは、初音だからって」
「そ、そうだったかなぁ」

 いつになく積極的に話す姉の突っ込みに、初音は困った顔でぎこちなく笑う。
 七夕様がくれたお兄ちゃん。
 お兄ちゃんを欲しがっては両親を困らせていた初音は、耕一をそう呼んで一日中後を着いて歩き。子供らしい独占欲を発揮して、耕一を独り占めしようと姉達に釘を刺して回っていた。
 そして休み半ばで耕一が帰った後は、今度は耕一がいつ来るのか尋ねて両親を困らせていた。

 あれが妹の最後の我が侭だったのだろう。と楓は思う。

 叔父夫婦が耕一を連れて帰ってから、一年と経たない間に父と母が亡くなり。大人達の醜い争いの渦中に投げ出され、姉妹のみんなが大きく変わった。
 妹達を守ろうと必死になっていた長女の千鶴。
 心ない嫌がらせに歯を食いしばって涙を堪えていた次女の梓。
 そして二人の姉の背に隠れ、抱き合って震えているしかなかった楓と初音。
 その時の記憶が、現在の姉妹を強い絆で結び付けていた。

「楓お姉ちゃん?」

 初音の顔をジッと見詰め考えに耽っていた楓は、初音の訝しそうな声にハッと我に返った。
 心配そうに見上げる初音の瞳は、両親を亡くす前と変わらず澄んでいた。

「ううん。何でもない」

 首を振りながら、楓は姉妹の中で一番強く優しい心を持っているのだろう妹に、春風のように優しい笑みを見せた。

「初音にも心配掛けたと思って」
「えっ?」

 くりんとした瞳に戸惑いを浮かべ、初音は楓の唐突な言葉に首を傾げた。
 優しい風に擽られて揺れる妹の髪の柔らかな感触を確かめるようの撫でた楓は、どう言えば良いのか口ごもりながら小さな息を吐く。
 梓や初音の変化と同時に、楓も徐々に鮮明になる夢の中で幼いながらもエディフェルと感情を共有し、夢の内容を理解出来ないまま感情の波にさらされ無口になり考え込むことが多かった。
 姉や妹がそんな自分を心配してくれているのは判っていても、自分自身でも理解不能な感情や夢を説明する術を、幼い楓が持ち合わせているはずもなく。
 何も答えずただ内に籠もる楓を、姉達や妹は持て余していた。
 その為か、叔父と打ち解けた楓を姉妹は安心したように見守り、楓が叔父と過ごしているときは、気を利かせて席を外したりもしてくれていた。
 本当は一番叔父に甘えたかっただろう初音でさえも、楓に一歩譲っているような処があった。
 だが……

「ううん。なんでもないの」

 楓は首を振り、言葉にするのを止めた。
 一時期、初音を避けるようにしていた態度の訳など、今更言葉にする方がどうかしている。
 雨月山の伝説。
 夢と同じ内容を語る伝説が、楓が初音を避けた理由だった。
 夢の中で死ぬ楓、その後の物語で次郎右衛門と結ばれるのは妹だった。
 それを知ったときの、幼い故の名状しがたい感情。
 それが嫉妬だと気付いたのは、いつだったのかさえ楓には思い出せない。
 ただ避けるように部屋に閉じこもる楓に、変わらず気遣う瞳を向ける初音に苛立ちさえ覚えた。
 その記憶だけが、鮮明に残っている。
 強い負の感情ほど、人は記憶の底に残してしまうのかも知れない。

「楓お姉ちゃん」
「うん?」

 明るい陽射しの元には不似合いな考えに浸っていた楓は、初音のいつになく真剣な声に目を上げた。
 きゅっと胸元で握った拳を固くした初音は、思い詰めた瞳を楓に向けていた。

