はぢめてのお泊り
「あのぉ、祐一さん……」
「……ん〜? どうしたんです、佐祐理さん……?」
ここは祐一さんの部屋の前。
ノックをすると、祐一さんが、目をこすりながら起きてきました。
「あの、その……さゆりちゃんが、この通りでして……」
「うー……ぱぁぱぁー」
つい今し方までぐずっていたさゆりちゃん、祐一さんが起きてくれたと見るや、ぱっと顔を輝かせています。
「あのっ……祐一さんが傍にいないのが、不満だったのか不安だったのか……秋子さんは、えと……祐一、さん、に……そのっ……」
「?」
「そ、添い寝、を……」
「な、なんですとッ……!?」
「さゆりちゃんは、佐祐理と祐一さんを親代わりに認めてくれたみたいで……ふ、二人が揃っていないと、安心して眠れそうにないみたいなんです……だ、だからっ……」
祐一さんのベッドに、お邪魔させてもらっていいですか……?
佐祐理がそう告げた瞬間、祐一さんの動きがきしりと停止しました。
はうぅ……予想通りの反応ですっ……
さ、佐祐理だって恥ずかしいんですよ? でもでも、こうでもしないとさゆりちゃんが泣いちゃいますしっ……そ、それに佐祐理は、祐一さんなら……ぽっ。
「だ、ダメ……ですか……?」
「い、いやそそそんな事はっ……」
祐一さん、うー、あーと唸り声を上げつつ、首を振ったり身を捩ったり。……葛藤、しているんでしょうねー。いくら鈍感な祐一さんでも、女の子と同じベッドの中で眠る、というのは……い、意識、しちゃうでしょうし……
「ぱーぱー?」
あ……そ、そうですっ。
「あの、祐一さん……さゆりちゃんも、この通りですしっ……」
「ぐはあ……さ、さゆりちゃん、そんな目で俺を見ないでくれ……」
さゆりちゃん、ちっちゃな両手を一所懸命に伸ばして、祐一さんの所に行こうとしてます。……この子をだしに使うようで申し訳ないですけど、ここはさゆりちゃんの事を楯にして、強引に押し切っちゃいましょうっ。
……あ、秋子さんの許可は……貰ってますし。その、アレも……
でも……
『佐祐理ちゃん。できれば、避妊はちゃんとしてくださいね』
って、そ、そんな事耳元で囁かないで欲しかったですよぉ……はうぅ……
と、とにかく祐一さんのお布団にお邪魔しちゃいましょう。
「で、ですからっ……祐一さん、お邪魔させて……貰いますね」
「ぐ、むぅ……し、しかし……」
勇気を振り絞って言葉を繋げても、祐一さんは煮え切らない態度です。
「……やっぱり、駄目、ですか?」
「えぅー……」
「あー……」
唸り声をあげた祐一さん、何かを振り払うようにわしゃわしゃ髪を掻き乱すと、苦笑しているような、諦めたような、それでいてどこか嬉しそうな……「しょうがないなー」というような顔で、手招きをしました。
「はいはい……わかりました。わかりましたから……二人してそんな泣きそうな目をしないでくれないかな……」
「!」
「ぱぁー!」
祐一さんがおいておいでをした意味がわかったのでしょう、ぱっと顔を明るくして、さゆりちゃんが歓声をあげました。佐祐理も一転して、表情を綻ばせて微笑みました。
「えへへ……それでは祐一さんっ、お邪魔させてもらいますねー」
「どうぞ、お姫様方」
祐一さんが開けてくれた布団に、二人して潜り込みます。遠慮がちにそっと、だけど後戻りする気はないと大胆に。
ごそごそ……
ほえぇ……気持ちいいですねぇ……
あったかい祐一さんのぬくもりと匂いに、思わず心がふんわりしちゃいます。
「ぱーぱー、ふぁー」
きゃっきゃとはしゃぐさゆりちゃん。布団に入るなり祐一さんの服をくいくい。きっと物凄く嬉しいんでしょう、にこにこしながら佐祐理と祐一さんの間にちゃっかりと収まります。
「しょうがないなぁ……」
微笑ましいものを見るかのように目を細めて、祐一さんは先程とは多少意味合いが違いそうな苦笑い。その視線が、こちらに流れて……
『……あ』
ばっちり、佐祐理と視線が合っちゃいました。
『…………』
ふ、ふぇ〜……せ、静寂が痛いですっ。
沈黙が……天使が降りてますよぅ。
祐一さんの双眸が、佐祐理の視線を捉えて離しません。その奥に、自分自身の顔が映り込んでいます。あ、あはは……佐祐理、なんだか頬っぺたがほんのり桜色に染まってますね。気のせいか、祐一さんも少し赤いような……
あ……なんだか、だんだん距離が、近、く……
「むぷぅ〜?」
『!!』
は、はわわわわわわっ!
