最果ての地 裏口 7万記念SS(大幅に遅刻)

大江戸歌劇団・演劇
 

―――第壱幕―――
 

 季節は初冬。
 雪はまだ無いものの、それも数日中であろうという頃。

 時刻は牛の刻。
 故に真昼ではあるが、天は灰色に染まりて薄暗く、地は寒風に撫でられていた。

 場所は江戸市中、武家屋敷がならぶ所にある寺。
 その閉じられた門の下にしばらく前より、一人の武士が立ち続けていた。

「寒っ……ちょっと早すぎたかな」

 今、呟いたその武士、藤井 冬弥。
 彼の仕事は町方の平といったところで、いままでは普通に勤めを果たしていた。 
 町方の仕事とは江戸の治安を守ることだが、現在の江戸市中の治安状態はかなり良好だろう。
 事件が無い訳では無いが、それも大した事はない。
 なぜなら凶悪事件などの大きいものは、自滅とか改心とかで直ぐに解決してしまうからだ。
 その原因は不明だが……
 また、そういう状況下にも関わらず、極悪人が新たに湧いてくるのも原因不明である。

 その詮索はさておき、江戸市中がそうであるから、町方でも平などは左程忙しいことなど無い。
 ご多分に漏れず、冬弥もその内の一人だった。
 だが、そんな冬弥に突然の転機が訪れた。
 昨日下された幕府の勅命により、所属が変わることとなったのである。

 しかしながらその命令書は『明日牛の刻、この寺の前で待機するよう』とだけ。
 所属が変わるような過失をした覚えもないが、何か一芸に突出しているつもりもない。
 ましてや勅命を貰う程の大事などとなると、今まで全く無縁であった。

 ひゅおおおおぉぉぉぉ……

「つっ……」

 寒風に考えるのを止めさせられた冬弥は、冷える自らの手足をこすり暖めながら廻りを見渡した。
 待っている間、寺の前の通りを通る人はほとんど無く、寺に入る人に至っては全く居なかった。
 恐らくは今冬一番の冷え込み。 もしかしたら初雪になるかも知れない。
 この寒さでは外に出るのも控えがちになるのも当然と言うもの。

「けど、待つしか……ないよな」

 だが不明だらけのせいもあり、彼はこんな天候の中であろうとも、ただひたすらここで待つしかないのであった。

「うーん、どうするかな……」

 冬弥が本日何度目かの思考に入った、その時であった。
 なにげなしに見ていた寺の前の通り、寺に向って右の方の灰色の空の彼方。
 そこから風に運ばれてか、一枚の紙が舞い降りてきた。
 お札ほどの大きさのその紙、萌黄の地に橙で何やら絵文字が書いてあるようである。
 だが、御札はひらひらと空を舞うので、何と書いてあるかまでは判らない。

「なんだろう?」

 そうこうする内に御札は地面に近づいてゆき、冬弥にも近くなってくる。
 その御札が落ちてきて……と思いきや、そのまま通りの上、十尺程にひらひらと舞いながら滞空している。

「風……かな?」
「ううっ、寒さむっ」

 妙に思った冬弥が不思議に思い見上げていると、その視界の端に通りの奥よりやや小太りな人が来るのが見えた。
 その通行人は小走りで急いでいる様子。
 そのせいか、空を舞う札には気付かないままその下を潜った。

 ひゅおっ……

 刹那、札は素早く急降下し、その通行人の背へとまわりこんだ。
 その急降下が通行人の視界を横切ったらしく、足を止め振向き見まわしている。

「あれ? 今、何か……」
「あの、背中についてますよ」

 だが、札はその背中にぴたりと張りついていた。
 冬弥はそれを不思議に思いつつ声を掛けた――その直後。

 ぼうっ……

 通行人の背中、張りついている札から萌黄色の炎が発される。
 それはあっという間に燃え広がり、その全身を覆い尽くす。
 そして通行人はゆっくりと膝から崩れ落ちる。

「なっ……」

 冷静に……というか、単に驚愕して動けなかっただけかも知れないが、事態の推移を見つめていた冬弥は奇妙な所に気付く。
 燃え続けているはずなのに焦げる様子も炭になる様子も無い。
 まるで蝋燭の芯のように炎が廻りを取り囲んでいるようだ。
 そして、これほど近くなのに熱さを全く感じない。

「これは一体……」
「も……」

 普通の火では無いのではないか、といぶかしんでいる冬弥の耳に何か声が聞こえた。
 廻りに人影は無い、というか、辺りで自分以外には一人しかいない。
 
 となれば……

「もええええええええええええええええっ!!!」
「つっ?!」

 目をやった瞬間、通行人は突如立ちあがった。 それに伴い火が大きく燃え上がり火の粉が飛び散る。
 冬弥は驚きもあり思わず身をすくめた。

「…………?」

 ――が、何も起きない。
 冬弥は恐る恐る目を開き見る。

「何も起きてない……のか?」

 眼前には通行人が仁王立ちしていた。
 その体を覆っていた火は欠き消えていたが、それ以外は周囲には変化は無いようだ。

「あれ?」

 だがその通行人が先ほどと同一人物であろうか、と疑う。
 周りには先ほども今も人影は無い。
 武家屋敷が並ぶせいで、ここの通路はあまり幅は無いがどちらへも真っ直ぐで長く、双方の突き当たりまでは結構な距離がある。
 だから見えない程遠い所から誰かが駆けて来た、にしては時間が短すぎる。
 無論それは先ほどまでの通行人にも当てはまる。