「わたし…話した方がいいか…でも、話さないといけないと思う…の…」
「…?」

 途切れ途切れに話しながらも、初音はジッと楓を見詰めていた。

「…あの、次郎右衛門は……ずっと、ずっとエディフェルを忘れなかったの」

 一瞬強ばった楓の身体は、ふっと貧血でも起こしたように軽くなった気がした。

「リネットと暮らしても、次郎右衛門はエディフェルを忘れてなかったの。でも、でも、独りは寂しくて、だから……」

 初音は純粋に過去であれ、次郎右衛門の想いを伝えなければならないと思っているのだろう。
 次郎右衛門はエディフェルを裏切った訳ではないと。
 それが純粋から出た言葉故に、なにより残酷な仕打ちになるとも気付かずに。

「…うん。知ってる」

 それ以上聞きたく無いと思った楓は、ふらつく頭で頷き瞼を閉じていた。
 それを聞いたところで、今更どうなると言うのだろう。
 だが、初音はその事実が少しでも姉の心の慰めになると信じているのだ。
 それが判る楓だから、固く目を瞑り震えそうになる唇を静かに開いた。

「前に…だから…もういい…」

 しかし楓の努力にも関わらず。
 その声は僅かに震え、感情の欠落した無機質な響きは楓自身でさえ驚くほど冷たく響いた。

「ご、ごめんなさい……」

 身を縮めたのが気配だけで判る初音の小さく掠れる声に手を伸ばし、楓は言葉の変わりにゆっくりと引き寄せていた。
 過ぎた優しさが時に残酷に変わるのは、妹のせいではないのだから。
 ゆっくり抱きしめた小さな身体に頬を寄せ、楓は優しすぎる妹の温もりを確かめ直した。
 姉妹を暖める木漏れ日は穏やかに暖かく、透明な空間を震わせる神楽の音は静かな余韻を引き、身を寄せる二人の心と体を静かに包み込んでいった。
 
 
 

「まだ昼まで時間あるし、どこかで休んで行こうか」

 駅から出たロータリーで、時計塔を見上げながら耕一は背を伸ばしながら尋ねた。

 参拝を終えた耕一達は、昨夜酒が入ったため鶴来屋に置いてきた車を取りに向かう柳を駅まで送って来た帰りだった。

「ちょっと肩が凝っちゃったしね」

 肩を回すようにしながら、耕一は見上げる初音と楓に軽く片目を瞑ってみせる。

「うん。あっ…でも耕一お兄ちゃん……」
「うん?」

 微笑んで頷いた初音に遠慮がちに見上げられ、てっきり二つ返事で頷いてくれると思っていた耕一は首を傾げた。

「千鶴お姉ちゃん、お仕事終わってるかも知れないし…早く帰った方が…」
「千鶴さんと梓になんかお土産でも買って帰ろうよ。そのついでに休憩するならいいだろ」

 ぎこちなく微笑みながら歯切れ悪く言う初音の頭にポンと手を置き、耕一はクシャッと撫で付ける。
 耕一と千鶴が付き合い始めてから、初音がこういった気遣いを見せるのは始めてではないので、耕一としても手慣れたものだ。
 
「ケーキなんかどうかな? 初音ちゃん、美味しいケーキ屋さんとか知らないかな」
「あっ、それなら。ええと、向こうのお店のフルーツババロアの……」
「…イチゴショート」

 にっこり微笑みながら駅前に並ぶ店の方を指差した初音の声を、小さな呟きが遮った。

「生クリームの卵と牛乳の量がベストです」

 呟きの源。
 楓は耕一を見上げにっこり微笑む。

「でも楓お姉ちゃん。ババロアのフルーツケーキだって果物が一杯入ってて、とっても美味しいんだよ」
「ケーキはイチゴと生クリームじゃないと」
「そんなことないよ。チョコショコラとかテラミスとかイチゴが使ってなくても美味しいケーキは一杯あるもん」
「ふっ。初音、まだまだね」

