はぢめての赤ちゃん
「あーだぁ……」
「はいは〜い、どうしたんですかーっ、さゆりちゃん」
嬉しそうにちっちゃな指を伸ばして来る赤ちゃんの手に人差し指を絡ませて、佐祐理はにっこりと笑顔を見せました。
「あぅー」
「あははーっ、佐祐理の指はおもちゃじゃないですよぉ」
「きゃっきゃ」
楽しそうに、さゆりちゃんは佐祐理の指を両手でふりふり。くいっと引っ張っては離し、また引っ張っては離し、単純なそれが楽しいのか、にこにことご機嫌です。
そんな佐祐理達の様子を見て、頬に手を当てて、こちらもにっこりの秋子さん。
「あらあら……佐祐理さん、すっかり気に入られてしまったみたいですね」
「そ、そんな事ないですよーっ……わわっ、さゆりちゃん、くすぐったいですよぉ」
えへへ……そうですね、佐祐理、すっかり気に入られてしまったみたいです。やっぱり、同じ名前って効果あるんでしょうか?
って、さゆりちゃん佐祐理の指しゃぶらないでください〜。くすぐったいですよぉ。
「ふぶぅ……あー」
あぅ……佐祐理の指はおしゃぶりじゃないんですけど……あららっ、これ、離してくれそうにないですねぇー(汗)。
どうしましょう?
あ。画面の外のみなさん、もしかして状況が掴めていませんか? えっと……説明した方が良さそうですね。
えーっと、唐突なんですが、佐祐理は今、祐一さんのお家に……水瀬家にお邪魔しているんですよ。
ここに至る経緯は、ほんとに偶然なんですけどね。
ただちょっと、天気が良いのでお散歩に出ただけなんですが、ぱったり秋子さんにお会いして、お茶に誘われていつしかここへ……
おうちには、秋子さんだけ。祐一さんも名雪さんも、お出かけしてるみたいです。あれ? 気配がないという事は、あゆさんや真琴ちゃんもいないんでしょうか? お二人がいたら、きっと何処からかドタバタと元気な騒ぎが聞こえるはずですし。
……はい? この赤ちゃんですか? うふふふ……それはですねーっ。
「ただいま。秋子さん、帰りましたー」
あっ。
祐一さんです。
「あら、祐一さんのお帰りですね」
秋子さんの表情が柔らかくなりました。なんだか、楽しそうですね。
「秋子さん、佐祐理、お出迎えしますねっ」
「ええ、お願いします」
「はい、任されましたっ」
くすっ。一度、祐一さんに「おかえりなさい」を言ってみたかったんですよね〜。時々、お昼に新婚さんごっこの真似で言った事とかはあるんですけど……
……新婚さん……佐祐理と、祐一さんが……佐祐理が、祐一さんの奥さん……
ぽん!
は、はぅぅ。顔が赤く……最近、祐一さんがらみの事になると、佐祐理の自制心は全然ダメダメですよぉ……
と、とにかく、お出迎えしましょう。
「さゆりちゃん、ちょっとごめんなさいねー……よいしょっ」
「あぅー、だぁ?」
さすがに離してくれそうもないので、さゆりちゃんを抱き抱えて玄関へ……
ぱた、ぱたた……
「おかえりなさい、祐一さんっ」
「ただいま……って、へ? 佐祐理さん?」
座り込んで靴紐を解いていた祐一さんが、驚いたように振り返り……
ぎしっ。
「……ゑ゛……」
「ふぇ?」
「あぅ?」
祐一さん、石みたいに固まっちゃいました。……どうかしたんでしょうか?
