夕食が終わるとあたし達はそれぞれの食器を流しに運ぶ。その後もう一度お茶で一服するのが我が家の流儀だ。その一服している時に耕一があたしに封筒を渡した。
真っ白な角封筒だ。
「なによこれ」
見ると宛て名は「大塚幸江様」とある。あたしと同じ1−Aの娘であたし同様にかわいいと評判の娘だ。あたしからみれば彼女のぶりっこなところは鼻につく。
隣から覗き込んでいた楓も不思議そうな顔をしている。これはもしかして・・・
「裏も見るように」
耕一が促すのであたしは封筒をめくった。
左角に小さく「福島和樹」とある。
こちらの名前にも聞き覚えがある。この近所に住む耕一の悪友の一人で「蔵」にもたびたび出入りしているメンバーの一人だ。
「なんなのこれ?」
想像はついたけど一応聞いてみる。
「和樹がその娘を見初めたらしい」
妙に古風な言い方をする。
「奴はその娘が梓と同じクラスだというのを知って俺に仲立ちの仲立ちを頼んだのだ。
俺はこういうボランティアは好きじゃないから期待するな、と言いながらもいちおー引き受けた。
梓が汚さないように夕飯が終わるまではおれが預かっていたのだ、感謝しろよ」
「なんであたしがあの娘に渡さなきゃいけないのよ」
小学校が違うからあまり付き合いがないし、どうも苦手なタイプなのだ。
「ダメ?梓が嫌がるのもよくわかるけど」
耕一がちょっと残念そうな声を出す。
あたしから封筒を受け取った楓が初音と物珍しそうな顔で裏返したり天井の灯りに透かしたりしている。
「まあな。他人の色恋沙汰に首を突っ込んでもろくなことはないからな。
しょうがないから和樹に突っ返してくる」
そんなふうに言われるとなんとか力になってあげたいと思ってしまうのがあたしの甘いところだ。
「うーん。一応明日機会をうかがってみて踏ん切りつかなかったら返すわ。それでいい?」
あたしがそういうと耕一は喜んでくれた。
「うん。頼むわ。ところで初音ちゃん、この前言ってたCD借りてきたよ」
国語の時間に千鶴姉があたしに説教をする。
「梓、あなたは皇族としての自覚が足りないと思うの」
あたしは頭を掻きながら答える。クラスメートの視線が痛い。
「そうかな〜。まあいろんなタイプでヴァリエーションに富んだ方がいいんじゃないかな」
横から大塚幸江があたしに話し掛けてくる。
「あら、柏木さんのお兄さんですか?いつも妹さんにお世話になってます」
だれが世話をしたのだ。
「違う! さっきから弟だっていってるだろ、”おとうと”」
千鶴姉改め耕一は叫ぶやいなや縁側を駆け出す。
このままではあたしまでヨークに乗り遅れてしまう。あたしも急いでかばんに教科書を詰める。
頼まれ事は早めに済ませてしまいたいのだがなかなか機会がない。彼女はお手洗いにも友達と一緒に行くのだ。ライオンのようにそっと機会を待つあたし。
チャンスは5限の休み時間に巡ってきた。彼女が廊下に出たところを後ろから呼び止める。
「大塚さん、あのね」
ほとんど話したことのないあたしが話し掛けたのに満面の笑みを浮かべる彼女。
「あのね、あたしの兄貴の友達に頼まれたのだけど」
彼女と深い付き合いをすることになるとは思えない。従兄だなんだというと話が”柏木さんちの家庭事情”になりかねないので兄ということにした。
「これを読んで欲しいんだ」
「あら、ありがとう」
彼女はそう言って受け取った。あたしにまた笑みをむけて歩き出す。コイツ場慣れしてるな。
あたしは困難な仕事を終えてため息をひとつついた。
依頼をこなした旨をクライアントに報告する。
「おう、ありがと。これで借りてたCDをもらえることになった」
耕一はそんなふうに喜んでいた。
それからしばらくして、そろそろ夏休みが頭をよぎり始めた頃。
あたしは大塚さんに話し掛けられた。
「あのね梓ちゃん」
もう”梓ちゃん”ですかあたしは。
「福島センパイにあれからまたしつこく迫られているのよ」
そう言いながらも顔は楽しそうに笑っている。
