「なあ、梓。なんか手伝うことないか?」
「うざったいなあ。あんたは邪魔なんだから居間でテレビでも見てろよ」
「そうだよ、耕一おにいちゃん。さっき着いたばかりで疲れてるんだし、ゆっくりしててよ」
「初音ちゃんは優しいなあ。梓、少しは見習え」
「…耕一おにいちゃん。梓おねえちゃんも気遣ってるんだよ」
「いーや、梓は俺を能なしの役立たずとしてしか見てないんだ」
「…耕一おにいちゃん」
「だあー! さっさとでてけー!! この、能なしの役立たずっ!」
「うわっ。わかった。わかったから包丁向けるなっ」
「くすくすっ…」
楓ちゃんの「にゃ〜ん」な一日
作:YISAN
秋も深まり、野山は赤や黄色の美しい色に染め上げられている。隆山は今、紅葉の真っ盛りだった。
俺、柏木耕一はそんな隆山にある柏木邸に来ている。
何故かって?
今日が11月15日だからだ。
俺にとって、この日は一年で一番大切な日だ。楓ちゃんの誕生日なのだから。
柏木楓……楓ちゃんは俺の従妹にあたる。そして、今は俺の…恋人なのだ。
去年の晩夏、俺は何年かぶりにこの地を訪れた。
その時に起こった出来事を、俺は一生忘れはしないだろう。
紆余曲折を経て、俺は真実の愛を勝ち取ることが出来た。楓ちゃんと恋人同士になれたのだ。
あれから1年が過ぎた。
去年は我が身の境遇を整理するのに手間取ってしまい、まともに誕生日を祝ってあげることが出来なかった。
だから、今年はきちんとお祝いをしてあげたくて大学をさぼってここに来たのだ。
午後4時に着いた時、家で俺を出迎えてくれたのは梓と初音ちゃんだった。
千鶴さんは仕事で7時頃になるといい、楓ちゃんは高校の補講で6時ぐらいになるらしい。
楓ちゃんは高校3年生、大学受験を控え、今ラストスパートに入っている。
今日のお祝いはそんな楓ちゃんの息抜きを兼ねて家で家族だけで行うということだ。
梓と初音ちゃんはその料理を作るために早くから帰ってきて準備を進めていた。
俺もその手伝いにと思ったんだが……梓に台所からおっぽり出されてしまった。
俺は手持ち無沙汰のまましようもなしに、居間でテレビを見ることにした。
がらがらがら……
おや、誰か来たらしい。
時刻は5時30分、楓ちゃんが帰って来るにはちょっと早い時間だ。とするとお客さんか。
「どれ、出てみるか」
本当はここに住んでいない俺が応対するのはまずいと思うが、梓も初音ちゃんも忙しそうだからしょうがない。わからなかったら梓を呼べばいいだろう。
玄関まで小走りに向かうと、そこには靴からスリッパに履き替えたばかりの楓ちゃんが立っていた。
「はあ、はあ…はあ……はあ」
走って帰ってきたんだろう、頬を真っ赤にして息を弾ませている。
「おかえり、楓ちゃん」
「はあ、はあ……いらっ…しゃい、はあ…耕一さん」
二人の間を流れる時間が止まる。
綺麗になった。
俺は不覚にも見取れてしまった。
実をいうと楓ちゃんと会うのは、5月の連休以来だ。夏休みはバイトに明け暮れて隆山には来れなかった。
意固地になってる訳じゃないが、援助の手は借りず学費や生活費は自分で稼ごうと決めていた俺にとって、夏休みは貴重な時間だったからだ。
6ヶ月ぶりに会う楓ちゃんはほんとに綺麗になっていた。
おかっぱ頭だった髪は肩に掛かるまで伸び、華奢だった体つきはほんの僅かだが女らしさを主張し始めていた。そしてなにより、瞳の輝きがまるで違う。以前のアンティークドールみたいな硬質的な美しさから、博多人形みたいな暖かさを備えた美しさへと変わっていた。
乱れていた呼吸も収まった楓ちゃんはそれでもなお、頬は赤いままだった。
「おかえり、楓」
「楓おねえちゃん、おかえりなさい」
止まっていた時間が動き出す。
いつの間にか梓と初音ちゃんも玄関に来ていた。
「ただいま。梓姉さん、初音」
「早かったな。6時ぐらいじゃなかったのか?」
「…うん」
「おおかた耕一が来るもんだから大急ぎで帰ってきたんだろう?」
「……(ぽっ)」
「図星、ってとこか?」
「………(ぽぽっ)」
「梓おねえちゃん。楓おねえちゃん、真っ赤になってるよ」
「…………(ぼっ)」
「あはは。ごめん、ごめん」
だんだん俯いていく楓ちゃん。ちょっとばかり口がとんがっているぞ。
「どうだい、耕一。楓が一番イメージが変わったろ」
「……ああ」
「耕一おにちゃん。楓おねえちゃんね、春頃から髪を伸ばし始め出したんだよ」
「……ああ」
「…なんか言ってやれよ、耕一」
「あ?…ああ……綺麗になったね、楓ちゃん」
こんな肝心な時に月並みな言葉しか出てこない。もっと、国語を勉強しとけばよかった。
「あ、…ありがとうございます」
せっかく桃色まで戻っていた楓ちゃんの頬はこの言葉でまた林檎色になってしまう。
「女は恋をすると綺麗になるって言うからな。楓も好きな男でも出来たんじゃないのか?」
梓がとんでもないセリフを口にする。楓ちゃんは俺一筋さ。あっ、だからきれいになったのかな?
「おっと、鍋がふきこぼれるな。初音、さっさと片づけちまおう」
「うん、梓おねえちゃん」
そう言って梓は、そそくさと台所に戻っていった。下を向いたままもじもじと立ち尽くす楓ちゃんを見て、さすがにいじめすぎたと思ったのだろう。
その後をにこにこと初音ちゃんがついていくのはお約束というものだ。
「私も着替えてきます」
俯いたままで、そう言いながら立ち去ろうとする楓ちゃんに向かって、俺は声を掛けた。
「楓ちゃん」
立ち止まって振り向く楓ちゃん。
「会いたかったよ」
偽らざる想いだった。
俺の目をじっと見つめ返した楓ちゃんは、泣き笑いのような笑顔を浮かべて一言つぶやいた。
「……私もです」
俺と楓ちゃんの視線が交差し、その距離が少しずつ縮まっていく。俺の右手が楓ちゃんの頬に触れ、楓ちゃんが僅かにあごを上げて目を閉じた時……
ク〜〜
楓ちゃんのお腹が、可愛い音をたてた。
どたたたたっ
脱兎の如く逃げていく楓ちゃん。
後には右手を上げた間抜けな姿で、呆然と佇む俺が残されただけだった。
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