それは、僕だけに与えられた愛だと思ったんだ。

 幼心に全てだと思ってしまった世界で、僕は、そんな狭い、あまりにも狭い世界で、その言葉だけを信じて盟約を交わしたんだ。
 
 

 えいえんはあるよ




 その言葉は、なぜかすぐに納得ができた。

 夢の中で、君が僕のことを好きでいてくれるのと同じくらいに、なぜか、頭が解っていたんだ。

 あの時、僕は僕の世界の中に、どんな小さな奇跡さえも閉じこめた。

 どんな未来さえも、閉じこめてしまったんだ。

 永遠は、始まっていたんだ。
 
 

 もしもこの世に「神様」がいたならば。
 ずっと、もうずっと昔、俺は自分の身に危機が迫るとどこかに向かって、そんなことを考えていた。
 そんなときもあった。
 別に、そんなことはいい。
 いるかいないか、その存在さえも虚ろな者に頼ろうとしていた俺が悪いんだ。
 だから、神なんかどうでもいい。
 もういいんだ。
 何だっていい。
 何が悪いと言うんだ?
 俺?
 俺が悪いのだろうか。
 確かに、俺はこの世界に帰ってきた。
 もちろん俺だけの力じゃあない。
 それは解っていたはずなんだ。
 感謝していた。
 愛していたんだ。
 それなのに、なぜ?
 どうして、こんなことに……

 そんなことを考えられるようになったのは、ずいぶんと時間が経った後だった。
 いや、どれくらい時間はたったのだろう。

 ――それすらも判らない。
 
 
 
 

決別 〜プロローグ〜
 

 春。
 俺には、再出発の春。

「ありがとう」

 生まれて初めてそんな言葉を口にして取り戻した現実。
 でも、まだ、瑞佳にはそんな言葉の一つもかけていなかった。
 時間をかけて、じっくりとやり直したかった。
 ただ、瑞佳と町を歩いたり、クレープをかじり合ったり、苦手な歌を歌ったり。
 少しずつ、少しずつ俺は俺を取り戻していく。
 何もない日常でも、瑞佳がいてさえくれれば、空の向こう側に思いを馳せるようなこともなくなって行く
はずだった。

「なになに? 何見てんの、浩平?」

 瑞佳は不思議そうに俺の顔と、その視線の先とを交互に眺めた。

「いや、いい天気だと思って。明日も晴れんのかな」

 多分、俺だけに許される誘いの言葉。

「う〜ん。西の空がきれいだよ。明日、きっと晴れるね」

 瑞佳の前髪を揺らした風は、同時に瑞佳の香りを運んできてくれる。

「そろそろ、コートしまわないとな」
「それじゃあ、明日買い物でも行こうよ。お天気良くなりそうだし。日曜日だしさ?」

 瑞佳はコートの裾を引っ張ると、弾けるような笑みをたたえながら言った。

「昼飯、おごりな?」
「えっ? なんで、なんで? ずるいよ、浩平。横暴だよ」
「普通、先に誘った方がおごるもんだろ?」

 俺は瑞佳の困った顔をのぞき込むようにしていった。
 何より、俺は瑞佳の困った顔が好きなのだ。
 思い返せば、この顔見たさに学校に通っていた時期もあったな。
 そう、小学校の時だ。

「えっ、えっ? もしかして浩平、私が誘うの待ってたの?」

 瑞佳は逆に俺の顔を凝視しながら言う。

 パシッ

「いったぁ!」
「無駄なツッコミは減点!」

 俺は少し悔しくなって、瑞佳の額を3本の指の爪で小突くと、そのまま歩き出した。

「あっ、あっ、ちょ、ちょっと待ってよ、浩平! こ〜うへ〜い!!」

 瑞佳は情けない声で叫びながら俺の後を追ってくる。
 きっと、いつものあの困った表情を浮かべているに違いない。
 俺はそう確信すると、もっと瑞佳を困らせようと思い、さらに歩みの速度を上げた。