「あの、祐一さん?」
声をかけても、反応無し。
「祐一さーん?」
ひらひら。
……反応ないですね。というか、身動きもしないです。
「ゆーいちさ〜ん? もしもーし?」
ひょいっと、間近から顔を覗き込みます。
……ほとんど目の前にいるのに、祐一さんがぴくりともしません。も、もしかしたら、このまま……
「あの〜……な、なにか反応してくれないと、このまま……キ、キスしちゃいますよ〜?」
瞼が下がって、潤んだ瞳を隠して、そっと……
「だぅー」
ぺちぺち。
……はっ。さ、佐祐理、今なにしようとしたんですかっ?
「あっ……さ、さゆりちゃん、だめですよっ」
「きゃっきゃ」
正気に帰ると、息がかかりそうな距離で祐一さんと向かい合っている佐祐理の腕の中から身体を乗り出した佐祐理ちゃんが、祐一さんのほっぺたをぺちぺちと叩いて笑っていました。
ひ、ひょっとして……今、かなり恥ずかしいことしようとしてませんでしたかっ、佐祐理……?
と。
「……さ……」
「ほぇ……? あ、祐一さん、正気に……ふえええっ!?」
がばっと。
突然両肩を掴まれ抱き寄せられて、佐祐理は目を丸くしました。
「ど、どうしたんですか祐一さんっ!? ……あっ、あのっ!?」
「佐祐理さんっ……この子はっ!? この赤ん坊は一体どうしたんだっ!? ま、まさかっ、何処かの外道に罠に嵌められたのかっ!!」
「……はぇ?」
「ち、ちくしょおおおおぉっ! 俺がっ……俺がついていながら佐祐理さんにぃ……っ!おおれの佐祐理さんにいいいいいいい〜〜〜〜〜〜〜っ!! 何処のどいつだあああぁっ、ゆぅるさねえええぇえぇぇえぇえぇぇええぇぇええぇぇーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「はぃ……?」
ぎゅうううぅっ!
は、はうぅっ……そ、そんなぎゅって抱き締めないでくださいぃ……か、躯がきゅんって火照ってしまいますぅ……
「いやっ! 佐祐理さんはなにも言わなくていいっ! 佐祐理さんはなんの心配もいらないからなっ! 俺はそんな事気にしないっ、嫉妬して子供をなんとかしろなんて外道な事も言わないっ! ちゃんと認知した上で一緒に精一杯育てて、佐祐理さんの傷付いた心と身体も癒してみせるっ! だから佐祐理さんは安心して子供を育ててくれっ!!」
「え? ……はぁ? あの……っ!? ……っふ、ふええぇぇえぇぇええぇええぇぇ〜っ!?そ、それ違います祐一さんっ!! それは勘違い……!」
「ただいまぁ〜……あれっ。大声出して祐一、どうし、た……の……?」
…………………………………………………………………………………………………………
扉を開いた名雪さん、ほとんど抱き合った格好の佐祐理達を凝視したまま完全停止。
佐祐理の背中に手を回して、ぎゅっと抱き締めた形の祐一さん、名雪さんの方を見たままぴきっと凝固。
祐一さんの腕の中にすっぽり状態の佐祐理。さゆりちゃんを抱き抱えたまま氷のように
かちんと硬直。
そこで唯一、気まずい場の雰囲気を全然理解出来なかったさゆりちゃんは、不思議そうに辺りをきょろきょろとした後、おもむろに祐一さんのほっぺたをぺちぺち。佐祐理の髪の毛をくいくい。
そして、一言。
「ぱーぁ? まぁ〜?」
…………………………………………………………………………………………………………
……えっと、それはひょっとしてひょっとすると、祐一さんと佐祐理に向かって言ってますか、さゆりちゃん?
ぐらり、と。
名雪さんが、傾(かし)いだ気がしました。
あ、あはは〜……これ、って……まずいですよ、ねぇ……?
蛇に睨まれたカエルのように、祐一さんは固まったまま冷汗を流し。
佐祐理も、固唾を呑んで名雪さんを見ています。
そして、名雪さんは前髪に顔を隠したまま、唇を開いて……
「ゆ……」
『……ゆ?』
「ゆういちが外道なんだおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「ちがうわあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
すぱーん!
