最果ての地 裏口 11万記念SS
大江戸歌劇団・演劇
―――終幕―――
翌日、夕刻。
職人達が既に帰った後。夕闇とも言う、青と赤が混じる空が覆い始める頃。
大志は夕凪の中、佇んでいた。
その場は昨日の戦闘場所の近くの小高い丘。一望できる。
眼下を見続けていた大志は、誰に聞かせるでもなく呟く。
「ふ……無様なことであったな……」
考えること、それは言うまでも無い。
眺める先で起きたことを考えれば、それは必然といえるだろう。
「しかし、まだ機会があらば、そは敗北にあらず……か」
大志は感傷の笑みを浮かべた。
思わず呟いたのはかつて学んだ言葉。そしてそれによって起った懐かしむという感情。
それを認識し、再び口が緩むのであった。
「しかしながら……」
「勝者のとて、止めを刺せねば明日の敗者となる、でもあるな」
「……!!」
そのかつて言われた声で、かつて言われた内容がそのままに耳へと入る。それもすぐ近くより。
振向き見ると、そのかつての人が目の前に立っていた。
屈託無く笑う中にも何かありそうな、人が良いのか悪いのか良く判らないその男。
全く飾らず気負わず。されど侮ることの出来ない何かを感じさせるその男。
「護衛も付けずに来るとは、無用心ではありますまいか?」
「それはそっちもだろ?」
緒方 英二。
かつて、大志が学んだ師である。
「良くも、吾輩が戻ってくると判りましたな」
「ま、それも俺が教えたことだからな。 なんとなく、さ」
厳密には大志から見て英二は兄弟子であるが、過去においての知識における先行性の差と、それに伴なう教授は師匠といった方が適している。
そして、かつて学んでいたと言うこと自体、今ではこの当人達以外で知るものは居ない。
「………………」
「………………」
しばらくの沈黙。二人に言葉は無い。
それは気まずさではなく、言いたいことはあるが言っても意味が無い事も解っていて、でも言いたくもあり。
しかし、感情より理性が必ず先行する二人。
故に、沈黙のまま時が流れた。
「良き者を見付けたものですな」
「まあな」
それ以外に言葉は無い。
大志の指す『良き者』が大江戸華撃団の面々、とりわけ冬弥を指していて。
英二の返答が満足していることと、それなりに苦労したことを指している。
余分な言葉は必要が無い。短い応答なのはそれだけが理由。
「しかしまあ、なんだな。『旭日』の幹部がお前とはな」
今度は英二が話し始める。
「急進的な勢力拡張、それに『萌力』という術。 多分おまえかもしれない、とは思っていたが、昨日の報告を貰うまでは確信出来なかったぞ」
「そうですな。 まあ吾輩としても、立ち上げてから大江戸華撃団の責任者が英二殿である、と知ったのですが」
にやり、と笑い合う二人。
この確信犯め、とでも言った親友同志でこそ成り立つ笑み。
しかしそれもすぐに納まり、二人の間を風が吹きぬける。
「……今からでも遅くは無い、と思うが」
「……それはお互い様でしょう」
英二の言葉は事態の収拾を意味し、大志の言葉は引けない理由があることを示す。
そして英二の反論が無かったことは、英二も同じく引けないと言う事。
即ち、双方引くことが出来ないのなら、これ以上にお互いが闘いから手を引くことに関し、これ以上に関しての話が意味を成すことも無い。
「より良き国のため、腐敗した部分の切除、その目的に違いはありますまい」
「……方法論、ってことか」
答えない英二に先じて、大志が口を開いた。
それはかつて、二人が語り合った事。
そしておそらく、今でも二人が抱く志。
しかし、今ではその立場は敵同志となってしまったのだが。
その一方で、大志は安心もしていた。
一部のみを利する権利機構、停滞した制度、世襲制に安穏としすぎた堕落ぶり。
そういった腐敗した部分が、幕府のいたるところに見うけられるのは誰の目にも映ることである。
大江戸華撃団といえど、まがりなりにも幕府の一部であり、英二はその責任者。
となれば独立性が強いとはいえ、立場的には幕府の一部である。
安心できたのは、その体制の最中に入っていても、英二はかつての志を忘れてはいなかった。
それが嬉しくあったのだ。
その一方で、大志には英二が結果として何を成そうとしているのか、それが直ぐに推察出来た。
そしてその経緯には、自分達「旭日」の駆逐が必然として存在する。
故に、感傷に浸れるのは刹那の間でしかなかった。