 何がまだまだなのか判らないが、楓は初音の主張を鼻先で笑う。

「だって、本当に美味しいんだもん」
「ちょ、ちょっと。初音ちゃん、楓ちゃんもたかがケーキで……」

 珍しくも自分の主張を通そうとする初音が恨めしそうに楓を睨むのを見て、呆気にとられていた耕一は苦笑しながら宥めに入ったのだが。

「たかが?」

 楓に睨まれて、思わず後ずさった。

「耕一さん」
「は、はいぃ?」

 いつもと様子の違う楓に気圧されて、上擦った声で返事を返してしまう。

「ケーキの基本は生クリームとスポンジです。フルーツをたくさん入れたババロアがケーキだなんて……」

 耕一の顔を見上げるようにして話していた楓は一旦言葉を切ると小さく溜息を吐き、上目遣いで耕一を見上げ哀しげに説明を続けた。

「ケーキの王道はなんと言ってもイチゴショートです。クリームとイチゴの甘酸っぱさがスポンジの柔らかな舌触りとあいまって、絶妙のバランスを作り出したときの美味しさと言ったら……」
「そんなことないよぉ。フルーツババロアのケーキだって、ちゃんとしたケーキだよ。ババロアの柔らかさにフルーツのしゃっきっとした歯ごたえが加わって…お口の中でふっくらとした甘みが広がるの。とっても美味しいんだから」

 楓に負けじと初音までが耕一を見上げて必死に説明を始め、ぎこちない愛想笑いを浮かべた耕一の額には一筋の冷たい汗が流れた。

「は、はぁ…そ、そうなのか? 奥が深いんだねぇ」

 なんとか二人に当たり障りのない返事を返したものの、耕一の視線は落ち着きなく辺りを彷徨っていた。
 なんと言っても駅前なのだ。
 美少女二人がケーキについて熱く語る姿は、耕一の感覚では微笑ましいと言うより異様でしかない。
 そうでなくても三人の美少女を連れて目立ちまくっているのに、楓と初音に詰め寄られる格好になった耕一に突き刺さる視線は、まるで三角関係のいざこざを見るように冷たい。

「お土産はショートケーキですよね?」
「ババロアだよね? 耕一お兄ちゃん」
「な、なあ、巫結花はどう思う…あれ、巫結花は?」

 二人に詰め寄られて、巫結花に決めて貰おうと隣りに声を掛けたのだが、さっきまで耕一の傍らに佇んでいた巫結花の姿はいつの間にか消えていた。

「えっ? 巫結花ちゃん?」
「……?」

 耕一の問いに初音と楓も巫結花の姿が消えているのに気づいて、慌てて周囲をキョロキョロ見回しだした。

「あっ! 耕一お兄ちゃん、あそこ!」

 耕一の腕を掴んで声を上げた初音が指し示したのは、初音が最初に指を差したフルーツパーラーの方だった。
 店先のカラフルに彩られたビニールの張り出しの下にぽつんと影が一つ。
 風景に馴染んで微動だにしない姿は気を付けないと店の人形かと見まがうが、着ている白地に紫のワンピースは巫結花の物だ。
 気配を消しているので耕一ですら気づかなかったのだが、初音にはすぐに見分けが付いたようだ。

「楓ちゃん、初音ちゃん。お土産は店の中で決めようか」

 ふぅ。と巫結花を見つけて安堵の息を洩らした耕一は、楓と初音を見比べながら言う。

「…はい…すいません」
「うん。騒いじゃってごめんね、お兄ちゃん」

 駅前の雑踏で騒いだのが急に恥ずかしくなったのか、二人は真っ赤になって俯くと上目で耕一を窺いながら小さくなっていく。

「普段見られない楓ちゃんと初音ちゃんを見られて、ちょっと得した気分かなぁ〜」

 痛いほど注がれている視線に内心冷や汗を滴らせながらもからかい気味に言うと、初音と楓は恥ずかしそうにお互いの顔を伺いあった。
 そんな二人の背中を押すようにして、耕一はモジモジしながら歩きだした二人とパーラーの方に向かった。
 三人を迎えた巫結花は、耕一には変わらぬ微笑に微かな苦笑を交えているように見えた。
 結局の所、パーラー内でも楓と初音の熱き闘争は、ジャンボパフェの冷たさにも冷めず。
 フルーツババロアとイチゴショートの両方を買って、食べ比べてみようと耕一に言われてやっと落着した。
 
 当然だが、大きなケーキの箱を抱えて家路を急ぐ間、耕一は二度と二人にはケーキの話題を振るまいと心の中で固く誓っていた。
 
 
 

一章

三章

目次