物凄い速さで、祐一さんはどこからともなく取り出したスリッパを、名雪さんのおでこに叩きつけたのでした。
あ、あはは〜……これって、もしかしなくても佐祐理のせいでしょうかぁ……?
「なんだ……そういう事だったんですか……」
「あはは……そうなんですよぉ」
「う〜……」
「はっはっはっは。相沢祐一、一生の不覚を取ったぜ」
「う〜う〜」
「な、名雪さん大丈夫ですか?」
もう、爽やか過ぎるほど爽やかに秋子さんの淹れた紅茶を傾ける祐一さんを、先程からおでこを両手で抑えたままの名雪さんが、ジト目で睨んでいます。
あ、あははー……さすがに、フォローの仕様がないんですけど……
「う〜祐一ひどいよ〜鬼だよ〜げどう……うきゃっ!」
「お? どうした名雪。いくらお前でも、眠るには早すぎるぞ」
「げ、原因は祐一さんの右手のスリッパだと思うんですけど……」
はやや……今度は後頭部をスリッパで叩かれて、名雪さんがぱったりいっちゃいました。
だ、大丈夫なんでしょうか……?
きゃっきゃっと楽しそうにお二人を見て笑っているさゆりちゃんをあやしながら、佐祐理が真剣に名雪さんの様子を心配していると、
「あらあら、名雪? いつも言ってるでしょう、そんな所で寝ちゃダメですよ」
お茶菓子を用意していた秋子さんが、キッチンから出て来るなり名雪さんに注意してます。平然としてますけど……ひ、ひょっとしていつもの事なんですか?
「で、秋子さん。お隣の折原さん夫妻、いつ頃帰って来るんです? さゆりちゃん預けて二人でお出かけって、一体何処へ?」
そう。そうなんです。
遅れ馳せながら、ご紹介しますね。今佐祐理が抱いてるこの女の子は、折原さゆりちゃん。水瀬家のお隣に住んでいる折原夫妻の次女さんです。
なんでもご夫妻は同窓会があるらしく、上京してるんだそうです、長女のみさおちゃんを連れて。さゆりちゃんを連れてゆくとお酒の席でもあるそうですし、色々と心配なので、お隣に住んでいるご近所付き合いも親しいベテラン主婦、秋子さん──折原婦人の目標でもあるとか。お気持ち、痛い程にわかります──に子守りを依頼した、という事らしいですね。
……そういえばみさおちゃんには以前、お会いした事ありますねー。七歳児とは思えない大人びた子でしたし、あの子なら大人に混じっても平気かもしれません。折原ご夫妻がみさおちゃんだけ連れていったのは、あの子なら問題ないから、と考えたのかも……
とにかく、了承の一言でさゆりちゃんをお預かりした秋子さん。ぽかぽか陽気の中、お昼のお散歩にとさゆりちゃんを抱いて街へ出て……
後はみなさんおわかりですね。はい、そうですよぉ。そこで佐祐理とぱったり、という訳です。
……で、
「そうですね……おそらく、今夜遅くじゃないかと思いますよ。もしかしたら、明日になるかもしれませんけど」
ことんと首を傾げて、秋子さん。可愛らしい仕草です、佐祐理も祐一さんの前で、あんな風に可愛く出来たらいいんですけど……くすん。
「わかりました。じゃあそれまでは、俺達で相手しますよ。幸い、佐祐理さんも居ますし……佐祐理さん、俺達と一緒に子守りしてくれるとありがたいんですけど……」
「あ、はい。佐祐理も任されますですよっ。懐かれちゃいましたしね」
「あーぅー?」
さゆりちゃん、先程から佐祐理にべったりですしねー。今なんて佐祐理の膝の上で、あっちにきょろきょろこっちにきょろきょろ。どうやら、『さゆり』と何度も名前が呼ばれるので、その度自分の事かと声に反応してるみたいです。
「そうですね、佐祐理さんがいて下さると私も余裕が出来て安心です。名雪と祐一さんが帰って来る前まで、とても上手にさゆりちゃんのお世話をしていましたし」
「あは……秋子さん、佐祐理はそんなに器用じゃないですよぉ」
「いいえ。あれだけ出来れば、もう母親としても充分過ぎるくらいにやっていけますよ」
「そ、そんなぁ……」
ふえぇ……なんとなく、どうあやせばいいのか分かるような気がしてやっていただけなんですけど……もしかしたら佐祐理、赤ちゃんのお世話が得意なんでしょうか?