「それだけか?」
その刹那の間を突き、放たれた言葉。
英二の視線は今までになく真剣で。
全てを見透かそうと、知ろうとしているようにも見え。
「………………」
大志に答えは無く。
そのままつい、と背を向けると姿を消した。
残された英二は濃紺に染まる海へ視線を向け、呟く。
「そうか……ならば、こっちも工夫しておかないとな……」
英二の顔は誰にも向けられていないが、その言葉には確かな意思が篭められていたのであった。
大江戸華撃団と大志達の始めての顔合わせから数日後。
早朝。
ある若い漁師が今日こそは大漁を、と普段より早く船を出した。
とはいえ、まだ夜明け前。
空が白ばんで来てはいるが、海も陸も真っ暗である。
いくら漁師とはいえ、普通ならこんな早くに漁には出ない。
しかし若き漁師は血気盛んであり、朝靄が立ち込めかなり周囲が良く判らなくとも、「それでも海には違いあるまい」と網を投げた。
だがその視界に、奇妙なものが映った。
靄の先、水上に島影があったかと思うと、その上にはとんでもない数の人影があったのである。
繰り返しになるが、まだ日の出前の時刻。
場所は海域、というよりは沖に出てしばらくの所。
江戸前に島が無いのは当然として、岸に戻ってきたなどということは海の男として断じて無い。
いくら濃い霧に包まれてきたとはいえ、そこまで間違うほど寝ぼけてはいなかった。
それに今だ朝早く。火事ででもなければ人がそんなにいるはずなど無い。
しかしながらその人影達は黙々と歩き、何かの騒動という訳でも無いようだ。
「………も…え……」
「てつや……ちけっ……」
何か話しているか思えば、僅かに聞こえる話も全く意味不明である。
余りに異様な光景。
時間、場所、それをさて置いても余りに異常。
若き漁師は怯え声を上げる。
それに応じてか、靄が突如濃くなり、影は見えなくなった。
それだけではなく、靄に視界を奪われた僅かの間に、島があったはずの場所すらも海へと化したのである。
漁師はあまりにの不可思議な現象の連続に、混乱の局地に立った。
必死に船をこぎ、何とか岸を見付け、知っている場所を探し出し、岸づたいに自らの港へと帰りついた頃には、既に日も出はじめていた。
港には、いつもよりはやや遅いながら、丁度今から漁に出ようとしていた仲間達が居た。
若い漁師は皆に必死な形相で話した。「間違い無く何かあったんだ」と。
しかし誰もがそんな場所に島は無い、と言った。というより、元から江戸前には島は存在しない。
かといって、水面間際の高さしか無い大型の船などあろうはずも無い。
それ以前に、早朝からそんな大勢の人間が一同に会すなど有り得ない、と。
一笑に付す漁師の仲間達。
しかし、それにも関わらず全く食い下がらない若い漁師に、ならば皆で確かめよう、となり。
その海域へ皆で直行し、調べた。
だが、当然の如く何もなかった。
あるのは高さを持ち始めた陽と、それに照らされる海面のみ。
仲間の漁師たちは大いに笑った。 「ここらには昔から海しかねぇよ」と。
若い漁師も、ようやく落ち付きを取り戻し、「幻だったのかもな……」と思えた。
しかし、それは幻ではなかったのである。
神殿の奥の奥。
前回、大志が詠美を連れて入った扉。
扉の裏、その場は暗闇。音無き世界。
しかし、そこに僅かな明かりが灯り、その光は狭い通路と、下へと限りなく続く階段を浮かび上がらせる。
そして先の見えない階段を、ひとつひとつと降りて行く灯火。
「ふむ……やはり『木』はいまだ満ちぬ、か。 当然といえば当然ではあるが……」
その声の主は大志。
足音と呟き以外は、暗闇と静寂が支配するこの場所。
どこか異界か、そこへ通じる黄泉路のような雰囲気すら漂う。
「当面は問題ないとはいえ、いずれは問題となろう……」
大志の逡巡が繰り返されるしばらくの時の後、ようやく階段以外のものが見える。
それは踊り場よりやや大きい程度の広場。そしてそこにそびえる身の丈の倍ほどもある扉であった。
階段を下りきった大志がその扉をゆっくりと開くと……
今までの暗闇とは正しく反転。眩しいばかりの光が満ちる場へと至る。
元の神殿が地下にあり、更に階段を降りたのである。この場所は地下であり限られた空間のはず。
しかし、そこには光が満ち、青空と草原が広がり、所々に木が立ち、中心には大樹が生い茂っている。
