5.
 
  「まったくうちの和樹は遊んでばっかりでね。何を考えているのかしら」
「私の友達がね、東京に住んでる子なんだけど、別荘買うんですって。贅沢よねえ」
「あの先生ね、どうやら相場に手をだしたそうなのよ」

俺は広い台所のすみにいる。
周りでは母さん、伯母さんをはじめ(近所のだろう)おばさん達が陽気におしゃべりをしながら料理をつくっている。運ぶ時には手伝った。

先程じいさんの妹さんとその息子さんが台所まで挨拶に来た。俺からだと大叔母とその息子さん(なんというんだろう)になる。その二人ともから鬼の匂いがした。しかしそれらは微妙に違う。大叔母の匂いは俺にとってかろうじて感じることのできるかすかなものだ。一方息子さんの方はそれよりは強く匂う。伯母さんと似たような強さの匂いだ。

座敷では通夜が行われている。鶴来屋の創業者の通夜ともなればひっきりなしに弔問の客が訪れる。大叔母のような柏木家の数少ない親族。鶴来屋の幹部やその家族。元従業員。関係企業に同業者。親族でなくても匂いのする人が何人かいた。こんなにいると覚えきれないな。

ところでやはり政治家は目立つ。市議会議員。市長。県議会議員。彼らは皆、私は来てますよ、と宣言するかのような大声で話す。そのうち国会議員まで来た。
「いえ。たまたまこちらに帰っておりましたので。なんといっても耕平先生のおかげで今の私があるといってもいいでしょう」
話を聞いているとその議員の実質的な後援会長はじいさんだったらしい。

彼らは同じようなお悔やみを伯父さんに述べる。おそらく似たように神妙な顔をつくっているのだろう。伯父さんが故人に代わってそのお礼を述べる。

俺は相変わらずあわただしい台所にいる。ここにいても座敷の声が、物音が手に取るようにわかる。これは鬼の力のほんのさわりにすぎない。俺は伯父さんの様子を注意深く探る。 

俺は座敷よりこの台所が好きだ。ここにいる方が落ち着く。礼儀とか作法が世の中で重要だということはもちろんわかっているが、作ったような神妙さはやはり好きになれない。この台所のような自然な明るさこそが故人を送るのに相応しいのではないだろうか。

聴覚だけは座敷に残しておこう。ここで耳にしたことは将来なにかの役に立つだろう。

聴覚、ちょうかく。こんな言葉は今朝までの俺は使わなかった。当然次郎衛門としての俺も知らない言葉だ。うーん。使わないにしろ言葉は俺の記憶に刷り込まれていたということなのだろうか。

昨夜俺達が寝た部屋では現在、弔問を終えた客が酒を飲み、料理を食べ、雑談を交わしている。俺の親父もここで客の相手をしている。

寝る部屋のなくなった俺に千鶴さんが声をかけてくれた。
「耕ちゃん。今日は私の部屋で寝ない?」
「えっ、でも」  おいおいそれはちょっとまずいだろう。今の俺には中年の感覚が混じっている。体のほうだって12歳にもなれば、ねえ。
「耕ちゃんは私達の部屋をつかってちょうだい」戸惑っている俺をみて、伯母さんがそう言ってくれる。俺は千鶴さんに手伝ってもらって伯母さん達の部屋に布団をひいた。

しかし俺は眠くないから、とい言ってまた台所に戻ることにした。
そしてまた母さん達を手伝う。

まだまだ宵のうちだというのに従姉妹達は皆それぞれの部屋に戻ってしまった。昼間泣きじゃくっていた梓以下はもう寝てしまっただろう。千鶴さんの姿もあれからみえない。

おばさん達が働く中で、子供が一人。正直ういているようだ。母さんや伯母さんの心配そうな視線もそろそろ気になってきた。
 

昼間俺は息をきらしながら屋敷に飛び込んだ。じいさんが恐らく助からないだろうことはわかっていた。俺には命が散っていくのがわかったからだ。それでもできるだけのことはしておきたかった。
「おじいさんが苦しんで倒れたんだ」
俺は事実の半分だけを伝えた。自分が泣いているのがわかった。
母さん達はじいさんの倒れた場所などを俺から聞き出した。
そして119番や鶴来屋に電話をかけると俺と一緒に走り出した。

じいさんは助からなかった。
 

俺はじいさんは幸福な一生だったと思う。
鶴来屋という化け物を育て上げ、地方とはいえ政財界で権力を振るった。
ちなみにその遺言を受け継ぐ孫までいる。

母さんは俺の心が普通じゃないのに気づいている。
でもそれがじいさんの死に接したからだと思っている。
その視線を気にしながら、俺は台所を離れ親父のいる部屋に向かうために縁側に出た。

丸い月が東の空に浮かんでいる。
 

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