赤ちゃんのお世話がしっかり出来る……赤ちゃんが出来ても安心……
ぽっ。
はうぅ、祐一さんまだちょっと早すぎかもしれませんよぉー。……いえ、まあ……子供が生まれたら佐祐理、頑張って育児しますけど。
「ううむ、さすがは佐祐理さん……赤ん坊の世話も万全、さゆりちゃんの受けもよし、か。素晴らしいぞ。料理は美味い、家事全般も得意。気立てはよいし、優しいし、なんといっても美人だし、ますます俺脳内お嫁さんにしたいランキング一位の座を不動のものとしているな」
「え……」
お、お嫁さん……祐一さんのお嫁さんっ!?
「ゆ、祐一〜っ! ダメだよーっ! 私の目の黒いうちは、水瀬家の中ではプロポーズは絶対ダメなんだぉーッ!!」
「ちなみに名雪は同率四位だ。安心しろ、かなり上の方にいるぞ」
「えっ!? じ、じゃあ二位と三位は誰っ? それに同率ってもう一人いるの……!? って、ち、違うよおぉっ! そういう問題じゃないんだお〜〜〜〜!!」
「だぉー? まーぁ、あー」
何気ない祐一さんの言葉に、佐祐理の頭に血が昇っちゃいました。真っ赤になって俯く佐祐理の顔を、下からさゆりちゃんが不思議そうに見上げています。そして今の発言に、復活した名雪さんが、血相を変えて祐一さんにレッドカードを突き付けています。
……さゆりちゃん、だぉーは、名雪さんに許可を貰ってからしてくださいねー。
とりあえず現実逃避と、熱暴走しかけた頭の中で、ちょっと論点のずれたお小言をさゆりちゃんに言い聞かせる佐祐理でした。
それからしばらくして。
名雪さんがかわいいよ〜とさゆりちゃんを抱いて頬擦りしたり、祐一さんが何故か堂に入った手つきで高い高いをしてあげたりと、水瀬家の居間ではいつも以上にほんわかした空気が漂う中。
祐一さんの膝の上でまどろみかけていたさゆりちゃんが、ふと思い出したように綺麗なお目々をぱちぱちさせはじめました。
そして、
「ぅー……ぇうー」
「さゆりちゃん? お腹、すいたんですか?」
「ふっぐ……ふえぇ……」
「わ、わわっ! ちょっと待てさゆりちゃん、ミルクはさっき飲んだばかり……!」
「ゆ、祐一違うよ〜、ミルクじゃなくておしめだよ!」
「そ、そんな気配ないですよ名雪さんっ!」
「うえええぇぇーーーー!」
あ、あわわっ……ど、どうしたんでしょう? お腹も減っていないはずですし、おしめでもなさそうですし……
突然ぐずり出したさゆりちゃんを前に、佐祐理達が大慌てでいると……
「どうしたの……あら? ふふふ……」
キッチンから顔を出した秋子さんが、その惨状を見て、得心がいったように一つ頷き、近寄ってきました。
「佐祐理さん、さゆりちゃんをちょっと貸してください」
「え? あ、はいっ……で、でも……」
「大丈夫です」
にっこり笑った秋子さん、ぐずるさゆりちゃんを抱いてソファーに座り、
ぷち、ぷちぷち……ぱらっ……
「お、お母さん!?」
おもむろに秋子さんはブラウスの前を開け、フロントホックのブラの止め具を外すと、豊かな乳房をさらけ出しました。
はえー……張りのある肌ですねー。綺麗で全然形も崩れていません……秋子さん、本当に一児の母には見えないです。出来ることなら、佐祐理もあんな風に歳を……って、違いますってば!
