見届ける者達(後編)  カワウソ


 そして、更にその翌日の放課後。
 直樹と保奈美の姿は理事長室にあった。
「保奈美から話は聞きました」
 玲ら三人を前にして、しかめ面。というよりは無表情といったほうがいいような表情で直樹が口を開く。
「自分の気持ちは保奈美の言ったとおりです。怒るような事ではないですが、いうなら直接言って欲しかったですね」
 淡々と言葉をつなぐ直樹。
 怒っていないと言ってはいるが、その抑揚のなさが却って怖い。そう、直樹に対する三人――当然の事であるが、玲、恭子、結のことである――は思いながら もただ黙って直樹の言う事を聞いていた。
「――ただまぁ、玲先生と恭子先生はわかっているようなので、結先生」
「は、はははははいっ!!」
「罰を受けてもらいます。保奈美、あれ出してくれ」
 指名に動揺しまくる結に構わずに、保奈美に指示を出す直樹。
「え、ええと……ふう、すいません。カップとソーサーを貸していただけますか? あ、それとティッシュも」
 指示をされた保奈美は困ったように直樹の顔を伺うが、直樹が大仰に頷くのを見て、溜息をつきながら備品の使用の許可を求める。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 そして、用意されたカップに持参した魔法瓶から液体を注ぐ。
 カップの半分にも満たないくらいに注がれたそれは、褐色というよりは黒色であり、あたりに特徴的な香りが立ち込める。
「これは……?」
「エスプレッソです。結先生にはこれをそのまま飲んでもらいます」
 周囲に張りつめていた緊張感が轟音を伴いながら崩れ落ちた。


「あはははははははははっ!! 何かたくらんでいると思ったら、久住ナイス!!」
 机を手のひらで連打しながら大笑いする恭子。
 どうやら、直樹の仕掛けは完全にツボにはまったようである。
「久住君!! 確かに私はコーヒーをブラックでは飲めませんけど……」
「久住君。これが罰ということでよろしいのですか?」
 からかわれていると思い顔を真っ赤にして直樹に食ってかかる結。
 しかし、玲はそれを押し留め、あくまで冷静に直樹に尋ねる。
「そのとおりです。噴出さずに最後まで飲み干してください」
 玲に負けず劣らず真顔で答える直樹。
 その答えに一つ頷くと、玲は立ち上がり、カップをニセット持ち出してきた。
「そういうことでしたら、私達もお付き合いさせていただきましょう。仁科先生もいいですね?」
「はいはい。ま、それくらいはね。藤枝、私達にも頂戴」
「……はい」
 お願いしますと差し出されたカップに、また溜息をついてエスプレッソを注ぐ保奈美。
 三人に行き渡ったところで、玲が代表して音頭を取った。
「では、いただきます」
「はーい、いただきます」
「……いただきます」
 軽やかに同調する恭子と、対照的に納得のいっていない結も、玲に合わせてカップに口をつけ、
「けほっ」
「ぶっ、なにこれ!!」
「げほっ、げほげほげほげほ」
 一斉にむせ返った。
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないわよ!! 久住。あんたなに入れたの!!」
 思わず立ち上がった保奈美を手で制し、直樹に掴みかからんばかりの勢いで噛み付く恭子。
「コーヒー豆と一緒にタカノツメを少々混ぜて挽いた粉を使いました」
 目じりの釣りあがった恭子をものともせず、しれっと答える直樹。
 全く悪びれた様子のない直樹に、恭子の眉毛がさらに急角度に立ち上がった。
「ずいぶんとやってくれるじゃない」
「あちらの二人は、そう思ってはいないようですが?」
 思わず怒鳴りつけようとした恭子だが、直樹の示す方向を見て気勢を削がれる。
「……これは、厳しいですね」
「最初は苦くて、後からどんどん辛くなります〜」
 むせそうになりながら、なんとか飲みつづける玲と、無理やり一息に飲んだのか、涙目になってテーブルに突っ伏す結の姿があった。
「まぁ、恭子先生が無理に飲む必要ないんですけど」
「うるさいわね。これくらいなんでもないわよ」
 悪戯としか思えない罰に、真面目に付き合っている同僚二人に覚悟を決めたのか、直樹の制止を振り切って恭子は一息にカップを空ける。
「見、見なさい。これしきで……ふ、藤枝。水。お水ちょーだい!!」
「わ、私もお願いします」
「は、はい。どうぞ!!」
 最初はまだいいものの、どんどん口が、喉が、胃が焼けてきてたまらず水を流し込む。
「わ、結先生。水、水飲んで!!」
 何とか要求できる恭子や玲はまだいいとして、突っ伏したまま声も出せない結。
 保奈美や直樹も水を渡したり、背中をさすったりとおおわらわとなり、よくわからない阿鼻叫喚はしばらく続いた。