その様はこの場が異界であるのでは、と疑うに十分すぎるほど穏やかな気に満ちた場所であった。
大志はその中心へと、その場において自分以外ではただ一人の人影へと歩む。
かなり近づきて、ようやく相手も気付いたらしく、こちらを振向いた。
「あ、こんにちわぁ」
「ご機嫌は如何ですか、桃様」
「はい、桃はいつも通りすっごく気分良いですよぉ」
にっこりと微笑む桃。
文字通り、輝かんばかりの笑みである。
「今日もご機嫌宜しく、この大志、至悦にありまする」
「そんな……いつも桃は元気ですからっ。 でも……」
「なんで御座いますか?」
「あ、いえ、なんでもないですよぉ」
明るさに差す一瞬の曇りがあったように見えた。
しかし、それもすぐに元の調子に戻り、一瞬でもあったし、そうであったのかすら確かだったかも気のせいであったか。
「遠慮はされませんよう。 この大志、桃様の為なら命すら賭しまする」
「ほんとに何でも無いですから、はい」
「そうですか、なれば余計な言、御許しください」
「許すも何もないですよぉ」
先ほどと同様、にっこりと微笑む桃。
その笑みを見て大志も安堵する。
「では、暇致します。何かとありますもので」
「はい、がんばってくださいねぇ」
元来た所へと帰り行く大志。
それを見送る桃を更に見るもの、ひとり。
「ふぅ……どうしたもんかな……」
木天の和樹。
中心の大樹からやや離れて立つ、一本の木。その陰に身を隠していた。
どうやら桃と大志が居た事は見ていたようだが、何故だか迷う顔であった。
「とりあえずは、だ」
しばらく待って、大志の姿が入ってきた扉に消えたことを確認し。
気合を入れなおし、大樹へと歩み寄る。
もちろん、その下に座する者に話しかける為に。
「やあ、あさひちゃん」
「かかかか、和樹さん……あの、えっと……」
「しかし、ここはいつでも良い天気だよね」
「あ、はははい、そ、そうですね」
真っ赤になりしどろもどろに語るあさひ。
つい先ほどまでの桃とは、全く違う顔である。
いや、顔というよりは雰囲気というべきだろうか。
愛想良くてきぱきと応対していた桃と、真っ赤になりながらも一生懸命応対しようとするあさひ。
両方知る和樹としては、それが嬉しいやらなにやらで複雑なところでもあった。
「暇だったんで来たんだけど、迷惑だったかな?」
「い、いえ、ぜ、全然そんなことある訳ないです」
「ありがと。 そういえば、また面白いものがあったんだ」
「えっ、そうなんですか?」
あさひの顔がぱあっと華やぐ。
和樹が脇に持った紙の束を差し出すと、それは一層輝きを増した。
それは、和樹が外で見たりしたものを書き取った紙を纏めたもの。
なぜそこまで喜ぶかというと、あさひが絵を、特に和樹のを好きということもあるが、この空間ぐらいしか世界を知らないせいでもある。
理由はあるのだが、それはまた後日語られよう。
さて、あさひが何やら戸惑っている間に話を戻すとしよう。
「あ……の、えっと……」
差し出されかけた手は、何故か宙をさまよっていた。
それに気付いた和樹があさひをよく見ると、遠慮がちな上目が躊躇いをあらわにしていた。
「遠慮しないで見ていいよ」
「あ……はい」
「っていうか、そのために書いてきたんだけどね」
「あああのっ、ごめんなさい」
「謝ること無いって。 でも、ちょっとだけは遠慮し過ぎないで欲しくあるかな」
「ご、ごめんなさい……」
なだめようとしてもますます萎縮するあさひ。
それが可愛くもあり、なんとかしたくもあり、それができなくもあり。
和樹は苦笑しつつ、聞こえないように小さくため息をついた。
そして、意識的に調子を切り変える。
「で、さ、あっちで読もうか」
「は、はい」
読み入るあさひと、問われて説明する和樹。
大樹の幹に、よりそうように二人の男女が座る様。
それは他の者から見れば、いかように見て取ったであろうか。
さて、一方の大志は……
あさひの居た場所と神殿を区切る扉。
その前にて、何やら難しい顔をし、唸っていた。
目の前、すなわち扉の両側には、二つのやや勢いの無いかがり火がある。
ただの火ではないことは、その萌黄に燃える色からも明らかだが、大志の顔は他では見ないほどの真剣さを発していた。
「大志、集まったわよ」
見ていた扉の反対側の扉……表から見れば神棚にある扉。
振向き見ると、それが開いていて、逆光の中に人影があった。
それは詠美。