 また、先ほどの通り壁がずっと平行に並ぶ通路である為、障害物なども無い。
 寺の門はずっと閉まっている。
 つまり隠れられるような場所も無いので、誰かが伏せていた可能性も無い。
 以上の点を考えると、同一人物に違い無いだろう。

 無論冬弥もそれは判っているのだが、疑わざるを得なかった。
 なぜかというと、その通行人の様相が一変していたからである。
 それも、かなり。

 背中には何かの袋を背負っていて、手には大きな紙袋と汗拭き用らしき布を持ち。
 着ていた和服は何か絵の描いてあるものに差し変わっていた。
 なにより異様なのは、目つきに生気が無いのに気力が充実しているようにも見えること。
 それは徹夜明けというより、慢性睡眠不足のようである。
 要するに、かなり変で結構怖い。

 直前までは普通の通行人だったのが、僅かの間にここまで一変したのである。
 冬弥ならずとも目を疑うことだろう。
 極論すると、異常である。

 冬弥が動けないままでいる中、通行人は無言のままごそごそと動き出した。
 そして紙袋から何やら薄い本を取り出し、ずいと冬弥に向ってと突き出す。

「え?」
「………………」

 それには絵が描かれて彩色されているようである。
 その動作は無言のままだが、得体の知れない迫力を感じ冬弥は後ずさりする。

「……いいだろ?」
「はい?」

 通行人の久方ぶりの台詞。
 今までが無言で突然だっただけに冬弥は聞き逃してしまい、思わず問い返した。

「……ぃぃいいいだろおおおおおおっ!!」
「は、はいぃ?」

 通行人は反応してか、大音量で発声した。
 それだけでなく、本を開いたまま前に突き出して間合いをずいずいと詰めてくる。

「え……えっと……」
「いいだろぉ……」

 ずい。

「あの……」
「いいだろぉ……」

 ずい。

「あのですね……」
「いいだろぉ……」

 ずい。

 通行人の様はさながら動く死体の如し。
 いや、壊れたカラクリ人形と表現すべきだろうか。

 警戒心と恐怖心から間合いを取る為一歩下がり。
 されども一歩退けば一歩詰められる。
 その繰り返しを何度も繰り返していく。

「いいだろ……いいだろ……」
「くっ、どうすれば……」

 この様からしても、どう考えても尋常では無い。
 その行いがよりは、その経緯がではあるが。
 放っておくことは出来ないが、さりとてどうしたものか。

 一歩ずつ後退する冬弥の左手に何かが触れた。
 それは自らの腰に刺した刀。
 冬弥は一瞬、その太刀を見つめる。

「……いや、手はあるはずだ」

 冬弥は頭の端に沸いた考えを振り払った。
 この事態である。 太平の世とはいえ切捨御免も出来ない訳でも無い。
 だが、それをしないのが冬弥なのである。

「だけど……」
「待って!」

 遠くよりの声。
 その声は凛として響き、冬弥、通行人、両者の動きを制する。

 声の主はこちらに走ってきている若き乙女のようである。
 曇天にあっても光を湛える黒髪が風になびく。
 その姿は白い下地に桜色で模様付けがされている袴姿で、手には長めの刀が握られている。

 それを見てか、異形と化した通行人は冬弥よりもその娘へと向き直り、本を構えた。

「貴方の相手は私よっ!」
「モェエエエエ!」

 再び異形の通行人が突進しだした。
 それまでの遅さからすれば想像出来ないほどの早さで少女へと向う。
 その勢いは係員の制止すら無視するだろう。
 但し姿勢は本を前に構えたままなのだが、それだけ殊更に奇妙さが際立つ。

 それに対し少女は足を止め、落ちついた様子で刀の柄に手をかけた。
 ゆっくりと優美な動作で抜き放たれた刀、大上段に構えられたその刃が光り輝いたのは光線の加減だけだろうか。

「モエッモエエエエッ!!」

 迫る通行人が後数歩で少女と衝突しようとした。
 その時。

「……ええいっ!」

 掛け声一閃、少女は刀を振り下ろす。
 その刹那、突如一陣の突風が吹きあれる。

「うわっ?!」

 突如の風塵に目をそむける冬弥。
 とてつもなく冷たい風がその体を吹きぬけて行く。

 僅かの間あって風が納まったらしく、振り帰り改めて見なおす。

「雪……だ」

 そこにはひらひらと雪が舞っていた。
 だが天から降っているわけで無いことは、雪が宙を舞っている分だけしか無く直ぐに消え去ったことから推測される。
 それに、降り始めにしては量が多すぎる。
 その様は一瞬だけ本降りであったかの如し。

「降ってもないみたいだし、積もったやつが舞った訳も無いはず…………って、これは?!」

 不可思議に空を見上げる冬弥の目に次に飛び込んだのは、突進し始めた姿のまま微動だにしない通行人の姿であった。
 ただし、それは全身を氷付けになっており、その様は氷に閉じ込められた何かの様にも見える。
 格好は突進中の姿勢のままだが、微動だにしない。