ばっと、祐一さんの瞳が離れました。
いつのまにか、至近距離。ええそれはもう、唇が触れるまで後数センチって危険な間合いです。雰囲気に流されて、ゆっくりと瞼を閉じようとした所で……
さ、さゆりちゃんがいたんでしたよね、あははは〜……
間に挟まれたさゆりちゃんが、ちょっと窮屈そうに抗議の声。それで正気に返った私達、慌てて距離を取りました。
「ぬぐぁ……」
「はぁう……」
二人して、色々なものが混じった溜息一組。顔を見合わせて、薄っすら頬を染めたまま、余りにも複雑な苦笑をしました。
残念……だったような、気がします。祐一さんも、まんざらではなさそうでしたし……はうぅ……
「……すぅ〜……」
ふふふ……もうおやすみですか、さゆりちゃん。やっぱり、ぬくもりがあると違うんでしょうね。
佐祐理と祐一さんに挟まれた小さな空間で、すやすやと寝息を立てておねむのさゆりちゃん。あどけない寝顔が可愛いです。
そして、こちらも……
「……く〜……」
「祐一さんまで……佐祐理は置いてきぼりですか?」
いつのまにか、こちらもぱったり眠ってしまった祐一さん。寝顔が子供っぽくって、凄く無防備な感じです。
……祐一さん、やっぱり整った顔立ちですね。元々、どちらかというと女顔でしたけど、眠るとそれがますます際立ちます。まだ小さな……少年の面差しですね。
くすっ……なんだか、かわいい♪
はぇ〜……それにしても佐祐理、今祐一さんのベッドで一緒に寝ているんですよね。間にさゆりちゃんを挟んでいるとはいえ、こんな身近でほとんど密着して、祐一さん、と……
……あぅ、また動悸が……心臓がどきどき高鳴り始めちゃいました。
こうなると、祐一さんが恨めしいです。どうしてあっさり眠っちゃうんでしょうか?
「佐祐理が……『私』がすぐ傍に寝てるんですよ? ゆう、いち……」
仮にも女の子が間近で、一緒の布団の中にいるんです。もう少し緊張してくれたりしてもいいのに……え? そうしたらどうするの、ですか?
そ、その先とかそれは、まあ……その……べ、別に良い雰囲気にならなくてもいいですから、えと……さ、佐祐理だって女の子ですよ? そういう……こ、ことを考えちゃってもおかしくないですっ!
はぅ……勇気を出して来たのに、意識して欲しいのに、こうも自然体でおやすみなさいされちゃったら……さすがの佐祐理でも、ちょっと切ないに決まってますよ。
「わたしだって、私に、だって……そういう気持ちは、あるんですよ……?」
もぞもぞと、出来るだけ身体を寄せて、彼の寝顔をじっと見つめ……つんと、頬っぺたを突つきます。佐祐理の心を惑わす、意地悪で優しい人の顔を。
「祐一……ひどいです。いぢわるです……」
「……ごめん」
「っ!?」
は、はわわっ!?
「ゆ、祐一さんっ、起きて……っ!?」
「ん。実は……さすがに、すぐ傍に佐祐理さんが寝てる状態で、あっさり眠るなんて出来ないって」
はうぅ……も、もしかしてさっきの……聞いてたんですかっ!?
ぷしううぅ……
余りの恥ずかしさに、佐祐理はやかんのように真っ赤になって、お布団に突っ伏してしまいました。
「しかし、佐祐理さんがねぇ〜」
感心したような口調で、にやにやと笑う祐一さん。
あぅ……そ、その眼はいたづらっこの眼!?