「秋子さん、なにをするんですか? ……あっ」
もしかして……
佐祐理の辿り着いた答えを見抜いたのか、秋子さんは「正解です」と微笑んで……
さゆりちゃんの口元に胸を持っていき、乳首を含ませました。
「んく……」
あっ……
ちゅっ、ちゅ……
さゆりちゃんは乳首を咥えた途端、ぐずるのを止めて一心不乱に吸い始めました。
「はえぇ……一所懸命におっぱい吸ってますねぇ。どうしてでしょう?」
「お母さん、さゆりちゃん、おっぱいが欲しかったの? お腹はいっぱいのはずだよ〜」
「……って、それより秋子さん、母乳出るんですか?」
三者三様の問いに、またにっこり笑った秋子さん、
「私もさすがに、もう母乳なんて出ませんよ。ただですね、このくらいの赤ちゃんは、母親のおっぱいが恋しいんです。お腹がいっぱいなのにぐずったのは、それが原因ですね。だから、たとえ出なくてもこうしておっぱいを含ませてあげれば、それだけで落ちつくんですよ」
「ふえー……そうなんですかぁ」
「それで、お母さんのおっぱいをあげたんだ〜」
「……なるほど、母親かぁ」
佐祐理達三人は、顔を見合わせて納得し……
……あ。
「ゅ、ゆ……っ、祐一さんっ! なにをじっと秋子さんの胸を見てるんですかっ!?」
「はっ?」
「あ、ああーっ! 祐一のスケベっ! お母さんをいやらしい目でみちゃダメだおーっ!」
「へっ?」
「あら、祐一さんもおっぱいが欲しいんですか?」
「なっ……!? だ、だわああああっ! ち、違う違うぞ佐祐理さんに名雪っ! お、俺は
ただ純粋に母というものに対する畏敬の念を持ってだなっ……!」
「祐一さんっ、いいからあっちを向くんですっ!」
「祐一の馬鹿ーっ! 見るんなら私の胸を見るんだよ〜!」
「のわあああっ!? 錯乱して服を脱ぐな名雪っ! あ、秋子さんも止めてくださいっ!」
「そうですねぇ……祐一さん、名雪のじゃなくて、私のおっぱいを吸ってみますか? でも、先に佐祐理さんの方がいいかしら?」
「ふ、ふえええっ!?」
「だおおおっ!?」
「あ、あ、あきこさぁーーーんっ!」
「くすくすくす……」
ふう……凄い騒動でした。
結局、今日は水瀬家にお泊りという事になっちゃいました。さゆりちゃんに懐かれちゃって、佐祐理はなかなか帰れなくなっちゃいましたので。
仕方ないので、舞に今日は帰れないからごめんねと電話しようとしたら、ちょうど向こうから携帯に連絡が……
『佐祐理……』
「あ、舞っ? ごめんね、佐祐理は……」
『ごめんなさい佐祐理、ちょっと今日は帰れなくなった』
「……はい?」
『今、美汐の家。こんこん「あぅーっ、なによぅ!」さんとうぐうぐ「うぐぅぅ〜! それボクのだよっ!」さんが一緒で……』
「あ、あははーっ……なんとなくわかっちゃったからいいです」
あのやり取りは、電話越しでもはっきり誰のものだかわかりますねー……
『ん……お泊りに巻き込まれた。今日は帰れない……佐祐理、ごめん』
「いいですよ、舞。ちょうど、佐祐理も今夜は帰れそうになかったから」
『……そうなの?』
「ええ。ちょっと色々とあったんですよぉー。佐祐理は秋子さんの所ですから」
『祐一や名雪と一緒?』
「はい、そうですよっ」
『ちょっと羨ましい……今度は私も行く。おやすみ佐祐理』
「あはは……おやすみ舞ー。美汐さん達にもよろしくねーっ」
ふう……無理に帰る必要がなくなりましたね。