 ふと見ると、その隣には何時の間にか先ほどの少女が立っていた。

「君は……」
「すいませんでした……」

 少女は冬弥の言葉に気付く様子もなく、刀の切っ先で氷塊を軽く叩く。
 すると氷に一筋のひびが入り、それは瞬く間に氷塊の全体に及んで行く。
 全体にひびが行き渡り、波及が止まった、その瞬間……

 カシャアアアアアァン…………

 高く澄み切った音を立て、氷は粉砕した。
 だが、小さい氷の塊になって崩れ落ちる訳ではなく、氷の結晶となって霧散してゆく。
 光を反射しきらきらと舞うその様は麗美でもあり不可思議でもあり。
 そして降りしきる結晶が少女の横顔を一層映えさせる。

「…………」
「綺麗だ……けど……」

 少女は無言でたたずんでいた。
 だが、その横顔に迷いか悔いが浮かんでいるように見えたのは、光の加減だろうか。

 そして僅かの間の後。
 結晶の舞が納まった後には、通行人と少女しか残っていなかった。
 通行人は放心状態で立ち尽くしてはいるが、その姿は元に戻っており、全身を覆い尽くしていた地面に積もることもなく消え去った。
 それどころか、その衣装は水に濡れた様子も無い。
 その瞳に光がゆっくりと戻ってくる。

「あれ?」
「だいじょうぶですか?」
「ええ、何とも無いですが……はて、私は一体?」

 通行人はどうやら先ほどの記憶は無い様子。
 辺りをきょろきょろと見たりとしきりに思い出そうとしている。

「えっと、ちょっと立ちくらみを起こしたよう…ですけど……」
「そうか……そうだったのか。 すまなかったね」
「いえ、私は何もしてませんから」

 少女が苦笑しつつ言いづらそうに説明した。
 無論、それは真実ではないのだが、おそらくは最適な説明であろう。
 先を急ぐという通行人を見送ってから、少女は改めて冬弥へと向き直る。

「大丈夫?」
「あ、ああ」
「驚かせちゃった……よね?」

 不可思議なことの連続に冬弥は呆けていたが、少女の心配げな顔が目に飛び込んできては目を覚まさざるを得ない。
 いや、むしろ明瞭になったというべきだろうか。
 なんとなしだが、安心と余裕が持てる気になる。

「うん、ちょっとね」
「ごめんね、もうちょっと私が早く来れば良かったんだよね……」
「いや、その……来れば、って?」

 悲しげに面持ちを下げる女の子に何か言わねばと考えた冬弥は、今の台詞で自分がここにいる理由を思い出す。

「もしかして、迎えの人?」
「え……あっ、うん、そうだよ」

 その言葉に少女は沈みかけた顔を上げ輝かせ、改めて冬弥に向き直る。

「自己紹介がまだだったよね。 私が迎えの使者、森川由綺です」
「あ、どうも、藤井冬弥です」

 ぺこり、と頭を下げる由綺につられ頭を下げる冬弥。

 確かに迎えは来た。
 故に待ちぼうけとかいう不安は無くなった。

(女の子が迎え……それにさっきのは一体、何だったんだろう……)

 だが、その不安は別の形を取って増大した気がした冬弥であった。

 ごおーーーん……ごおーーーん……

 丁度、辺りに正午を知らせる鐘が鳴り響いた。
 まるで全ての始まりを告げるが如く。
 
 

 それと同時刻、大江戸の地下深く……

 そこには地下とは思えないほどの大神殿が作られていた。
 四本の支柱は高く、その高さは普通の家の天井を軽く上回る程。
 その先には四角錐を逆にしたような構造物が造られており。
 更にそれを繋ぐような構築物で構成されている。
 天地逆に見れば、四角い4本の柱とその土台に見える。
 だがそれが上下逆であることは、高い建築技術と異様さを無言の往羅として発している様でもある。

 そして、神殿前には何百人も入れるであろう場所が確保されていた。
 地上においてもこれほど立派な神殿は無いだろう。
 もはや城砦と呼ぶほうが相応しい。

 その神殿の中心、場所的には先ほどの天地逆になっている構築物の真中。
 そこには拝殿のような部屋がある。
 だが、御神体は拝殿奥の扉の先にあるのか、ここから伺うことは出来ない。

 拝殿の前に突如、萌黄色の火がぶわっと沸き立った。
 それは人の形を取り……一人の男が現れた。

「求めに応じ、火天 九品仏大志の名に来臨である」

 神主のような格好をしたこの男。
 その服は普通は白い部分が黒になっており、通常のものではない。
 だが、妙なつるの眼鏡、不敵な笑み、なにより全身から発する怪しげな気が、ただの色違いだけの神主では無いことを察させる。

「いでよ、我等が同志達よ!」

 大志が手に持つ扇子を広げ、持つ腕ごと大きく振った。
 それに応じ、水、金粉、木の葉、土くれがそれぞれ小さい竜巻のように舞う。
 そしてそれが納まった後には、四つの人影があった。

「求めに応じ、水天 芳賀 玲子の名にて登場よ」
「求めに応じ、金天 大場 詠美さまの名にて参上!」
「求めに応じ、木天 千堂 和樹の名にて見参」
「……求めに応じ……土天 長谷部 彩の御名にて推参……です……」