ふえぇ……ゆ、祐一さん、もしかして佐祐理をいぢめようとしてませんか?
「な、なんですか祐一さん?」
内心おどおどしつつ聞くと、祐一さんは口元を歪ませつつ、つんっと佐祐理のおでこをつついてきました。
「いやぁ〜。佐祐理さんでも、切なくなっちゃう時があるんだって思うと……」
「は、はわわっ!?」
ふええぇぇ……や、やっぱり聞いてたんですかっ。は、恥ずかしいですぅ。
「ふぇ……もういぢめないで、祐一さぁん……」
半分涙目になりつつ、佐祐理は頭まですっぽりと布団を被ってしまいました。くすん……
もうお嫁にいけませんよぉ……
「ぷぁ〜……うー、まぁ?」
はいはい、もういっぱいなんですね。
哺乳瓶を片付けて、さゆりちゃんを抱き直します。リズムをつけてぽんぽんと軽く背中を叩き、「……けぷぅ」と息が出たのを確認して、佐祐理はソファーから立ちあがりました。
もう、真夜中。普通ならみなさんおやすみの時間なんですが、さゆりちゃんはお腹が空いたみたいで、起きてきちゃったんです。
え? 佐祐理ですか? さ、佐祐理はその……あの……ね、眠れなかったんで、さゆりちゃんの催促にすぐに気がついたんですよっ。祐一さんはおやすみですっ。
幸い、秋子さんが事前に用意してくださっていたものがキッチンにありまして、それでさゆりちゃんはまんぷくになってくれたみたいです。
「さゆりちゃん、お散歩でもしましょうか?」
「あー!」
くすっ、大賛成みたいですね。
にぱっと笑うさゆりちゃんを抱いたまま、そっと廊下を通り玄関の鍵を開け、水瀬家の前の路上へと……
……月が、綺麗ですねぇ。
なんとなく見上げた夜空は、蒼い漆黒。街の明かりがほとんど消えたその中に、きらきらと散らばる数々の星と……僅かに欠けた上弦の月。
「満月も、近いですねぇ」
祐一さんと、お月見……楽しそうですね。ちょっとした夜食を作って、二人で真夜中の散歩に出掛けましょうか。ものみの丘に足を運んで、月を見ながらお話して……
それは、とても幻想的な、特別な夜。
想像するだけで楽しくて、考えるだけで笑みが零れて。
その雰囲気のまま、佐祐理はゆっくりと唇を振るわせ……
流れ出たのは、誰もが幼い頃に耳にした、懐かしい子守唄。高く高く、透き通るように、口ずさむ細い声音が辺りに木霊。自分が紡いでいると、自身でも意識できない、どこか遠い子守唄。
月夜の晩に、夜空の下で、舞い踊るように、奏でるように。どこまでも続く声の音は、誰もが耳を傾ける。
緩やかに揺らすように、さゆりちゃんを腕の中であやします。その揺れと唄とぬくもりと、それら全てに誘われたように、さゆりちゃんは次第にとろんと目を細めて、だんだん眠りの淵へと誘われてゆきます。
「おやすみなさい……」
やがて、すーすーと寝息を立て始めたさゆりちゃんをそっと抱え直し、踵を返そうとした時、
「いい唄だな、佐祐理さん」
よく知る人の声が、背後から聞こえました。
「……起きちゃいましたか」
「歌姫の声に誘われてましてね」
振り向かなくても、わかります。きっと祐一さんはどこか悪戯っぽい笑顔で、でも何処か優しい眼差しで、こっちを見ているはずです、
「もう、とっくに日も変わりましたよ?」
「それどころか、丑三つ時も過ぎているよ」
ああ、それもそうですね。
「明日は……休日でしたね」
「さゆりちゃんと一緒に惰眠を貪れるなぁ」
「じゃあ、三人でお昼までぐっすりしましょうか?」
「名雪より遅く起きるってのは、なかなか凄い事のように思えるのが怖い……」
「明日は雪ですか? いくら北国でも、もうこんな季節ですよ?」
「ありそうで怖い……」
「ふふふっ……」
「はははっ……」
さゆりちゃんを起こさないように、呟きに近い言葉の掛け合い。でも、とっても楽しい言葉のキャッチボール。
「まあ、本当に雪が降ったら、一日中家でごろごろしてようか? 親子三人の休日としては、結構妥当な気もするし」
からかい気味の祐一さんの言葉。それに佐祐理は、茶目っ気たっぷりに返します。
「そうですね……では、寝室に戻りましょうか、あ・な・たっ」
「ぐわっ……」
あ。祐一さん大ダメージです。やっぱり、『あなた』は攻撃力大きいんですね。
「さ、佐祐理さん……冗談でも、それはかなり効くんでやめてください……」
「ふぇ? 別に佐祐理は、本気にしていただいてもおっけーなんですけど……それとも、佐祐理じゃご不満ですか、あ・な・た?」
「ぐはぁっ……!」
「くすくす……」
そう……本気、ですよ?
