見届ける者達(前編) カワウソ |
「失礼します。藤枝です」 久住直樹と天ケ崎祐介が融合を果たし、直樹が復活してから3日後。 藤枝保奈美は理事長室に呼び出されていた。 「藤枝さん。よくきてくださいました」 控えめなノックに応えて玲がドアを開ける。 「理事長先生?」 本人自らで迎えた事に少し驚いた保奈美に、玲は笑いかける。 「あら、私の顔、覚えていただけていたのですね」 「理事長先生ですから、それくらいは。それに、未来から来た人たちのまとめ役と伺っていますし」 研究室に保奈美が来た時には顔を合わせることがなかったため、保奈美と玲は直接の面識はない。 それにもかかわらず一目で自分が何者であるか認識した保奈美に、玲は更に笑みを深くした。 「生徒の方々と直接お話する機会はほとんどありませんから、嬉しいですわ」 そのまま、にこやかにソファーへと誘導し、腰掛けるように勧める。 保奈美もそれに従って黒い革張りのクッションの上に、腰を下ろした。 「いらっしゃい、藤枝。今コーヒー入れるから」 「仁科先生。いえ。お構いなく」 「紅茶のほうがよろしいですか? 私は紅茶をいただくので、ご一緒願えると嬉しいのですけど」 「わたしはコーヒーですから、藤枝さんもお好きなほうをお願いしますね」 多少とも緊張気味の保奈美を気遣ってか、口々に飲み物を勧める結と玲。 何気に自分の属性に引っ張っていこうとしているのは、まぁ、ご愛嬌であろう。 「わかりました。では、コーヒーをお願いします」 低レベルな水面下の争いを感じ取った保奈美は、少し緊張を解いて自分の想い人が定番としている飲み物をオーダーした。 「それで、お話というのはなんでしょうか?」 それぞれに飲み物が行き渡り、口をつけたところで、保奈美は改めて呼び出された用件を尋ねる。 「私たちの計画の経過を報告しようと思いまして」 目配せをしあい、保奈美の真正面に座った玲が話し始める。 「融合した久住君に行ったウィルス検査は陰性でした。そこで、改めて祐介君のデータを調べなおしたところ、融合前にウィルス反応が陰性になっている事が確 認されました。これは、久住君からウィルスが感染する可能性がないということと、私たちの悲願であるワクチンが完成した事を示します」 「本当ですか? ありがとうございます!! それと、おめでとうございます!!」 吉報にぱっと顔を輝かせて教えてくれた礼と祝いの言葉を述べる保奈美。 「ありがとう。そういうことだから藤枝も久住といくらでもいちゃつけるからね。あ、だからといって毎晩搾り取ったりしないようにね〜」 「に、仁科先生!!」 横からの恭子のからかいにたちどころに真っ赤になる保奈美。 「仁科先生〜 そういうことは、教職員としてどうかと思いますよ〜」 玲の隣で同じく真っ赤になる結。下手をすると保奈美以上にこの手の話にはなれていないように見える。 実際のところ、保奈美がこの面子の中で一番経験豊富であったりするのだが。 「ワクチンが完成いたしましたので、未来に持って帰り、増産を始めます。こんな事を言ってはなんですが、人口は激減していますので、一年もすればワクチン が 行き渡り、未来は再び人の済める世界となるでしょう。そして、安全が確認された後に私たちは未来の痕跡を全て拭い去り、戻ることになります。これでこの計 画は完遂されます」 話の腰を複雑骨折ばりに折りまくった恭子の茶々をまったく気にせずに、ここまで一息に話すと、玲は紅茶に手を伸ばし、喉の渇きを潤す。 同時に、保奈美の反応を伺い、話について来れているかを確認する。 「そうですか、帰ってしまうんですね」 自分の中で情報を整理し、結論を口にする保奈美。 その内容は、保奈美が正確に玲の発言を理解している事を示していた。 「ええ。しかし、昨日話し合った結果。これらとは別に遣り残した事があるという結論になりました」 そこで、玲は言葉を切り、表情の曇った恭子と結の顔を見てからさらに続けた。 「久住君と、藤枝さん。あなた達への償い。です」 「なおく……久住君と、私。ですか?」 意外という心持ちを隠そうともせず、やや虚を突かれた様子の保奈美。 直樹はともかく、何故自分もかと疑問を顔に浮かべた保奈美に淡々と玲は告げる。 「仁科先生や野々原先生から聞きました。