柏木耕一の事件簿其の一 晩秋───新たなる狩猟者編
 
 

 第一章 災厄・再来
 

 ドクン! 

「────っ!?」 

 がばっ!
 とんでもない悪寒と共に、俺は飛び起きた。冷や汗が頬を伝い、激しい動悸が喉を鳴らす。 

「な……なんだ!?」 

 気配が──眠っていた俺を叩き起こす程の強烈な鬼の気配が、意識の端を掠めて過ぎた。
 しかも、これは…… 

「誰、だ……?」 

 感じた鬼気は、今まで俺が出会った事がない物だった。従姉妹達の物でもない、柳川でもない──全く異質で別の生物のような、しかし確かに鬼の気。 

「……いったい……」 

 乱れた息と鼓動が落ち着きを取り戻すのを待ってから、俺は布団をまくり上げた。部屋の隅にあった電話に目をやり、手を伸ばす。
 俺、柏木耕一には、四人の従姉妹と一人の叔父──最近判明したのだが──がいる。
 今年の晩夏、俺は自分の親父を亡くし、天涯孤独の身になった……、と、思っていた。
 別居して離れていたとはいえ、父親は父親だ。それに八年前、親父が俺と母さんを置いて行かなきゃならなかった理由も、子供心にわかっていた。幾らかは親父を怨んだりした事もあったが、両親を亡くして姉妹達だけになってしまった従姉妹達の事を思えば、それも仕方のない事と考えていた。
 その親父が亡くなり、母さんも既に世を去った今、俺には家族の温もりなど、存在するはずもない……そのはずだった。
 だけど……そうじゃなかった。
 俺にはまだ、家族がいた。
 従姉妹達──別居した親父が一緒に暮らしていた、四姉妹達。葬式には間に合わなかったが、四十九日を弔う為、予定していた旅行を急遽取り消して向かった隆山で、彼女達は俺を待ってくれていた。
 ──俺が失っていた、暖かい家族の温もりと共に。
 そして、その隆山で、俺は自分の中に眠る異形の血と、柏木一族が背負った宿命、業を知る事になった。
 俺の隆山来訪と時同じくして巻き起こった連続殺人事件と、親父や伯父夫婦の事故死の裏に隠された、禍々しい鬼の血の衝動。俺が、従姉妹達がそれぞれ心に負った痕と、血脈の中に眠る儚く哀しい記憶。
 そして──覚醒。
 四姉妹皆の絆を得て、俺はその荒ぶる鬼の力の制御に成功した。
 その後、俺は連続殺人事件を起こしていた別の鬼と相対し──そいつと戦う事になってしまった。
 彼は……彼も、俺達と同じ、柏木の血を引く者だった。俺達の叔父に当たるその男は、鬼の意識に負け、身体を支配されてしまっていたのだ。
 だが、かつて彼の心の闇を払ってくれたある青年の命がけの行動と、俺達の必死の助力を得て、彼は己を乗っ取っていた鬼の支配を断ち切り、ついにその制御に成功した。
 今、彼──柳川は、生きて罪を償おうという青年の言葉に従って、真面目に仕事に取り組んでいるはずだ。
 そして俺は、大学卒業後に必ずそちらに行くと約束した従姉妹達の為に、必死になって勉学に励んでいる。
 そう──励んでいた。今の今までは、だ。
 先程の鬼の気……嫌な予感がする。 

 プルルルルルル……プルルルルルル…… 

 そう思いつつ手を伸ばした先で、電話が鳴った。
 俺は慌てて受話器を取り上げる。 

「はい、柏木ですが……」
『耕一か?』
「その声は……柳川?」
『ああ』 

 柳川裕也、俺の叔父からの電話だ。
 珍しいな……。いや、先刻の<アレ>からすると…… 

「どうしたんだ──って、まあ、なんとなく予想はつくが……」
『おそらく、お前の想像通りの用件だ』
「すると……」
『ああ、お前も──あの鬼を感じたな?』
「ああ……」 

 やはりそうか、柳川も感じたか。
 と、すると── 

「他のみんなも、やっぱり感じたのか?」 

 隆山からこんなに離れている場所にいる俺が、こんな強烈に感じたんだ。他のみんなもこの鬼気には気付いているはず…… 

『いや、わからん。楓くらいなら気付いた可能性もあるが、他はどうか……。なにせ、これだけ距離が離れている。あの鬼気とはいえ、届いているかどうかは疑問だな』
「何? 距離が離れてって……? 何がだ?」
『わからなかったか? あの鬼気は、隆山近辺の物ではない。明らかに、首都圏──おそらく、この東京近郊で放たれた物だ』
「────!?」 

 俺は思わず、息を呑んだ。
 なん、だって──!? 

「ど、どういう事だ!?」
『わからん。今、俺は出張でこっちまで出向いているのだが……』
「東京にいるのか?」
『ああ。今警視庁の中だ。夜勤組に付き合っていたんだが、そこで突然アレを感じてな』 

 納得がいった。
 あの鬼気は、東京付近にいる俺達だからこそ強烈に感じたのだ。考えてみれば、いくらなんでもアレが隆山で放たれていたら、柳川よりも早く、それこそ俺が布団を出る前に真っ先に楓ちゃんが電話をしてくるだろう。 

「じゃあ、あれはやっぱり……」
『ああ。俺達の知っている誰でもないが、間違いなく鬼の血を引く何者かの──鬼気だ。それも、こいつはおそらく──<狩猟者>の、な』
「まさか……」 

 いや……だが、あれだけの鬼気となると、たしかに女性体ではなく、男性体にしか放てるものではない。
 しかも、あの奇怪な違う生物のような感覚からすると、俺達のような<制御した者>ではなく── 

『まさか、俺達以外にもまだ鬼の血を引いた者がいたとはな。──それも、<狩猟者>が』 

 やれやれ、といった感じの声の最後に、この冷徹冷静な叔父らしくないため息が重なった。彼らしくないその反応を、しかし今は苦笑する事も出来ない。
 この東京に、鬼がいる。
 人を狩り、血を浴び愉悦に浸る狂気の殺戮者が。 

『……で、どうする? 耕一』
「決まってるだろう……」 

 相手が<狩猟者>となれば、俺達柏木の血を引く者がとるべき道は一つ── 

「すぐに出る。飛び起きちまった以上、もう寝てられるか」
『わかった。では、警視庁の近くまで来てくれ。俺も抜け出す』
「いいのか? 夜勤なんだろ?」
『構わん。どうせ付き合っていただけだ』
「わかったよ」
『お前が来る前に、少し情報を集めておこう。もしもアレが事件でも起こしていれば、通報されてくるだろうからな』 

 警察官という職業柄、彼はこういった方面に非常に強い。ましてや今は日本の警察の中枢部にいる。何かあれば、すぐにそれを拾ってこれるはず。 

「ああ、頼む。それじゃあな」 

 俺は電話を切ると、寝間着を放り出してシャツに手をかけた。
 この現代東京に、伝説の鬼が蘇った。
 ならば、それを退治するのも、同じ鬼の血を引く者の運命(さだめ)。
 かつての半人半鬼の英雄の末裔たる、柏木の宿命。
 大切な人達を守るために──
 再び、俺の中の鬼が目覚める。
 
 
 
 

二章

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