「ああっ! ま、待ってよ〜! こ〜う〜へ〜い〜!!」

 瑞佳は吹奏楽部で使っている楽器を手に持っているので、いつもより数段遅い。
 そのためか、普段より大きな声で俺の名を呼んでいる。
 町中だというのにお構いなしといった感じで叫び続ける。
 さすがに、このままお約束を続けていては安易に町を歩けなくなるおそれがある。
 そろそろいいか。
 そんなことを考えながら、次の曲がり角へと急ぐことにした。
 ここで待ち伏せして、追ってきた瑞佳とぶつかってなんくせつければ、本当に明日の昼御飯はおごり
 になるだろう。
 お約束に輪をかけるようで好きじゃないけれど、昼代には換えられない。
 俺は壁に背を貼りつけて、その瞬間を待つ。
 ……
 ……
 ……
 遅い。
 瑞佳が来ない。
 今の俺にはそんな些細なことでさえ、恐怖へと駆り立てられる弱さがあった。
 俺は言い難い焦燥感に駆られると、一歩足を踏み出した。

「わっっ!!!」
「うわぁっ!?」

 その瞬間、もう一方の陰に隠れていた瑞佳が大声で叫んだ。
 どうやら、瑞佳も同じことを考えていたらしい。

「あははははは! 驚いた? 驚いたっ? ね、浩平?」

 瑞佳は鈴を転がすようにころころと笑っている。

「み、瑞佳……お前っ!」
「浩平のすることなんかお見通しだよっ。だって浩平ってば、小学校の頃からちっとも変わっ……」

 パシィッ

「いったぁぁぁっ! ひ、ひどいよ浩平。今、ちょっとホンキだったよっ!」
「くだらねーこと言ってないで、帰るぞ」
「あっ、あっ、ま、待ってよ浩平! わたし、もう走れないよ。重いんだよ、これ?」

 瑞佳はいつも通りの表情になると情けない声で言う。

「おら」

 俺はそう言いながらしぶしぶ右手を差し出した。

「えっ?」
「……」
「えっ、えっ?」
「ほら、早くしろよ」
「え、と……」

 瑞佳は少し考え込むと、おもむろに俺の右手を握った。

「仲直り、仲直り。……でしょ?」

 瑞佳はうれしそうに、つないだ手をぶんぶんと振りながらも、首を傾げる。

「ばかっ、そうじゃない。持ってやるって言ってんだ。その重い荷物をっ!」
「えっ、えっ……ええっ!?」
「何だよ、それ。もう知らん」
「あ、ご、ごめん。それじゃ、これ、お願い」

 瑞佳は2番目に大きい荷物を差し出した。
 この辺りが、瑞佳らしいといえば瑞佳らしい。

「……そっちの方よこせよ」

 俺は無理矢理瑞佳の手から荷物を奪うと、そのまま歩き出した。

「待ってよ、浩平」

 今度は瑞佳も容易に追い付き、俺に並んで歩き出す。

「えへへ……」
「なんだよ」
「浩平、今日は優しいね」
「はぁ?」
「浩平、前に言ったよね? 口に出していってくれないと分かんないって」
「そうだったか?」
「言ったよ。……だから、わたしは素直に言うんだよ」
「そうか」
「そうだよ」
「でも、安易すぎると思うぜ?」
「なにが?」
「お前、俺が今、何を考えてるか解るか?」
「う〜ん……むずかしいな」
「ヒント。この荷物は非常に重い」
「あ、うん。ありがと。感謝してるよ?」
「というわけで、明日は夕飯も瑞佳のおごりになる、と」
「え、ええっ?」
「まあ、当然の権利だよな?」
「だよな?って……あ〜ん。わたし、あんまりお金ないよっ」
「気にすんなって。明日は俺の買い物なんだから・・・」
「……はぁ」
「いやぁ、いい天気だ!!」

 ため息をつく瑞佳を後目に、俺は朱の混じり出した視界いっぱいの空を仰いだ。

 翌日。
 昨日の予想通り、目が覚めるような青空が広がっている。
 珍しく自然に目が覚めた俺は、ふと時計を見る。
 約束の時間より、1時間30分ほど早い。
 諸々の支度をしてもあまりある時間だ。
 あれ以来、全てのことが好転しているような感覚を覚える。
 戻ってきて良かった。
 今更ながら実感する。

「ほら〜、起きなさいよ〜! うわぁっ! ちゃ、ちゃんと起きてる。しかも支度までして!」

 いつも通りの、朝の風景。
 ただ、瑞佳は口に手を当てて驚いている。

「よし、行くか」

 俺はわざとそんな瑞佳を無視するように、玄関へと向かう。

「あは」

 ようやく頬をゆるませた瑞佳も、ぱたぱたと俺の後に続いた。
 

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