どうやら舞は舞で、あゆさん達に捕まってるようですね。真琴さん達が帰って来ないからどうしたのかと思ったら、美汐さんのおうちでお泊り会だった、と。
「倉田先輩、お風呂空きましたよぉ〜」
「はーい。それじゃあ名雪さん、さゆりちゃんをお願いしますねっ」
「わかってまーす」
「名雪、明らかにオーバーワークな気もするが……寝るなよな」
「だいじょぶだよ〜。倉田先輩がお風呂にいってる間くらいは、起きてるもん。ねー、さゆりちゃん」
「だぉー」
「ぐあっ、名雪が感染してる……」
「祐一、酷いよー」
「よー」
「もう手遅れか……済まない、折原さん。俺はあんたの娘さんを守り切れなかったんだ……くうぅっ」
「祐一、勝手な事言わないでよぉ」
「ぉー」
くすくす……姉妹みたいですね。
楽しそうなやりとりを背に、佐祐理はお風呂に向かいました。
ふう……
やっぱりお風呂は気持ちいいですねー。
ゆったりと湯船に浸かって、う〜んと背伸び。一日の疲れなんて吹き飛んじゃいます。
お風呂は命の洗濯だ……って、誰の言葉でしたっけ?
掌でお湯を掬い上げると、腕を伝って透明な雫が次々と流れ落ちてゆきます。上気した肌が、湯気の中に見えつ隠れつ……
……祐一さんも、ここを使ってるんですよねぇ……
ぽんっ。
は、はうぅ。また頭に血が昇りますぅ〜。こ、このままじゃのぼせちゃいますってば、しっかりしてください佐祐理っ。
ぶんぶんと、纏めた髪を左右に揺らして桃色の妄想を打ち消して、懲りない自分に溜息一つ。いつになったら、佐祐理は祐一さんの事を考えても思考暴走しなくなるのでしょう……はふぅ。
全然成長しない自分の心に、あはは……とちょっと虚ろな笑みを洩らしてしまう佐祐理でした。
ほこほこと心地良い暖気を纏ってリビングに戻ると、名雪さんがこっくりこっくりと船を漕ぎかけていました。
「おーい名雪、寝るな。寝るなっつってるに……ったく、結局眠ってるじゃねーか」
「寝てないおー、うつらうつらしてるだけだぉー……くー」
「意味が同じだぞ、おい」
「そんな事ないぉー、たとえ表面的には同じに見えても、別なんだおー……うにゅ」
「お前の場合、激烈に説得力が皆無だ。ほれ、目を覚ませっ」
祐一さんが、名雪さんの肩をがくがくと揺さぶってます。
「う〜……いつもの地震なんだお〜」
「いつものってなんだいつものって」
「いつもはいつもなんだお〜。祐一大震災だぉ〜」
「なんで俺の名前が固有名称かっ!?」
「祐一、危ないお〜」
「……今度は俺がぴんちなのか?」
「そこにいるとけろぴーが潰しちゃうんだお〜。ぼでぃあたっくだお〜」
「なにぃっ!? お、おいこらっ! 寝てないで状況を説明しろ名雪ぃっ!」
なんだか、漫才みたいです。
「祐一さん、さゆりちゃんは預かりますから、祐一さんは名雪さんを部屋に連れていってください」
「え? そりゃありがたいんですけど、いいんですか佐祐理さん?」
「はいっ。というより……名雪さんをこの時間までここに置いておくのは……」
「あー……確かに。仕方ないなこいつは……よっ、と」
「うー、浮いてるよー。気球だおー」
「……おい、俺は乗り物かい」
「わたしは風船でも飛べるおー」
「勝手に浮いてろ。二度と地上に戻るなっ」
ほえー……仲が良いですねーっ、ほとんど掛け合いで言葉が続いてます。
「ったく……寝てても性質が悪いぞ……」
「ほ、本当に寝てるんでしょうか? あはは……」
