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柏木耕一が米原の駅を降りたのは十月、金曜日の夕方だった。日曜日に祝日が重なって出来た三連休を隆山で過ごすための途上である。午前中にどうしても外せないゼミがあったので、この時間になってしまった。ここで在来線に乗り換える必要がある。

先週、耕一は隆山の従姉妹達に手紙を出した。年賀状すら書かない耕一にとって、久しぶりに書いた手紙だった。本来なら電話のほうが連絡手段としてはいいのかもしれないが、こういうときは手紙のほうが風情が在るような気がしたのだ。

しかし、いざなにか書こうとした時には、ほとんど何も思いつかなかった。今度の連休に遊びに行っていいか、ということ。いろいろと話したいことがあるということ、用件だけをシャーペンで書き殴っただけの手紙を出した。

五日後に返事が来た。私達皆お待ちしてます。ボールペンで達筆に返事が記されている。その後違う字で、待ってるよ、待ってます。待ってるね、と記されていた。

特急列車は快調に夜の北陸路を走る。できればもっと早い時間に来て、車窓を楽しみたかった。東京から隆山へむかう道はいくつかあるが、今回耕一がこのルートを選んだのは感傷だと自分で思っている。昔、両親と一緒にこの特急に乗ったことがある。もちろんもっと早い時間だったから、初めて見る風景を見てはしゃいでいたのだ。

あれはほんの数日前の出来事のようにも、また別の世界の物語のような気もする。

金沢で今度は急行列車に乗り換えた時には八時を回っていた。この列車は隆山行きなので、もうゆっくり安心していられる。耕一は隆山につくまでは何も食べないつもりだったが、さすがに空腹が我慢できなくなってきた。許せ梓。耕一は足元の女物の傘に謝った。以前駅舎で交換したものだ。耕一は東京で買った菓子を今頃になって開いた。 列車が駅でないところで止まると、耕一は不安になる。ほとんどはただの信号待ちだったりするのだが、今回だけはその悪い予感が当たったようだ。動かない列車に車掌のアナウンスが流れる。少し前の踏み切りで人身事故が発生、現在その処理のためにしばらく停車する。他の旅客達と同じように耕一はため息をついた。ただでさえ夜遅くに到着する列車なのに。

家に電話しようかとも考えたがその手段がない。しかしよく考えてみると、従姉の千鶴は旅館の経営者である。隆山行きの急行列車の遅れを真っ先に耳にする人間のはずだ。そう考えると耕一は少し気が楽になったが、それでも時間が無駄になるのはむかつく。

このまま時間がとられてしまったら、特に末の初音は寝てしまうかもしれない。

耕一は一眠りしようと思ったが、こういう時に限って眠れない。たっぷり二時間近くも停車し、再び列車が動き始めた時、車内に力無い歓声とため息が満ちた。

隆山の駅を降りた時、既に日付が変わっていた。鶴来屋や他の旅館の人がそれぞれの予約客に呼びかけたり、今日の宿を捜す人たちの応対をしている。終バスはもう出てしまったのだろう。それぞれの旅館のマイクロバス以外のバスは見えない。

タクシー乗り場では早くも長い列が出来ていた。
歩いて帰ろう、耕一はそう思った。駅から電話をしようと思ったが、ここで声を聞いてしまうのはもったいないような気がしたのでやめた。

耕一には従姉妹達に伝えなければいけない過去がいっぱいある。でも話したいことはむしろこれからのことだった。これからどうするか。それについていくらでも話したかった。

耕一はかって自分も住んでいた家の前に来た。

前にこの家の前を通った時固く閉ざされていた門は大きく開かれていて、明明とした門灯に照らされていた。門の前に立ち家の中を覗くと、玄関はもちろん庭でも灯りがともされている。

家全体が耕一の帰りを歓迎してくれている。

耕一は玄関へと足を進めた。見ると玄関の中までが暖かい光で満たされている。

耕一は玄関の戸の前に立った。
そしてかって父、賢治がこの戸を開けた時のことを思い出した。
そうだ俺は”ただいま”ってあいさつしよう。
大きくもなく、小さくもなく、普通の声で。 今、耕一がゆっくりと戸を滑らせる。  
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第32話