「最果ての地60万ヒット記念」

これまでとこれからと presented by 冬御 直矢













 ライトイエローのテニスボールが瑞希の手を離れて宙に投げ上げられる。

 次の瞬間、ボールはパコーン!という爽快な音を上げてシングルコートのラインギリギリに突き刺さった。

「くお……っ!」

 地面すれすれにバウンドしてくるボールを何とか拾って打ち返す。だが、ロブ気味に上がったへろへろの山なりボールは格好の獲物

 無情にも、その落下点にはすでに瑞樹が走り込んでいる。

 ボールは瑞希のやや前方に落ちて、瑞希の打点ぴったりのところに跳ね上がった。

 ――甘いわね、和樹♪

 ニヤリ、と瑞希が笑みを浮かべた……ように見えた。

 素早くラケットが振り上げられ、空を切る音とともに容赦ないスマッシュが自コートに叩きつけられた。
 
 
 
 
 
 

「あーっ!疲れたぁ!!」

 木製の白いベンチに倒れこむようにして座る。

 汗だくの体に吹いてくる微風が心地よい。

「情けないわねぇ。ハイ、これ」

 俺の隣に座った瑞希が、荷物の中からスポーツドリンクを取り出して俺に差し出した。

 そいつを受け取って一気に飲み下す。

 冷えたドリンクがのどをつたって体の真芯を通り抜けていく

……ぷはぁ!!生き返ったぁ……

「部屋に篭って手しか動かしてないんだから、運動不足よ、きっと」

 空の容器を受け取ってバッグにしまった瑞希が、ベンチにもたれかかって肩で息をしている俺を呆れたように見て言った。

「んなコト言われてもな…マンガ家ってのはそれが仕事だし」

 ふぅぅ〜、と大きく息を吐きながら言う俺を見て瑞希が、

……ふふっ」

 と嬉しそうに瞳を細めた。

「どうした?」

「ん、ちょっと昔のこと思い出しちゃってさ。あんたって昔から変わってないわよね」

「なんだよいきなり」

「覚えてない?私が初めてあんたをテニスに連れ出した時に、『そんなこと言われても俺は美術部なんだよ』って言ったの」

……よく覚えてるな。そんなこと」

 幾分息が整ってきた。そういえば、昔そんなことを言ったような気がする。

 それにしても美術部か……

「なんか……懐かしいな」

「そうだね。ほんの数年前のことなのに、ずいぶん昔のことみたい」

「ああ……

美術部……高校時代、か。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 無機質な階段を上っていくと、木炭とテレピン油の匂いの混ざった空気に出迎えられる。

 踊り場の窓から差し込む西日に瞳を細めて、紅く照らされた階段をさらに上っていく。

……ったく島田のヤロー、こんな時間まで残しやがって」

 中年に差しかかった担任教師の名前を恨みがましく呟きながら、さらに上る。

 残されていたとは言っても単なる説教だったのだが。

 やれ成績がどうだの、授業態度がどうだの、進路がどうだのと……

 聞いているのも面倒なんだが、間違ったことを言われているわけではないもんだからトンズラこくわけにもいかない。

……はぁ。課題どうしよっかな……

 『美術室』と書かれたプレートがかかっている教室の扉を見て、陰鬱な気分が甦ってくる。

 今度の学園祭に提出する作品がまだ出来ていない。

 ただ出来上がっていないだけなら何ら問題はない。

 今回、『これが描きたい』と食指をそそられるモノが思いつかなかったのだ。

 基本的には趣味で絵を描いている感が強いため、題材が描きたいモノでないとどうも張り合いが出ないのだ。

 結果、期限まで残り2週間でまだ題材も決まっていない、という状況なわけだ。

……何とかしないとなぁ……

 はぁ、と深く肩を落として、美術室の戸を横に滑らせた―
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「え……
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 まず目に飛び込んできたのは圧倒的な紅。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 そして、白い肌に真正面から西日を受けて紅く染まった女の子。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 その光景があまりにも印象的で……
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

……たか、せ……?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 その女の子が知り合いだということもしばらく忘れて見とれていた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「え?ああ、千堂君、どうしたの?」