いまいち確信がないんですけど……名雪さんですから。眠りながらなにをしていようと不思議じゃないのが恐いです。
「じゃ、佐祐理さんちょっとよろしく頼みます」
「はーいっ、いってらっしゃい祐一さんっ」
「おう、行って来ます」
「いってくるお〜」
「……お前は寝てろ」
ひょいと名雪さんを抱き抱えて、祐一さんは二階に行ってしまわれました。……お姫様抱っこ、ちょっと羨ましいですね。
「うー……」
「佐祐理ちゃん?」
気がつくと、さゆりちゃんがぐずり出しています。あら? これはもしかすると……
「……おっぱい、ですか?」
「あー!」
「や、やっぱり……」
ど、どうしましょう……秋子さんは今佐祐理と交替してお風呂ですし、名雪さんは眠っちゃって祐一さんが連れてっちゃいましたし。と、すると……
ぽんっ。
さ、佐祐理が……その……で、ですかぁ!? あうあう……
「むぅー……」
わたわたしつつもさゆりちゃんを見やると、彼女は今にも泣きそうに目に涙をいっぱい溜めて、もの欲しそうにこちらを見上げています。
はうぅ……き、期待されちゃってます、もしかして?
「あ、あのぉ……」
「えぅー……」
「さゆり、ちゃん……?」
「……むー……」
降参です。
目は口ほどに物を言う、です。
きらきら潤んだ赤ちゃんの無言の要求に、佐祐理は……屈しちゃいました。
し、仕方、ないですよね……それに、正直やってみたくもありましたし……
ほんの僅かな躊躇いの後、佐祐理はぷちぷちとお借りしたパジャマのボタンを外していきました。お風呂上りだからか、しっとりとした湿り気を帯びた肌が外気にさらされてゆきます。パジャマの前を開くと、まろやかな膨らみが二つ、さゆりちゃんの眼前に転がり出て……ぱぁっと、さゆりちゃんが笑顔を浮かべます。
「さゆりちゃん、ど、どうぞっ……」
佐祐理は、ブラジャーをつけていませんでした。ふっくらとした双丘の上につんと自己主張する桜色の乳頭を、そっと抱き寄せたさゆりちゃんの口元に近付けて……
ちゅっ……
「んっ……」
さゆりちゃんは、ごく自然におっぱいに吸いつきました。
ちゅっちゅ、ちゅうぅ……
「ふっ、ぅ……あ、はぅんっ……」
ふ、ふえ〜。思ったより、吸いつく力が強いです。なんだか、反応しちゃいますぅっ……
ちゅっちゅぱ、ちゅちゅうぅ……
「んくっ……はぅ、あはぁ……」
や、やだっ。乳首が立って来ちゃいましたよぉっ……んんっ、背中がぴりぴりしますぅ。
「あ、はっ……ふぅ、ん……ひっ、くふ……」
あ……躯の奥が、じゅん、って……
「ふ、くぅ……んん、っは……ひん……っ」
い、いけない。こんな所、誰かに、みられた、ら……
「佐祐理さん?」
「ほえにゃあああああああっ!?」
「どわあっ!?」
後ろから聞こえた声に、佐祐理は不可思議な悲鳴をあげて、びくっと身体を硬直させてしまいました。
「ゆ、ゆ、ゆういちしゃんっ!?」
「え、ええ……どうしたんです佐祐理さん、変な悲鳴あげて……」
「な、なんでもないですっ。あっ、ち、ちょっとこっちに来ないでくださいっ!」
「? なんかあったんですかさゆ、りさ……ん……?」
「ふぇ? あ……」
パジャマ姿。ボタン、全部外しています。下着、つけていません。おっぱい。さゆりちゃん、まだ吸っています。祐一さん。目の前にいます。で、佐祐理は振り向いて祐一さんを制止して……
振り向いて!?