 大志は一度全員を確認してから、手に持つ扇子を開き一振りした。
 すると暗闇でしかなかった天井に次々と映像が浮かぶ。
 それらは現在の地上、すなわち江戸市内を写しており、そこに映るのは平穏な日々の営みである。

「平和よねー」
「ああ、平穏なもんだな」
「うむ、間違い無く平穏である」
  こく……

 四人が冷静に現状を認識する中、ただ一人だけは不満を露わに憤慨していた。

「なんでなのよ! あたしが描いたちょーかっこいい画霊がなんで何の騒動も起こせなかったわけぇ?」

 それは今回の作戦を指揮した、大場 詠美。 その人である。
 作戦の指揮と言っても、単に力を込めた札をばらまいただけなのだが。
 ともあれ、自らの作戦が不発に終わり、その様は怒髪天を突くようである。

「むっきーっ!  誰のいんぼー? このあたしを落とし入れようとしているのね!」

 だがその様に恐怖感が無いのは見た目のせいだけではあるまい。

「詠美、陰謀じゃ無いと思うぞ」
「じゃあきっと画霊の材料が悪かったのよ! そーよ、そーに違いないわっ!」

 ここでいう画霊とは絵に魔力等を込めたもの、もしくはその素材を指す。
 それで描かれた絵は、絵ながら実物化したり様々なことが出来るのである。
 名づけて『画霊転製の術』
 術の名称に「こぴー」「おふせっと」とか「白黒」「色刷り」とかあるが、さしあたり説明は省かせて頂く。

「……たぶん……大江戸歌劇団のせいだと…思います…」
「その通りのようだぞ、同志達よ。 画霊転製したとほぼ同時に大江戸華撃団によって駆逐されたようである」
「風に流せばどこに落ちるか解らないのじゃない! だからあいつらもたいしょ出来ないって思ったのに!」
「ふむ。 だが、あちらの感知能力も相当のものらしいからな。 おそらくはそのせいであろうな」

 何故か異常な程情報に精通する大志。 その性格はともかくとして情報は正確である。
 無論他の面々もそれを知っているため、それに対して疑問を呈することはない。

「まあ、それだけ相手も強力ということだろうな」
「そうね、正直ここまで早く対処されるなんて思わなかったし」
「そーよね、そうでなかったらこの詠美さまが失敗する訳ないもん」
  こくり……

 一応とはいえ、詠美も相当の実力者。
 その作戦が完全に失敗したのであれば、敵の力は侮りがたし、と推察されよう。

「だが手はあるぞ、まい同士達よ」

 一人だけ異なる意見を述べた大志だったが、その顔には笑みが浮かんでいる。

「大志、どうせ何か策があるんだろう?」
「無論である、まいぶらざぁ」
「だが相手もかなりのもんみたいだぞ」
「吾が策謀の才、侮ってもらっては困る」

 大志にはなにやら考えがあるらしい。
 和樹も一同も大志の才の凄さは知っている為、それ以上の論議を止め、その考えを聞くことにする。

「この策なら万全を期すであろうな」

 一同注目する中、じらすように大志は眼鏡をかけなおした。
 満を持してその口より発せられた策とは……

「次は吾輩達も出れば良いこと」
「え?」
「我等の萌力は画霊どもとは比較にならん。 それで敵を粉砕すればよい」
「…………」

 白くなる一同。 だが、それも無理はあるまい。
『萌力』(ほうりき)とは精神力や魔力などと言い変えられる力であり、この五人はその強さが突出しているのである。
確かに大志の言う通りではある、が……

「おい、それは策という程のものか?」
「くっくっく、吾輩の策謀の深さを解せぬとはな。 修行が足らんな、まいふれんど」
「いや、解りすぎるんだけど……」

 その中、いち早く復帰した和樹が大志に反論するが、大志はそれを意に介する様子も無く不敵に笑う。

「なら、あたしの出番ねっ。 さっきの借り、利息つけてかえしてやるぅ!」

 多少呆れ気味の和樹を差し置き、ならば失地回復の好機と詠美が前に歩み出る。

「お金借りたら増えるもんね。 その分てってーてきにやるんだから」
「ふむ、その勇ましさ良し。 ならば次の作戦は詠美嬢にやってもらおう」
「とーぜんよね。 でもあたしが出たらそれだけで全部片付いちゃうかも♪」
「……だが」

 詠美の意気はあふれんばかりの勢い。
 大志はそれを認めて1秒で承認するが、すぐに考え込む仕草をする。

「なによ?」
「一つだけ問題がある」
「なによっ! なにの問題なわけっ?」

 上機嫌の詠美だったがその一言に一変、不機嫌をあらわに大志に詰め寄る。
 だが大志は慌てる様子も無く冷静に言い放つ。

「利息だと貯金である。借りであれば利子というべきでないかな?」
「う…………ふみゅううん! あいつらが悪いんだからぁ〜」

 何か言おうとした詠美だったが、どうやら思いつかなかったらしく逃げるように姿を消した。
 詠美が去った跡にはその身を隠した金粉が舞散っていたが、それも残ることなく欠き消えた。