記憶とご両親を無くされた久住君のことで誰よりも心を痛め、心配していたのはあなただと。理由はどうであれ、私達 は久住君からそれまでの全てを奪い、あなたにもご迷惑をおかけしました」 だから、あなたにも補償を求める権利はあります。と、すまなそうな表情の両脇の二人に再び視線を走らせ、玲は続ける。 「ですから、まずは許可をいただきたいと思います」 そう言うと玲は机の上にアタッシュケースと思えるものを置いた。 「これは?」 「この中に、ワクチンが入っています。これを未来にもって帰ること。これを許していただけないでしょうか」 玲の言わんとすることを理解した保奈美の頬にさっと朱がさす。 100年後の人たちの唯一の希望。 それを、保奈美の一存にゆだねる。そう玲はいっているのだ。 「私達を見くびらないで下さい。いくらなおくんやなおくんのご両親のことがあったからってそんな代償を求めたりなんかしません!! それに、そんなやり方 卑怯です!!」 ――試されている。 そう思い、きっ、と普段からはとても想像できないような鋭い目で三人をにらみつける保奈美。 確かに、保奈美は直樹の身に起こった理不尽について、本人以上に心配もし、なぜ、直樹がこのような目にあわなければいけないのかと憤っていた。 しかし、それとワクチンの開発はリンクできない。事故の補償のために未来を闇に閉ざす事などそれこそ履き違えた復讐でしかない。 そもそも、人類と自分たちの思いを天秤にかけさせること自体が間違っている。 犠牲だから諦めろなどといわれれば反発もしようし、それこそ妨害もしたくなるだろうが、直樹の件は時空転移装置の開発責任者の結ですら把握していなかっ た事故である。 正直なところ、納得できない部分もあるが、直樹本人がなんとも思っていない以上、保奈美も直樹の気持ちに従うつもりでいた。 「ごめん。藤枝の言うとおりだわ」 ふ〜〜〜っと大きく息を吐き出し、恭子は玲と結。特に結に向き直った。 「だから言ったでしょ? こんな事したって私達の自己満足にしかならないって」 「でも、だからと言ってこのままでいいわけないです。これじゃ、私達が久住君に甘えているだけです」 保奈美の回答を受けた恭子の指摘にもかかわらず、結は首を振る。 「あんたねぇ」 「オペレーション・サンクチュアリとか言いながら、私は久住君の聖域を奪ったんですよ。なのに、久住君は何も言わないどころかむしろ気遣ってくれて。私な んかが許されていいわけなんてない。ないんです……」 小さな身体には到底収まりきりそうにない自責の念を抱え、今にも泣き出しそうな声音と表情で自分を責め立てる。 ついには涙があふれ、手で顔を覆いながら、結は「自分が悪い」と繰り返した。 「ご覧のとおりでして。このままでは計画が滞ってしまいます。はっきりさせれば野々原先生も割り切れるのではないかと思い、聞かずとも気にもしていない久 住君よりは藤枝さんに聞いたほうがいいと判断したのですが」 確かに、私達のためにやっているだけですし、卑怯といわれても反論の余地はありませんね。と玲はアタッシュケースを手にし、恭子へと手渡す。 恭子が受け取ったのを見て、少し緊張を解いた保奈美は心持ち表情を和らげると結に語りかけた。 「野々原先生。申し訳ありませんけど、私も、なお……久住君もあなたに恨みをぶつける事も、許しを与える事もないと思います。もう、全ては終わった事です から」 叱るような、諭すような保奈美の声に、結はようやく顔を上げる。 そして、保奈美の顔をしばらく見つめた後、再び力なくうなだれた。 「それが、罰なんですね」 何かを噛みしめるようにつぶやく結に、保奈美は沈黙をもって肯定した。 加害者にとっては何も終わっていないのに、被害者は何も求めない。 結は直樹や保奈美から区切りをつけてもらえず、確証がないまま自分の心に区切りをつけなくてはいけないという事である。 罵倒され、拒絶されたほうがどれだけ気が楽か。 結はもう、何もいえなかった。 「それでは、失礼いたします」 保奈美が席を立ち、理事長室を出ていく。 後には、やりきれない空気と、沈黙したままの3人が残された。 つづく |
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あとがき
カワウソです。 |