 女の子がこちらに視線を向けた。

 最近ちょっと故あって知り合ったクラスメート、高瀬瑞希。

「え……、ああっと……

 視線を向けられて、少しどぎまぎする。

 ――まだ、さっきの光景が目と頭に焼きついている。

 ――圧倒的な紅い光の中に浮かび上がる女の子の姿。

 高瀬はふっと視線を上に泳がせて考えるような仕草をすると、

……あ、そっか。美術部なんだから美術室にくるのは当たり前だよね」

 何言ってんだろあたし、といたずらっぽく舌を出す。

 その細かな仕草一つ一つに、心が揺れる。

……高瀬は何しに来たんだ?」

 金縛りにあったように動かない体。急速に喉が渇いていって、胸のあたりが熱くなってくる。

 やっとのことで、しゃがれた声を絞り出す。

「あたし?あたしは……、なんとなく、かな」

 浮かべた苦笑が、説明しにくい、というのをを如実に物語っている。

「学園祭の看板作り、手伝ってくれたでしょ?そのときすごく手際よく完成させちゃったから、やっぱり美術部って上手なんだなぁって思って、ちょっと絵を見てみたくなったの」

 所々考える仕草を交えながら、高瀬は説明する。

 俺の中で、ひとつの思いがどんどん大きくなっていくのがわかる。

 渇く喉を、ごくりと唾を飲み込んで潤す。
 
 

 俺は……
 
 

「これから部活、始めるんでしょ?お邪魔だから帰るね」

 高瀬が俺の横を通り抜けて美術室を出て行こうとする。

「あ……!」

 行かせちゃ駄目だ!

 不意にそう思って、無意識に口を開いた。

「ん?……なに?」

 引き止められると思っていなかったのか、高瀬は俺のほうを振り返って、きょとんとした顔で俺を見た。

 俺の脳裏に、さっきの光景がフラッシュバックする。
 
 

 ……描きたい
 
 

「良かったら……、絵のモデルになってくれないか?」
 
 

 俺はあれを描きたい……
 
 
 
 
 
 

「窓の方を向いて……そう、別にポーズは取らなくていいから、普通に夕日を眺めてるだけでいいよ」

 白紙だった自分のキャンバスと愛用のイーゼルを設置しながら高瀬に指示を出す。

 ……しかし大変だった……

 美術部のモデル=ヌードモデルだと思い込んでいた高瀬の誤解を解くのに10分を費やしてしまった。

 何とか日の沈まないうちに…あのイメージが鮮明なうちに…

 手早くイーゼルにキャンバスを設置して、木炭コンテで下絵を描き始める。

 紅い部屋。紅い女の子。紅いキャンバス……

 目の前の光景に触発されるように夢中で木炭をキャンバスに走らせる。

「…………

…………」

 しばらく、木炭とキャンバスの擦れあう音だけが、夕暮れの美術室に響いていた。
 
 
 
 
 
 