「大…丈夫……でしょうか……」
「にゃはは、ま、だいじょぶでしょ」
「詠美嬢が冠する『大手』の称号、伊達ではあるまい」
「詠美も実力はあるからな。 今回はお手並み拝見といくか」
「うむ。 では、今日の所は散会である!」

 その声の直後、炎の粉、水滴、木の葉、土塊が吹き上がって舞散り。
 間、あってそれが納まった後には誰も居なくなっていた。
 
 

 一方そのころ、冬弥達はというと……

 あの寺の門前を出てから、由綺の先導で江戸市中を歩いてしばらく。
 今は江戸城の近くの繁華街を歩いている。

「流石にここは人通りが多いな……」
「うん、そうだよね」
「中心街だから当然と言えば当然かも知れないけど、この天気でこんなに人がいるとは」

 さすがは江戸の中心街。
 この天気にも関わらず人通りは絶えることが無い。
 寒さをものともしない活気がここにはある。

「私は結構好きだよ、沢山人の居る所を見るの」
「へえ……」
「そこにその人なりの思いが、生活が、あるんだ……って思うととても楽しく思えるの」
「そうか……」
「うん」
「ところで、だ……どこまで行くんだ?」

 歩いている最中は他愛の無い世間話であったが、満を持して冬也は質問してみる。
 これからの展開、先ほどの通行人の変化、そしてこの娘……
 短い時間での会話だけだが初対面でも由綺の素直さ、純朴さ、真っ直ぐな意思は直ぐに判った。
 だがら由綺を疑うわけでは無いが、募る不安に堪りかねたのである。

 それに答えず由綺は少しだけ走って先回りし、くるりと振りかえった。

「ここだよ、冬弥くん」

 そう言う由綺の左隣には、非常に大きく、そして非常に有名な建物の入り口があった。

「ここって……粉雪座なんじゃ?」
「うん、知ってたんだね」
「そりゃあ、知ってはいるよ」

 あまりにも有名であるから、必然的に冬弥もその名を知っていた。
 冬弥が惑ったのは知らないからでなく、知っているからなのだ。
 粉雪座は演劇・歌謡を行う劇場である。
 よって、武士である自分と演劇座である粉雪との関係、それが全く皆目見当付かないのである。

「ここと俺に何の関係が……」
「ふふっ、もう少しで解るから」
「うーん……」

 警護……なら自分だけということはありえない。
 用件が演劇の警護としても、下っ端である自分程度なら単なる警備員だろう。
 それなら人数が要るはずであるし、責任者ならば一人かもしれないが、それが平役人の自分である訳は無い。
 何か町方と話がある……にしても、自分ごとき下っ端には何の権限もあろうはずが無い。
 よって、やはり一人だけであるはずはない。

 やはりは、演劇座、勅命、自分一人という要素を調和させるような答えがどう考えても出てこない。

「うーん……」
「えっと、じゃあ……」
「教えてくれるのか?!」
「う、うん、半分だけ……ね」

 あまりに真剣に考え込む冬弥の様子を気の毒に思ってか、由綺が話し出す。
 待望した光明に、身を乗り出す冬弥。

「冬弥君はね……」
「うん」

 少し躊躇ってから、発された由綺の言葉。
 それは冬弥の想像を超えているものだった。

「――ここで働くことになると思うけど」
「な、なんだってぇ?!」

 事実とは、時として残酷なのかも知れない。
 それはここにも当てはまり得るだろう。
 由綺の意図に反して、冬弥の混迷の度は益々増すこととなってしまったのであるから。
 
 

 さて場所は転じて、その数分後の粉雪座の中。
 関係者のみ入れる演劇座の奥の奥。
 その廊下に一寸広くなっている場所があり、そこはに椅子と棚が備えられていて、休憩出来る小さな場所になっている。
 そして由綺と冬弥はそこに腰掛けていた。

「ごめんね……」
「い、いや、いいんだって。 秘密なんだろ?」
「うん……教えたいんだけど……」
「いや、解ったって。 責任者から口止めされては仕方ないよ」

 それでもすまなそうに顔を伏せ気味にしている由綺。
 先ほどの冬弥の絶叫より、ずっとこの調子である。
 冬弥はそれを見て、この由綺の状態は自らの責、と意を決し言葉をつむぐ。

「それに、由綺の気持ちも解ったし」
「え……」
「後は直接聞くだけ、だろ?」
「うん、ありがと」

 その言葉に由綺の表情から曇りは消えた。
 そこへ近寄る足音が聞こえる。

「あら、由綺、お客さん?」
「あ、理奈ちゃん」

 そこへ来たのは、青い服と肩が出た衣装、それに端麗な容姿が特徴的な子女。
 由綺とは既知のようである。
 冬弥がその容姿に呆ける間に、理奈は頭を下げた。

「はじめまして、緒方 理奈です」
「あ、どうも、藤井 冬弥です」
「冬弥……って、もしかして……」
「あ、理奈ちゃん」

 冬弥の名前を聞き、何か思い出した理奈の機先を由綺が制す。
 制された理奈は疑問というより、珍しくて驚いたといった表情で由綺を見る。

「英二さんが、直接話すまでは秘密にして置けって」
「また? もう、兄さんったらしょうがないわね」
「ふふっ、そうだね」

 怒りというよりは呆れている様子の理奈と、微笑みつつもそれに苦笑の混じる様子の由綺。
 とはいえ、二人とも納得はしているようである。
 この二人の様子を見た冬弥は、安心するような不安が増大してくるような複雑な心境なのであった。