ちらっと視線を下に。剥き出しの胸と、そこに吸いついているのはさゆりちゃん。
視線を上げます。正面に祐一さん。がっちり石のように停止して、その目は佐祐理の胸に釘付け状態。
つまり、祐一さんは佐祐理が振り向いておまけに立ちあがってしまったせいで、真正面から佐祐理の半裸とおっぱいをちゅうちゅう吸っているさゆりちゃんを見てしまったわけで……
…………………………………………………………………………………………………………
「……っき」
「……き?」
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
後で聞いた所、この悲鳴はご近所中に響いたそうです……しゅん。
「ご、ごめんなさい祐一さん……」
「いや、さっきのはどっちかって言うと、俺に非があります……」
ぺこぺこ謝る佐祐理に、そっぽを向いたまま応える祐一さん。……別に、怒って視線を合わせてくれないわけじゃありません。その……まだ、さゆりちゃんがおっぱいを吸っているんです……
祐一さん、時折ちらちらと視線を向けようとして、その度にぶんぶん首を振ってあらぬ方を見つめ直して。そんな事を繰り返しています。
「あ、あの……見たいんですか、祐一さん?」
「ええ、そりゃ……って、なに言わせるんですか佐祐理さん!?」
「いえ、その……なんだか気にしてるみたいですからっ……」
……さ、さっきはいきなりだったから驚いて悲鳴あげちゃったけど……祐一さんなら、その……い、いいですよ?
佐祐理がそう続けると、祐一さん、ぎしっと固まっちゃいました。
「……い、いいのか……? いやしかし、ここでその言葉に激しく頷きたい己を暴露してしまっては、いつぞやの北川のよーに香里に殲滅されてしまう……だ、だが佐祐理さんにここまで言わせておいて否定するというのは、据え膳食わねば男の恥という言葉そのもの。しかも、佐祐理さんのバスト、いやさ半裸とゆー漢の浪漫中の浪漫、逃すにはあまりにも惜しすぎる……ぐおおっ、お、俺はどうすればいいんだっ! 教えろ北川ーっ!!」
……祐一さん、思考が全部口に出てますよぉー。
で、でも、そう思ってくれてるのは……嬉しいかもしれないです。祐一さんが佐祐理にそういう感情を抱いてくれるのは……意識してくださってるんですよね?
くすっ、女の子として、好きな男性に興味を持ってもらえるのは光栄な事です、ええ♪
だから……祐一さん、いじわるかもしれませんけど、もっと悩んでくださいねっ。
しばらくの後。沈黙を交えた祐一さんの苦悩の時間は、バスタオルを巻いただけの秋子さんが唐突に現れて、
「さゆりちゃんも、お風呂が必要でしたね」
と言って、彼女を連れてお風呂に行ってしまうまで続きました。
秋子さん、綺麗な身体してるんですねー……佐祐理も、もっと年を取ってもああいう姿でいられるような、そんな素敵な大人へとなりたいものです。
……でも、祐一さん。見惚れるのはわかりますけど……固まったまま、秋子さんの後ろ姿を凝視し続けるのは……ち、ちょっとえっちですよっ?
それに秋子さん、去り際の、
「しばらくはお風呂に入っていますから、お二人ともごゆっくり」
ってなんですかっ? あっ、謎の微笑み残して行かないでくださいっ。ふ、深い意味とか考えちゃうじゃないですかぁ……ふえぇー……
はぢめてのお泊りへつづく
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