「一緒にピクニックにいかないか、とかね」
それはよぅござんした。で、あたしになんなのだ。
「でもあたし達はまだ中学生になったばかりだし、二人だけでどこかへ行く、というのもまだ早いと思わない?」
あたしはそう思うけどアンタは思ってないでしょ。
そこまでタメライがちに言っていたがいきなり声が甘くなる。
「だからぁ、ダブルデートだったらいいです、って言ったの」
だんだん悪い予感がしてくる
「だからお願いっ。梓ちゃん、ねっ」
「あなたいっぱい友達いるじゃない。あの子達に頼みなさいよ」
あたしは即座に言い返した。
「だぁってぇあの子達はまだそういう事に興味のかけらもなさそうだし・・」
あたしもこの件に関しては無関係とは言えない。
「だから、ねっ、ねっ。形だけでいいから、ねっ。なんならそのお兄さんでもいいから。お願い、ねっ」
結局あたしは耕一にこの話を持っていくことにしたが、耕一が嫌がることはわかっていた。
久しぶりに「蔵」に行きドアを叩いた。相変わらず鍵はしっかりと閉じられている。
しばらくすると耕一が中に招き入れてくれる。
耕一はしばらく考えた末に口を開いた。
「承知した、と言っとけ」
あたしは思わず耕一が入れてくれたコーヒーを吹き出しかけた。
「いいのアンタ!その、あの」
”あたしと一緒で”と言う言葉をなんとか飲み込む。
「言うだけだ。行かない」
えっ?えっ?
「何考えてんのよ! 約束をすっぽかすなんて」
耕一はしょうがない奴だなぁ、と言う目であたしを見る。気にくわない。
「あのなぁ、奴等は本心では二人だけで行きたいのだよ。いきなりそういう話になるのは抵抗があるから、ダブルデートがどうのと言い出したわけだ。わかるな」
あっ、うん、そうかな。
「だから我々のやるべきことはだな、『楽しみだね』とか言っておきながら、当日のぎりぎりに和樹んとこに『ごめん今日家の用事ができて・・・あの子にも謝っといて。悪かったな、俺達の分も楽しんできてくれよ』とか電話すればそれで100点満点なのだよ、わかる?」
そうかな、なにか違うような気もするが。
「そんな計画を、その”彼”と一緒にたてたの、ねえ?」
「和樹は知らないよ、あいつもドタキャンの被害者になった方が気が楽だろう.。少なくとも話題が一つできるしな。これにて一件落着にございます」
まさかこんなあざといプロデューサーがバックにいるとは思いもよらなかった。あたしは初めて大塚さんに同情した。
次の日、あたしは大塚さんに”兄貴が嫌がってるから”と言ってこの話を断った。
「おいおい、今日、和樹に話が食い違ってるぞ、ってねじ込まれてしまったじゃないか」
こういう話を皆がそろった夕食の時にしてほしくなかった。
「どうなってるんだ?」
「だって、なにか大塚さんに悪いじゃない、だますみたいで」
事実騙しているのだ。
話が見えない家族がいぶかしげにあたし達を見ている。
「ねえ、何の話なの?」
初音があたし達にたずねる。耕一はかくかくしかじかと無神経にも詳しい経過を語り始めた。
「それは梓ちゃんの方が正しいと思うわ」
叔母さんの言葉に姉妹達も頷いている。
「そうかな。この場合約束を守るのが第一だとは思わないんだけど」
耕一は皆の反対意見にも動じる様子がない。
「おかげで今度の日曜、梓と出かけるハメになってしまった」
ええっ。耕一以外の全員が驚いた。
「あそこの水族館だと。9時半に和樹が迎えにくるとさ」
(注1)この話長くなりそうなのでここでいったん切ります。次も梓一人称で行きますのでよろしく。
(注2)本当は前回書くべきだったのだけど、この話では”耕一と千鶴は3学年離れてる説”を採用しています。(実は4学年説もある)
出会った頃
「痕」開始時
千鶴 中2
去年国立大学を卒業(社2)
耕一 小5
(コイツは大学2年? 3年?)
初音 小学生になったばかり(小1)
高1
ブラウザによってはちゃんと表にならないです。ごめんなさい。