3.
 
 

照り付ける太陽、やかましいぐらいのセミの声。まさに夏本番だ。
幾度と無く繰り返される眩しい季節。しかし私にはこれが最後かもしれない。

人気の無い坂道を私は登る。杖はまだ使わない。
「八十近い人とは思えない健脚ですね」とはよく言われるおべっかの一つだ。
おそらくは鬼の力の影響だろうが、そう言われて悪い気はしない。
 
後ろから耕一が無言でついてくる。
家を出てからほとんど何もしゃべっていない。この孫が生まれた時、私は東京の病院に会いに行き、名付け親になった。しかしその次に会ったのは、あれから十年以上たったつい去年のことなのだ。だから何を話していいのかわからない。
毎日一緒に生活している千鶴、あの子と話すことさえ苦手なのに。
 

「お父さんはおそらく後3年程の命です。あの年齢ですから下手に手術などはしない方がいいと私は思います」  息子に話す原田先生の映像。

あれは高志の夢だ。それを私も見たのだ。高志は安堵の表情を浮かべている。
あの表情だけが現実の繰り返しではないのだろう。

高志が鬼に目覚めたのは18の時だ。これは私に責任がある。
22の時に鬼をなんなく押え込んだ私は、この偉大な血のなせる業を息子にも早く与えてやりたかったのだ。暴れ狂う野獣を必死で押さえる私。泣きじゃくる妻。呆然と兄を見つめる賢治。

あれから30年高志は血と戦い続けている。よくやっている、本当によく頑張っていると思う。相手がまさか半獣だとも知らず、だまされたも同然で嫁いできた嫁にも頭が下がる。あの二人は荒れ狂う嵐を二人の中だけに押さえ続けてきたのだ。
もちろん私もできるだけのことはしたが、それでもあの二人の努力には遠く及ばない。

2年前に見た映像の高志のあの表情。あれはおそらくあと3年なら耐えることが
できる、父である私に先立たずにすむ、という安堵なのだろう。

数ヶ月前に孫娘の千鶴の態度が急におかしくなった。しばらくして嫁が泣き崩れる千鶴をなだめているのを見た。限界が近づいて来ている。現実は予想よりもはるかに 残酷に忍び寄ってくる。
 

「おじいさんどこへ行くの?」
不意に耕一が話しかけてくる。私は考え事ばかりですっかり耕一の相手をするのを忘れていた。
「ずっと歩くと古くからあるお寺があるのだ。そこには私たちのご先祖様が眠っている。去年お前も行っただろう」
「去年は車で行ったからこの道は初めてなんだ」
 

柏木家の祖は次郎衛門という漂泊の野武士だ。かれの旅の終着地がここ隆山だ。彼は小大名の天城家からこの地を与えられ、鬼の娘と縁を結び子孫を残した。関ヶ原の合戦の後、天城家は徳川に取り潰された。しかし新たな領主は柏木家を士籍から外しはしたものの、豪農としてこの地に留め置くことにした。

それが単なる土地への懐柔策なのか、それとも鬼の力を恐れてのことなのかはわからない。後に天領になると柏木家は半ば領主のようにこの地に根を張り続けてきたのだ。 私も若い頃は家族の農業を手伝った。23歳の時父が狂死したため長男の私が家を継いだ。2年後に私は周囲の反対を押しきり土地を次々に売りその金で旅館を買収、改築し、鶴来屋の看板を上げたのだ。

現在でいう従業員教育マニュアル、および積極的な宣伝活動等によってそれなりの成果を上げることができた。当時は地元の人しか知らなかった隆山温泉を全国の人々によく知られるようにできた。しかし、これは言い訳だが、なんといっても時代が悪すぎた。私自身も幼い高志を妻に頼み、従軍しなければならなかったのだ。
鶴来屋が大きくはばたくのは戦後になってからだ。

この小山の頂の近くに次郎衛門とその妻達の墓である岩が無雑作に並んでいる。そして下には墓場が広がっており、その入り口に寺の本体がある。柏木家の墓は次郎衛門の墓のすぐ下にある。そのため墓参りには随分登らなければならない。

だからここでは杖が必要だ。耕一は片手に水の入ったバケツをぶら下げている。
横目で見ているともう片方の手を私に貸そうかどうかためらっているようだ。
喜寿を迎えてなお孫に手を貸されて怒る奴などおるまい。
しばらくすると耕一がおずおずと手を出してくる。私はそれにつかまる。
耕一の手は見かけよりも強い力で私の手を握る。この子もじきに中学生なのだ。
私は微笑む。耕一も笑う。木陰がなくなり厳しい日差しが浴びせ掛けられる。