あんなことされたら、例えそれまでの全てが冗談の積み重ねだったとしても……全部、本気になってしまいますから。
そうでしょう? ねっ……あなた♪
おまけ
──十時、ですかぁ……。お昼、近いですねぇ……
「う〜……」
「…………」
「は、はぇ〜……」
──こんな時間まで眠っていたなんて、さすがに昨夜のお散歩やあれが堪えたみたいです。実は、まだ少々おねむだったりもしますし。
「う〜う〜う〜」
「おひ……そう睨むなよ……」
え? この唸り声ですか? それは、その──
「酷いよ〜極悪だよ、鬼畜だよ〜」
「あ、あはは〜……」
はい、頬っぺたをぷーっと膨らませて、恨みがましい眼を投げかけている名雪さんです。
ええ、完全におかんむりなんです。
原因は……は、はえぇ……(ぽっ)。
「祐一のけだものっ、すけべっ、ぜつりんっ!」
「おいこらっ! なんでだっ!?」
「二人一緒の布団にお昼までぐっすり眠ってて、説得力がまるで無いんだよ〜。きっと昨夜は、さゆりちゃんが起きないのをいい事に、二人でどっぷり愛の巣なんだお〜!」
「人聞きの悪い事いうなああああっ!!」
状況、理解出来ました? そうなんです。一緒のベッドで三人ぐっすりの所を、休みの日だと言うのにいつになく早起きした──それでも、九時半回ってます──名雪さんに、発見されてしまいまして……
後はご覧の通りです。……祐一さん、どうしましょうか?
「いい加減にしろっ! なんで俺がそこまで言われなきゃならんッ!?」
「う〜……じゃあ、やましい事はなんにもなかったの?」
「ぬ、ぐっ……」
あっ、ダメですよ祐一さんっ。そこでそんな反応したらっ……ま、まぁ、確かにそれは事実なんですけど。
「あああああっ! 祐一、いま口ごもったでしょ! 答えられないってことは、やっぱりなにかあったんだっ!」
ぐるんと、名雪さんが視線をこちらに向けました。疑心暗鬼に満ちた目で、祐一さんと佐祐理を交互に見ています。
はぅ……確かに、なんにもなかったなんてどう足掻いても答えようがないくらいの事はしちゃってますし……
あ。思い出したら顔が熱くなってきちゃいました。ふえぇっ。
思わずちらりと、祐一さんの方を見上げて……あ。視線がばっちり……ほええぇっ。
「さ、佐祐理先輩が赤くなってる……!? あっ、祐一までッ!? や、やっぱりなにかもの凄くふしだらな夜の出来事があったんだおーッ!!」
「そ、そんな事はないぞっ! なんにもないないっ!」
「そ、そうですっ、なにもありませんよ〜!」
揃って首を振りつつ必死の弁解。なんだか息もぴったりです。
「ふ、二人して頬を染めつつアイコンタクトしながらそんな事言われても、説得力が皆無なんだよーっ! ゆういちのえっちいいぃいいぃぃぃいぃぃぃいいぃぃぃぃいいぃッ!!!」
「ぐああああっ! 朝っぱらから大声でそんな事を絶叫するなあああああああっ!」
……この後しばらくの間、祐一さんのお財布の中身が四桁単位で減らない日はなかったそうです……ご、ごめんなさい祐一さんっ
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