9.
 
  暇だ。宿題はない。読みたい本もない。寝るまでにあと2時間近くある。暇だ。

ついこの前ならこういう時は耕一の部屋に行けばよかった。あそこはいつも襖が開いていた。あたしが通りかかると耕一が声をかけてくれる。

「またトイレか、近いな、梓」  「近いって?」
「トイレばっかり行ってる、ってこと」
「今日はまだ2回目だよ!」
「嘘つけ、俺が知ってるだけでも23回は行ってる」

なんて「でりかしー」のない奴だ。下品だし、何考えてんだコイツは。

からかわれているうちにあたしは耕一の部屋に入り、いろんな話をした。そのうちに初音、楓、千鶴姉とかもやってくる。そしてみんなで遊ぶ。それが夜の過ごし方だった。

耕一の部屋に最初に入るのはたいていあたしだったんだ。

耕一は今頃何をしてるのだろう。マンガでも読んでるのだろうか。あたしの部屋からは「蔵」は見えない。

夏休みが終わる頃、耕一は庭の向こう側にある蔵に目をつけた。
「ねえ母さん、あそこには何があるの?」
叔母さんも知らなかったのだろう、首をかしげただけだ。
「耕ちゃん、あそこには普段要らないものがあるのよ」
耕一に話し掛ける時、千鶴姉が妙に優しそうな顔をするのは気のせいだろうか。
「要らないものってなんなの?千鶴さん」
「雛祭りの人形とかもそうだし、もっと古いものだってあるのよ」
「どれくらい古いの?刀とかあるの?」
耕一の目が輝いてる。
「刀はあったと思うわ。でも本当はなにがあるのかよく知らないの。あそこはこの家でも一番古いから」

昔、お母さんに聞いた事がある。今の家は昔は畑だった。そして前の家はもっと狭く、つぶされて庭になった。でも蔵だけは残っているのだと。

その次の日、あたし達は蔵に入った。昼間なのに薄暗く、一応電気もあるがもの悲しい裸電球だ。ホコリっぽくて空気が悪い。扉を開けるとまず土間で、その向こうは板張りになっている。端のほうに細くて急な階段、はしごの姉さんという方が相応しい、が2階へ続いている。1階の天井にふたがしてあって2階は見えない。1階も板張りの向こうは押し入れの中みたいに二段になって物が置かれている。ああ、あれはさっき言ってた雛祭りセットだ。かなり豪勢なものだ。

お母さんが昔言ってた。「うちは娘が4人もいるから立派なのよ」
千鶴姉が生まれてすぐにおじいさんが買った事を今のあたしは知っている。

その日はすぐに切り上げたのだが耕一は蔵が気に入ったようだ。時々叔母さんに鍵を借りていた。あたしも一緒についていったが面白くはなかった。
 

「あそこを俺の部屋にしたいな」
休みが終わろうとする頃、耕一はそんな事を言い出した。
叔母さんは反対した。
あそこは住みにくいわよ、窓が小さいから暗いし、風は通らないから夏は暑い、壁が薄いから冬は寒い。御飯や風呂やトイレのたびに母屋に帰らなきゃいけない。あなたに電話がかかってきたらどうするの。そもそもあそこは人が住むようにできてないのよ。

耕一はいちいち頷いていたが、「わかった?」 と聞かれるとこう答えた。
「わかったけど・・・なんというか気に入ったんだ。ねえ母さん、ドラえもんはどうして押し入れで暮らしているのかな?」

驚いた事に叔父さんは積極的に賛成したらしい。結局お母さんや叔母さんもそれを認めた。 どのみち修理する必要があったらしい。

9月の終わり頃から改築が始まり、つい先日完成した。見た目だけは古風なドアを開けると六畳ほどの板張りの部屋になった。窓は大きく広げられ明るくなった。向こうの壁にもう一つドアがありそちらが物置になった。直接物置に入れるように裏にも入り口が作られ、2階への階段もそちらの方に付け替えられた。

耕一が「蔵」に移ると前みたいに会わなくなった。耕一があたしの部屋に来る事も、あたしが耕一の部屋に行く事もほとんどなくなった。もちろん御飯の度に顔を合わせるし朝は一緒に登校してはいるけれども。
 

あたし達は学校にむかっている。道幅は狭いのに車がスピードを上げて走り抜ける。耕一のいうままにあたし達は近道をしている。初音は嫌がったが結局耕一の言う通りになる。いつもの事だ。コイツは千鶴姉が一緒だと黙って学校おすすめの通学路で回り道するのだ。その千鶴姉は今日、早くに出かけた。