耕一が私と並んで手を合わせる。盆にはまだ半月程あるが既に花が供えられている墓も少なくない。せめて線香ぐらいもってくればよかったな。
もうすぐそっちへ行くことになりそうだ。私は妻の墓に心の中で話し掛ける。
まだまだやりたいことがあるが、まあしかたがないだろう。

鶴来屋が順調に成長を続ける中で妻は逝った。高志の発病。それを隠して見合いをさせる私。
「それって結婚サギじゃないの」と妻は叫んでいた。
賢治は東京に行って連絡が疎くなる。私はヒステリックな妻が鬱陶しかった。
そんな私が妾に子供を孕ませ、そして彼女が私のもとを離れたことさえも妻は知っていたかもしれない。 
 
「もう少し行くと次郎衛門というい人の墓がある」
「どういう人なの?」
耕一の声が弾む。それが心からのものではなく、私との雰囲気を大切にしたいがためであることが読み取れてしまう。
「私たちのご先祖様だよ。山の向こう側には神社がある。去年お前が来た時に、ちょうど祭りがあっただろう、あの神社だ」

もともとはこちらの寺の中の社で次郎衛門を祭っていた。寺で鬼を祭るのは無理があったのだろう、やがて独立し山の表側に移転しそれが大きくなったような形だ。毎年盛大な祭り(私もそれに一枚かんでいる)が行われるのは神社だ。しかし次郎衛門の遺品(の一部)は観光客がこないこの寺にあるし、その墓を訪れる者はめったにいない。

私達は草を踏んで次郎衛門の墓のところまでやってきた。木々に囲まれた小さな
広場。手入れもいいかげんで草が生い茂っている。
耕一はやぶ蚊が気になってしかたがないようだ。 
中央に次郎衛門の墓である大きな岩があり、その両側に2人の女性のための小さな岩。三つの岩が仲良く並んでいる。片隅に古ぼけた立て札があるがもう読めない。
私達はここでも手を合わせる。彼らの眠りが安らかであるように。

「次郎衛門と言う人は500年も前の人で鬼退治で有名な人だ」
「どうして有名な人のお墓がこんなに荒れてるの」
それは私も考えたことがなかった。
「彼はあんまり多くの人に会うのを嫌がる人なんだ」
嘘をつけ。彼を商売に利用しているのは私自身ではないか。私は懐中時計を見る。
「昼までには帰った方がいいだろう。帰り道に次郎衛門の話をきかせよう」
 
 
 
 
(注1)『高志が鬼に目覚めたのは18の時だ。』
「痕」に、おじさまはお父様と違って鬼の進行がゆっくりでした云々、ってありましたね。つっこまんといたってぇ。
 

(注2)『毎年盛大な祭り(私もそれに一枚かんでいる)』
『彼を商売に利用しているのは私自身ではないか』
耕平が観光客集めのために次郎衛門を利用し祭りをしくんでるというのは 
沢村 奈唯美さんの「真昼の光は嘘をつく」  のパクリです。
他のところでもバンバン影響うけてそうだ。

また

『中央に次郎衛門の墓である大きな岩があり、その両側に2人の女性のための小さな岩が仲良く並んでいる。』
次郎衛門の墓がでかい岩でリネットの小さな岩も隣にあるというのは
夏木  蒼太郎さんのホームページ  http://www.coara.or.jp/~wizard/   で連載されている
蒼太郎さんの「Another story of SIZUKU『雫』    Story.1『絆〜きずな〜』 」
のパクリです。(ちょびっと違うけど)
このページはパクリ多いなあ。反省。

この両者意外にもいろんな人から影響受けてます。でもみなさん文章うまいなあ。私は根本的に軽めの文がかけないっす。笑わせるなんて不可能だぁ。それどころか自分で「この文、説明的すぎる、わかりにくい」と思っても上手く直せない・・・
 

(注3)酒呑童子などの鬼伝説で有名な京都府大江町では1980年代から、鬼伝説をテーマにしたまちづくりを始めている。88年からはイベントを開催したり博物館を開館したりと知名度を高めた。

88年の観光客数は19万人、観光消費額は1.3億円であったが、91年にはそれぞれ25万人、1.9億円になり、観光面に限れば「鬼」によるソフト戦略は成功したといえる。もっとも温泉などのハード面の観光資源が充実した「隆山」で同様の効果があるかはわからない。架空やしね。

   (参考)京都府農業会議  『鬼伝説から地域産業おこしへ』 1996
 

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