うぅぅっ……」 

 木炭を置き、大きく息を吐き出す。

 すでに夕日の紅い色は部屋に無く、地平線に8割ほどその身体を沈めた太陽が、か細くその残滓を発しているだけであった。

「終わったの?」

「下絵はね。後はイメージを膨らませて色をつけていけばいい

 夕日が沈んでしまったにもかかわらず、俺の中にあの紅は鮮明に残っていた。

 高瀬が近づいてきて、横から覗き込むようにキャンバスを見る。

「うわぁ……

 感嘆の声を上げる。

 キャンバスには、片肘をついて窓の外を見つめている高瀬のバストアップの姿が克明に描き出されていた。

 今にもキャンバスを飛び出して動き出しそう……とは言わないが、自分でも驚くくらいの会心の出来だった。

……ん?どうかしたか?」

 絵を見ているとばかり思っていた高瀬が、いつのまにか俺の顔をじっと凝視していた。

 顔に木炭でもついているのかと思い、慌ててタオルで顔を拭く。

「そういう顔もできるんだなぁっ、て思ってさ」

 高瀬が俺の顔を見つめたままそう言う。

……なんだよ、そういう顔って」

「絵を書いてるときの顔。いつもはちゃらんぽらんなくせに、さっきちらって見たらすごく真剣な形相で描いてるんだもん。びっくりしちゃった」

 いつもはちゃらんぽらんって……、まぁ否定はしないけどさ……

「好きなことやってる時なんて皆そうじゃないか?自覚は無いけどな」

「そうかな」

「そんなもんだ」

…………」

…………」

 会話が途切れた瞬間、太陽が完全に地平線の彼方に没した。

 瞬く間に辺りに夜のとばりが降り始める。

「さて、日も沈んじまったし、今日はそろそろ帰るか。家はどっちの方だ?送ってくよ」

 適当にその辺に放ったため、荷物の中に埋もれてしまっていた学生鞄を引きずり出しながら俺は言った。

「えっ!?い、いいよそんな……

 高瀬が慌てて首を横に振る。

 まあ元から一人で帰すつもりも無い。

「だ〜め。女の子の夜の一人歩きは危ないんだから。ほれ行くぞ」

「う、うん……

 高瀬はしぶしぶといった様子で頷いた。

 帰り送ってもらうぐらいでなにを遠慮してるんだか。

 さっぱりした奴だって思ってたけど、なかなかどうして貞淑なところがあるじゃないの。

 などと口に出して言ったらセクハラまがいのことを考えながら美術室の戸を開け――
 
 
 
 

「ぐっどいぶにん♪まい同志!今日は筆が進んだようであるな。吾輩も嬉しいぞ!!」
 
 
 
 

 ――ピシャン!……ガチャリ。

 扉を閉めて錠前を下ろす。

 ……なんであいつがいるんだよ!

「千堂君、どうしたの?」

は外に出ない方がいい」

「え?」

「おお、我が同士よ!魂の片割れたる吾輩になんとむごい仕打ちを!!一人、暗い夜道を歩かねばならぬ同志のために、夕方18:00放映の『魔法少女 ピンキィ☆サクラ』ちゃんを断腸の想いで諦めてまで学校に残っていたというのに!!」

「おっ、お前どこから入った!?」

 ここの鍵はかけたし、何より扉の前には俺がいたはずだ!