「でも、確かに直接話した方がいいかもね」
「私も今はちょっと休んでたけど、直ぐに行こうって思って」
「そうね、その方が良いわ」
「うん、じゃあ早速行って来るね」
「ええ、冬弥君もかなり気になっていると思うし」

 ふふっ、と笑みを漏らす理奈。
 だがそれに邪気が無いのが不思議でもあり魅力でもあり。

「私はちょっと出てくるから」
「うん」
「じゃあ冬弥君、後でまた、ね」
「う、うん……」
「行こう、冬弥くん」
「あ、えっと……うん、解った」

 理奈は冬弥達が入ってきた方へと去っていった。
 ちょっと呆けていた冬弥だったが、由綺に促されて粉雪のより奥へと進む。
 そして通路の奥にある階段の手前の部屋、『支配人室』と表札があるところで由綺は歩みを止める。

「英二さん、いらっしゃいますか?」
「ああ、由綺ちゃんか。 どうぞ」

 由綺に続き、部屋に入った冬弥。
 そこは広い御座敷になっており、数は少ないながら感性の良い調度品がある。
 その正面にある大きな机には一人の男が座っており、その机の前には容姿端麗な美女が座っていた。

「冬弥くんを御連れしました」
「いやいや、済まなかったね、由綺ちゃん」
「お疲れ様でした、由綺さん」
「いいえ、楽しかったですよ」
「そうか、それは何よりだな」

 英二は由綺に向けていた視線を冬弥へと向ける。
 だが、もう一人の美女は入って来てから冬弥へは視線を向けないままである。

「俺がここの責任者、緒方 英二だ」

 その男、英二。
 責任者というには若すぎる風貌ながら、底知れぬ雰囲気も持つ。
 逆に考えれば、若くして責任者の肩書きを持つというのだから只者では無いだろう。

「で、だな」
「……篠塚 弥生です」

 そして、弥生。
 英二に促されて発した今の一言以外は終始無言であり、相変わらず冬弥に視線を向け様ともしない。
 それから冬弥は自分をあまり歓迎してないようにも感じられ。
 冬弥は初対面ということと二人の発する往羅もあって、由綺との時とは違い、構える気持ちが大きくなっていく。

「藤井 冬弥、只今着任致しました!」

 そのせいか、挨拶が思わず大声になってしまった。
 言った冬弥も含めて皆が驚き、沈黙が場と覆う。

「ははっ、青年。 そう固くならなくてもいいぞ」
「は、はい……」

 一早く話し出した英二。
 それは確実に場の沈黙を打ち破った。
 だが一方の冬弥は今の失態もあり、その言葉にもますます萎縮する。

「俺ってそんなに怖いかなぁ、なあ、由綺ちゃん」
「え? いえ、全然そんなことないですよ」
「ははっ、そう言ってくれるのは由綺ちゃんだけだぞ。 青年はどう思うかな?」
「い、いや、その、良く判らないです」

 突然そう言われても答え様があるまい。
 何せ初対面、それだけで判断するのも無理というもの。
 適当に答えては失礼に値するかも、と思った冬弥は答えることをしなかった。

「それはそうだな、いま会ったばかりで判るわけないか。 いやいや、失敬」
「あ、いえ、気にしてません」

 それも関わらず砕けた雰囲気で接してくる英二。
 代表からして砕けた雰囲気であることは、この粉雪の雰囲気を全体をも物語っているだろう。
 よって、冬弥の緊張が和らいでゆくのも必然である。

「まあ、まずは荷物を置いて一休みした方がいい。 話は後でするとしようか」
「あ、わかりました……」
「ま、かなり疑問が積もっていると思うし、答えるのも長くなりそうだしな」
「……はい」

