抜かずの刃、鎮魂の祈り 幕間
とあるいつもの3(その1) カワウソ


「えい」
 なにやら気の抜けた掛け声と共に、それとはまったく不釣合いな鈍い音が恭也の体内で響く。
「……む」
「えい。えい、えいっと」
 続けて、背骨を中心として整体技術が施され、恭也の体のバランスが修正されていく。
 海鳴総合病院。第一外科。
 那美に付添われて診察に訪れた恭也は、診察時恒例のフィリスの整体を受けていた。
「はい。これでおしまいです」
 一通り骨格に生じた歪みを正し、満足そうにフィリスが治療の終わりを告げる。
「ありがとうございます」
 下着姿で診療用のベッドにうつぶせになっていた恭也は、起き上がると手早く服を身につけ始めた。
「おまたせしました」
「あ、はい。お疲れ様です」
 診療室を区切っているカーテンを開けると、フィリスの机の前の患者用の椅子に座っていた那美が、恭也を出迎える。
 那美に一つ会釈をし、恭也はその隣の椅子に腰をおろした。
「戦闘があったと聞きましたけど、体にはそれほどダメージはなかったみたいですね」
 カルテに書き込んだ診察結果を見ながらフィリスが機嫌よく恭也の体の状態を説明する。
 いつもいつも、診察をさぼる恭也が戦闘を行った翌日に診察に訪れたことと、恭也の体にさほど負荷がかかっていなかったことが、フィリスをいつも以上に朗らかにさせていた。
「神速を一回。あとは通常の練習よりはるかに少ない運動量でしたし」
「だめです!! あれは使っちゃいけないって何度も言っているじゃないですか!!」
 いつになく上機嫌のフィリスに気をよくした恭也だが、思わず口を滑らせてしまい、瞬時にフィリスの雷が落ちる。
「まったく。恭也君は自分の体をなんだと思っているんですか。美由希さんだってもうすぐ独り立ちするんですから、自分のことを考えてくれなきゃ」
 そして、整体よろしく毎回のように繰り返されるお説教が始まってしまい、恭也は内心首をすくめる。
 以前にフィリスが美由希の練習メニューを見たとき、その効率のよさと的確さ。そして実践する対象に決して機能を損なうような過負荷をかけない慎重さに惜しみない賛辞を送ったことがある。
 それなりに勉強しているようだとはいえ、それを作成したのが医学を志しているわけではない10代の若者であるということは驚嘆に値した。
 しかし、スポーツ医学の見地から見ても極めて質の高いそのメニューは、恭也の剣士としての生命を犠牲にして作られたものである。
 膝の故障自体は、恭也自身の焦りから生まれた自滅――と切り捨てるには酷な環境と年齢であったのだが――であるが、それ以降は美由希を高みに押し上げるために、自らの体で実践してからその結果をフィードバックしていたのは想像に難くない。
 累積すれば再起不能となっていてもおかしくないほどのダメージ受けていたとフィリスはみている。
 幸いにして、恭也の体は資質に恵まれており、幼いころからの酷使に耐えられるだけの逸材であったことから、膝以外の故障をほとんど引きずることなくここまで来れたが、普通であれば車椅子で生活を送るような体になっていてもおかしくなかった。
 詳しいことはわからないが、美由希を更なる高みへ引き上げる存在が出来たと聞いているし、美由希自身が自らを鍛えられるまでになっているのであるから、恭也は自分自身の体を労わることを何よりも優先するべきであった。
「まぁ、今回は前の診察のときよりもよくなっていますから、これで許してあげます」
 これなら、手術する目処も立ちますし。と、お説教モードを切り上げ、いつものほんわかした雰囲気に戻ってフィリスはココアをすする。
「……手術。ですか」
「ほら、そんな顔しないの」
 無表情でもわかりますと恭也をたしなめてから、フィリスは説明を始める。
「もうちょっと様子を見ないといけませんけど、新開発の素材で作られた人工関節と膝のボルトを交換するんです。強度と人体組織への親和性が非常に高いレベルでバランスが取れているので、恭也君の膝でも完全に近い状態に持っていけると思います」