 高瀬も目をぱちくりさせている。

 だが目の前のこの男は『なんだそんなことか』とでも言いたげに、かけている変な形のメガネをくいっと押し上げた。
 

「なにを珍妙なドアからに決まっておろう」

「それが非常識だっつーの……

 こいつの人外魔境ぶりを忘れていた俺のせいだというのはわかっているんだが……

「さあまい同志よ!火急的速やかに帰宅の途につき、ともにサクラちゃんに萌えようではないか!!」

「萌えるって何だよそれにそれさっき『断腸の想いで諦めた』とか何とか言ってなかったか?」

「ふっ……ビデオ録画は昨日の深夜の時点で予約済みだ!」

「それは『諦めた』とは言わん!」

「何を言うか!!サクラちゃんを『生時間』で見れないという何物にも換えがたい苦行を背負うのだぞ!!吾輩のこの悲嘆が理解できぬ同志ではないだろう!!」

「わかるかそんなもん!!」

「時に同志よ。この婦女子は何者だ?」

「この婦女子……って、え?」

 いきなりの話題転換に一瞬呆けてしまう俺。

 そこには高瀬が呆気に取られた顔で俺たちを見ていた。

……同志よ。思春期男児の生理的本能は理解できんことも無いが…画材プレイはまずかろう?」

「なにわけわからんことを言っとるんだ貴様はーーー!!!!!」

「えーと……千堂君、この人誰?」

 高瀬がおそるおそる聞いてくる。

 あんまり答えたくないんだが……

「ふっ……よくぞ聞いてくれたな新たなる同志よ!吾輩は……

「こら!かってに一般人を仲魔に引き込むな、大志!」

「同志和樹よないす受信だ」

「なんの話だぁ!!」

「大志って…………『あの』九品仏大志ィ!?」

 高瀬がいきなり素っ頓狂な声を上げる。

「知ってるのか?高瀬」

「知らないほうがおかしいんじゃない?学校一の『変態』って」

 ……確かにな

 心の中でさもありなんと頷く。

「千堂君、こんな奴と知り合いなの?」

……あーまあ、な。幼稚園からの腐れ縁って奴だ」

 さっさと切りたいけどな。とは言わないでおく。

「ふっ……何を言うか、まいぶらざぁ。あの熱い夜に交わした義兄弟の契りは欺瞞だったとでも言うのか?」

「熱い夜……契り……

 高瀬が顔を赤くして呟いている。

「こいつの言うことを信じるなぁ!高瀬!!」

「あの時の同志のテクニックには吾輩も昇天寸前…」

「じゃかあしいわーーー!!!!!!!!!」

 かこーん、と近くにあったイーゼルで、大志を開いている窓に向かってはたき飛ばす。

 すっ飛んでいった先の空がキラリときらめき、大志はそのまま無限に広がる大宇宙のお星様のひとつとなった。

 ……あんな奴に空から見守られているかと思うとゾッとしないが。

……はぁはぁはぁ……

 イーゼルを支えにして息を切らせる俺。

「だ、大丈夫なの?あの人?ここ、4階なんだけど……

「あのぐらいでくたばるなら大志はもう100万回ぐらい死んでる」

「そ、そう……

 このとき、高瀬が『1日に1回として2700年くらいかかるわよ?』などと冷静に考えていたことは、俺にはわからなかった。

「さっさと帰ろう。またやってこないとも限らない」

「う、うん……

 俺たちは逃げるように美術室を後にした。
 
 
 
 
 
 

「いや、肌白いなぁ、と」

「あたし、あんまり日焼けしない体質なの」

「ふぅん、テニス部って日に焼けてるもんだと思ってたけど」

 何気ない世間話をしながら,すっかり暗くなった通学路を歩く。

「あ、ここまででいいわよ。ここ、玄関」

 簡単な門の奥にある扉を指差して言う。

「そか。んじゃ、また明日」

「ん」

 高瀬が何か言いたそうだったが、俺はくるりと踵を返して歩き出した。

「千堂和樹」

「ん?」

 フルネームを呼ばれ、俺は高瀬のほうを振り向いた。

……あってた?」

 高瀬は玄関に続く門の前で俺のほうを見ていた。

……ああ、あってるよ」

「じゃあさ、和樹って呼んでいい?あたしも、瑞希って呼んでくれて構わないからさ」

「別に構わないけど」

「ん、良かった。じゃね、お休み、和樹」

「ん、じゃな、瑞希」

 瑞希はひらひらと手を振ると玄関に入っていった。

 その帰り道。

 俺は、女の子の名前をファーストネームで呼んだのはこれが初めてということと、そのことが別に恥ずかしくなかったということに気がついて、不思議な気持ちになった。

 なんというか、これからずっと付き合っていく相手、となんとなく予感していたのかもしれない。
 
 

 その予感は、まぁ現実になったわけだが。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「か〜ずき、なにボーッとしてんの?」

「どわああ!!」

 物思にふけっていた俺の目の前に、ぬぬっと瑞希の顔が現れる。

 さっきまで考えていた事とも相まって、不意に近づいたその顔に、俺の心臓が大きく高鳴った。

「なによぉその反応は?」

 瑞希は頬を膨らませる。

「べ、別になんでもないぞ。うん」

 16ビートを刻む心臓を抑えつつ、俺は少し顔をそむけた。

「ふぅん……ま、いいけど。休憩は出来たでしょ?じゃ、もう1ゲームいきましょうか!」

「おいおい、もう少し休ませてくれよ」

「なに言ってんの。時間に限りがあるんだからね、じゃんじゃんやるわよ!」

「へいへい……

 俺は、幾分回復した体をベンチから立ち上がらせる。

 コートの反対側まで走っていった瑞希が、大きくラケットを振った。

「じゃ行くわよー!そぉー、れッ!」

 パコーン

「なんのっ」

 ぽこーん

「おそいっ!」

 スパーン

「くおっ!」

「へっへー、フィフティーン、ラヴ♪」

「くぬやろ……来い!」

「いくわよーっ」
 
 

 こうしている時間も、あの時間の延長、かな。
 
 

 マンガ家ってのは予想外だけど。
 
 

 まぁ、俺も――自惚れじゃなきゃ瑞希も――幸せだから、いいか。
 
 

「へへ、サーティー、ラヴ♪」

「く……
 
 

 ずっと一緒に……『瑞希』
 
 
 

 おわり
 


あとがき
 
 

 ほのぼのを書きたかっただけっす(爆)

 60万ヒットおめでとうございます!のお祝いに送りますです。受け取ってくらはい。

 なんの脈絡もないですけど(笑)
 

ご意見、ご感想は
冬御 直矢 さんまでどうぞ!!
 

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