大江戸華撃団に敗北した直後、大志に導かれてここに入ったことから、入り方を知ったのである。
「同志、そこは不用意に開くでない」
「誰も居ないことぐらい確認してあるわよ」
「そうであっても、注意は必要だ」
「別に隠さなくてもいいと思うけど……」
「何ゆえに隠すかは大切ではない。 何が隠されているかが重要なのだ」
「解ったわよ、今度から気をつけるから、それでいいでしょ!」
そうでなくば、大志以外にここから入る手段を知る者はいない。
例え、和樹や彩と言えども教えて無い。
それからも、大志にとって余程のことであるのは確かだろう。
「それでどうすんの? あんたを待ってるみたいだけど」
「……うむ、解った」
了解はした大志だったが、文句を言いたげとも、自らの行ないを失態だったと反省するとも見えるような、渋い顔をしている。
その原因が詠美の行ないであることは明らかだが、その理由を話すことは無かった。
神棚の扉を閉じ、拝殿から離れることしばらく。
そこは神殿の外郭、外が一望出来る外郭の中心に設けられた踊り場。
そこから見える神殿の外には……
膨大な群集がいた。正しく黒山の人だかり。
大志が神殿の踊り場から姿を見せると、その群集の咆哮が地を揺らす。
この地下洞、決して狭くは無い。
神殿自体が小規模な城郭程度もある建物であり、それを余裕を持ってすっぽりと覆っているというだけでも、相当なものである計り知れよう。
しかし、群集はその場に隙間無く密集して集結していた。
その集結の様は、まさしく埋立地の夏と冬の祭り、そのものである。
止まぬ群集の咆哮。
大志はそれを片手を上げて制し、静寂をもたらすと、更に一歩前に出る。
「全ての同士達よ!」
声を張り上げる。
それは地下ゆえか、不可思議な響きを以って群集を聞き耳立たせる。
「長き時に渡り、我々は不当に差別されてきた」
最初とは反し、静かに、切々と語たる口調。
静まり返った空間に染み入るように響く。
「我らを何も知らず、知ろうともしない偏見者どもが、自らの過失の責任から逃がれる為に、理由を後付けで我々を犯人にしたて、弾圧し、偏見するといういう愚行を繰り返していた。 それに対し、我々は耐え忍び、それを甘んじて受け入れていたのである」
絶え間無く続く口調。
しかし僅かに感傷を交えたように語っておく。
「確かにごく一部にせよ、我々にも規則を守らない悪しき者がいた。 それは恥ずべきことではある」
そこで一息入れる。
それは話の区切り、流れを一変させる為の布石。
「だが、それを何倍、何十倍にも誇張したのは、今、地上に安穏としている偏見者達である。 彼らは自らの落ち度を覆い隠し、罪を我々に擦り付けんが為、我々を虎視眈々と狙い続けてきた。 それらの言われなき偏見に対し、今まで我々はただ息を潜めるより他なかったのである!」
今度は熱を篭めるように、溢れ出しそうな情熱を抑え務めて冷静に語るような口調。
先ほどより僅かに早く、激さを増した口調が、噴火直前の微震動のような感じを持たせ、期待感が高まる。
それは群集の目が輝き始めたことからも解る。
僅かに間を置いて、溜めを作り。
そして腕を大きく広げ、驚きにより一瞬の空白を作らせる。
「しかし! 時は来た!! 今こそ我等は立ちあがるべきである!
正しく責任を追及し、正当なる信賞必罰を行なえる世の中を作る為、我々はやらねばならない!!」
それまでと一転、激しい口調へと変える。
大げさな動作による感覚的な驚きと、その直後に理解しての驚き。
全ては大志の演説術。群集心理の掌握術である。
「これは紙の放った芽氣度(メキド)の炎である! 今こそ愚かなる偏見者共に、裁きの鉄槌を下すのだ!!」
「「おおーう!」」
大地を揺らさんばかりの咆哮。
僅かに満足げな笑みを浮かべた大志だったが、直ぐに顔を引き締め大きく手を広げ、全てに響かせんと叫ぶ。
「我等の前に必ずや彼らは屈するであろう! じぃーーーーく、旭日!!」
「ジークあさひ! ジークあさひ! ジークあさひ! ジークあさひ!…」
それに呼応し、群集は拳を天に突き上げ咆哮する。
鳴り止まぬ群集の声を背に、大志は演壇の奥へと下がっていく。
そしてその最中、側に控える詠美に話すでもなく、小さく呟いた。
「始まり、か……」
そう、全ては始まりに過ぎない。
朝日が昇るように、お互いが見え、全てが動き始めただけ。
全てはここからなのである。
――了――