 にやり、と軽く笑みを浮かべる英二。
 だが冬弥は心中を読まれ、砕けた雰囲気だけでないということを再度思いだすのであった。

「由綺ちゃん、青年の部屋を教えるついでに、粉雪の中を一式案内してもらえるかな?」
「はい、判りました」

 英二の提案を快諾する由綺。
 その声に傍らの弥生が僅かに動じたような気がして、冬弥は目をやる。
 だが、やはり無言にして鉄面皮のままの様子であった。

「では、早速失礼していいですか?」
「ああ、任せたよ」
「……冬弥くん」
「あ……し、失礼します!」

 由綺に袖を引かれるようにして、とりあえず責任者の部屋を出る二人。
 一歩先を歩み行く由綺に並ぶように冬弥は少し小走りで追いつく。

「ごめん、由綺」
「ううん、いいよ……弥生さんが気になってたんだよね?」
「えっ……」
「ごめんね、冬弥くん」

 冬弥はまたもや心中を察せられて驚きの視線を向ける。
 だが、由綺はすまなそうな表情をしていた。

「弥生さん、いつもはとても優しい人なんだよ」
「そうなの?」
「うん、今日はちょっと……虫の居所が悪かったのかも……」

 弥生のことなのに我が事のように謝罪する由綺。
 その人柄に感嘆する冬弥は、沈みかけていた気持ちなど吹き飛ぶ。

「判ったよ、由綺」
「え?」
「また後で弥生さんに話でもしてみるさ」
「……うんっ」

 由綺はいままでの表情を一転、笑顔になる。
 それにつられてか、冬弥の頬も緩むのであった。

「それで、案内だけどまずは冬弥くんの部屋からでいい?」
「粉雪座の内部は全然判らないし、由綺に任せるよ」
「うん」

 まずは……と歩み出した2人。
 だが丁度その時、その廊下にある階段から誰かが降りてくる。

「お姉ちゃん」
「あ、マナちゃん」

 それはちょっと幼な目の女の子。
 二つに分けた髪を揺らし、とてとてと小走りによってくる。

「マナちゃん、こちらは……」
「うん、噂の人よね。 わたしは観月 マナです」
「あ、俺は藤井 冬弥」

 ぺこりと頭を下げあった後、マナは由綺へと向き直る。

「そうだ、お姉ちゃん」
「なに?」
「今、美咲さんが探していたわ」
「えっと、何かな」
「良くは知らないけど、あの様子からすれば結構急ぐことみたい」
「そう、でも……」

 悩む様子の由綺。
 それを察し、冬弥はその背をぽんと軽く叩く。

「いいって、行きなよ」
「うん、ごめんね、冬弥くん」

 小走りに二階への階段へ駆けて行く由綺。
 おそらくは出来るだけ早く戻ってくるつもりなのだろう。
 見送る冬弥はその姿が消えたので、マナへと視線を移す。

「ふうん……」

 と、そのマナはしげしげと冬弥を眺めている最中だった。

「えっと、マナちゃん?」
「あのねぇ、動かないでくれる?」
「あ、うん……」

 立つ位置を変え、見つめ続けるマナ。
 一方の冬弥は微動だに出来ないまま、しばらく。

「……なるほど、一応合格かな」
「え……」
「これからよろしくね、藤井さん」
「あ、うん、よろしくマナちゃん」

 僅かの時間だったが、冬弥には長く感じた間の後。
 何に納得してかは不明だが、マナは今までを一変、笑顔で挨拶した。
 その変化に戸惑いつつも返礼した冬弥だったが、ふと違和感を抱いた。

「マナちゃんって……あ、いや、やっぱり……」
「藤井さん、あまり遠慮しないで何でも聞いていいわよ」
「そう?」
「ここは始めてだし、いろいろ知らないのは仕方ないわ」
「うん、ありがと」
「まあ、それが許されるのも最初のうちだけだし」

 最後の台詞には冬弥も穏やかな笑みを苦笑に変えざるを得なかった。
 だが、決断にはなった。

「じゃあ、一個だけ」
「うん」
「マナちゃんは……」

 冬弥は先ほどマナに感じた違和感。 それから発した疑問を質問することにする。

「熊のぬいぐるみをいつも抱いていないの?」
「………………」

 それがつきものであろう、と思っていた冬弥。
 だが次の瞬間、強烈な寒気を覚える。

「………………わよ」
「え? 何?」

 某偽善者か?との思いが湧いた冬弥が辺りを見まわす。
 そして顔を伏せ何事か呟いたマナに一歩近寄った、その時である。

「私……子供じゃないっ!」

 がこっ!

 鈍い音が冬弥の骨格に響いた……
 
 

 それからしばらく。
 マナと別れ、由綺が戻ってきて案内は再開された。
 二階に上がり、まずは冬弥用の部屋。

「ここが冬弥くんの部屋だよ」
「なるほど」
「それで冬弥くんの向いが私、その隣が理奈ちゃんだよ」

 どうやら、全員の個室が廊下を挟んで並んでいる作りのようだ。
 突き当たりから四部屋ずつ、計八部屋。

「えっと、それで……こっちが弥生さんで、こっちが……えっと……」
「『いながわ』って読むんだよ、冬弥くん」
「なるほど」
「で、俺の向いが由綺の部屋ってことか」
「うん、何かあったら直ぐに言ってね。 こんなに近くなんだし」

 右の一番廊下側が藤井、猪名川、そして表札が裏返っている部屋、空き部屋と続き。
 左は森川、緒方、観月、空き部屋、となっている。
 各個人に個室があるとはいえ、本当にすぐ近くである。

「ありがと、何かあったらお願いするよ」
「うんっ」

 嬉しそうに答える由綺。
 その笑みの前では冬弥の頬もつられ緩むのも必然だろう。

 続いて個室以外の粉雪座の案内へと移る。
 まずは、と一旦階段を降りて一階から廻り始める。
 調理場、食堂、舞台、袖、観客席……と周った二人。
 今までのところ、粉雪の中は規模は大きいながら至って平凡な演劇座である。

「っと……」
「冬弥くん、本当に大丈夫?」
「あ、ああ、大丈夫、大丈夫」

 先ほどからちょっと足を引きずり気味に歩く冬弥。
 無論、先ほどのマナの一撃のせいである。

 マナと由綺は入れ違いになった為、一撃の現場が目撃されることは無かった。
 マナが不機嫌のまま走り去って行ったのを幸いとし、冬弥は由綺への説明の時足を物にぶつけたことにしたのだが。
 とはいえ、相当に強力な攻撃であり、平然を装うことも出来ず。
 結果として、心配しつつ不可思議に思う由綺の説得に当惑する冬弥だった。