「楓ちゃん、今日の給食ははカレーなんだ」
楓は無言で頷く。
「楓ちゃんは食べ終わったら普段なにをしてるの?」
耕一に対してやたら甘い千鶴姉。耕一の側にいる事の多いあたしと初音。
その中で楓はなんか不安定だ。

一年ほど前から楓はやたらおとなしく無口になった。話し方まで妙に大人っぽくなった。今年耕一が来るといきなり活発になってあたし達、いや耕一についてきた。かと思うとなんか妙に耕一を避けている事もあるような気がする。

「歯を磨きに行って・・」
「それから?」  そんな楓に耕一は優しい。
「後は別に、友達とおしゃべりしてます」
ひたすら聞き役を勤めてるんじゃなかろうか?
 

あたしは音楽室へ行くのに6年の教室の前を通る。耕一は自分の席で友達とじゃれあっている事が多く、あたしに気づいた事がない。最初は男の子だけだったが、今では女の子が側にいる事も多い。

以前昇降口で耕一と偶然すれ違った。あたしはおもわず顔を伏せた。それでも耕一は軽く手を上げて話し掛けてくる。
「よう、梓。これから体育かよ。お前の唯一の得意科目なんだからせいぜい頑張れよ」
あたしはなにか言い返そうと思ったができなかった。耕一は一瞬足を止めただけでまた友達と階段の方へ歩いていく。
「誰よあれ?」「ん、あたしの従兄。恥ずかしいよ、まったく」
 

家に帰る。耕一はたいてい友達の家に寄る事が多く帰りは遅い。寄り道をしない時も直接「蔵」に入るので、いつ帰ってきたのかわからない。耕一が来る前は姉妹で遊ぶ事も多かったのだが・・今は耕一抜きで遊ぶのが悪いような気がする。

あたしはお茶でも飲もうと台所の方に行った。驚いた事に初音と耕一が叔母さんの手伝いをしていた。
「アンタ!なにやってんの?」
「料理を手伝っている。これからは男子といえども厨房にはいらねばならん」
チューボー?
初音と耕一はたどたどしい手つきでジャガイモをむいている。叔母さんは鍋で肉を炒めている。
「喜べ梓、俺は先ほど我々の運命を救ったのだ」
運命だ?
「大袈裟だよ、お兄ちゃん」
「あのね、梓ちゃん、私が今日の給食を確認してなかったのよ」
「というわけで昼夜連続でカレーを食べるはめになるところだったのだ」
「それでビーフシチューになったんだよ、お姉ちゃん」
そうか、なるほど。
「あたしも手伝うよ」

「それにしても梓は料理のスジがいいのかもしれないな、信じられない事だが」
あわせ物のほうれん草炒めを小皿に移しながら耕一が言う。
「そうだよ、梓お姉ちゃん初めてなのにむき方きれいだったよ」
手伝うとは言ったが何をしていいのかわからない。あたしがほとんどなにもしないままに料理が出来てしまった。邪魔になっただけかな、と正直思ってたのだ。

「そういえば千鶴さんは料理とかしないの?」
瞬間、あたし達は言葉を失う。何も知らない叔母さんと耕一はニコニコしている。
千鶴姉もかっては料理らしきモノを作った事がある。
初めてアレを食べた時あたしは吐いてしまった。二回目はマシだろうと思ったがさらに悪化していた。

(世間様の話では)おしとやかな千鶴姉でさえあのざまなのだ。あたしなんかが手を出したらひどい事になる。そう思って今まで料理はしなかったのだ。
『梓はスジがいい』
よし、あたしは料理を勉強してみよう。

「いえ、私はちょっと料理が苦手なので・・」
千鶴姉がそう言ったのであたしは心の中でため息をついた。
それなのに、それなのに。
「食べてみたいなあ。千鶴さんの料理」
ふと横をみると初音と楓が首を小さく横に振って耕一に合図を送っている。あたしも千鶴姉に見えないように指でバツ印を作る。
マヌケな耕一はあたし達に気づかない。

「そうね。今度機会があったら作ってみるわ」
とりあえずの危機はまのがれたようだが喜んでばかりもいられない。爆弾がセットされたようなものなのだから。

「そうだ。今度の日曜日だけど」
耕一が話題を変えてくれたので助かった。日曜日か、最近耕一と遊んでないからみんなで何処かへ行くのもいいな。
「友達が遊びに来たいって言うんだ。いい?」
「かまわないわよ。ごはん作ったほうがいいかしら」
「別にいいよ、母さん。お菓子とポットがあればいいと思う」
 

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