「落ち着きましたか?」
「……ええ」
「……なんとか、ね」
「おかげさまで……」
 全員がどうにか落ち着きを取り戻し、五人は改めてソファーに座りなおす。
 今度は備え付けのコーヒーサーバーで入れたコーヒーが配られ、直樹はそれを一口すすっる。
 当然ながら、手をつけようとしない三人に眼を向け、直樹は口を開いた。
「というわけで、罰は受けてもらいました。これからも気にするというなら、また馬鹿馬鹿しいものに付き合ってもらいますので」
 そこのところ、よろしく。と直樹は大真面目に語る。
 自分が科した罰を『馬鹿馬鹿しい』と切って捨てる直樹に、三人は顔を見合わせる。
 きつい事はきつかったものの、今回の『罰』は罰ゲームとも言うべき悪戯レベルである。
 そして、直樹にとって
五年前彼と彼の家族に降りかかった不幸は、 『もう済んでしまったこと』である以上、今回の『罰』は済んでしまっ た事を、蒸し返したことに対してのものである。という意味合いが強い事になる。
 わが身に降りかかった不運を自ら茶化す以上、玲達が踏み込む必要はない。そう直樹は言っているのだった。
「ええ。骨身にしみて理解いたしました。野乃原先生もいいですね?」
「……はい。久住君。いろいろお手数をおかけして申し訳ありませんでした」
 ここで蒸し返せば、直樹はまた、『馬鹿馬鹿しい罰』を科してくる。
 そのような哀しい道化をさせないためにも、自らを強く保たなければならないと結も覚悟を決めた。
「わかっていただけて何よりです。では」
 部活がありますので失礼します。と保奈美を促して席を立つ直樹。
 そのまま理事長室を出ていこうとした直樹だが、ふと振り返って結に声をかける。
「結先生。今度、また流星の観測会を行おうって話になっているので、早めに天文部席に来るようにお願いします」
「え? あ、はい!! すぐに行きます!!」
 いま鳴いたカラスがなんとやら。天文部が活動すると聞いて元気になった結に笑いかけると、今度こそ直樹は保奈美を連れて理事長室を後にした。


「……しっかし、やられたわね」
 ドアが閉まった後、ぐてーとソファーで伸びる恭子。
 今度は覚えてなさいと妙に物騒なつぶやきをもらすと、やおら玲に向き直った。
「で、どうするの? 直接なんかするわけには行かないけど、借り作りっぱなしなんて気分悪いわよ」
 そう尋ねる恭子に同調するように、結も俯きがちに玲をうかがう。
 直樹の手前、納得したかのように振舞ったが、結局直樹におんぶに抱っこのまま有耶無耶にされたも同然である。
 直接的な償いは最早出来ないとはいえ、このまま何もしないというのはあまりに直樹に甘えすぎといえた。
「そうですね。久住君の意思を尊重して、過去より未来のことを考えるべきだと思います」
「未来。ですか?」
「ええ。いずれ気づかれる事ですが、百年後の未来というのはそんなに遠くありません。マルバスの感染・発症に久住君たちが立ち会う可能性もあるくらいの先 の話です。ですから、このままこちらに留まり、感染者が出てもマルバスワクチンをいつても投与できるように待機するようにしようかと」
 その監視要員をお二人に依頼したいのですが。と提案する玲に、結が心配そうに尋ねる。
「でもぉ、いいんですか? そんなことをしたら未来が変わって……」
「結果、マルバスワクチンが否定されかねないわよ」
 結の後を受け、恭子が続ける。
 過去に遡り、原因を消去するとする。
 すると、過去に遡る理由がなくなってしまい、過去に遡る行為が消えてしまう。
 そうなると、原因が消されず、そのために過去に遡るという堂々巡り――俗に言うタイムパラドクス――が発生してしまう。
 オペレーション・サンクチュアリ発足当初から懸念されていた事であった。
「そのことですが、今までの調査の結果、ここは直接的な過去ではないようなのです」
「……どういうこと?」
 結と恭子の懸念に対し、少し困ったような顔で玲が切り出す。
 オペレーション・サンクチュアリにおいて、過去への移住も考えていたのであるが、そうなった時に親や祖が自分自身といった堂々巡りを避けるために、接触 する双方の人間の家系を調査もしていたのである。
 ところが、未来からの移住が増えるにつれ、家系の記録が一致しないケースが増えて行ったというのだ。
 さらに、未来に残っていた記録とも一致しない事象が増えており、最早同じ未来をたどるのかわからなくなってしまったのだということであった。
「あのねぇ、そういう大事な事は早く言いなさいよッ!!」
「申し訳ありません。お二人にこれ以上の負担をかけるのはどうかと思いまして……」
 世界が変わってしまったかもしれないという重大事に顔色を変える恭子。
 それに対して玲は、マルバスワクチンの完成が最優先だったとその理由を語った。
「でもぉ、私達は消えていませんよ。もしかして、パラレルワールドになってしまったのでは?」
「それもわかりません。ですから、私達にはこの時代の行く末を見届ける義務があることになります」
 時空を外から見る事が出来ない以上、そのままとも行きませんと結論付ける玲。
「ふうん、ま、わたしは戻る気なんてなかったからいいけどね」
「私も残ります。こちらの世界も大切ですから」
 二人の了解を得た玲は一つ頷くと、背筋を伸ばし、静かに宣言した。
「この世界の行く末を見届ける任をお二人にお任せします。また、この任務にあたって、マルバスワクチンの投与を決定する権限をあたえ、プロジェクト名をオ ペレーション・アルカディアとします」
 理想郷。
 マルバスに冒され、荒廃した未来からみれば、この世界は確かに理想郷である。
 その理想郷を見届け、マルバスからの守り手となる。それが、これからの二人のなすべき事と決まった瞬間であった。
「了解」
「拝命いたします」
「任務の受領を確認しました。それと、オペレーション・サンクチュアリですが――」