「で、でも猪名川さんはどこか出ているの?」
「えっと、多分、由宇ちゃんならあそこ…かな……」
「あそこ……って?」

 話題を変えようと何気なく振ったのだが、由綺の様子は少し普通と違った。
 どこだ、と言うだけでなく、少し言いづらそうな感じも受ける。

 と、いう訳で由綺の言った由宇がいるであろう場所。
 それは舞台袖と隣接しており、そこと大きな扉でつながっている倉庫。
 そこには多種多様の舞台の背景などに使われるものが置かれている。
 だが、置かれている物の欠損が無いことやほこり臭さを感じない所などから、管理の質が非常に高いことが測り知れよう。

「うふ、うふふふふ……」

 しかし、そこに響く怪しげな声。
 暗室とはいえ、きちんと整理整頓されている空間だけに違和感炸裂である。

「あれは一体……」
「うん……ちょっと待ってね。 由宇ちゃん、いる?」

 苦笑しつつ由綺が奥に向って声を掛けた、その時だった。

 ぼふぉっ!

「きゃあっ」
「な、なんだぁ?」

 その奥より爆発的に煙が起きた。
 火気は無いようで規模は小さいものの、室内だけに派手に見える。

「け、けほっ……あかん、失敗や」

 煙がもわもわと立ち込める中、そこから出てきたのは眼鏡をかけた少女だった。

「由宇ちゃん、大丈夫?」
「こんくらい大した事あらへん、大丈夫や」

 由宇と呼ばれたその少女。
 赤い服を着てはいるが、それは中華風では無いのでご注意を。

「由綺、あんたがここに来るとは珍しいな。 なんや、どないかしたんか?」
「うん、着任の挨拶廻りと案内してるの」
「着任……っていうと、なるほどなぁ」

 埃でくもった眼鏡を一度拭き、由綺の隣の冬弥にやっと気付いた由宇。
 体を軽くはたき埃を落として、改めて向き合う。

「はじめましてやな、ウチは猪名川由宇や。 由宇でええで」
「藤井 冬弥。 俺も冬弥でいいよ」
「そうか、よろしゅうな」
「うん。 しかし……」

 冬弥は奥の方を見る。
 煙は大分晴れたとはいえ残っており、奥がどうなっているのか今だに窺い知れない。

「何か爆発したみたいだけど、何かやってたの?」
「新しい演出用の道具作っとったんやけど、ちいと分量間違ってしもたみたいやな」
「道具っていうと?」
「ウチは道具とか新しいの作るの好きやからな、歌劇団ではそういう担当しとるんや」
「なるほど……」
「ま、独自性とか先進性を出すためには試行錯誤も必要経費、っちゅうことやな」

 屈託無く笑う由宇。
 失敗したにも関わらずこの前向きな考えには、冬弥も感嘆する。

「で、今回は失敗したと」
「失敗は成功の母と言う! 単に無駄やあらへん!」

 素直に喋った冬弥に詰め寄る由宇。
 どうやら禁句だったようである。
 逆上して詰め寄る……と思いきや、何やらぶつぶつと独り言を始めた。

「せやけど確かにウチとしたことがしもうたわ。 今度はあれをもうちと少な目にして、そいで……」
「なあ……」
「うん?」

 解説というか次回への意気込みというか、長々と喋りつづける由宇。
 邪魔しないように冬弥は小声で由綺を呼ぶ。

「由宇って、いつもこんななのか?」
「いつも、じゃないけど……」

 言いづらそうに苦笑する由綺に、由宇の思考錯誤の成功率というものを垣間見た冬弥であった。
 
 

 それから再度研究に挑戦するという由宇を置き、二人は倉庫を後にした。
 今は廊下を歩いていて、次の案内場所へと移動している最中。

「うーん……」
「冬弥くん、どうかした?」
「いや、ここって演劇座なんだなって」
「うん、そうだけど」
「い、いや、なんでもないんだ」

 一応とはいえ冬弥も武士のはしくれ。
 身分には拘らない考えであるとはいえ、それが勅命で演劇座の一員とは……やるせない気持ちも無くは無い。

「もしかして、疲れちゃった…とか」
「あ、いや、不慣れなだけさ。 でも慣れないとね」
「うん、でも私は冬弥くんならみんなも直ぐに慣れると思う」
「……ありがとう」
「ううん、大したことじゃないから……」

 だが、楽しそうではあるし、なにより素直に歓迎してくれる由綺達に会っては今更辞めようという気も起きない。
 妙というか凄く個性的な面々ではあるが、悪いことは無い。
 不慣れな仕事ながら、これからやっていくかなと思う冬弥だった。

「で、演劇の仕事って……」

 リリリリリリリン……

 突然、鈴の音が鳴り響く。

「何だ? 火事か?」
「冬弥くん、ついて来て」
「え?」

 突然の展開に戸惑う冬弥。
 だが、由綺は微笑みながら告げた。

「大江戸歌劇団は今、大江戸華撃団になったから」
 

 ―――――以降、第弐幕。
 

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