 ただし、完全に馴染むまで一年くらいかかりますけどね。と説明を締めくくってフィリスは恭也を真直ぐに見つめる。
「もっと高みを目指すなら、思い切って手術することを勧めます。もっとも、恭也君は治ったら今まで以上に無茶をしそうですから、ちょっと複雑ですけどね」
「……仰せのとおりです」
 フィリスのもっともな指摘に恭也は心持ち身をすくめた。
 恭也はこれでも加減をしているつもりではある。
 いくら剣士としての限界が見えてしまっているからといって、少しでも長く実際に剣を振るえる「現役」でありたいと常々思っているし、両足で踏ん張りが利かなくなってしまっては美由希の練習相手も出来なくなる。
 御神流の激しい動きと、膝の損傷度合いを天秤にかけ、ぎりぎりのところで踏みとどまれる負荷を常に探りながら毎日の鍛錬を行っていたのだ。
 とはいえ、その基準はあくまでも恭也だけのものであり、ほかの誰の目から見ても「尋常ではない」負荷がかかっている。
 診察時は炎症レベルでとどまっているとはいえ、実際の鍛錬を医者が見たら即座に強制入院させるような激しさなのだ。
 そもそも、人工関節として鉄のボルトが膝に入っている状態で、激しい戦闘行為を行うことが間違っている。
 その上、筋力のリミッターを外すようなマネまでするのであるから、恭也の体がいかに規格外か知れようというものである。
 変身するとか空を飛ぶとか雷を飛ばすとか手を触れずに物を動かすとか人の心を読むといったような「わかりやすい」特異性はないものの、地道に人間離れしている恭也であった。
「やっぱりね。せっかくかわいい彼女もいるんだし、恭也君の寿命を考えるといっそのこと剣を握れなくしちゃった方がいいような気もしますよ」
 医者としてはこんなこと言っちゃいけないんですけどと冗談めかして――恭也には本気が大量に混ざっているように見えるが――フィリスは那美に笑って話を振る。
「そうですねぇ。無茶することに関してはちょっと否定できません」
 少なくとも外見上はにこやかなフィリスに対し、これまた柔らかな笑顔で肯定する那美。
 那美特有の上品な話し方とはいえ、寸分の迷いもなく頷かれていささか傷ついた恭也を余所に、那美は続ける。
「でも、恭也さんなら必要とあれば片足でだって戦っちゃいますし、誰かのために力になられるんですから、フィリスさんの言われるとおり、ここは手術を受けられてもっと高みを目指すべきだと思います」
「那美……」
 いつも、そしていつか見たてらいも気負いもない笑顔に思わず見とれる恭也。
 危険を冒す。否、危険があるが故にそこにとどまる自分を認めてくれる心。
 その想いを、意志を理解して背中を押してくれる気持ち。
 押しに弱く、アクの強い周囲にいつも振り回されているようで、その実心の奥底に揺るぎない物を内包し、全てを受け入れる強さがその笑顔にあった。
「あらあらあらあら。私はおじゃまかな?」
 自制心の固まりのような恭也が自分の彼女とはいえ、女性に見とれているという世にも珍しい光景に姉そっくりの笑みを浮かべるフィリス。
「失礼しました。その、そうですね。那美さんもこういっていることですし、考えておきます」
 思わず赤面する那美をみて我に返り、恭也は決まり悪げに目をそらすと何とかそれだけを返す。
「いえいえいえ、恭也君が那美ちゃんのことを名前で呼んでくれたことですし、私も馬に蹴られたくはないですから」
 照れまくる二人を前に、さらに追い打ちをかけるフィリス。
 結局この後、手術に向けての注意事項を効く傍ら、二人はリスティが染ったかのようなフィリスにさんざんからかわれることになった。



ひとりごと

・前回の更新はいつだったのやら。
・電波が来たと思えば、直後からのスタートになってしまいました。
・しかし、これどうつづけたらいいのだろうか……

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