「あ、また見えた」
「これで……50個目。結構多いな」
「あ、また。今度は明るいね。なおくん」
 十二月も半ばの深夜。蓮実台学園屋上。
 天文部プラスそのゲスト達は思い思いの防寒具に身を包み、流星群の観測会を行っていた。
「……熱いな」
「御暑いですねぇ〜」
 ほほえましいというよりは、いささかげんなりといった風の弘司と美琴。
 それもそのはず。直樹と保奈美はできる限り体を寄せ合い、完全に影を一つにして夜空を見上げているのである。
 しかも、マフラーは一本だったり、手は握り合っていたりとさらに密着度を高めている。
 一人身には目の毒でしかない。バカップルぶりであった。
「確かに。ちょっと目を離すとずっとあれだものねぇ」
「まぁまぁ、仲のよい事はいい事ですよ」
 呆れたように二人に同調する恭子に、それらをとりなす結。
 そういう面々も基本的に空を見上げ、観測できた時間、個数、角度などをレコーダーに記録していく。
 観測会は順調なようであった。
「それにしても、仁科子先生までどういう風の吹き回しです?」
「べつにいいじゃない。私も星を見たくなったのよ」
「そうなんですよ。仁科先生も興味をもたれまして……」
 冬の寒空に出てくるキャラでもないでしょうと突っ込んでくる弘司をいなしながら、
結と恭子は我 関せずとばかりに二人の世界に入っている直樹と保奈美を覗き見る。
「先は長いけど、心配要らないわよね」
「ええ、二人ともとっても幸せそうです」
「59、60、61、62……」
「わ、なおくん凄い」
 地上よりも強い木枯らしの中。どうみても周囲より温度の高いあたりを見ながら、二人は自分達の任務に思いを馳せていた。



――オペレーション・サンクチュアリにおける補足。
 マルバスワクチンの開発に成功し、当初の目的をほぼ達成した本計画において、完遂要件を以下のように定める。

 久住直樹および藤枝保奈美の幸うちに終わる人生をもって、本計画は完全なる成功と見なす。
 なお、本計画完遂の条件は、オペレーション・アルカディア要員である仁科恭子と野乃原結の判断をもって決定される。



見届ける者達 了


あとがき
・お待たせして申し訳ありません。
・……やってもうた。ありとあらゆる意味で。
・流石というかなんというか、物の見事にぶち壊してくれました。凄いぞ直樹。
・いや、どういう味になるのか、試した事はないです。つーか、エスプレッソに対する冒涜ですよね……
・最後は結婚式ですか? そうですか。そうですよね(←ならそう書け)
・他にもツッコミどころは多々ありますが、作者、逃亡させていただきます(ヲ)

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